ISOとは、ほにゃららである 2007.06.09

ISO審査登録とはISO規格と受査企業の実態との整合をチェック確認することのはずなのだが、世の中にはそうではない審査があちこちで見られるようである。
過去、おかしな規格解釈思い込みについて書いてきたが、本日は友人や知り合いから聞いた審査以前の、あるいはISO審査とは無縁と思われることについて書く。
そういった審査員の先生方は「ISOとは・・・です」とのたまわくので、本日のタイトルを「ISOとは、ほにゃららである」といたしました。

まずはよく見かける、あまり害のない話から・・
「ISOは全員参加だ」
ISOは全員参加で進めないといけないとおっしゃる審査員がいらっしゃるそうである。
全員参加、なにか私には全体責任と聞こえてあまりいいイメージはありません。私が子供の頃の話ですが、学級で一人が忘れ物したりすると、「全体責任だ」なんて言う先生がいて、学級全員で校庭を一回り走らされた思い出があります。
もちろん昭和30年頃のこと、今そんなことをしたら先生の首が飛ぶでしょう。
ISO審査では「全員参加だ」といっても審査員の首が飛ぶことはないようです。
全員参加とははたして規格のどの項番に書いてあるのか? そんなこと書いてないほうに1万円賭けましょう。
あれ、誰も乗ってくれませんか?
キリスト教的風土の欧米ではじまったISO規格が、なんで全員参加なのか?
「ISOは全員参加だ」と語る審査員はいったいどういうお考えなのか? ぜひ、親しく話し合いたいと思います。 

「貴社の活動にカツを入れるためにISO審査に来ました。」
「オープニングでそう語った審査員がいてね」と田舎の友人から聞きました。
ter.gif へえ、ISO審査とは適合性を見るのではなく、燃える闘魂のアントニオ猪木か、あるいは禅寺の修行であったのか!
せっかくの審査であるから、それじゃ全員、片ほほを出して、審査員に闘魂注入のビンタをしてもらおうじゃないか 
この審査員は、自分が語っている言葉の意味を理解しているのだろうか?
活動にカツをいれるとは、その会社の活動が低調であるということだろう。まだ審査をする前なのに活動が低調だとわかるとは、千里眼、超能力を持っているに違いない。超能力者なら審査員などしてないで、テレビに出た方が良いのではないだろうか?
 ・真面目な話、活動が低調であると、規格不適合なのだろうか?
 ・活動が低調なら悪いことなのだろうか?
 ・活動が低調ならカツを入れる必要があるのだろうか?
そして、活動が低調なとき、この審査員はカツを入れるほど高みにいるのだろうか?
この審査員、修行僧を警策で叩く禅僧のつもりなのかもしれません。するとISO審査とは人生修行だったのか?
教えて、あなた 

「社会貢献活動が大事です」
ISO14001の審査で審査員からそういわれた仲間がいる。
うーん、いま審査を受けているのはCSRではなくEMSなのだが・・・
そもそも「社会貢献とは何か?」ということさえ企業や局面で意味が異なるのに、EMSの審査でそれが重要ですというのはちと無理気味であろう。無理気味というより、お門違い、見当違い、すれ違いなのかもしれない。
そして「大事だ」「重要だ」というのなら、当然不適合を出さなくちゃならない。その場合、不適合の根拠となる監査基準を知りたいものだ。
ところでこの審査員並びに審査機関はいかなる社会貢献活動をしているのであろう?
まさにこの審査は社会貢献と対極にあるような気がするのは私だけであろうか?
あ、きっと私だけに違いない 


「あなたの会社ではこれほど良い環境改善活動をしているじゃないですか。これを環境実施計画に載せていないのは不適合です」
これもISO14001審査での実話である。
誉めているのか、けなしているのか? 定かではない。
計画したこと以外に良いことをすることは、悪いことのようである。あるいは、良いとおもわれることはあらかじめすべて列記しておかなければならないのだろうか?
この審査員のご説が正しいとするならば、ISO規格とはがんじがらめで余裕のない面白みのないものに違いない。
いつ起きるかわからない行事、あるいは突発的なことは事前に計画に書けるわけがなく、都度実施などと書いておけば、手段や日程が具体的でないと規格の要件を満たさないから不適合となる。
いえ、本当にそういう不適合をいただいた友人もおります。
正確に言えばその審査員のご芳名も存じ上げております。
きっとこの審査員の勤める審査機関、あるいは以前勤めていた会社では
「もっと売れるのだが売上目標を超えてしまうので、注文を断れ」
「法律に書いてないことなら良序公俗に反してもいいんだ」
「会社の前で迷子が泣いているが、会社規則にないのでほっておけ」
なんてことをしているのではないですか?
顧客満足の話では必ず出てくるノードストロムでは「お客様が望むことをすることが規則」だそうです。
こんなトッピな審査を見ると、「環境目的のプログラムと環境目標のプログラムが必要です」などと語っている審査員が可愛くみえてくる。
とっぴ:思いがけなかったり、風変わりであるさま(三省堂国語辞典)
トッピとは珍しいからトッピという。いたるところで見かけるなら、とっぴではないことになる。

ああ、ISO不可解なり

いえ、私はこのような審査員を退治する気はあっても、自殺する気はありません。

私は審査の場で冗談を語ってはいけないとか、指導することはすべて罪であるなどと、青臭いことを言うつもりはない。しかし、立場や場面によって、言っていいことと悪いことがある。これは事実である。
何事にもTPOがあるのだ。
すばらしい過去の実績を持つ審査員が受査企業を指導しようという熱意を抑えきれないということもあるだろう。しかし、やはりここはグットこらえて適合性審査に努めていただきたい。
なにしろ、あなたの言行が日本のいや世界の第三者審査の成り行きに多大な影響を与えることがあるからだ。私がここに書いただけで、日本中の人びとが、審査員にはそんな人もいるんだと思うかもしれない。
このけちなウェブサイトがそれほどの影響力を持つはずはない 
ぜひこのようなことが思い当たる審査員は反省し、規格適合審査に勤めていただきたい。
もし、このような審査員を雇っている審査機関は、苦情が来る前に指導に務めていただきたい。
それが日本のISO審査を良くする礎になるだろう。


全員参加の謎 2007.08.08

全員参加のISOはないだろうと書いたら、「そうじゃない全員参加はあるべき姿だ」というご意見をいただきました。本日はそれについて検討を深めます・・・うそです、頭に浮かんだ妄想を書くだけです。 環境を良くしようというとき、果たして全員参加が必要なのでしょうか?
大げさなことではなく毎週出すゴミの分別を考えたとき、一人の人が約束を破ってゴミをだしたら分別めちゃくちゃになり約束事は崩壊してしまいます。odachin.gif また会社でも省エネとか昼休みは消灯しようとか運動をしているでしょう。そういったときも一人の人がルールを破ったら運動が頓挫してしまいます。堤防がひとつの穴で崩壊するのと同じです。ですから全員がルールを遵守することが必要なことはわかります。そういうことを全員参加というのでしょうか?
全員参加が必要だとおっしゃっている人は、ちょっとニュアンスが違うというかそれ以上を求めているようです。全員が同じ目標に向かって熱意を持って積極的に参画することを意味しているようなのです。

ではちょっと視点を変えて考えて見ましょう。会社ではさまざまな活動をしています。
環境マネジメントシステムというのですから、例として情報セキュリティマネジメントシステムを考えて見ましょう。インターネットで全員参加の環境活動はたくさん見つかりますが、全員参加の情報セキュリティ活動はかなり少なくなります。
それ以外の会社の仕組み、たとえば昔からあり私たちにより身近な防災や自衛消防組織もまたマネジメントシステムのひとつですが、全員参加を唱えるものは非常に少ない。 東京消防庁のウェブには
営業時間や勤務時間がバラバラで、全員の参加が無理ならば、いずれかに参加できるよう、数回に分けて訓練を実施してみてはどうでしょうか。それでも参加できない人は、参加した人から訓練で覚えたことを教えてもらいましょう。
とあります、環境の全員参加の意気込みに比べるとかなり低調です。
身の危険に直接関わり、かつ江戸の火消しから数百年の伝統のある消防においてさえこんなものです。
全員参加で防災だ!とか全員参加で火の始末を推進しようなんて方針に掲げている会社があるのだろうか?

知的財産になると「全員参加」ででてくるのは講習会の宣伝で「参加者が全員参加で討論します」なんてのがある程度。。。
quest.gif 人事だってマネジメントシステムのひとつですが、どの会社でも特に大会社になれば人事マネジメントなんて秘中の秘、中小企業なら丸秘ではないかというとそもそも人事マネジメントなんてことがなかったり??
全員参加の人事管理なんてのは聞いたことがありません。

輸出管理だって超重要です。少し前、世界的な計測器メーカーが北朝鮮に輸出したり、偉大な創業者を有するレジャーコンツェルンが中国に武器に使えるヘリコプターを輸出したとして存続を危ぶむような事態を招きました。それほど重要な輸出管理で企業は輸出管理システムを構築しなければならないことになっています。しかし、輸出管理システムを全員参加で推進しようなんていっている会社は見たことがない。

さて、全員参加とはなんぞやということを語義にさかのぼって考えたい
いった全員参加とはなんだろうか?ルールを決めるのに全員参加するのか、決められたルールを全員が守るのか、イベントのように全員参加でお祭りをすることなのか、一人一人に宣言をさせたりカードを持たせることを言うのか、提案とか集会に参加したかを記録して協力的でない人をつるし上げすることなのか?
これは全員参加を主張している人に聞かないと私はわからない。 

しかし、環境だけ、ISO活動だから全員参加だというなら、それなりの理由がなければならない。
いったいそれはなんだろうか? とやはり理解に苦しむおばQジジイである。

さっそくたぬきの相方様からツッコミがありました(07.08.08)
相方!
今年もISO外部審査の日が近づいて参りました。
毎年のように、無駄なこと!と思いながら、相方の飯の種をせっせと支払っている我が社は、優良企業?

来年こそ、ISOをやめたい・・・
たぬきさん
tanu.JPG 得意技・・・ドロンと化けるってのはいかがですか?
しっぽもちゃんと消すのですよ

しかしこの大失業時代、審査する人、事務局と大勢の雇用を実現したUSO800の仕組みはたいしたもんじゃないですか!
無駄なこと イコール 誰かの足しになっている(字あまり) 一茶より



のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.08.18)
全員参加の謎
オバQ様
私は、「環境」については存じないのですが、「品質」についていえば、「9000:品質マネジメントの8原則」、以下8原則、が「全員参加」の出所ではないかと思います。
-------------------------------
?顧客重視 ?リーダーシップ ?人々の参画 ?プロセスアプローチ ?マネジメントへのシステムアプローチ ?継続的改善 ?意思決定への事実に基づくアプローチ ?供給者との互恵関係
-------------------------------
ここで、「?人々の参画」は次のように説明されています。
「すべての階層の人々は、・・・その全面的な参画によって、・・・」
この八原則がどのような基準により序列付けられたのか私は知りませんが、「顧客重視、リーダーシップ、人々の参画」が、「継続的改善、意思決定への事実に基づくアプローチ、供給者との互恵関係」より、上位に位置づけられています。
前者は、マネジメント手法としての号令、キャッチフレーズであり、後者は品質管理の発祥にあたります。
これを、戦争論に当てはめてみましょう。前者は、「天皇絶対、軍部のリーダーシップ、国民皆兵、全員協力」の掛け声(精神論)に相当し、後者は、兵站術(後方で戦争を支える仕組み)に相当します。
戦争をマネジメントシステム全体として俯瞰すると、前者、後者とも重要な要素です。しかし、負け戦に入りますと、兵站がまず最初に壊滅状態になり、大本営もメディアもこぞって、全員参加、全員協力、を唱えるようになるのではないでしょうか?認証制度は、この状態に陥っていないでしょうか?
八番目、九番目として後方に位置づけられている原則は、全ての経営者にとって極めて重要な原則であるといえます。「意思決定への事実に基づくアプローチ」は、9000で、次のように説明してあります。
「効果的な、意思決定は、データ及び情報の分析に基づいている。」
経営者は、高々二三日の訪問調査で下す審査員の判定に一喜一憂すべきではないでしょう。自ら、有益な情報、データを集め、分析することに努めるべきでしょう。

のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。
これは、言葉とニュアンスの問題と考えます。
日本の企業で「全員参加」と言った場合、品質の8原則の第三原則「従業員の参画 すべてのレベルの従業員は、組織のかなめであり、彼らの全面的な参画によって組織の便益のためにその力を発揮する。」と同一であるとは思えません。
一般的に日本で「全員参加」と言った場合、整列、気をつけ、休め、というイメージではないでしょうか? 私はそんな軍隊的学校、会社ばかりに所属していました。
8原則で言う従業員の参画とはトップダウンだけでなく、従業員の自発的参加とボトムアップ的提案が重要だということくらいではないでしょうか?
そもそも日本の全員参加なんてイメージが正しいとすれば、欧米では通用しない方に千円賭けましょう。
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