大乗ISO教 2006.07.26
ISO原理主義といって規格の文言を至上とし、俗世間の認定機関とか審査登録機関とか、あるいはコンサルなど衆生の語ることを無視し、規格の真髄を究めようとする人々がいる。
すばらしい!
どのような宗教にも原理主義があり、原理主義者がいて、彼らこそが道を究めることができるのであろう。
いうまでもないことだが、私も世間のISO規格の解釈を横目で見て、怪しげなお説を「そんなこたぁねーだろう」というスタンスで聞いている者である。私自身もISO原理主義者ではないかと思ったこともあった。
しかし、本日、突然稲妻に打たれたように、宗教的な開眼をした。
そして私は新しいISO宗教を開きました。
あなた! 笑いましたね? 
まあ、私の説教をお聞きください。笑うのはそれからでも遅くはありません。
本日はISO14001に限って話を進める。本日、私が開いた宗教は品質システムにも適用できると確信するのだが、QMSに関してはまだ悟りきっていない。今後、座禅をして考えを深めたいと思う。
ISO14001規格が2004年版となり、カフェテリア認証はだめよ、チェリーピッキングはだめよということになった。
組織の本業を取り込んだシステムでないと認めませんというわけだ。
man7.gif しかし本業を取り込んだシステムっていったいどんなものだろうか? 私には理解できない。『本業を取り込む』ということ自体意味不明である。正しい表現は『本業そのもの』じゃないのか?
会社の(統合)マネジメントシステムの一面である環境マネジメントシステムが、会社の真実の姿を反映していないのであるなら、それはバーチャルであり意味がないことはいうまでもない。
もちろん審査登録証を得るという意味はあるだろうし、コンサルも審査機関もお金を得るという意味はある。
意味があっても意義はないかもしれない?
しかし、私の体験からだが会社の真のシステムとはいかなるものであるべきか? を理解した(悟りを開いた)環境事務局は少なく、審査員やコンサルタントにはめったにいない。
環境事務局より審査員の方が専門家だとか、コンサルにだって優秀な人もいるという論ではない。
「その会社のことはその会社の人が一番知っているのだ。」と監査の聖者L・マービン・ジョンソンが語っている。まさかセイント・ジョンソンのお説に逆らうような審査員はおるまい。
もし逆らうような方がいれば雷に打たれてしまうだろう 
ッツ、セイント・ジョンソンを知らないんですか? 

それでもまだ、環境ISOをしているのが工場や製造会社の時代はまだよかった。なぜなら本業における環境活動とはなんぞや? とあまり悩まなくても環境に関わることがビジブルだったからである。
たとえば、省エネに努めようということはそのまま環境活動であり、廃棄物処理を適正にしようとか廃棄物を削減しようということも、そのまま環境のテーマ(ISO教の宗教用語では環境目的という)に取り上げることに疑問の余地がなかった。
しかし、サービス業や純粋なオフィスとなると、環境活動というのが目に見えないものとなってきた。旧約聖書を読んでも、砂漠の民でないと情景も意味するところも理解できないことがあるのはやむをえない。
hitsuji.gifほんものの羊飼を見た人います?
そんなためにオフィスなどでは「紙ごみ電気」と揶揄されるオママゴト環境活動となっていたのが実態である。
製造業に限らず、どのような事業活動においても本業、本来業務が環境に関わることは多々あり、活動テーマも多々あるのだと説いても民衆は信じようとしなかった。
ともあれ、ISO14001も2004年版となりどこも本業を取り入れなければ審査登録できなくなった。
最近のことであるがISO規格の月刊誌(驚くことにそのような雑誌があるのだ)が「本業を取り込みました」なんて特集をしたり、「業務本来の活動をISOのテーマにしました」なんてインターネットのウェブに書いている企業も現れた。
しかしこれで規格の目的は実現されたのか? それが環境ISOの目指すところなのか? と考えるとちょっとというか大幅に違うのではないだろうか。
本音を言えば、恥ずかしくないのか? ということなのだが
本日私が悟ったのは、お金を数えること、守衛の仕事をすること、注文書を切ること、そんな日々の仕事がすべて環境活動であり、それを一生懸命努めることが環境を良くすることだという、大乗ISO教なのである。在家仏教といっても良い。
それらの語句の正しい意味は違うなどと言わないでくださいね 

日々の農作業、商売、職人として物を作ることが仏の道であると教えるのと同じく、 man1.gif 大乗ISO教はあなたが毎日の仕事を一生懸命にすることそのものが、 ISO規格を実現して環境を良くするのですよ、という教えなのです。
誰にでも受け入れられる教義でしょう?
あるいは現世の仕事を天職と考えてそれに打ち込むことによって救われるというプロテスタントの教えとも言えるでしょう。・・・本当でしょうか?

もちろん、この宗教の教義に対して、日々の仕事をするだけで環境が良くなるのか? 証拠を見せろと言う声がでるのは当然である。
そのようなことは宗教弾圧ではなく、宗教の教義に関する問答としては当然である。
実は大乗ISO教の教義はそれだけではない。法を守りなさい、誠実に仕事をしなさい、人の声には耳を傾けなさいなどなど信者が守るべき戒律は多々あるのだ。

では先ほどの質問にお答えしよう。
大乗ISO教を信じ、教えを守っている組織(会社)がここにあるとする。
そこではみなが自分の仕事に関わる法律を認識し、必要ならその具体的手順を決めた会社の手順書を作り、それを守っている。会社の手順書には環境ばかりではない、セクハラもあるし、個人情報保護もあるし、インサイダー取引に関することもあるし、北朝鮮に高度技術製品を輸出しないようにチェックすることもあるし、労働安全衛生なども含まれている。
そして上司は部下が担当する仕事を遂行するに必要十分な力量を持つように育成指導している。著しい環境側面に関するコミュニケーションも滞りなく行い、リスクコミュニケーションにも努めている。各階層のマネジャーはオープンループにならないように、適切な管理を行い、法に関することは特に留意している。
でも社員はだれも環境活動をしようなどと思っていないし、しているとも思っていない。ブラック国に輸出して摘発されないようになどとも考えていないし、セクハラを起こさないようにとも思っていない。ただ、人として企業人として法を守り、会社のルールを守るという意識と行動があるとしよう。
本当は、日本の企業はすべからくそうでなければならないのだ。CSRなどと
語る前に、企業は企業市民として義務を果たさなければならないのだから。

さて、その企業がISO14001の審査を受けることになったとする。会社のトップマネジメントは「当社は一流とは言わないが、なすべきことはしっかりとしているのだから問題なかろう」という認識である。
審査とあいなりました。
きっと次のようなやりとりがなされると思います。
審査
「この職場の著しい環境側面はなんでしょうか?」
社員
「難しそうな言葉ですね。どんな意味か知りませんが、この職場で重点管理するものをおっしゃっているなら多々あります。私たちはセクハラも不正も環境影響も区別しておりません。みな等しく重要と考えています。」
審査
「この職場に関係する、環境に関する法的及びその他の要求事項にはどのようなものがありますか?」
社員
「環境に関わる法律と言われてもちょっと答えようがありません。この職場の仕事は輸出管理とか著作権とか特許などに関わる仕事です。関係する法規制には外為法、特許法、商標法・・・があり、私どもはそれらを会社規則・・・に展開して仕事をしております。」
審査
「環境方針は知っていますか?」
社員
「当社には環境方針はなかったはずです。」
審査
「エッツ」
社員
「毎年、社長が年度経営方針というのが示すのですが、そこに売り上げとか品質とか納期とか遵法などがあるのです。環境もありましたね。」
審査
「著しい環境影響の原因となる作業をする人は力量を持つことになっていますが、どのようなことをしていますか? その記録はありますか?」
社員
「まず著しい環境影響ってのがよくわからないのですが・・・先ほど申しました経営方針を見て社員は自己の職務で担うべきことを再認識し、その年度で力をつけなくてはならないテーマと目標、そして仕事上の目標を上司と打ち合わせて指導し実現するように努めています。」
審査
「・・・」
大乗ISO教を信じる会社ではこのように仕事をしておりますから、環境を特別なものと認識しておりませんし、環境側面という言葉も知りません。環境法規制という言い回しも知りません。
トップマネジメントは社員が目指すところを示し、社員はそれを実現するように逸脱しないようにと粛々と活動をしているだけです。
という会社であれば、審査員はいかなる判定をされるのでありましょう。 
もし、「環境側面を認識していない」とか、「環境の該当法規を把握していない」とか、「環境方針がない」とか、「力量を持たせることを確実にしていない」「著しい環境影響を認識していない」などとのたまわくのでありましょうか?
もっとも大乗ISO教の会社は「不適合」と言われても、異議申し立てをしたり、認定機関に駆け込んだりはしないでしょう。
smile.gif
「世の中にはいろいろなお考えがあるものだ。当社には合わないようだね」といって以後、関わらないようにするのかもしれません。

仏門に入ったり聖職者となって生涯を宗教にささげることはすべての人にできません。俗世間を捨てがたい人もいるでしょうし、生き方の好き嫌いもあるでしょう。それに第一、全員が宗教家になればこの世が成り立ちません。もちろんカトリックの修道院のように学問から生産まで行う制度もありますが、それにしても修道院だけで社会は成り立ちません。
第一次の世代を生産することができません。

「環境活動をするぞ!」なんて力んだり、「私の仕事で環境に関わることはなんだろう?」などと考えること自体おかしなことです。
そういう理屈では
☆☆「私の仕事で品質に関わることはなんだろう?」
☆☆「私の仕事で安全衛生に関わることはなんだろう?」
☆☆「私の仕事で個人情報保護に関わることはなんだろう?」
☆☆「私の仕事で輸出管理に関わることはなんだろう?」
などとなるわけで収拾がつかないじゃないですか 
肩の力を抜いたあるがままの大乗ISO教は小乗ISO教に比べてなんと簡明で楽なことでしょうか?
でも、良く考えますと、
あなたの全会社人生を捧げないと成仏できないともいえます。


本日の悟り

神を知らなくても善行を積めば天国に行ける。
仏門に入らなくても正直な人は極楽浄土にいける。
ISO規格など知らなくても、遵法に務め、己の仕事に誠意を尽くせば「最適な環境上の成果を得ること」ができるはずである。


正直に申し上げる。私が面白おかしな話をするためにこの拙文を書いたのでは決してない。私はEMSというものは審査のためではなく、認証のためでなく、規格の序文を実現するためのものであると信じる。だからこそ、昨今、本来業務などと語ってはいるが、まだまだ形だけのEMSに不満なのだ。
ご異議ある方はぜひ論じたいと思います。
お便りをお待ちいたしております。

あらま様からお便りを頂きました(06.07.27)
佐為さま あらまです
おぉ・・・。佐為さまは、天啓を授かり、遂に、預言者から教祖様になられた・・・。
これからは、佐為さまのことを、佐為上人とお呼びしなければなりません。
もちろん、まじめな話です。(爆
とにかく、世の中が混沌としますと、不穏になり、新興宗教が乱立するものです。そして、開戦。これが、人類の歴史なんだそうです。
そういえば、日本の累積赤字も、先の大戦前よりも深刻な状態だとか。「戦争級のショックがないと、日本の赤字が解消できないところまで来ている」と、いう人もいます。
小生は、戦争がイヤであります。そんな小生は、平和主義者でしょうか ? ? ?
あらま様 それは深読みのしすぎですよ。
私はたんにISO14001を理解してない衆生に目を覚ませと叫んでいるだけです。
しかしおっしゃるとおり、私は預言者ではなく教祖となってしまったようです。
それでは以降、私を上人と・・・冗談です、冗談です 


外資社員様からお便りを頂きました(09.04.02)
ISO取引先への資料提出
佐為さま
私の会社は中小企業であやしげなせいか、今年度も、色々な会社と取引するに辺り、環境、品質、個人情報管理などの資料提出を求められております。それらの会社は、社内で体制があり、それにそった活動や規定を外部にも求めることは良いことだと思います。
但し、時に困るのは、相手が求める規定や情報が当社の体制にあっていない時です。
私の会社は情報サービス業なので在庫も原材料資料も不要です。にもかかわらず”原材料に規制物質を使っていない宣言をせよ”とか、果ては規定がないのはけしからんから、当社テンプレートに基づき作れと言われたこともあります。(笑)
とは言え、お客さんには逆らえませんので、省エネ取組とエコ活動についての資料を添付し備考に”当社は原材料も在庫もないので、これらに対しての御心配は不要”と書いておきました。
要求は担当により千差万別と思います。教条的に自社のルールを押しつける人もおりますが、当社の状況を説明するだけで”不要ですね”と言ってくれる人もおります。原理主義者には、無駄な資料と思いつつも専用の書類を作ることもありますし、きっとその人は”取引先にも環境への指導をした”と満足すればCSになるかもしれませんし、ISO審査のトラウマが少しでも軽減されれば良いなと思うことにしております。
こういう考えですと”ISO大乗教”に入門させて頂けますか?

おまけ;難読苗字
”四月一日”という姓がありますが、何と読みますか?
”わたぬき”と読みます。理由は暖かくなるからなのですね。
柘植 久慶という作家の登場人物にも同じ名前が登場します。

外資社員様 何をおっしゃいます! 弟子にしてほしいのはこちらの方です。
しかし世の中には色々あるものですね!?
当社がそんな真似をしていないだろうと…心配になりました。

”四月一日”という姓は「四月ばか」とか「新年度」と読むのかと・・・



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