ISO十戒 08.06.15

私は以前大乗ISO教というバカ話を語ったことがある。
早いものであれから2年が経つ。当時はISO認証スキームは揶揄(やゆ)するだけの価値があったが、今ではISO認証スキームは見る影もなくやつれて批判するに値しないのではないか? と同情するようなありさまである。
「やつれて」という言葉から「今では指輪も回るほど〜♪」という歌を思い出し、酒を飲むといつも歌っていたお世話になった元上司を思い出す。元気にしているだろうか?
いや、教養のある方なら諸行無常の鐘の音と思う浮かべるのであろう。

もちろんISO認証の信頼が失われてきたのは、食品、自動車、建設、エレベーターその他もろもろの製品品質への信頼のかげり、公害防止における改ざんや悪質な環境犯罪の多発などによるのだろう。
ではISO関係者は手をこまねいて指をくわえて船が沈むのを見つめるだけなのだろうか?
私もISO関係者でないわけではない。
じゃあ、どうするべきだろうか?
もちろんIAFも認定機関も認証機関もそして経済産業省も、いろいろ改善策を模索し、ISO認証の価値をあげよう、信頼性をあげようとしている。ただ現時点までの対策を見る限り、「怪しいところは認証するな!」とか「認証しているマネジメントシステムに関わらなくても違反があれば、あるいは社会問題になれば認証を取り消せ」という、短絡的、支離滅裂に思えて仕方がない。
それが功を奏するか?は私は予想できないが、多分結局は社会の信頼を得ることはできないだろうという気がする。たぶん、このまま信頼回復ならず存在感も薄まり、やがて、たぶん5年後くらいには第三者認証制度は消滅するのではないかという気がする。
気がするだけだ、自信も確信もない。
../mose.gif
そんなことを考えているとハタと思い浮かんだ。
ISOは聖書の世界と同じ論理で構築されている。そして偶然の一致か、今まさにISOはユダヤの民がエジプトに捕えられて、祖国を失い未来を失ったような状況である。
アッツ、わかっちゃいました?
この窮状を打破するには、救世主、モーゼを必要とします。
神は窮地に陥ったISOの民にモーゼを使わして、エジプトの圧政から救い出して乳と蜜の流れる約束の地へと導いてくださるに違いない。
しかし、もちろんその道も平坦であるわけがありません。灼熱の砂漠、敵対する部族、危険なサソリや獣、そして約束の地にはもちろん他の民族が住んでいるのです。
でも、この窮地を抜け出し活路を見出すためには行動するしかありません。
モーゼはきっと現れて、そして導いて行ってくれるでしょう。

    とモーゼの生誕から書こうと思ったのですが、書くだけ無駄なように思いましたので、途中を飛ばし、神がシナイ山で賜ったISOの十戒について語りたいと思います。
  1. ISOを唯一の神とすること
    ../lion.gif 私はISOの審査員である。でもね、ISOだけでなく○○ステージの審査もしたいなあ、仕事もほしいし、お金にもなるし・・
    ISO14001の世界で有名な方がエコ○ションの審査をしたり、エコ○テージの幹部だったり、
    そのような二足のわらじをはく裏切り者はローマ時代ならコロシアムでライオンに食べられちゃうよ

  2. 偶像を作ってはならないこと
    ISO規格が理解困難だからって、たとえ話とか間違った事例を示してはいけない。
    昔、環境目的と環境目標なんて概念を民百姓(たみひゃくしょう)が理解できないだろうからと、「目的は3年後の目標で目標は1年後の目標」なんて言っていた審査機関があったが、ああいった組織は間違いなく神の怒りを受けます
    実を言って、そのようなたとえ話はISO規格の理解に混乱をもたらしただけではないかと思う。その前に、そのようなほら話を語った神代(かみよ)の人々は、そもそもISO規格を理解していなかったのではないだろうか?
    なんかそんな気がする。

  3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
    自分が説明できないとか、誘導するがために「これはISO規格で要求しています」とか「これはUKASが決めています」なんて、神の名をみだりに語る者がいます。
    そのような背徳の輩は神の怒りを受けて倒れるでしょう。
    エホバとは後世の人が思うだけで、本来の呼び方は分かっていないそうです。

  4. 安息日を守ること
    最近、立ちあった審査でのこと、審査員お二人とも、もう70近く審査員はこずかい稼ぎですと冗談半分に言っていた。
    そしてその方々、働く日数は決めておいて働きすぎないようにしているとか。そうしないと報酬が多すぎて、年金とか税金にさしさわりがあるそうだ。
    定年間近でありながら、年金がもらえる年齢が毎年伸びていく身にとってはうらやましい限りである。
    安息日の掟は十二分に守られているようである。

  5. 父母を敬うこと
    あなたは一人で存在しているわけではない。あなたの父母、その両親、そのまた両親、延々と続く家系の一員であり、そしてまた後世の子孫へつないでいくのですよ。
    あなたの会社には会社設立以来の歴史があり先人たちが築いた文化があり、社風があります。そういう現実を良く認識し、良さを知り、会社を発展させていかなくてはなりません。
    「ISOは要求しています」なんて言われても、おかしいことはおかしいとはっきり言いましょう。そして会社を良くしなければ背任です。
    わけのわからないファドで会社を汚してはなりません。

  6. 殺人をしてはいけないこと
    まあ人の命を奪うというのはほとんどの時代、ほとんどの国において刑罰を受けたようであります。ですからISOの教義においては、人格攻撃とか、弱い者いじめをしてはいけないと理解しましょう。
    エッツ、私に神罰が下るって?
    覚悟しております 
    ともかく、審査においては審査員も審査を受ける側も、礼節を失わず、冷静にゲームを楽しみましょう。
    最近は私も審査というゲームを楽しめるようになりました。

  7. 姦淫をしてはいけないこと
    姦淫とはエッチとかわいせつということではなく、心に思っただけで罪なんだよとイエス様はおっしゃっています。
    うまいものを出してくれなんて言う審査員は21世紀の今はいませんでしょう。お土産はないのかという審査員もいないでしょう。
    しかし、おれの金でお土産を買うのだから、地元の有名店まで連れて行けという審査員につい最近お目にかかったことがあります。
    まだまだ、そういう方がいらっしゃるので、私の話のネタには困りません。 
    ところで美味いものを食わせろというのと、名産を買いたいので店まで連れて行けというのは、企業におねだりするという意味では同じではないかと思います。
    認証機関が「ご馳走になってはだめだ」と言えば「ご馳走にだけ」ならなければ良いのでしょうか?

  8. 盗んではいけないこと
    「おっ、これはいい」なんて他社のマニュアルとか方針をちゃっかりといただいて、他社に渡してお足をいただいているコンサルがいます。(証拠あり)まさに盗人(ぬすっと)です。
    もっとも他社のコピーのマニュアルや手順書で自分の会社が良くなると思って入手する人も同罪です。
    どっちにしても神の怒りを受けて倒れるまで砂漠をさすらいなさい。

  9. 偽証してはいけないこと
    ほとんどの審査員って必ず不適合を出したがるようです。中には規格になくても「規格の意図は」なんていいまして、不適合を出す方がいます。
    規格を理解していないのか? 審査というものを理解していないのか? 不適合を出すことにエクスタシーを感じているのかもしれない。
    「あなたの会社を思って」なんて心にもないことをおっしゃてはいけません。それとも本音なのでしょうか?
    企業側も大ごとにしないで大人しく妥協することも多いようです。
    大人という意味はあきらめるとか、言われるままになるということと同義なのだろうか?

  10. 隣人の家をむさぼってはいけないこと
    8番目と似ておりますが、ものの本によりますと盗まなくても人の物を欲してはならないという刑事的犯罪でなくて道徳的戒めのようであります。
    美人を見るとムラムラしたり、札束を見ると生唾を飲み込む私はまだ修行が足りません。
当たり前のことしか神様は命じていませんが、守るのは結構大変なのです。
なにせISOの民は浮気っぽく、銭に目がくらんで神の教えからそれてしまったりするのです。
さて、ISOの民はしっかりと王国を我がものとすることができるのでしょうか?
たぶんできないでしょう 
ユダヤ人は信仰を守って2000年後に己の国を持つことができました。
ISOの民は2年もしないうちに、信仰を失ってしまうでしょう。
私はそのときISO教を離れて、ただ単に品質を良くするとか、環境を良くするという原始宗教に戻っているでしょう。
おっと、とうにリタイアして碁会所に入り浸りでISOなんてきれいさっぱりと・・



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