アイソスを読んで 08.05.14

マネジメント規格の月刊誌にアイソスというのがある。毎月、ISOとか認証に関して認定機関とか認証機関のおエライさんのありがたいお言葉とか、めでたく認証しました!なんて会社や工場の喜びの声が載っている。
わざわざ月1400円も払って読むまでもないと思いつつ、毎月買っては読んでいる。
いや、実を言って読むとけっこう面白いのです。
今月発行(2008年05月)を読んで感じたことをつづります。

私は本の後ろから読む。別に小説ではないので、後ろの方に種明かしがあるわけはない。冒頭にあるエライさんのお話より、企業広告の方が面白いことは間違いない。
この雑誌の後ろ20ページは広告である。実際こういった類の本の3分の1は広告である。雑誌、いや読売・朝日といった新聞でも広告で経営が成り立っている。広告といっても無駄とか意味がないわけではなく、貴重な情報源であり読むと面白い。だって自分の思い(思い込み?)を書いているだけの文章と、人に読んでもらおうと練りに練った文章とどちらが読んで面白いか考えれば自明である。
広告のページでは認証機関がIAFの定めた範囲で、いかに付加価値があるかをお互い競い合っている。各社がそれぞれ広告代を払い広告を載せるのではなく、共同で各項目や値段の一覧表にでもしていただければ、広告代も減るし、読む人も各認証機関のメリット、デメリットが一目瞭然で比較できてよいのではないかと思う。
ところで、どの認証機関もオラが一番と言っているが、一番は一人しかいないはずで、そのへんはどうなのだろうか?
IAFとかJABの通知で、従来審査といっていたことを認証と称すると決めたそうで、当ウェブサイトも審査といわず認証という言葉を使います。

しかし、なんですね、ISO9001とかISO14001とか、いやいや最近は食品安全、情報セキュリティ、ITサービス、事業継続、労働安全、化学物質管理、自動車、航空宇宙・・・もう認証の種類がたくさんで覚えきれません。
会社の経営システムがこれほどあるはずがないのは間違いない。金もうけのために認証スキームを作り、最近は作りすぎてお客さんが認証疲れしているのではないでしょうか?
ここはいっそのこと、統合マネジメントシステム規格ってのを作って、それで審査したらどうですか?
おっと、お間違えないように、
世間で統合マネジメントシステムって称しているのは、ISO9001とISO14001を合わせて審査するって場合がほとんでです。そんなひとつふたつの羊頭狗肉じゃなくて、本格焼酎ならぬ本格統合マネジメントシステム規格を作って、それで審査するのです。
エッツ!そのようなISO規格がないですって?
そんな、他力本願じゃいけません。ISOが作らないなら作っちゃいましょう。
IAFが作ってもいいし、JABが作ってもいいし、誰も作る勇気がないなら、あなた認証機関が作っちゃいましょうよ!
驚くことはありません。以前、安全衛生だって、化学物質管理だって、ビジネスのためなら規格を自作して審査してたじゃないですか。
でも統合マネジメントシステム規格を作るのは結構大変だったりしますよ。はっきり言えば、民法、商法、会社法、その他商取引に関わる法規制全般についての要求事項を調べ網羅することになり、これは今までのMS審査員にはちょっと難しいでしょうね。
ひょっとすると、これは公認会計士あるいは監査法人のしている監査になるのかしら? 

なんて、バカなことを考えながら後ろからページをめくります。
ほう!ISO事務局の方がお書きになった本があるのか。私など足元にも及ばないようなプロフェッショナル事務局なのでしょうねえ〜
といいつつ、私は事務局なんて存在する必要がないと思っているのだが
!すごいことが書いてある。
「苦節10年。受審側から初めてISO審査に対する反撃ののろしが上がった。」
うーん、どうも理解できん。どうやら私と異なった価値観を持ったISO事務局もいらっしゃるようです。
私は過去膨大な文章を書き、今も書いている。しかしISO審査に対して反撃ののろしを上げているつもりはない。審査員の中におかしな人がいるよ、審査機関の中におかしなところがあるよ、そして、ISO事務局にもおかしな人たちがいるよ、と書いているだけであって、反撃しようなんてこれっぽっちも考えていない。
ISO審査を良くしようという念は人後に落ちないつもりではあるが、審査員を負かそうとか、反撃しようとかいう敵対的存在と考えていないのである。過去より私は審査員と会社は対等であり、お互いに意見が異なるときは論理が通っている方を採用するべきだと考えている。残念なことに規格を知らず、論理的でない、そして独善的な審査員が多いのは事実である。
独善的審査員も困るが、独善的事務局も困る。

「登録組織の本音」というカラムがある。ISO担当者にはその企業のエースはいないと書いている。仕事で失敗した人が担当させられる職務だという。
正直言って、これを読んで身のつまされる思いである。ひょっとして私が書いたのか?と思ってしまった。 
まさに私の過去そのままである。いや、確かにISOなんて、どの会社でもエース級の人材ではなく、元エースとか、出番を待ってずっとベンチを温めていたがもう見込みがないと引導を渡された人とか、新卒で入社して成績上位から開発、営業・・と割り振られ、最後に残った人が配属されるような部署なのである。
そしてそんな事務局はISO審査で問題が起きないようにすることが目的化してしまうとある。うーん、ちょっとこれは違うな。いや少なくとも私は違った。
確かに16年前、田舎の別の会社で私と同じ仕事をしていた方は簡単にISO認証して、簡単に維持するという特技をつちかい、そのおかげで定年後の今も、田舎の別の会社でISO担当していると聞く。そういう人も多いのだろう。
tono.gif 残念ながら、反骨精神あふれる私はそのような枯れた人生を歩むことができず、会社の仕組みを汚してほしくないという思いから、審査員とチャンチャンバラバラの人生で、問題があればUKASに問い合わせたりという、宮本武蔵のような生き方をしてきて今に至る。
ただ、この半人事務局を書かれている方は、きっと本物の事務局ですね。

と思いつつ、またページを前にめくる。
今度は「審査員のホンネ」というカラムがある。二三ヶ月前に、「審査で審査員の語る言葉をメモしないとはなんだ」とのたまわっていた方である。
今月号は新人審査員が審査に言って、杓子定規なことを言うのを戒めることが書いてあった。
受審企業が決めたルールを守っていない場合、不適合を出そうとした新人審査員に、形式的な審査をするな、無意味な不適合を出すなと語っている。
「受審企業が規格要求事項の意図を理解して、実質的に問題なく業務をやっていれば是正処置要求はしなくていいよね」という。そして不適合を出して形だけの是正処置をさせて「ISOって役に立たないことを指摘していくよなあ、本当にメンドイ」と思わせてはいけないと語る。
そのような指摘をするとマネジメントシステムが形骸化すると語っている。
しかし、ルールを直さないのは既に形骸化しているのではないか?
なんか、これを読んで、私は多いに違和感を感じたのである。
私は、会社が決めたルールを守っていない場合、即不適合を出すべきだろうと思う。
考えてごらんなさい。
会社で定めたルールを守っていない。客観的に見て、そのルールを守る意味はないとする。
これは不適合か?適合か?と考えれば、立派な不適合である。
ただ、私が考える不適合とは、ルールを守らないことではなく、そのルールが不適合であるということだ。
その場合、ルールを守っていないことを不適合にする方法もあるし、ルールが実態に合っていないという不適合を出してもよい。
お断りしておくが、私がちゃちゃをいれるため、上げ足を取るためにこんなことを語っているつもりは全然ない。現実の内部監査であろうと、二者監査であろうと、類似事例に対しては、私は断固不適合を出している。
なぜなら、それが会社を良くすることだから。
そういったケースに不適合を出さないことは、会社を良くしないこと、経営に寄与しないということなのだ。
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更にページを逆にめくる。
今月号は化学物質管理特集で、第三者認証などが載っている。そういやこの認証スキームを作っていた人が俺のところに相談に来たな〜なんて思ったが、もちろん私への感謝の言葉など書いてあるはずがない 


最後に表紙の裏まで来ました。
「いま求められている審査とは」というお題です。
「審査員は審査においてもっともリスクの高い存在である。」うーん、この文章の意味がわかりません。
リスクの定義にはさまざまあるが、一般的には、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と理解されている。
審査員は事故を起こすとか、問題を起こす危険があるということなのだろうか? リスクを単に責任が重いとでも理解しているのだろうか?
ところで、そのリスクは社会に対するリスクなのだろうか? 企業にとってのリスクなのだろうか? あるいは認証機関が訴えられるリスクなのだろうか?
謎は深まる。
「審査を良くするのは審査員、このために審査員の自立と自律が必要である。」と書いている。
後段はごろ合わせ半分だろうから突っ込むことはしない。
しかし絶対おかしいのは、やはり「審査を良くするのは審査員」という前提である。審査を良くするには審査員の力量が重要だなんて論は、もう完全に時代遅れである。前世紀ならいざ知らず、21世紀の現在はそういう論理は通用しない。
審査を良くするのは審査プロセスである。審査員の力量ではなく認証機関の力量が重要である。これは以前からJABも言っている。
審査員が審査で、「品質を良くするのは品質システムです」と口を酸っぱくして語っているが、その審査員を雇っている認証機関が「審査を良くするのは認証機関のシステムです」といわないなら、まったくおかしなことだ。
いまだに「審査員の力量だ!」と語る人は太平洋戦争の頃の日本には大和魂があるという精神主義にとどまっているに違いない。本当の管理者なら、力量のない審査員をいかに使うかということを考えるのであって、「審査員よ力量を持て」とクラーク博士のようなことを言う人は管理者ではない。
ところで、審査員の力量はISO19011で決めている。この寄稿者が想定している力量は、ISO19011の要求水準より高いのだろうか? 低いのだろうか?
もしISO19011より高い水準でなければ審査員が勤まらないならISO規格が悪いのであり、CEARの審査員の要件を見直さねばならない。反対にISO19011より低い水準の審査員で困っているなら、いったいどうしてそんな人が審査員になりその審査会社で雇っているのか不思議である。おっとCEARあるいはIRCAに資格認定されたのだろうか?
この寄稿者にお会いすることができたら、このあたりについてよくお聞きしたいと思う。


アイソスを読み終わって、いやこの雑誌はとてもいい!と思った。
なんせ、私のアイデアがつきたとき、これを読めばあっというまに5000字の文章が叩きだせるのだから  ありがとうございます。

真面目なことをいえば、私にアイデアの枯渇はない。たまたまこの本を読み、一言言わねばと思ったから書いているのである。
私の一言は5000字もあるのか?と言われそうだな 



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