順守評価 5たび 08.09.06

今日は先日の環境法違反に続いて順守評価について真面目に考えたい。
そんなことを言うと「いつもはまじめに考えていないのか?」という突っ込みが来るだろうと思う。実を言って真面目に考えていないような気がする。
おっと誤解のないように。
私は自分が考えて発言しているのではなく、ISOの神のお告げを語っているのではないかと思う。つまり、ISOの神は地上に神を信じない人が増え乱れているのをお怒りになり、それを正すために私をお召しになり、私の口は神の言葉を伝えているのではないかという気がする。  私は預言者である。
予言者と間違えないように。違いがわからないなら辞書を引いてください。


注)この文では順守と遵守、順法と遵法を全く同一として扱う。文中双方が混在してもそれは変換のばらつきにすぎない。

組織に「ISOのための仕事」はないはずだ。すべての組織・会社は社会に貢献するために存在し、そのための業務があり、それを執行するためにさまざまな部門がある。
ISO規格で定めていることは、これら企業の本質的な業務がどうあるべきかであって、会社が発祥してからしていること以外に付け加えることはないはずだ。ISO審査とは、この会社の業務が会社存続のために必要十分であるか否かを点検することであると確信している。
もし、このスタンスに異議ある方はぜひとも議論したいと思う。といっても正直言えば、そういった基本を理解していない人とは話したくない。
ISOは知っていても会社のお仕事も知らない人と話すなんて、アホらしいじゃないですか。 
会社を知らない=社会を知らない?

順守評価というものもISOのためにするのではないことは自明である。
そもそも法を守ることは自然人にしても法人にしても、最低限の義務である。だが最低限の義務とはいえ、それを守らない自然人も法人も極めて多い。だから毎日のように個人や企業の犯罪が報じられている。そして環境法違反も数多くある。
組織は自然人と違い、規模が大きくかつ長期にわたって存在していくものであるから、己が法を守っているかを確認する仕組みを必要とする。つまりそれは内部の経営者・管理者に「当社は環境遵法に関して問題ありません」とか「こういった違反がありました」と説明できることであり、外部の行政や利害関係者に対して「当社の遵法状態はこれこれです」と説明できることである。
今はやりの言葉で言えば、説明責任を全うできるようにするための確認行為である。
そういう考え方にご異存はないでしょうか?
環境保証については別途論じている。とりあえずここでは順守評価がISO規格ではじめてでてきたのではなく、組織の本来の機能であることを理解してもらえば良い。

今までは前提条件の確認であって、これから本題である。
さてISO規格では
「4.5.2.1
順守に対するコミットメントと整合して、組織は、適用可能な法的要求事項の順守を定期的に評価するための手順を確立し、実施し、維持すること。
組織は、定期的な評価の結果の記録を残すこと。」
「じゃあどのような方法で順守評価をしたら審査で問題ないだろうか?」と考える方は多いと思う。ISO事務局の9割はそうではないだろうか?
前に述べたようにすべての業務は会社のためであり、順守評価は会社の遵法を確認にするためのものであり、また経営者や外部の人たちに遵法を説明するための根拠である。つまりISO審査を考える前に、順守評価を行う者自身が確信を持てる仕組みであることが最重要であり、そしてまた内部と外部に遵法を説明できる、納得していただける仕組みでないと意味がないことになる。
これを共通認識としたい。もしこの私の論に同意されなければ以降を読む必要はない。
審査においては会社の仕組みがISO規格に適合しているだけでなく、それをはるかにしのいでいることを説明するのがあなたの役目である。
あなたがお守りしているのだから、そのシステムはあなたの会社に適しているだけでなく、有効であり、効率も良いのは当然だ
自信を持って説明したまえ。

ところで順守評価については過去にいろいろな通知がでている。己自身が確信を持てるものでなければならないとはいえ、世の中ではどのようなものを想定しているのだろうか? 順守評価といってもひとくくりにできないことは明白だ。
排水のデータは時間的にも数値的にも連続的であり、定期的あるいは連続的に順守評価をしなくてはならない。
マニフェスト票などは大量に交付するだろうし、他方公害防止管理者の異動などはめったにないだろう。
順守評価の方法はどうあるべきか?と言われても、対象とするものによって順守評価方法は変わるし、変わらなければならない。

多くの企業はどのような方法をとっているのか。
私の知っているものとして次のような方法がポピュラーである。
「本日の結論はなにか?」とおっしゃいますか?
待ってました。
「順守評価とは、
 ISO規格でこう書いているからと考えるのではなく、
 己自身が確信が持てる方法でなければならない。」
ということです。
そしてそれは単一の方法ではなく、法規制や業務や会社の特性を考慮して、有効で信頼できる方法でなければならない。画一的な平板的な順守評価の仕組みは形式化し意味がない。
あなたの会社に合わせて、内部も外部も遵法を確信できる仕組みでなければならないということです。
もしあなたの会社がこの駄文で書いた遵法を確信できる順守評価方法でなければ・・たぶんその確率は80%以上だろうが・・順守評価の仕組みを見直す必要がある。

ISO規格で順守評価が一つの項番として独立したのは2004年版である。しかし1996版でも順守評価の項番はなかったが遵守の確認はあった。(4.5.1の第3パラグラフ)
まして順守評価というのはISOのためでなく、組織存続のための確認行為である。だから順守評価というのは何でいまさら超初歩的なことを語るのか?と疑問を持たれた方は多いだろう。
その答えは非常に簡単である。
その証拠はにこれほど環境法違反があるのだから順守評価が役に立っているはずがない。
「お前が日本中の組織の順守評価の仕組みを知っているはずがない」とおっしゃる方がいるはずだ。
そのとおりでもあるが、そのとおりでもない。
私は日本中の組織の順守評価の仕組みなどみたことはないし、具体的にどういうものか知る由もない。しかし冒頭にあげたよう多くの環境犯罪が起きていること、そして類推すると報道されない環境犯罪、行政や外部に見つからない環境犯罪、組織自身が検出していない環境犯罪は極めて多いだろうと確信する。そして犯罪でない法違反を含めれば、その数は更に多いことは間違いない。
だから預言者である私はそれをたださんと声をからして話さなければならないのだ。


いや、久しぶりの休みはキーボードが走りすぎ6千字も叩いてしまいました。所要時間は朝7時からただいま10時まで、3時間かかりました。
しかし下書きもなく一応つじつまが合うような文章をかける私は天才かしら?
お読みになられた皆さんもお疲れ様でした。



のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.09.07)
順守評価 5たび
オバQ様曰く
「法規制や業務や会社の特性を考慮して、有効で信頼できる方法でなければならない。画一的な平板的な順守評価の仕組みは形式化し意味がない。あなたの会社に合わせて、内部も外部も遵法を確信できる仕組みでなければならないということです」
仰る通りですね。本当はこの「外部も遵法を確信できる仕組である」ことを示すために認証登録制度があるべきであり、そうでなければやはり認証登録制度への信頼も回復できないと思います
。認証機関は、よく言われている「経営に役立つ審査」よりは、「社会に保証を提供する認証登録」の重大性についてもっと真剣に考えるべきでしょう。組織の仕組みの有効性をみるには、実務にもっと接っして、検査に近い審査になる必要があると思います。審査員のカンと度胸、対話力及びコミュニケーション力等をベースとした審査では、認証登録の審査としては軽すぎる気が・・・

のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。
こんな役に立たないところに毎日のようにご訪問いただき感謝感激であります。本来ならこんなところでなくISOの価値をもっと上げようという権威あるウェブサイトで語っていただきたいところです。
それはさておき、
結局、ISO認証とは何か?ということでしょう。
本来第三者認証とは、顧客やその他のステークホルダーに対して一定水準を満たしていることを証明することでした。
しかし今は、組織の経営に寄与するためのものだそうです。一般社会に対する責任はどこに行ってしまったのでしょうか?
ここが審査する側と一般社会の期待の乖離の始まりではないでしょうか?
品質保証ということを考えてみましょう。
品質保証とは製品品質を保証することではありません。しかし内部外部に対して、この製造システムはしっかりしているぞということを宣言するものです。
会社の品質システムを良くするということは結構なことですが、顧客は会社の品質システムが良くなって、付随的あるいはその影響を受けて品質保証も良くなるだろうとワンアクションを経たものを期待するしかないのでしょうか?
なんかおかしいですね!?
ところで審査員も会社の経営に寄与するような審査する力量があるのかということが重大な論点となります。
マネジメントシステムの審査というなら、会社の経営というのを知っていること、相手の企業の体質、体力、文化、風土というものを理解して、IAFの基準内で導くことができることが最低条件です。はたしてそのような経営コンサルができるような審査員が何パーセントいるかと思えば、数パーセントはいないことは間違いない。
そしてそのような高度なことができないなら、規格をしっかり理解して、法律を知り、実務レベルの審査で勝負するスタイルをとるべきです。それなら私にもできそうです。
現実には、それさえもできない審査員がたくさんいることを私は知っています。現実はそんなものです。
審査とはカンと度胸でできるようなものとは違います。少なくともお足を頂ける審査は難しいでしょう。
そういった現実を認定機関が知っているのか? 認証機関のお偉方が知っているのか? 審査員自身が自覚しているのか? 甚だ疑問であります。
かっこいいこと、いや理想は高く持っても、足元がおぼつかないなら転ぶのは当然です。
ここは古人の言葉を借用して「汝自身を知れ」と結論しておきましょう。


高橋様からお便りを頂きました(08.09.09)
順守評価5の誤植
いつも更新を待ち遠しく、楽しく拝見しております。恥ずかしながら貴兄のご案内でEA-7/04を確認いたしましたところ、下記部分は番号違いの誤植と思われますのでご連絡いたします。
「3.7.4 4)組織が行った順守評価が、特定された法的要求事項のすべてを網羅しているかを点検する。」
は、”3.7.4 3)”のようです。

高橋様 ご指摘ありがとうございます。
私の間違いです。さっそく修正しました。
今後ともレビューをよろしくお願いします 


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