レミングの行進を止めろ 2007.07.16

私が書いているISOに関わるいろいろな文章をご覧になられて、こいつはISOを知らない奴だとか、いい加減なことを書いているとか、うそつきとか、デタラメとか思われている方は多いと思う。 なにしろタイトルがうそ800ですからね 
ひとつお断りしておく、うそつきとデタラメとは違う。うそつきとは「事実と異なることを故意に語ること」であり、デタラメとは「サイコロを振った結果次第」つまり偶然頼りということ。
ついでに言えば、「事実と異なることを故意でなく語る」のは単なるアホである。

たしかにいい加減なことしか書いていないのかもしれない。私も自己顕示欲が強いほうでありますが、自分が絶対正しいと思うほど自信過剰ではありません。
でもここに書いていることは自分が考えて確信したことを書いております。そして、本当は私は小心者でありますので、何を書くにしてもいくばくかの裏づけ(法廷に出せるほどの証拠とまではいえないが)はとっております。
先日書いた「ISOレイテ沖海戦」あるいは「ISOインパール」にしても、実はJABのグラフを見ただけで書いたのではない。自分が関わった審査での体感、知り合いの審査員の嘆き、大勢の事務局仲間の声などを参考にしている。
本日はそんなことから感じていることを書く。

もう二年前になるが2005年の夏、某審査機関の知り合いの営業マンと会って駄弁ったときのこと、彼は「佐為さん、これは秘密なんですけどね」なんて言いながらA4で10ページくらいの資料を見せてくれた。
秘密というのは人に話したくなる性質があるらしい。新製品を宣伝するときは「みなさーん」なんて大声を出さずに、小さい声で「内緒なんだけど、今度出た新製品知っている?」というアプローチの方が話が広まるのではないだろうか?
見せていただいた資料はISO9001やISO14001の審査件数を予測した調査結果であった。そこには過去10年間上昇してきたISO審査件数が、鈍化し減少していくありさまが描かれていた。
「これって確かなんですか? 認証したいという企業は増えていると聞いてますけど」
「過去のトレンドや聞き取り調査結果からまとめたものですから信頼できます。」
そして更にこんなことを語った。
「審査機関って大変ですよ。車でも化粧品でもふつうの会社なら新しいものを開発していくわけですが、我々の売り物は決まってますので、マーケットが小さくなればパイの奪い合いしかありません。」
そしてマーケットは時間とともにシュリンクして、やがて審査機関の統廃合が進み、行き着く先は第三者審査登録制度の終焉となるのではないかという。
その意味で2000年のISO9001改定や2004年の14001改定は製品のモデルチェンジであり審査機関にとって好ましいことであるとのこと。規格の改定は品質を上げるためや環境管理の質向上のためでだけなく、審査機関を食わしていくという意味もあったのかと驚いた。
それって本当なんでしょうか? ISOTC委員の方々教えてください。

私はそのとき、審査件数が減っていくなんてありえないと思った。当時、私はおかしな審査に悩まされている知り合いからの相談を受けたり、稚拙な所見報告書を見て呆れてはいたが、第三者認証制度が継続していくであろうとの信頼感は持っていたのである。
だがその後、知り合いの審査員とかコンサルと話すたびに、その業界を取り巻く環境が厳しくなってきたという声を聞くことが多い。
まず審査件数が伸びていないというのはみな肌身で感じているらしい。某契約審査員は仕事が減っている。「でもしかたがないよ」と言っていた。まあ定年を過ぎているのだから欲張ってもいけないだろう。
某コンサルも認証を希望する企業の絶対数が減っているし、環境はエコステージやエコアクションとの競合、特に中小企業では不利という。
これからWDIなんてのが普及すると、審査工数はますます減少してしまう。まして自己宣言が当たり前の時代になれば、審査機関にとっては自己宣言どころではなく事故宣言かもしれない。
また、審査で審査員の言うことが一方的に通用する時代ではなくなったという。独りよがりの見解とか規格の解釈が怪しいと、受査企業はコンサルなどに相談して正式な異議申し立てではないが、審査機関に抗議がくるそうだ。そういう事態になること自体、既に審査機関の不利は確定で、審査結果を訂正することが多々あるという。
考えてみれば・・考えなくても、そのようなことは当たり前のことである。
第三者認証での審査とは、ウィスキーのように何も足さない、何も引かないことが鉄則である。審査員の趣味や過去の経験を基に審査されてはたまらない。
最近は、それどころではないようだ。
知り合いから「不適合を出さないから認証を継続してください」なんて語る審査員の話も聞いたことがある。審査とは企業のマネジメントシステムの適合性を量るのではなく、審査員を食わせるための制度だったのか!
しかしその状況を「辛いねえ〜」と語るのには違和感を感じた。もっとしっかりした審査をしようとか、反省したよという声を聞かなかったから・・
審査機関の乗り換え、切り替えも多いらしい。特にQMSとEMSを統合するために、まずは従来別々であった審査機関をひとつにするところがチラホラ出ている。そしてそのときは双方を比較して信頼できるほう、評判のいい方を選ぶのは当たり前だ。今後、統合する企業が多くなれば、この動きは更に加速され雪崩のようになるに違いない。
調達先の管理を口をすっぱくして語っている審査員にとっては、冥利に尽きるのではないだろうか 
「やっと分かってくれたか」と心の中で叫んでいることだろう。
弱小審査機関に限らずどの審査機関もこの動きに戦々恐々としているらしい。なにしろ統合化の結果は審査費用の総額の低減を意味する。はずされた審査機関の取り分はゼロになるし、受注した審査機関でも別々に審査するより統合化すれば審査費用総額は減る。審査機関も公の席では建前上、統合化はあるべき姿とか経営上当然であるといっても、本音の部分はマネジメントシステムは別々に審査して審査料金はそれぞれいただきたいということではないのだろうか?

しかし私の知り合いの審査機関の幹部、審査員、コンサルなどなどと話した感触であるが、このような現状を憂いてはいるが、積極的に審査をどうこうしようと考えている方はいないようなのである。ただ流されるまま、事態が悪化すれば「しょうがない」とぼやきあきらめるだけなのであろうか?
例えどぶの中で斃れても・・などと坂本竜馬と引き合いに出すまでもない、なんと主体性も覚悟もない意気地なしな生き方なのであろう!
まだ勝敗は決していないのだし、たとえ負け戦であっても、己の最善を尽くし活路を見出そうとしないのだろうか?
そのような闘志のない審査員や戦略を持たない審査機関が、経営に寄与する審査などしようというのは、そもそも間違い、勘違い、筋違いであろう。
本日のお題、レミングの行進を止めろ とは
例年のように起きるデータ改ざんや法違反を予防できない審査

みんな呆れる不祥事が起きたら認証を取り消す審査機関
愚にもつかない所見報告書
そんなことを止めましょうということです。
そして、真に経営に役立つ第三者審査登録制度を実現しないと、本当に認証制度は消滅してしまいます。

私は審査員でもなく、審査機関とも縁がない、企業のISO事務局でもない単なるISOマニアです。しかし私が第三者認証制度を心配しているほどに、その制度で糧を得ている人々が真剣に改善策を考えているとは思えないのです。

レミングの行進が都市伝説であることは承知の助です。 
ISO関係者が手をこまねいて何もせずに滅亡するならそれも良いのですが、そんなこっちゃレミングに笑われますよ 


私が90年初頭にISO9001に関わってから10数年、うそ800という駄文を書き始めてから5年になる。この短い期間でもうISOの旬は過ぎてしまったのだろうか?
私は第三者審査登録の始まりから終わりまで看取るものの一人になるのだろうか?

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