外から見たISO その4
審査員に褒められた 
08.08.03

中国のエライさんがときどき「日本の援助を評価する」なんて語ることがある。この言い回しをおかしいと思わない人はおかしいと私は思う。
日本がどこかの国を援助しているのを見て、中国が「日本の援助を評価する」と言ったなら、「余計なお世話」といいたいところである。
ところが、日本が日本国民の税金を中国に援助しているのを、当の中国が「日本の援助を評価する」というのだから、そんなことを語る中国首脳の頭がおかしいのか、彼らの言葉の使い方が間違っているかのいずれかに違いないと私は思う。
だって考えてこらんなさい。大学生が仕送りしている親に「お父さんの仕送りを評価する」なんて語ったら、私なら翌月からびた一文も援助しません。まともな神経なら「お父さんの仕送りに感謝する」というのが理屈でしょう。
中国人が「日本の援助に感謝する」と言わないのは、中国人には感謝という概念がないのだろうか?
ところがところが、日本の政治家の中にはそんな発言を聞いてうれしがっているのがいる。
不思議なこともあるものだ。きっと頭の中が壊れているのだろう。
「私も変だと思うわ」とか「そんなことを言う人はおかしいのよ」なんて私に同意される方もいらっしゃるだろう。あるいは「日本の援助を評価してもらった方が、評価されないよりいいじゃん」という奴隷根性の人もいるかもしれない。

ま、それはおいといて・・・
もっと身近にも、ちょっと変だなあということを見聞きする。
例えばつい最近のことだが、「ISO14001審査で審査員に褒められた」とうれしがっていた人がいた。聞くと、その工場では今までISOのための文書というのがあったのだが、審査のために文書を作ったり維持したりするのはおかしいと考えて廃止し、その会社でISO認証前からあった実際の業務に使われている文書を審査の時に見せるようにしたのだそうだ。はじめは社内でそのようなことをするとISO審査で不適合になるのではないか? という不安があったそうだ。しかし社内でいろいろと議論した結果、ともかく事実を見せようということになり、システム見直し(?)をしたという。その結果、ISO審査で「システム改善を図ったことはすばらしい」と所見報告書に書かれたとのことで、それがうれしかったということだ。
私はそれを聞いて、奴隷根性きわまれりと思ったのだ。

論点がいくつかある。
まず、審査のための文書を作っていたのを止めて、現実を見せるというのはまっとうなことであり、過去がどうあれ間違いを改めたことを私は立派だと考える。だから過去について論評はしない。
改定した結果、審査員に評価された以降について考える。
はたしてそういったシステムの見直しを褒められてなぜ嬉しいのだろう?
「うれしい」とはなにか良いことがあった場合の感情だと思う。
システムを見直した結果、会社が儲かった、株価が上がった、月給が上がったなんてことになればうれしいというのはわかる。だが、審査員に褒められたところでなんの良いことも得になることもない。であれば私には褒められて嬉しがる理由がわからない。
私の想定するリアクションとしては・・
審査員が「いやあ、このたびのシステム改善は、貴社のシステムを軽くし有効性を高めて大変良いことだと評価します」と言ったなら
胸を張って「So do I. 私もそう考えている」とか、むしろ「審査員の考え方を評価する」と返すのではないだろか? 人間、そのくらい自信を持って生きていかないとだめです。
間違っても「審査員のおほめに感謝する」とへりくだった反応はいけません。それは完全な奴隷根性です!
これはイヤミとか皮肉ではありません。
なぜ審査員に感謝するのですか?
審査員からなにかご褒美をいただいたのですか?
それに審査員からご指導を賜ったなら・・・IAFガイド違反だよ 

仮に、ISO認証を会社を良くするためでなく、入札資格と考えていたとする。
その場合であっても、審査員に褒められてうれしくなるという理屈はない。
審査員が「いやあ、このたびのシステム改善は、貴社のシステムを軽くし有効性を高めて大変良いことだと評価します」と言ったなら
「これまで入札のためということで余分な仕事で損していたが、余計な仕事がなくなったのでこれからは儲かりますよ」と返さないとアキンドではありません。

どう考えても、「審査員に褒められてうれしい」という感情あるいは発想は、「ISOのため」という発想と同じ象限にあると感じてしまうのだ。

ISOが会社を良くするツールであるなら、そして審査結果より企業運営が優先するであろう。そういう価値観であれば、審査員に批判されようが不適合とされようが「当社としてはこれがいいのです」と言い切ることになるのではないか。
そしてそう考えていなければ、会社は良くならない。ISO認証をどう考えるかという根本である。

そして、私は思うのだが、審査で審査員から「システムが良くなった」と言われた時、審査員にその会社がシステム見直しをしたことを、口外しないように誓約させるべきではなかっただろうか。
理由としては、過去悪かったのを当たり前の水準にしたことを他に知られては芳しくないし(恥ずかしいし)、その二としていかなる改善も社外に知られることはその会社にとって損失であろうと思う。現在では情報は価値であり、あるいは情報にしか価値はない。ノウハウはただでは出せません。

ところで冒頭で中国は「日本の援助を評価する」ではなく「日本の援助に感謝する」と語るべきであろうと書いたが、似たようなことも聞いた。
それはまた別の会社だが、前の年に「その仕組みは重いから見直しされたらどうですか」と審査員に言われたそうだ。その会社はそのコメントを真面目に受け止めて仕組みを改善したという。翌年その審査員が来て「システム見直しをされたことに感謝します」と言ったそうだ。
私はそれを聞いて声も出なかった。 
大昔、日本国憲法を作るとき、連合軍の提案を日本側が飲んだとき「提案を取り入れたことに感謝する」と言われたという。これは現行憲法が自主制定でないことの証拠でもある。(cf.「ここがヘンだよ日本国憲法」西修p56)

私が毎度書いているISOの与太話に、「おかしいじゃないか!」とか、「ウソ付き!」なんてお便りは一度もない。もちろん、言うまでもなく、私は事実しか書かない。事実は小説より奇なりである。
しかし、こんなことばかり見聞きするのだから、日本全国津々浦々では私など知らないとんでもないことがまかりとおっているのだろう。

ISOの関係者よ!
一度、外側からISOを見てみよう
内側の常識は外側の常識でないかもしれないよ



VEM様からお便りを頂きました(08.08.04)
審査員にほめられたら感謝すると思います。
ISOの審査を受けたことがありません。もっとはるかに簡単なグリーン経営という審査しか受けていないので的外れかも知れませんが、まともな活動をして審査員から褒められたら感謝すると思います。誰にってもちろん神様にです。
乏しい経験と佐為様の記述を読んで得た知識からすると、まともな活動を褒める審査員に当たることがどれほどの幸運か知っているつもりだからです。それだけの幸運に会って神様に感謝しないような罰当たりにはなりたくありません。

ところで、またトトカルチョをされるのですね。8月25日が候補に入っているようなので、8月25日に投票します。うちの社長の誕生日です。いいことがありそうです。

VEM様 毎度ありがとうございます。
そんなに冷たい目で見ないでくださいな、私は子供の頃から褒めてもらったという記憶がありません。
軍隊がえりの親父はなにかというとビンタでありましたし、子供たくさんで母親も私をかわいがるどころではなかったのでしょう。
学校といっても、今とは違い、ひとクラス50人以上いましたから、先生だって一人一人に目が行くはずがありません。
まあ、野性児に育ったわけです。
おっと、今までで一番尊敬している上司が一人いますが、これまた絶対に人を褒めないのですよ。人をけなしてもっと良い仕事をしろとばかり言っていました。でも、この方の教えがあって今があるという感じですね。
その方と離れて何年かして偶然出会ったときに「あなたが人を褒めればもっと素晴らしい上司だったのに」と申し上げると「おれは期待する人にしか厳しく言わないんだ」と言ってましたけど、あれはテレだったのではないかと思っています。

おおっと、トトカルチョしかと引き受けました。


萬太郎様からお便りを頂きました(08.08.06)
審査員にほめられるために?
総務課の萬太郎です。
本日、ある課長から電話がありました。「本社では電気使用量の月々のデータを環境ISOの目標値にしているんですか?」
萬太郎「意味がないから、とっくにやめました」
課長「エエ〜。当方の職場では、使用量が目標値をオーバーしたまま下がらないので、今年の夏はまだ一回も冷房を使っていないんですよ〜」
萬太郎「そんなバカなことはやめなさい。暑さに我慢できるときは自然の風で、我慢できないときはエアコンの風で。無理して仕事の効率を下げたり、事務ミスを犯して損害を出すのは愚の骨頂です」と、回答しました。
未だに電気使用量を目標値にし、がんじがらめになっている職場が足元にもいたんだなあ、と思いました。すごいと思いませんか。この夏、まだ一度も冷房を使っていないそうです。
暑がり萬太郎は耐えられません。

萬太郎様 毎度ありがとうございます。
「ISOのために空調温度をあげています」なんてことを聞くたびに、ISOを貶めるな!と叫びたくなります。
まったく日本でのISOの理解というのはその程度のようです。
ISOを理解していない、アホコンサルが指導して、
ISOを理解していない、ボンクラ審査員が審査して、
ISOを理解していない、盲目社員が絶壁に向かってレミングの行進をしているようです。
でも、我らがウルトラ萬太郎がさっそうと現れて、
「てめえたち!ちゃんとした仕事しろ」と叫んでくれるのです。
期待しております。


萬太郎様からお便りを頂きました(08.08.09)
毒餃子
ウルトラ萬太郎です。
すてきな名前をいただき、ありがとうございます。
おかげで、「ウルトラマンタロウ」の歌が耳から離れなくて困っています。
さて、閑話休題。
今回の毒餃子事件のあらたな展開ですが、ニュースを聞いて最初に頭に浮かんだフレーズは「使いまわし」です。つまり、なんでもありの中国人が、吉兆だの赤福だの、昨今の日本の使いまわし事件を知って「ナルホド、日本人は賢いある。さすがモッタイナイの国。回収した餃子を、中国国内で売ればいいアル」と思ったのかな? と。
でも、毒入り餃子を使いまわしちゃいかんですよ。日本にも売国奴は多々存在するが、中国にも似たようなのがいるんですね。売毒奴・・・。

ウルトラ萬太郎様 毎度ありがとうございます。
もったいないを世界に広めたノーベル賞のマータイさんも今は見る影もなく、もったいないという言葉は死語になってしまったのでしょうか?
諸行無常の鐘の音・・
リサイクルもしてよいことと、悪いことがあるというだけでしょうね。
ところで北京オリンピックもとうとう開幕です。さあて、何が起きるのか?


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