環境審査 レッスン8 2006.05.16

どなた様かわからないが「最近うそ八百の更新がないがネタ切れか?」というお便りを頂いた。審査員かISO事務局の方ではないかと推測する。そうでなくっちゃこんな面白くもない話を見ているはずがない。
でも、うれしいじゃないか、我が審査員講座を見て勉強している方もいるということだ。
私がバカなことを語っているのを見て楽しんでいるという可能性ももちろんある 
まあ、なんにしても期待してくれているのはうれしいことである。それでは期待に応えねばなるまい。
私にISOに関するご相談される方は多くはないが少なくもない。いろいろな悩みごと、心配ごとの相談を受けている。
規格の理解、システム構築、環境法規制についてはたくさんの本もあるし、インターネットの掲示板でも相談窓口は多々ある。こんな怪しげなところに問い合わせるまでもない。
しかし、ちょっとないのが所見報告書の読み方、解釈についてである。
読み方!
所見報告書とは解釈しなければならないほど深遠なものなのか?
ISO審査が終わるとほとんどの場合、置き土産としていくつかの不適合を残していく。この文章が難解なのである。
man7.gif そう、ふつうの日本人が読んでも理解困難、ISOの事務局ウン十年という経験者(そんな人いるわけありません)が読んでも理解困難。そのために日本中の担当者は、まともに読み降ろすだけでなく、裏から読んだり、縦読みしたり、一生懸命努力し、善意に解釈し、意味を読みとろうと努めているのではないだろうか?
ロゼッタストーンや楔形文字を読むようなものである。
環境の審査員が2000人いると聞くが、まともな日本語を書ける審査員は少ないらしい。

難しいといってもその難しさはいくつかに分類される。
 (1)その場では納得したものの、ISO規格に不適合とは思えないもの
 (2)不適合ではなく、アドバイスとか改善提案であって、処置に困るもの
 (3)文学的表現で理解困難なもの
 (4)日本語として意味をなさないもの
 (5)その他

このバライティに富んだ問題について一度では論じることができないので、本日の講座では2番目と3番目について考える。
 考えるといっても、実は考えようがないので、文学的表現を味わおうとか感じようというのが正しいのかもしれない。
真面目な話、私は口から先に生まれただけでなく、思考形態がイチゼロの人間であり、文学的な審査報告書を見ると嫌悪感を感じるのである。

では本日の出し物、文学的な審査所見論である。
出典はあきらかないできないが、すべてご相談を受けた実例と申し上げておく。



環境審査 レッスン9 2006.05.19
前回のレッスン8にいくつかのご質問(ご異議?)を承った。
 「実際の監査では考えるひまもない」・・・審査員なのでしょうか。
 「同感です。今まで私の頭が悪いのかと思ってました」・・・ご謙遜を
 「じゃあ、どういう風に書けばよいの?」
私は評論家ではない。あれこれいちゃもんを付けるだけで、建設的な発言をしないなんてことはありません。
では、ご質問にお応えしよう。

環境マニュアルに限らず、品質マニュアルを書くとき、規格文言をオウム返しにしているのを見かけたことがありませんか?
おっと、あなたの会社のマニュアルはまったく規格文言通りですか?
それはよかった。・・・・なにが良いのでしょう 
本当を言えばそういうオウム返しマニュアルはあまり良いマニュアルとは私は思いません。でも、世の中にはオウム返しマニュアルが多いでしょう。
bird.gif オウム返しマニュアルでISO審査に適合判定を受けるなら、もうお分かりでしょう。
審査員はISO規格をオウム返しにすればよいのです。 オット、組織側がオウム返しなら、審査側は九官鳥返しといいましょう。 
エッツ!? まだお分かりにならない。
審査報告書に規格文言を書いて、文末で否定すればいいじゃないですか。

いずれにしても、規格要求事項をオウム返し、九官鳥返しにすればよいこと・・・
いずれにしても、規格要求事項をオウム返しあまりにも簡単すぎます 
でも監査の三要素「根拠、事象、証拠」を決して省かないでくださいね。
そしてアドバイスもご法度ですよ。



本日の問題提起

適合性審査ができない人が、付加価値のある審査などできるわけがない。





あらま様からお便りを頂きました(06.05.20)
適合審査
佐為さま あらまです
今回も、たいへん勉強になり、感謝しております。
文書作成は、難しいですね。しかし、難しいと思って書いている文章が、難しい文章になっていることを感じます。
要は、創作したり、カッコイイ文章を書こうとはせず、簡潔な報告文書みたいなものでよいと言うことだと勝手に理解しております。
ところで、「日本人は、数字と活字を信じやすい」と、言われています。
最近はプリンターの普及で、手書きの文書を見ることはありませんが、活字で書いてある文書と、手書きで書いてある文書と比較すると、まったく同じ文書でも、活字のほうが決定的で動かしがたい反面、手書きのほうは訂正可能で未完成という印象をもって臨んでしまいがちだと思います。
また、報告書に数字があると、何かその文章作成に至るまでにキチンと調べてある・・・と、いう印象があって、数字の内容をろくに審査せず鵜呑みにしてしまうケースが多いと思います。
逆に、文面に数字がないと、それがキチンと調べた結果なのか、不審に思ってしまいます。
最近、流行の「架空請求」も、活字で数字を羅列して書いてあり、老婆はもとより、立派な現役世代もアッサリ引っ掛かってしまうのは、まだ「活字・数字アレルギー」から完治していないと思います。
結局、部下が上司に提出する報告書と、商品である適合審査報告書とでは、基本的に違う性質のものでしょうが、そのものズバリを素直にそのまま書けばよいということですね。
ですから、強調するための二重否定なんて書き方はご法度ということですね。
なんて、勝手に解釈しております。

あらま様、毎度ありがとうございます。
そうなんです! 手書きより活字、ワープロ文書というのが信用されます。
特に私は小学生のような字しか書けないので、ワープロ(ワープロソフト)全盛の現在出なければ生きていけないでしょう。
しかしワープロ全盛というのも考えようですよ。最近、ちょっと親戚に時候の挨拶を書いたのですが手書きですとすこしは面積をとってさまになるのですが、ワープロですと1行で字余りではなく、はがきあまりで困ってしまいました。
いずれにしても中身しだいということでしょう。
おっと! それって審査も時候の挨拶も結局はおなじということですかね?

うそ800の目次にもどる