言いたいことは言わなくちゃ 2008.12.23

年賀状を書く時期である。
年賀状を書く作法(?)にもいろいろあるだろうが、私は簡単明瞭、単純明快、まず昨年(今年?)いただいた年賀状の枚数から必要数を見積もって年賀状を買ってきて、ワードで干支の絵柄と年号を適当にあしらい『あけましておめでとう』の言葉を入れ込んでおしまいである。そしたら年に一度しか活躍しない安物プリンタで印刷する。
私のプリンタの動きが悪いのは毎度のこと、どうせこいつもあと二回くらいご奉公すればお役御免、廃棄物となると思えば気も楽だ。一刻も早く叩き壊したいと内心思っているのだ。こいつを捨てたらもう二度とE社のプリンタなど絶対に買わないぞ!、今度はC社のプリンタを買って気持ちよく使いたいと考えている。

nenga.jpg さて印刷が終われば、昨年というか今年いただいた年賀状を引っ張り出して宛先を書く。私はいただいた人にだけしか出さない。別に市会議員でもなく商売をしているわけでもなく、これから出世したいと街の顔役とか会社の上役に義理とかおべっか年賀状を出すこともあるまい。
もちろん相手の住所氏名だけ書き写すのではなく、あいつは去年何を書いてきたのかと裏側を見てにやりとしたり、ホロリとしたりする。そしてそれに見合った言葉を一行くらい書き加える。誰だって印刷した文字だけの年賀状はもらってもうれしくない。私の小学生のような字でも一言書き添えてあれば気分を良くするのではないかと・・

読み返すとみなさんいろいろなことを書いている。病気になったとか、孫が生まれたとか、子供が結婚したとか・・いずれにしても年をとったと感じることばかり。もちろん囲碁が昇段したとか、念願かなってなにごとかを達成したというのもある。
中には人生訓などを書いている方もいる。

さて我が相方のタヌキから来た年賀状を見ると面白い文句が書いてあった。

苦しいこともあるだろう、
言いたいこともあるだろう、
不満なこともあるだろう、
腹の立つこともあるだろう、
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえていくのが男の修行である
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ご存じ山本五十六の名言である。
う〜ん、これを一読しただけで昭和の男ならジーンと来てしまうに違いない。 
昭和の男だけでなく明治の男も大正の男も平成の男も、いや男に限らず日本人なら誰でもわかるだろう、その気持ち
似たようなものに、「男は黙ってサッポロビール」なんてコマーシャルがあった。
1970年ミフネのコマーシャルであった。
私もつくづく長生きしすぎたようだ。
山本五十六に限らず、ビールに限らず、日本では「語ることはヤボ、沈黙、耐えることが美徳」であった。
いや西洋だって「沈黙は金」というではないかなどと言ってもだめ。あれは西洋ではしゃべりすぎるからあまり話さない方が良いということであり程度が大きく違うのだ。
日本は文字とおりしゃべらないことが良いこと、私のようなおしゃべりは罪悪ということになっている。
ではわが日本では、辛いことを黙って耐えていれば周りからほめたたえられるのだろうか?といえば、実は絶対にそんなことはない。
山本五十六の言葉を実践していれば、あいつは何を言われても文句を言わないから使いやすいとか、がまん強いことに悪乗りしてこき使われるのが落ちなのである。
沈黙を称える日本でさえそんなものである。
では野獣が住むという海の向こうのグローバルスタンダードでは、どのような尺度なのであろうか?

お隣の中国、韓国、北朝鮮、いわゆる特定アジアでは、沈黙は無価値である。いや無価値どころか、ゼロ以下、マイナス、ネガティブなのである。
特定アジアは「嘘も百辺言えば本当になる」という魑魅魍魎の世界だ。山本五十六流で行けばあっというまにたかられ、むしられ、食い物にされてしまう。
彼らの世界では自己主張をすることは恥どころか当たり前、しなければ正当な権利も侵されてしまうというのが常識である。

それは特定アジアだけか?
そうでもない。
わが愛しきISOの世界でも文字に書いたものがすべてというのが常識である。
記録を残せとあれば記録を残さねばならず、記録を残せと書いてなければ記録を残さなくてもよいのである。
そんなしゃくし定規の標準化などだめだよという声が聞こえそうだ。
そうではないと思う。自分の考えることを過不足なく文章にするということは非常に重要なことなのだ。
つい最近、あるところで会社の規則を見たら記述が不足しているように感じた。その会社の人に「こりゃ手順不足だからもっと5W1Hをしっかり書かないとだめだよ」と申しあげた。
その方は「常識があれば大丈夫です」という。
しかし世の中の常識というものは会社により、人により、そして読んだ時の状況によって自分有利に解釈が揺れるものだ。
私は「一般的な知識、知恵のある人が読んで一意的に決まらない文章はだめです」と改定を求めたのである。
私は自分が書いた図面が分かりにくかったり、指示が明確でなかったりしたことによる自らの失敗から、指示命令は一意的なもの、誰にでもわからなければならないことを学んできたのである。
そんなとき図面を良く読めばわかる!とか、言ったはずなんていうのはひかれ者の小唄というのだ。

まあ、言葉であろうと文章であろうと、言いたいことはしっかりと表明しなければならない。
言ったつもりだが理解されなかったとか、理解できないあいつが悪い、良く読めばわかるだろうに・・そんなことを語ってはいけません。
はっきりとしてほしいことを言わなかったのが悪い、しっかりした文章を書けないのが悪いのです。
言いたいことは、誤解されないような表現で、よく聞こえるようにはっきりと大声で言いましょう。そして、相手が理解したのか確認しましょう。


本日の迷言
../woman.gif 苦しいこともあるだろう、
言いたいこともあるだろう、
不満なこともあるだろう、
腹の立つこともあるだろう、
泣きたいこともあるだろう。
そんなときは我慢せず言いたいことを大声で言いなさい、
口にする恥ずかしさをじっとこらえていくのが男の修行である


木下様からお便りを頂きました(08.12.23)
揚げ足取り
そんなときは我慢せず言いたいことを大声で言いなさい、
口にする恥ずかしさをじっとこらえていくのが男の修行である


それでは遠慮せずに・・・・
クリスマス、私はレポートで忙しい。惨多苦労すが今年もやってきました。

木下様!
すばらしい突っ込み しかもダジャレも聞いている
クリスマスプレゼントに座布団1枚!


ふっくん様からお便りを頂きました(08.12.27)

言いたいことは言ったけど・・・
ま、そうは言っても山本長官は結構バリバリ言いたいことを言っていたみたいですよ。アメリカとの戦争についても、三国同盟反対についても・・・。でも実際は時代の流れを変えることができずに、粛々と自分の立場(連合艦隊司令長官)に従って本位でないにしてもアメリカとの戦争を指揮しなければならなかった。そのつらさを言っていると思いますよ。
(現代でも)そんなこともあるのではないかなと考えています。会社の方針で、こんなことしても無駄なのに・・・と思っていながらも、任命されたらやらなくてはいけないつらさとか(私のかつてのISO14001ですね(笑))
余計なことですが、山本長官は私の嫁さんと同郷の人です。私も嫁さんの里に行った時に、復元された生家を訪ねることもあります。駅から結構近いのでもし機会があったら訪ねてみたらと思います。近くに記念館があって、最後に長官が戦死された一式陸上攻撃機の主翼の一部が展示されています。

ふっくん様 情報ありがとうございます。
山本五十六さんとはお会いしたことはありませんが、そういう話を聞くといっそう親近感がわきます。
そうですよね、言いたいことも言えず、従容として命令に従うなんてつまらないだけでなく、生きがいがわきません。
言いたいことを言い、主張したいことを主張し、それでもだめならしょうがない・・それが現実でしょう。
しかし現実は、言いたいことも言えず、思うこともままならず・・それは悲しいですね

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