「つくられた環境問題」 2009.07.18

著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
日下 公人
武田 邦彦
ワック4-89831-603-02009年6月17日857円全一巻

タイトルが過激である。表紙に添えられた文句も「NHKの環境報道に騙されるな」である。
私のように地球温暖化を疑い、環境保護を嫌い、NHK大嫌いな人間ならまさに「猫にまたたび」、飛びつくようなタイトルじゃないか 
しかし中を読めば「環境問題はウソッパチ」なんて書いてなく「NHKをボイコットしよう」なんてこととも無縁であり、センセーショナル(扇情的→情欲をあおる)でもなく、トンデモ本ではない。タイトルは売らんがためにつけたように思える。
今までの武田先生の主張とかスタンスが嫌いだという人も多いだろうが、ちょっと雰囲気は違います。常識的、まじめ、まっとうと言ったらいいかな? そうすると、今までの武田本が真面目でなくまっとうでないように聞こえるが・・確かにそういう感じはする 

書いてあることというか、日下さんと武田センセイの対談は、そんな反環境保護的なものではなく、それどころか実は環境問題を語っているのでもない。もちろんお二人は環境問題をメインというかダシに語っているが、そこで語られていることは、日本はいい国だ、しかし日本の政治はおかしいよ、そして教育がかたよっていて日本人を洗脳しようとしている、マスコミはジャーナリズムを忘れている、とまあそんな事柄である。
この本が訴えているのは、日本人よ誇りを持ちなさい。しっかりと働いて正しく生きていくことは素晴らしいことで価値があるのだという二宮金次郎的お話である。

しかしおふたりのマスコミ不信は強い。マスコミは、なんでもないこと、そもそも問題じゃない環境問題を持ち出して、その騒ぎを大きくし、そして日本人をある方向に走らせようとする。牛込柳町鉛中毒事件が捏造報道の走りだという。
牛込柳町鉛中毒事件というのは私が若い時の大事件であった。当時は私は環境問題など関心がなく、ほう有鉛ガソリンは毒なんだ思っただけで記憶から消えた。あれはまったくのマスコミのミスリードあるいはウソ報道だったという。
インターネットにも多々記事があるが、現時点では確固たる調査報告は分からない。
下記のような記事を見つけた。
http://www.nozei.com/index.files/health/life/Vol152.pdf
1972 年5 月21 日、最初の報道から約2年後の新聞には「異常なしに安心、目下の感心は再開発」との見出しに変わった。報道が間違っていたとは書いていない。火のないところに無理矢理、煙を立てるというようなもので、騒いだら何かになると考えたのだろうか。
しかし、私は、この牛込柳町の事件で新聞は味を占めたのではないかと思っている。ウソをついても大丈夫だ、事実を確かめずに報道しても良い。
そして、それが後で間違いだと分かっても「結果的に鉛に対する認識が高まったから良いじゃないか」という論法を使う癖が付いたようである。
「ウソをついたから改善されたのだ」という論理は、「自分が正義だと思うことなら何をしても良い」という利己的な社会を作るだろう。
しかもマスメディアは協力して問題をあおり、社会不安を引き起こすのが務めと認識しているようだ。そこには公平客観性という報道のスタンスはない。あるのは視聴率競争、マスコミの影響力増大、マスコミは神だという思い上がり・・などなど
そして教育は教育で、子供たちに論理立てて考えることを教えない。だからマスコミの扇情的、非論理的な報道やキャンペーンにやられてしまうのだという。あるいは、マスコミの言うことを信じる考えない国民を作るのが目的となっているのだろうか? 特につい最近までの「ゆとり教育」は日本をダメにした。20世紀後半に日本が製造業世界一となったのは大勢の勤勉で一定レベルの技術者・技能者がいたからだが、今はもう工学系の卒業生は減る一方。金もうけの学部ばかりがもてはやされている・・お二人はそんなことを憂いる。

しかし日本を悪くしよう、悪くしようという人たちが現実に存在し、騒ぐのはなぜなのだろうか? そうすることで何が得になるのか?
偏向報道、偏向教育、自虐史観を唱える機関・団体は、どうしようもない全共闘世代が社会を牛耳っていることもあるだろうし、お金儲けということももちろんあるだろうし、そして政治的主張、特定アジアからの影響もあるのだろう。

この中で武田先生が「長年研究してきてわかったことは、自分が今考えていることはほとんどが間違っていることだ」という。
うーん、分かる・分かると思う。頭で考えるのではなく、私は過去60年の人生と40年間の仕事を思い返すと全く同感、納得である。
私の人生で成功したとか失敗したというのは数あるが、あれは正しいことをしたという記憶はない。結果として良くても、みんな試行錯誤と右往左往でしかすぎなかったように思う。まあ、人生など後から考えると皆そんなものかもしれないが・・
岡目八目という言葉がある。囲碁を打つ人より見ている人の方が良く内容が分かるということだ。確かに自分の人生の決断、結婚、借金、就職などを思い悩んでいるより、傍目で見ている人の方が良い選択肢が見えるかもしれない。
しかし、その試行錯誤、勘違いがその人の人生であり、それが間違いだなどとはわきの人は言ってはいけないのだろう。
しかしながら、このように大勢力を持つマスコミ、日教組の洗脳攻撃にもかかわらず、日本人、特に若い人たちにまっとうな人がいてまっとうなことを主張しているということは、日本も捨てたもんじゃない。
そう感じた。

武田先生のたまわく
これまで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、これでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ。
おばQ 返歌
これまで人類は何万年も過ごしてきた。いま、ここに環境危機で人類が滅亡するなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ。

じゃあ、次のようなことも言えるのだろうか?
これまで日本は2千年ずっと独立国として存在してきた。いま、ここに日本が崩壊するなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ。
いや、とてもそうは思えない。
日本崩壊を止めることができなかったことを、過去2千年間の祖先に対して恥ずかしく思うだろう。
しかし日本は日本人だけのものじゃないですと語る人は、日本崩壊を誇りとするのだろう。

本日の疑問
鳩山由紀夫はテレビで「日本列島は日本人だけのものじゃない」と語った。(2009/4/17)
では一体だれのものなのだろうか?
そんなことを言う人は、日本人じゃありませんよね? 


KY様からお便りを頂きました(09.07.19)
エコ商品の販売は真っ当な商売?
よく企業広告や求人誌やサイトで「エコ商品の販売」を業務内容に掲げる会社が多いですが、昨今の情報を総合すると眉唾物の商売に見えてきましたが、私の偏見でしょうか?
それにスーパーのレジ袋が有料化されてかなり立ちますが、その売り上げの使い道ってきちんと公表されているのでしょうか?もともとレジ袋は「原油の絞りかす」から作られているので、使用量を削減しても全く意味がないどころか「資源の有効活用」に反するのではないでしょうか?レジ袋の売り上げも「カスラックの徴収する著作権料」と同じ運命を辿らないかと不安です。
KY様 毎度ありがとうございます。
エコといいましても、エコロジーもありますし、エコノミーもありますし、エーコブリッコというのもあります。
私もサラリーマンですが、企業にとってエコとはビジネスのネタであることは間違いありません。そしてそれを否定しちゃいけません。
スーパーのレジ袋が有料になったといっても、昔々は買い物に行って入れる袋をもらえるなんてことはありませんでした。1970年前には買い物には買い物かごを持っていくか、風呂敷を持っていったのです。
レジ袋が有料化されたのは、スーパーも厳しくなったのだろうと思うのが普通でしょう。
私は専門外ですので「原油の絞りかす」かどうかは存じ上げません。カスラックのお金がどこにいっているのかもわかりません。しかし私たち消費者は購買という行為において、買う場所、買う時、買う方法を主張し選択することができ、その結果、企業に対してフィードバックをかけることになると思います。
いずれにしても世の中、環境と言いながら己の利益確保のための行動が多すぎです。
ハイブリッドがいいという大学の先生は、海外出張のさい飛行機でハイブリッドカーで削減したCO2の数十倍のCO2を出すと思われます。
わざわざエコバッグを売るより家庭にある袋をお持ちくださいと言った方がよさそうですし、学校で環境教育をする前に無駄をしないしつけをした方が良いでしょう。


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