ISO審査改善の提案 08.05.11
いつもISO審査に否定的な意見を書いている私だが、本日はISO審査への建設的改善提案である。
正直言って、審査員がお読みになっても手に負えないだろう。一番読んでいただきたいのは、企業の品質保証とか環境管理部門の方、そして認証機関の幹部の方である。IAF、JABの方にはあまり役に立たない、というかIAFやJAB不要論と受け取っていただいても構わない。
ISO関係者のご批判を賜りたいと思う。

MIL-STD-105Dってご存知でしょうか?
いえ、知らなくても不思議でもなんでもありません。昔、私が関わっていたというだけです。
もちろん受入検査をしていた方などはご存じのとおり。これは昔、アメリカ軍が制定した抜取検査の規格です。最後のDは改定の版を示すもので、改定されるたびにA・B・Cとなり、Eまで進んだのちにANSI規格となったはずです。
私が検査と縁が切れて10年以上になりますので間違ってたらごめんなさい
私が品質保証を担当していたとき既にE版となっていましたが、あるお客様は古いD版を指定していました。お客様が求めるものを提供する、お客様が求める品質基準で提供するというのは、顧客満足以前のことですから、私どもはすでに旧バージョンとなっていたD版の適用を受けてました。
それって不思議でもなんでもないですよね。
そういうのって結構あります。
図面の改定が進んでいても、古い機械の補修部品は図面の古いバージョンで製作しないと互換性がないのは当然です。
ISO9001 4.2.3 d)にもありますが、文書管理で求められているのは最新版管理ではなく、最適版管理です。

話は変わりますが、私が高校生の時、数学の期末試験で次のような試験範囲を指定されました。「数学Uの39ページから87ページまで。但し、基本問題と応用問題Tのみで応用問題Uを除く。」
試験に限らず、そんな経験あるでしょう?
標準的な購買規格や品質保証協定を定めていても、個々の取引においては全部を適用することが不適である場合、特記事項として付け加えたり、一部を適用除外することはよくあります。
現在の私の商売の廃棄物管理でも、行政が作っている廃棄物契約書のひな型そのままでなく加除修正するのはよくあります。
特に建設業協会は「建設廃棄物処理委託契約書様式」を作って販売しています。この様式に必要事項を記入して署名押印すると、契約書が簡単に出来上がるというわけです。しかし、そのままではまず使えません。この契約書様式は汎用に作られているので個々の工事特有の条件を付け加えたり、一部条項を削除しないとなりません。それで作成元もわざわざ『建設廃棄物処理委託契約書様式及び記入例』という本を作って、いろいろな場合の加除修正方法を例に示しています。
それじゃあ元の契約書様式がまずいんじゃないかと思われますか? そうじゃありません。一から契約書を作るのに比べて、基本形を数か所加除修正する方が、実務においてはものすごい効率化をもたらしてくれます。

また話が変わります。
ISO9001:2000が品質マネジメントシステムの規格と自称し、また認証が入札時のメリットでなくなり、社会一般からもブランドとみなされない現在において、ISO審査とはなにか?と問えば、その会社の品質経営改善策の検出であると結論しておかしくないだろう。
ISO14001:2004の認証がどのような意味があるのか? と考えても同様でしょう。
なにしろ、認証がシステムの保証にならず、不祥事があると認証取り消しになってしまうご時世であるから、それ以外に定義しようがない。 
当然、「認証」は誰のためか? と問えば、直接的な購入者でもなく、認証機関のためでなく、認定機関のためでなく、自社そして最終的には社会・利害関係者のためであるはずです。
自社のためであるなら、「認証」でなく「審査と審査結果報告」だけで良いのではないかという考えが出てくるのは必然ですよね。

以上、無関係と思われる事例を話しましたが、これらを併せると、ISO審査を経営に役立てる方法というのは見えてきましたよね?
具体例をあげると「ISO9001は現在有効なのは2000年版です」というのは間違いありませんが、「私はISO9001:1994で審査してほしい」と言ってもおかしくないでしょう。
そんな人いるか?と思うかもしれませんが、自動車業界のQS9000はISO9001:2000が出ても、なかなかそれを採用しませんでした。
趣旨があいまいなISO9001:2000よりも、品質保証に徹していたISO9001:1994あるいは1987版の方がそれなりに完成していたと思います。
ISO9001:2000はいったいどうしてあんなものになってしまったのでしょうねえ〜
ISO14001:1996を見て位負けを嫌ったのか、あるいは「ISO認証したのにちっとも品質良くなんねーぞ」と苦情があって、あわてて作ってしまったのでしょうか?
あるいは「この工場は大きな組織の一部であるが、この工場内のシステムに限定して改善を進めたい。それでこの工場に関わる項目だけを審査してほしい」という要求であっても少しも変ではありません。
それどころか「私の会社では設計もありますが、設計を除外して審査してください。」と言ってもなんらおかしくありません。

ISO認証のハイラルキー
IAF
認定機関
認証機関
我々下々

ところで、現在のISO認証スキームとはIAFを頂点して認定機関や認証機関のピラミッドがあり、ISO17021、guide62/66、認定機関の基準類、認証機関の登録基準に基づいて行い、適合が確認されるとめでたく(?)登録証が授与されるという仕組みとなっています。
しかし前にも述べましたが、ISO認証をありがたがったのは前世紀のこと、今現在は審査をいかに活用するか、有効性を出すかということが主題となっています。
官公庁を含めたお客さんが「ISO認証していても評価しません」といい、ISO認証が社会的に名誉でもなく、お金ばかりかかるのであれば、形式的審査を受けて免状をいただいても何のメリットもありません。
正確には登録証はパンダと同じく年間の審査費用を払って借りているレンタル品である。
2008年に胡 錦濤(こきんとう)が来るまで、私はパンダって中国からのプレゼントだと思ってました。お金を取ったリース品だったのです。ひどい話だ

ではどのようにすれば審査の効果をあげることができるのか?
現在のISO審査はIAFとかJABなどの縛りがあり、また審査機関、審査員の思い(思い込み)があって、真に品質向上とかリスク低減に結びつかないのが事実である。
反論は承る
他方、21世紀の現在、ISO規格の理解は企業側の方が審査員を超えたかも知れず、また組織については企業の人の方が知っていることは間違いない。
監査の聖者、LMJは「組織のことは組織の人が一番知っているのだ」と語っている。
LMJを知らない人は調べてください。
それならば、IAFが決めているスキームにこだわらず、自分が好きな規格の好きな版、その規格の適用範囲を決めて審査を依頼すればいいじゃないですか。
会社を良くするため、リスクを見つけるため、あるいは儲けるために審査を受けるのです。
もちろん、IAFとその傘下の認定機関が決めているルール無視ですから、「認定機関のロゴもいりません」「規格適合を証明する認証機関の登録証もいりません」「適合組織の登録もしません」というスタンスです。
ISO9001:1987ではテーラリングを認めていたのに、現在では一部の適用除外以外認めていません。これは当初は二者間の品質保証規格であったのが、第三者認証として不特定多数の人への品質保証となったからでしょうか?
しかし企業が自らを改善するためにこの規格を利用するとき、理由のいかんにかかわらず、好きなところをつまみ食いして悪いはずがない。
私の理解では、それこそがISO9001やISO14001の目的とするところである。

ISO14001の序文には、この規格の使い方として
・自己宣言
・顧客などに確認を得ること
・組織外部のものに確認を求める
・第三者認証
の四つを示しているが、本当は「この規格の一部でも全部でも使って、環境改善に努めることができる」とすべきではないのでしょうか?
大変です!とうとうISOTC委員にまでご意見をしてしまいました 

こうなりますと、発注者のスタンスは
「IAF基準もISO19011もISO17021も無視してください。」
「守秘義務をしっかりしていただければコンフィデンシャルをすべてお見せします」
「成果物として、改善提言書を出してもらいます」
「法規制について十分確認してください」(弁護士法とのからみは要確認です)
となるでしょう。

この場合の審査はいかなるものになるでしょう?
IAF基準も、認定機関の基準も認証機関の審査ガイドも無視、審査員の思い込みなどご法度。ただ企業が指定した基準で、適合性を確認してほしい、あるいは有効性、更には効率性をみてほしいということです。
そしてアドバイス結構、改善策の指導結構、企業が求める仕様によってなんでもありでございます。
しかし、成果を出していただかないとお金を払う価値がありません。ですからISO規格なら知っているという審査員には来ていただくことはありません。経営の見識、専門知識、技能、目ざとさというものを兼ね備えた方にぜひ診断していただき、改善を指導願いたいと思います。
成果物は現状の審査報告書のように「適合を確認した」なんて書いてある数ページの代物ではお足は払えません。読み応えのある、しかもその問題提起、あるいは改善提案に従えば、それなりに効果が期待できるものでないといけません。 そのとき、審査機関が提出する報告書のタイトルは、「品質改善報告書」、「生産性向上提言書」、「環境管理改善提案書」などになることでしょう。
もう審査依頼というより、品質診断依頼あるいは環境管理改善検討依頼というべきかもしれません。

こういう考えが一般的になりますと、審査といってもものすごくバリエーションがでてきます。
「あの企業の審査仕様書はISO規格以上のできだ」とか、「あの企業はRFP(審査提案依頼書)がうまくて、ものすごい成果を出しているそうだ」とか、「あの企業はISO登録証が欲しくてまだ審査機関の標準パターンで依頼しているそうだ」というような話がされるようになるでしょう。
そして、審査機関もいろいろな適合性審査あるいは改善診断のメニューをそろえて、お客様に提案するようになるでしょう。いや、良かったですね。審査機関が泥沼のコスト競争から抜け出す方法が見つかりました。
もっとも成果を出せない認証機関はそのまま泥沼に沈みます。
こうなりますと、環境側面の特定方法が規格を満たしていないとか、品質方針に規格文言が入っていないなんてナンセンスで低レベルの議論はなくなります。
審査機関は真剣な審査をし、価値ある提案書を出さないと「もう来るな」といわれます。
客観性とか公平性なんて青臭い言葉とは無縁の、改善してなんぼという泥臭い、しかし有効性、効率性が最大に発揮できる時代になるでしょう。

こうなったときは認証機関という呼称を返上し、審査機関に戻るかもしれません。あるいはコンサルタントと称するかもしれません。「保証機構」とか「認証機構」「登録機関」なんて名前は「品質改善機構」とか「環境リスク研究所」なんて名称に変わっているかもしれません。
コスト競争しか能がない認証機関、規格との比較しかできない認証機関、環境側面の特定などに一家言お持ちの審査員、審査に通るテクニックしか知らないコンサルさん、サヨウナラ

ところで審査とは指導する場であるとか、審査員の言葉をメモしないのがいる、なんて語っていた審査員がいましたが(アイソス4月号)、そんなことをおっしゃった方の実力を発揮するときが来ました。ISO審査ではコンサルできませんとか、独り言ですとか、壁に向かって話しますとか、そんなご遠慮はいりません。もう思う存分、改善のご提案、事故防止のヒントといわず改善そのものを教えていただきたいと思います。
そして、もちろん
改善提案ができない方、リスク予防に役立つ提案のできない方、儲けにつながる提言書を出せない方は、淘汰されることになるでしょう。
これで日本の産業は復活すること間違いありません。
ヨカッタデスネ

世の経営者は
「品質を良くしたい」(品質システムを良くしたいではありません)
「利益を伸ばしたい」
「遵法を確実にしたい」
「リスクを十二分に把握し低減したい」
と望んでいます。
そして、事故予防に効果があるのかないのかわからない、万一事故が起きると早々と認証を取り消すようなISO認証はいらないです。

以上、本日はISO審査改善の提案でした。

以前、私が批判した第三者審査登録の改善策考と同じじゃないかと思われた方、それは違います。
あれは認証機関側の論理です。認証機関が新しい審査基準を作っても、現在とスキームが変わらなければ何も変わりません。
この拙文は、組織が発注者としての意識を持って能動的に動くことを提案しているのです。



ところでこの駄文を書いたのにいかほど時間がかかったかというと、わずか2時間であります。しかし私のようなアイデア豊富、建設的意見(?)、卓越したパソコン能力を持った人間も歳には勝てず、まもなく定年です。
どこぞの審査機関かコンサル会社で雇いたいなんて奇特なところはございませんでしょうか? まさか認定機関で雇おうとはしないでしょう 
決して高望みはしません。無給でもいいです。なにしろ家内は粗大ゴミになることを懸念しております。
しかしうまいコーヒーが飲めること、高性能パソコンが条件ですね。




ISO原理主義者X号様からお便りを頂きました(08.05.14)
認証機関消滅後
運輸安全マネジメントを国土交通省が進めている。法律により安全管理規程なるものを各運送事業者に設定させており、これはISO9001の基本概念が取り入れられていると云われている。この監査を受けた企業は、率先するようにホームページで宣伝しており、まるでISO適合自己宣言の如くである。この安全監査では、ISO認証の経費も必要ないし、国が直接コンサルタント的指導と意見交換もしてくれる。概ね企業からは好意的な反応のようだ。
合わせて、経済産業省、環境省、厚生労働省が、各管轄企業に対して監査・指導を行えば、いい加減な認証組織から審査を受けるより、ISO原理が実現できるように思う。もし、企業が不適切な活動をしたら、ネガティブ情報として世間(世界に向けて)に公表するので、実に効果的である。
日本は、世界に先駆けて、この制度を推進させるべきと考えます。
法令違反をした企業、偽装した企業等々がISO認証登録をされていた事さえ一般国民は知らないし、いつの間にかそれら違反企業がISO認証を取り消されても殆どニュースにも取り上げられないこと自体、ISO認証に意味がないことを証明している。
当HPの管理者様のISO原理主義、大いに賛成です。小生もISOの記述内容は素晴らしいものと認めており、日々仕事に役立てています。

ISO原理主義者X号様 お便りありがとうございます。
ISO原理主義者Z号であります。
ご同意いただきありがとうございます。
私たち市民というか社会は、良い品質、良いサービス、環境事故を起こさない、環境犯罪を犯さないことを願っています。
そういう仕組みを企業が作り運営してほしい。それはみなが心底考え願っていることです。
しかし、別に認証しなければならないとか、免状を飾っておいてほしいとか、工場の壁に「ISO認証取得」と書いてほしいとは望んでいません。
つい最近、高級料亭でお客様の食べ残しを次のお客様に出していたなんてことが報道されていました。そんなイカサマに近いような悪質なことをしてほしくはないし、そんなところで食べたくありません。
おっと、その前にそんな高級料亭に行くお金がありませんでした。
でも、そういう料亭がちゃんとしたおもてなしをするのにISO認証しなくても良いように思います。
新聞をにぎわす環境犯罪、環境事故を起こした会社がISO14001を認証しているかどうか調べたことがあります。ISO認証している会社がほとんどでした。
み目より心、形より中身、認証よりも実質です。
ISO原理主義者Z号!ISO原理主義者X号様に続きます!


ISO原理主義者X様からお便りを頂きました(08.05.16)
審査提案を読んで
このHP管理者様は、相当な実力者だと分かります。小生には先に進む程の実力がありませんが、援軍として勝手ながら参戦させていただきます。
某企業のISO事務局の方が、「せっかく高い審査費用を払っているのに、目新しい指摘もない、無駄な審査に感じる。此処で聞く話の方が世界情勢や色々な有益な情報が聞けるので有り難い」と持ち上げられました。御社はどこの審査機関に契約しているのですか問うたところ、「****!!」と聞かされ、エッ!(・_・)エッ!・・・ブルータスお前もか! これは重傷だ、気の毒としか云いようが有りませんでした。『小生・・あの企業もそうだが・・心配になってきた、こちらの基準でしっかり見るかー、と独り言』
管理者様は、定年後、無給でISOコンサルなどなさると余りに過ぎた冗談を言われていますが、依頼者は成果のあるコンサルを期待できると思います。その方がJABにとっても良いはずです。第三者認証制度の信頼性回復には時間が掛かるでしょう、もう自己適合宣言の時代に入っているかも知れません。
MIL-STD-105Dに係る記述、-105Dにより製造した製品に-105Eがそのまま適用できるか否かは十分技術検討しなければなりませんので、管理者様の記述されたとおりです。単純に新基準を採用した事実があれば、その企業の能力を疑いますし、先の105D機器と整合しないこともあり反って信頼性を落とすこともあるのです。そこまで、普通に指摘できる審査員又はコンサルが絶対に必要なのです、それが力量の実例でしょう、期待しています。 

ISO原理主義者X様 毎度ありがとうございます。
審査とは何か? と本当の原点に還れば見えてくるものがあります。
ISO9001:1987が策定されたとき、第三者認証を想定したものではありませんでした。
品質保証協定が乱れ飛び、納入者も購入者も混乱しているのを救おうと、品質保証規格を標準化したにすぎません。それを商売のタネにして、お金儲けをする仕組みを考えたのが第三者認証というスキームです。
あっつ、たとえが思い浮かびました。
私は今お金がありません。でも資金が必要なのでISO原理主義者X様に手形を渡します。その手形は元は借用証なのですが、実質的にはお金です。ISO原理主義者X様は必要に応じて誰かさんに渡し、誰かさんは誰かさんに・・最後にばばを引くのは誰でしょう?
ISO認証なんて手形と同じ、実態はなく信用のみが本質です。誰かが「ISO認証は裸の王様だ!」と叫んだ瞬間に、四川省の建物と同じくアットいうまに崩壊し、認定機関も、認証機関も、審査員も公衆の面前で裸で立っていることに気づくでしょう。
しかし、品質改善とか環境管理は仮想やバーチャルではありません。いくらテレビゲームをしようとコートの上のテニスはうまくなりません。
その差異をしっかりと認識し、ISOをうまくつかいこなすことが企業の才でしょう。もちろん、ISOが使いこなせなければ、TQCでも6狽ナもBSCでもなんでもよいから現実を良くしてくれる手法を活用するまでのこと。

最後にISO原理主義者X様の勘違いがあります。
私は実力者ではありません  越後のちりめん問屋のご隠居で諸国漫遊が老後の楽しみです。


ふっくん様からお便りを頂きました(08.09.19)
事前通告型のISO審査は意味あるのか?
佐為さま
昨今世間を賑わしている米騒動?(古いですね)で、ついに大臣が辞任に追い込まれましたが・・・農水省の立入検査は業者に事前通告の上行っていたと聞き及んでいます。
私が昔ISOの管理者をやっていたとき、同様に審査についても事前通告の上、審査に来ていました。いわゆる抜き打ち審査はなかったんです。でも、当時からこれっておかしいよねって思っていました。
同じようにたまにラジオを聴いていると「今日は●●交差点と県道◎町▽線でスピード違反の取締りを強化しています。(要はネズミ捕りの案内)」と流れてきます。(他の府県はそういうことやめようとしているみたいですが、うちの県はいまだに朝流れています)
世間ってそういうものなのかなぁって思うのです。何が言いたいのかというと、そのように事前通告や事前に知らせるようにしたら人間はそれに対して罰(みたいなもの)を受けないように準備しますよね。たとえ徹夜になろうが、書類を改ざんしたり、あるいはかわいい範囲でISOの為の書類を準備しますよね。それで本当にいいのかなぁと素直な気持ちで考えたときに感じてしまうのです。もちろんネズミ捕りに対してもラジオを聴いた人やインターネットで確認した人は対策します。知らない人で違反した人は、警察に貢ぐことになりますが。(2通に分けて送信します)
「ISOは性善説だから、決めたとおりにやっていると証拠を示されれば、それを信じざるを得ない」と審査員が語っていました。しかしその書類は前日に作ったものであることを私は知っていますし、たぶん審査員も気づいていると思います。しかしやっていないわけでないので、適合にするしか手がない・・・本当にこんなことでいいのでしょうか?(素直単純な気持ちです)

ふっくん様 いつもご指導ありがとうございます。
すべての審査が事前通知があるわけではありません。身近なものとしてはULの審査などは突然来て現場や部品管理などをチェックしていきます。(少なくとも私が関わっていた15年前はそうだった)
しかし私は事前に伝えていたから隠されていたとか、性善説だから信じざるをえないというのは、力量がない人の言い訳だと思います。
私は社内監査や他社を訪問するときは半年も前から予定が立てられているのですが、私が監査して欠点がなかったというのは半数もありません。要するに見る目があれば見つけることはできます。
ISO審査で見つけないのは「見つける力がないのか」「見つけようとしないのか」「見つけても問題としないのか」のいずれかでしょう。そして案外すべてのケースがあるように思いますよ

あらま様からお便りを頂きました(08.09.20)
抜き打ちに意味があるか
佐為さま あらまです
あるがままを審査するには、「抜き打ち」が正確なのかも知れません。
ですから、メタボ検査でも、お腹を引っ込ませるのではなくて、いつものようにダラーして計測するのが実測値なんでしょう。
血液検査の数日前から酒も飲まないで採血すれば、肝臓の値は良いでしょう。
でも、それでは「検査」の意味がないですね。
ところで、「審査の事前通告」の件で、「ねずみとり」の事前放送は取締りの意味がないということですが、はたしてそうでしょうか。
よくオービス(自動速度違反取締り機)が設置されている道路では必ずその前方に「自動取締り」を警告する看板があります。
そこで「抜き打ち」に意味があるとしたら、そうした看板も不要ということですね。
しかし、速度違反で罰金や点数を取られてしまうと、そこで「免許取り消し」になる人がいるかもしれません。「免許取り消し」になれば、その日から生活できなくなる人もいるかもしれません。速度違反をした人の自己責任もありますが、そうした人をふやさないための措置も必要と言うことで「事前通告」していると思いますよ。
企業にしても、認証の審査が通るかどうかは、その会社の「社運」がかかり、「社員の生活」に直接影響する問題だけに、「事前通告」をするということは「不合格」をなるべく回避させるための措置ではないでしょうか。
しかし、それが袖の下を広げている公務員や監査員にかかると、事件、事故につながるのでしょうかね。

あらま様 コメントありがとうございます。
以前田舎に住んでいた時、近くを通る国道4号線に「自動速度違反取締機設置」と大きな看板がいくつもありました。あれほど大書していればみんなスピードを落とすはずと思いますか?
全然、そのようなことはなく、大勢がつかまっていたようです。というのは写真撮影時にパッツと激しくランプが光るのです。その光るのを見ると「オッまただ」とうれしくなってしまいました。
人間て不思議なものですね♪(美空ひばり)
ところで私は姑息な男ですから、健康診断のときは数日前から酒を断ち早寝早起きに努めております。それで結果が良くなったかと言いますと・・・カンケーアリマセン



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