外から見たISO その3 08.07.19

正直言いますが私の生業(なりわい)はISOと直接かかわっていない。審査員でもないし、コンサルでもない。ISO事務局でもない。私の仕事は企業の環境遵法を点検することであり、その仕事の周辺として環境法規制を教えたり、環境監査を指導したりしている。ただ、もの好きなゆえにボランタリィでISO9001とかISO14001の認証をしたいという会社のお手伝いとか、認証したけど少しも良くならないのよという会社を指導しており、それが私とISOの関りである。

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そんな関係でお会いする企業のISO事務局が「これはISOのためにしているんです」なんていう言うのを聞くと、私はガクッときてしまう。まさに脱力である。
類似のセリフとしては「ISOを業務に取り込んで」とか「ISOを生かして」なんてのもある。
私がガクッときたり、脱力感を感じるのを不思議に思われる方は多いのではないだろうか? そのような発想、考え方のどこがおかしいのかと思われるのではないでしょうか?

私の考えは単純であり、一直線である。その基本というか大前提は、会社の存在目的は何か? そのためになにをするのか? どうあるべきか? ということである。そういった観点から見て、ISOとはいかなる位置づけにあり、どのような意味を持つのか? と考えれば、先に述べたようなセリフは出てくるはずがない。
と考えるのだが・・それさえ理解されないかもしれない。

会社の業務は、会社が存続していくために必要として行われることがすべてであり、それ以外はないはずだ。そして過去より唱えられたあまたの経営手法、管理手法、管理技術、IT技術などなどは会社のためのものであり会社の業務を支援するものでしかない。
まさか経営手法のために会社があるとか、IT技術を使うために会社があると思っている人はいないだろう。
いや冗談ではなく、IT関連の企業は己の仕事を確保するために、最新のIT技術を駆使して仕事を複雑にするという提案をしてくるので油断ならない。 
「会社が存続することを目的する」という私の論に、違和感を感じる方がいらっしゃるかもしれない。
しかし悪事を働いたり、火事場泥棒的利益を上げる企業は社会から受け入れられず、永続することができないことを思えば、存続するという意味は大変重いというか簡単なことではないことがわかるだろう。
CSRであろうと、CIであろうと、フィランソロフィーであろうと、すべては会社の価値を社会に認めていただくための行動であり、存続するための活動である。

私は「会社の発展のために行う活動」とか「会社のリスク管理に役立つ手法」というものはあり得ても、「経営手法のために行う活動」とか「管理技術が決めているからする」というものは存在しないと考えている。当然「ISOのためにする仕事」なぞあるはずがなく、わざわざISOを業務に取り込んでいただくこともない。
従来からの仕事を一生懸命しているだけでなにか不足なのだろうか?
私は「ISOのため」とか「規格で決まっているから」といった発想を非常に不思議に思うし、そういう発言をする人たちはいったい何を目指しているのか? 私は理解に苦しむ。
単にかっこいいことを言いたいだけなのかもしれない。

「ISO14001を認証しました。紙ごみ電気を環境活動に取り上げて推進しています。」そんなことを良く聞く。まあ、昔から言うではないか「気は心」と。これほど環境問題が言われている時代だから、当社としても形だけでも環境活動をしようというのを咎めだてするつもりはない。活動開始時にはそういうことがあってもよく、微笑ましい。そういう気持ちから始まる活動が企業発展につながるかも知れず、結果として会社に貢献することもあるだろう。
貢献しない可能性も大きいが 
しかし認証して数年経てばより本質的、直接的に会社に役に立つことをしてほしいと願う。第一、審査費用だってばかにならない。100人規模の企業だって審査費用は年間数十万円かかる。数十万の利益をあげるためには、業種にもよるが1千万あるいはそれ以上売上げなければならないだろう。ISOの認証によって、一人当たり年間10数万の売り上げ増になるのでしょうか?
ISOの活動が経営に寄与しなければISOは無用であり、ISO認証が経営に貢献しなければ認証は意味がない。そんなISO認証を存続することに価値はない。
という理屈に異論ありましょうか?
あるでしょうねえ〜
そういう人がいるから現状があるのですもの

ISO事務局が企業の目的に貢献しなければ、そのような職制あるいは業務を廃止することが企業に貢献することだ。
ISO事務局であろうとなかろうと、すべての社員は会社を良くすることを考え行動しなければならない。その大目的のために己の職務を廃止するべきであるという結論に至ったなら逡巡せずに行うのが会社に貢献することだ。
「ISOのためにしている仕事」など即刻やめましょう。
「ISOを業務に取り込む」必要などありません。わざわざ取り込むことなどありません。
「ISOを仕事に生かす」ことってあるのでしょうか? 私は本来の仕事以外にISOのためになにごとも行う必要性を認めません。もちろんISOの考え方を仕事に生かすことはあり得るとは思います。

しかし多くのISOの関係者は審査員もコンサルも事務局も、私と異なる価値観を共有しているのではないだろうか? それはその関係者以外の世界では通用しない価値観ではないのか?という懸念を持つ。
真にISOが会社に生かされ、会社に貢献するためには、ISOのためにする仕事はあるはずがない、ISOのためにという発想でなく企業のためという意識をすべての人が持たなければならない。
そういうあたりまえの認識が、一般の消費者だけでなく、ISO関係者に共有されなければ、ISOが定着することはなく、審査登録制度が永続するはずもないと思う。

私が書いたことを当たり前だという審査員もコンサルも事務局もいるだろう。
では、私の論を理解しているか確認したい。難しい質問ではない。
もし、上記にYESと答えた方は、ペケです。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.07.20)
私の仕事はISOの管理責任者である。
専任なので、それで給料をもらっている。つまり、おばQ様の論旨からいえば「ISOのためにする仕事」の代表格であり、ヘボいかどうかは別にして“ISOのプロ”である。ではプロたるもの自らの仕事でもって会社にどのように貢献しなければならないか、それを考えてみた。

これはまったくの個人的な見方だが、ISO取得企業のうち、9割以上の経営者はISOに実質的かつ積極的に関与していないように思う。
多くの企業がホームページで環境方針や品質方針を公開しているが、通り一遍のありきたりな文言が並ぶだけで、その会社独自の意気込みや“イズム”が感じられるものにお目にかかったことがない。経営者の名前で堂々と「この方針は外部に公開する」などとアホみたいなことを書いてあるのを見るにつけ、ははあ、経営者はISO認証維持のためだけにこの方針を掲げ、文面も管理責任者に代筆させているのだということがアリアリとわかる。
経営者がホンキで品質や環境についての“想い”を方針に託して世間に公表するつもりがあるのなら、こんな無機質でお飾り的なものを掲げるはずがない。管理責任者から「規格要求事項の要件を満たすためにはこの文言を入れておくことが必要で、これで審査は通ります」と言われ、「あ、そう。いいんじゃない。任せるよ」と機械的に承認している様が目に浮かぶ。
そんなどうでもいいお飾りの方針であれば、それが社員に周知されているはずがなく、その必要さえない。ましてや方針が定着しないと嘆く必要などどこにもない。
肝心の方針がお飾りなのであるから、品質目標(環境目標)も当然ながらお飾り目標となる。達成しようがしまいが経営にはほとんど影響を及ぼすことのないものばかりであり、管理責任者はそれを正そうともしない。
(例:コピー用紙の○%削減)

そればかりか、まかり間違って経営に影響が出るような重大な課題を目標に取り上げられてしまってはエライことになるから、そうならないよう目を光らせて阻止することさえありうる。つまり、その実施活動には当然大きなリソースを費やすことになるわけであるから、そのリスクも大きい。
もし未達成に終われば大きなダメージとなり、部門長はもちろんのこと管理責任者の責任も問われかねない。
それではたまったものではないから、「これは事業計画に関するものですから、失敗が許されません。そんなものを品質目標(環境目標)に設定してはダメです。例え未達成に終わったとしても、失敗を糧に“見直し”して、来期にまたチャレンジできるようなものにしてください。これがPDCAサイクルを回すということで、ISOの大原則です」などと真顔で主張するのである。噴飯物であるが、なぜかこれがまかり通る。
一方、業界や業種によってはCO2の排出削減が切迫した市場ニーズになっている場合がある。このような場合は是が非でも達成しなければならないから、環境目的・目標に組み込まれる。しかし、そこに方針との整合性はない。これはただのノルマであって、方針を実現するために立てる目標ではないから当たり前である。
つまるところ、経営者が本来の経営システムと“ISO”は別物でないということを根本から認識しない限り、形骸化した方針とその方針管理は変わるはずがなく、その会社にとってISOが真に有効に機能することはない。

では、管理責任者は手をこまねいていていいのか。お飾りのISOをそのままにして、つつがなく審査に合格するよう文書と記録の帳尻合わせだけやっておけばいいのか。管理責任者は年に1回審査にやってくる御上の饗応係か。
それではあまりにもツマラナイ。
管理責任者を拝命した以上は、会社の役に立つことを考え、その結果を出すのが勤めというものだ。つまり、「管理責任者は、トップマネジメントの想いが込められた方針となるようトップマネジメントをアシストする こと。そして、その想いの実現に向けてマネジメントシステムが有効に機能することを、トップマネジメントを代行して確実にすること」が最大の役割であり、それができているかどうかが最も重要な確認事項であろう。
ISO9001の5.5.2とISO14001の4.4.1にこの文言を入れて欲しいぐらいだ。
ISOが経営にとっていかにメリットを導き出すものであるかについて経営者に“気づき”を与え、うまく活用しようという気にさせるよう持っていくのが、管理責任者の腕の見せ所であり、その仕事の醍醐味である。
けっしてただの事務屋ではない。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
たいがぁ様のご意見をうかがっても、私のISOのための仕事はいらないという意見は不動です。
逆にたいがぁ様が今現在なされているお仕事は「ISOのための仕事」ではなく、「ISOがあろうがなかろうが、会社の基本的な仕事」なのではと思いますが? いかがなものでしょうか?
それと、恐れながら申し上げますが・・・
世の中には経営者の思いが込められた環境方針もあります。
私も関心がありますので時間のあるときはネットでいろいろとみております。
コカコーラの方針なんてジーンときますね・・私は

目的の設定には同感といいますか、そういったものを良く見かけます。しかも審査員が助長している証拠もあります。
「この目標は厳しいから達成できないかもしれません。確実に達成できるように少し目標値を下げた方が良いですよ」(証拠あります)
まあ、いろいろありますが、真に会社のことを考えている事務局も、審査員も少ないということは間違いありません。



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