マネジメントシステムはトップダウン 07.12.23

以前「マネジメントシステムは全員参加である」という説を揶揄したことがある。
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そのときは環境マネジメントシステムであろうと、品質マネジメントシステムであろうと、全員参加でもよし、そうでなくてもよいと考えていた。
その後、折に触れていろいろと思いめぐらしているのだが、最近は少し考えが変わってきた。いや、全員参加の活動が正しいとか良いという結論になったのではない。その逆である。全員参加のマネジメントシステムはありえないのである。もし全員参加のマネジメントシステムがあるなら、それは会社をダメにするに違いない。
本日はなぜマネジメントシステムに関わる活動では、全員参加はありえないのかということを書く。

品質マネジメントシステムとか環境マネジメントシステムといっても、それは会社経営の包括的(ということさえおかしいのだが)な唯一無二のマネジメントシステムをいろいろな観点からみたものにすぎないことは何度も申し上げている。会社を運営する仕組みが複数あったものなら、その企業はまっすぐ進むことができないに違いない。

ちょっと話を変えるが、国家運営体制には、王制とか寡頭制とか民主主義などのさまざまな方法がある。
現代において民主主義という政治体制が最善と考えられているのは事実である。だがそれが最善なのか否か論理的に証明したものを私は見たことがない。しかしながら私は国民の幸せというか不満というか、そういった観点からみれば民主主義が妥当であると考えている。
なぜか?
簡単である。
もし国家が滅ぶとか、そこまでいかなくても経済危機とか外国から侵略されたという場合、その影響を受けるのは国民すべてであるからである。
誰であろうと、命を失うとか財産を失うという災いに関わる決定に参加したいと考えるのは当然であろう。
だから外国人が参政権を持つということは論理的に間違っている。なぜなら外国人は国家と運命を共にしないからである。
ナポレオンが作り上げた国民国家以前は、戦争は王様が傭兵を使って行うものであり、王様だけに関わるイベントであって、一般国民(当時は国民という概念はなかったが)が関わる必要はなく、徴兵されることも無く命を落とすこともなかった。彼らにとっては統治者、つまり納税する相手が変わるだけなのである。
日本だって同じで、関ヶ原の戦いを近隣農民は握り飯を持って見物に行ったという。
しかし国民国家となるとその国に属する人は従軍する義務を負った。参戦する人は命がけだから当然参政権を要求し、その結果民主主義になった。
北朝鮮をはじめとする旧共産圏諸国であろうと、イラン・イラクであろうと名目上はすべて民主主義である。
女性参政権とは女性が戦争で役に立つことを証明したことの結果である。
よって、国家の運営、つまり政治形態としては民主主義が国民の不満を最小とする方法であることは間違いない。
国家の運営において負担を負う人が決定に関与する権利を有するといってもよい。

では、企業においてその決定に参画するべきものは誰なのか?
一般に企業の利害関係者(ステークホルダー)とは、株主、従業員(労働組合)、取引先、近隣住民、消費者、国内外のNPO/NGO、一般市民など多種多様なものが考えられる。

ステークホルダーの例
NPO株主NGO
近隣住民企業従業員
(組合)
購入先代理店
自治体消費者
最終顧客
競合他社
しかし利害関係者といっても、それぞれの負担の大きさは異なることはいうまでもない。
簡単な例をあげれば、近隣住民といっても工場のすぐ隣の人と、100m離れた人、同じ都市に住む人では工場で事故が起きた時の被害は異なる。ならば発言権の違いがあって当然である。
消費者という立場であれば、その会社の製品の品質やコストの影響を受けることになるが、よほどのことでなければ財産とか人命を失うということはあるまい。
従業員であれば、失業とか、職業病とか、あるいはその会社に所属することによる名誉・不名誉ということはある。しかしこれまたよほどのことでなければ財産とか人命を失うということはあるまい。
他方、一般従業員より株主の方が万が一の場合、その出資しているお金を失うことになり受ける被害が大きく、それゆえ会社の運営に対する発言権が大きいのは当然である。
CEOをはじめとする執行役は株主から雇われているに過ぎず、株主(その代表である取締役)が執行役を解任することはあっても、執行役が株主から株を取り上げることは不可能である。

では本題であるが、品質をいかに維持向上させるかという仕組みを考える権利というか役割を担うのは、一般従業員にあると考えるのが妥当か? 経営を任せられている執行役にあるのか? と考えれば、考えるまでもない。
環境に関わる会社の運営を決定するのは、一般従業員にあると考えるのが妥当か? 経営を任せられている執行役にあるのか? と考えれば、これまた考えるまでもない。
以前、CEARという季刊誌にISOTC委員が「環境マネジメントシステムの管理責任者といっても会社の経営層でなく、一般の管理者を任命してもよいのではないか」という文章を書いていた。私はそれはおかしい、管理責任者の原語はmanagement representative すなわち経営層の代表者という意味であるから経営層の者でないとその要件を満たさないのではないかとご質問した。そのときその委員からそのとおりであるとの回答をいただいた。
もし、課長クラスあるいは部長以上であっても会社の代表権のない職階の人が管理責任者であるなら、それは形だけのバーチャルなものであるに違いない。
日本のISO9001あるいはその他のMSを認証している組織の多くは、そういう意味で真の経営者が組織の経営者や管理責任者になっていないことは間違いない。
では全員参加のマネジメントがどうしてだめなのか?
企業にはさまざまな階層があり、それぞれの責任と権限は異なる。経営を担うものは第一義に企業を存続させることが職務であり、時と場合によってはリストラもリエンジニアリングもあるいは会社清算もしなければならない。それが彼らの仕事である。
他方、一般従業員もマネージャーも与えられた職務を果たすのは同じであるが、それは限定されている。業務改善は行っても、経営改革はできない。それは能力的なことではなく権限がないのである。新しい事業を始めようと一般従業員やマネージャーは提案することができるが、決定するのは経営層である。
もうひとつの理由がある。
業務改善は実際に仕事をしている人が仕事を通じて何が問題か、どうすれば改善できるかを把握し取り組むことができる。しかし改革となると問題意識だけでは解決策に至ることができない。広く取り巻く環境を考えて自己の職務をなくすということを考えることのできる人は少ないに違いない。これは前の職位による制約とは違い、心理的制約であろうと思う。
../14001.gif 第三に、上記二項目とはちょっと見方が違うが規格の意図を読み誤っているのではないかということだ。ISO14001の定義3.2「継続的改善とは、組織の環境方針と整合して全体的な環境パフォーマンスの改善を達成するために環境マネジメントシステムを向上させる繰り返しのプロセス」とある。
しかしほとんどの人は、環境マネジメントシステムの向上と思わず、環境パフォーマンスの向上と認識し、序文にあるPDCAのサイクルを環境パフォーマンスの改善と認識し、環境目的目標を達成しそれを繰り返すことと考えている。
これは完全な誤解である。
私が傍で見ているISO審査ではほとんどの審査員が「環境実施計画をみせてください」から始まる。環境実施計画は目的目標の実現のためのものであるが、環境側面を管理するものではない。まして環境マネジメントシステムのパフォーマンスを向上させるものでもない。
環境パフォーマンスとは省エネとか廃棄物を減らすことである。
環境マネジメントシステムの向上とは組織の有効性や効率性を高めていくことである。

環境パフォーマンス向上をするなら全員参加のお手々つないででも良いかもしれない。
それが唯一最良ではないことも間違いない
しかし環境マネジメントシステムを向上させるためにはそんなレベルではなく、経営層の正しい理解、見識、実行が必要なことは明白である。
経営層は、短期の金勘定だけでなく、組織がゴーイングコンサーンとして永続させていくことが仕事であり、だからこそ事業領域を変え定款を変えリストラをしていくのである。
そういった最上位のマネジメントシステムの一側面である品質マネジメントシステムであろうと環境マネジメントシステムであろうと、組織の下層のメンバーが担うことなどありえないのである。
もし統合マネジメントシステムといいながら全員参加を唱える人がいれば(実際にいるのだが)大学に入りなおして経営学を学ぶことを推奨する。


本日の結論

マネジメントシステムはトップダウンしかない。
もちろん一般従業員も提案する権利を有する。



私の論に異議のある方、ご意見をお待ちします。 



右顧左眄様からお便りを頂きました(08.01.18)
はじめまして。
マネジメントシステムはトップダウンしかない。
もちろん一般従業員も提案する権利を有する。

を読ませていただきました。賛同します。しかし世の中のダメ組織を奮い立たせることこそ社会に必要なのですがヒントがつかめませんでした。
今のトップには、目的・目標をたてる使命感、実行することのできる社会の中のネットワーク、監視ができる力量など、不足するものばかり。
これを見かねて作られたのが管理規格かもしれないが、スパイラルアップをうまく利用できることすらできない。理解できないトップは相手にすらされないんだからスパイラルに近寄れません。
トヨタ方式もそうだが、実力のない組織は手法に使われてしまっている。
自分はどうしたらいいんだ・・・答えはありません。仲間の負荷をちょっと背負ってやれるだけです。
世の中の批評家、実業家、教育家、あ、政治家も、一体となって全なる目的に向かう列に参加できるような手順書を・・・・・・・・・

右顧左眄様お便りありがとうございます。
後半が文字化けしてしまったようです。
私のISO規格の理解ですが、これは管理をどうするかという規格であって、経営をどうするかという規格ではありません。
経営者がこのツールを使って会社を動かすためには役に立つでしょうけれど、経営を良くしようという力はありません。
経営の理想像を標準化しようなんてことは恐れ多いことでしょうし、まず実現するはずはありません。
経営とは意志の力であって、小手先の手法とかルーチン化したテクニックで行えるものではありません。
能力とかテクニックではなく、社会に貢献するのだという意志と熱意を持った人のみが経営者たることができ、経営者になるべきだろうと思います。
我々雇われている者が経営を改善しようというのは無理なのではないでしょうか。


右顧左眄様からお便りを頂きました(08.01.30)
マネジメントシステムはトップダウン
ご返事ありがとうございました。
金と労力をかけていろいろな道具や手法が作り上げられていますが、結局は使い手の資質と力量が最重要なんですね。

製紙会社の偽装を聞いたとき営々と積み上げられてきた社会のグロテスクな面を見せ付けられた思いがしました。・・・政府の建て前環境政策から否定されかねない問題でしょ><

しかし、どういうことが起ころうとも未来へつながる行動をみんなですすめていかないと息がつまってしまいます。
パワーアップISO14001の実現が先か、文明のリセットが先か、同志の輪をひろげながら待ちましょ^^

右顧左眄様 お便りありがとうございます。
どうも建前と本音が違うのがいけませんね。
できないならできないと正直に言うことが必要でしょう。
炭酸ガス排出を減らしましょうなんて語っている人だって、ご自宅に帰るとエアコンばんばんの優雅な暮らしをしているのではないでしょうか?
そういう方は、再生紙問題で発言する権利というか、資格がありませんよね


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