考えることっておもしろいよ 2009.10.18

私は昔からつまらないことに疑問を持ち、それをずっと考えるくせがある。若い時から「ある日突然人間がいなくなったら、この世界はどんなふうになるのだろう?」ということが疑問だった。木造家屋は何年くらいでどのような崩壊の過程を踏むのだろう? 道路は年月が経つとどうなっていくのだろうか?電信柱は何年で倒れるだろうか?そんなことを考えていた。
もちろん、田舎では廃村もあるし、廃屋は至る所にある。また家が見捨てられればそこまでの道路は人も車も通らなくなる。そんな道路もまたたくさんある。だから木造の家はどんなふうに壊れてやがては土に返るか、舗装道路があっというまにひび割れし、草木によって砕けていくかということは知っていた。しかしコンクリートの建物とか高架鉄道がどのような過程で崩壊していくかは想像もつかない。

「人類が消えた世界」
著 者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
アラン・ワイズマン早川書房4-15-208918-22008年5月15日2000円全一巻

クリックして!おもしろいよ そんなことを真面目に考えて本にした人がいるのを知った。アラン・ワイズマンという人が「人類が消えた世界」という本を出したのが2007年だった。日本語訳がなかなかでず、我慢しきれず英語の本を買って読んだ。私の英語力では半分くらいしか理解できなかった。その後1年以上たって日本語訳が出たのでそれも買って読んだ。
「人類が消えた世界」で大都会やその他人類が構築した建造物が、いかなる過程を踏んで自然に溶け込んでいくかということが書いてある。もちろんそれが100%正しいかどうかは分からない。

過去に人間が立ち去った、あるいは立ち入らなくなった地域はいくつもある。チェルノブイリ、核実験場のマーシャル諸島、金属イオンに汚染された渡良瀬、それらのすべてにおいて動植物が人間の手が入る前に戻って、それこそ生物多様性が実現されているそうだ。
そんな現実を見ると、「人類が消えた世界」は科学的裏付けがあるまっとうな本だと思う。
アメリカではテレビ番組で人類滅亡後の地球はどうなるのかを描いた「Life after people」とかあるらしい。
もちろんすべてが人間の手が入る前に戻るのか?と言われるとYESとも言えないことは確かではある。ギリシアの荒れ地が再び森林に覆われるのか?モヘンジョダロの塩害は消えるのか?先ほどのチェルノブイリ放射能汚染が消えるのは数万年先なのは確かなことだ。
まあとりあえずは「ある日突然人間がいなくなったら、この世界はどんなふうになるのだろう?」という疑問には答えが得られたので安心して眠れる 

お人によってはそんなこと無駄!意味なし!おれが死んだら世界は意味を持たない。そんなことを考えている暇があれば1円でもお金を稼いだほうがいいなんて言う人の方が多いかもしれない。まあそれは置いておく。
そう言えば、「誰もいない森で倒れる木は音をたてない」なんてことを語る人もいる。これは音の定義次第ということでしょう。音が、物質の振動のことなら存在し、人間が知覚する情報を意味するなら存在しないことになる。

お題を変えます。
ジュースやビールの飲料缶を考えてみましょう。縦と横の比はどうして決まるか考えたことがありませんか?
疑問はいっぱいアルミの使用量を最小に内容積を最大にするには、直径と高さが同じくらいが良いらしい。単に面積と体積の比を微分して求めれば出る。しかし実際に売られている飲料缶は理想形よりはずっと細長い。これはなぜだろうか?
諸説あるが、一説には開け口のプルタブは純アルミでなければならず側面の材料より単価が高いので直径を細くすることが材料費削減になるという。しかし店頭展示したときにずんぐりの飲料缶よりも見た目が良いからという説もある。プルタブ付きの缶入りの水ようかんは縦横比がほぼ等しいことから考えると後者の説が正しいのか?

更にまたお題が変わります。
くびれなんてコマーシャルありましたね 男性の服のサイズはセンチ表示で、女性の服のサイズは○号というのはなぜなんでしょう?しかも同じ号数でも同じ年代でもその服を着る年齢によって、また時代によって大きさが異なるというのです。不思議ですね〜
そんなこと家内に言ったら「あたりまえじゃない」と言い返された。家内のたまわく、「年配者の服は同じ号数でも大きくしておけば気分よく着られ、売れるじゃないの。誰でも歳と共に太っていくから年齢によって太っていくのに合わせて同じ号数でも大きくしていくのよ」とのこと。
女性はそれを知っているんだ
とすると一人の女性が同じサイズを着られなくなったということは、平均以上の肥満になったということになる。
男性はアホだから、機械的に巻き尺で図ってそれに合わせて買うだけなのだろう。
一生の間同じ号数の服を買って着るのと、太るにつれて大きな寸法の服を買うのと、さあ、どっちがいいか?

また話が変わる。
小泉さんの時代から、格差拡大と言われ続けている。格差拡大ってどんなことなのか?何を持ってそう言えるのか、私には全然わからない。小泉さんジニ係数とか貧困度とか怪しげな指数が言われるがその意味も良くわからない。
みなさん時代と共に、貧しくなっていますか?
新聞の世論調査や組合のアンケートなどでは、常に「前年に比べて暮らしが苦しくなった」というのが上位に来て、決して「前年に比べて暮らしが楽になった」とか「前年に比べて暮らしが豊かになった」と答える人はほとんどいない。
すると日本人は毎年、毎年暮らしが貧しくなって、21世紀の現在では着るものを買う金もなく、食べるものも食べられず、みながホームレスになってしまうのだろうか?
私は統計データを見るまでもなく、それは全部 だと言い切れる。
なぜか?
だって毎日の通勤、日常の買い物、どこに行ってもぼろをまとっている人を見たことがありません。私の子供の頃貧しい人たちのために古い服を学校に持ってきてなんて言われて、貧しい我が家から古着を持っていったものです。今の日本ではプレミアムの付くような服でなければ古着はゴミです。
日本で生活苦の餓死者なんて見たことありません。餓死までしなくても飢餓状態の人を見たことがありません。ホームレスの方が私より健康そうです。
私は毎朝、東京駅の地下で大勢のホームレスを見ていますから間違いありません。札幌の地下街でも大阪梅田の地下道でも福岡の大濠公園にもホームレスはいますが、やせ細ったホームレスは見ていません。私は日本中を歩いているのです。
あなた、栄養失調になるとどんなふうになるかわかりますか?
骨と皮になるというのはブー、
手足は骨と皮になりますが、おなかが膨れてくるのです。どうしてなんでしょうか、私にはわかりません。とにかく現在の日本では栄養失調の人は見かけません。
日本の家庭での車の保有台数はもう飽和状態のようです。台数が増えないけど大きな車が増えて小型車は減っています。走っている車を見ると3ナンバーが多いこと。もちろん昔と3ナンバーの規格が違いますが、それはたいしたことじゃない。私の子供の頃お金持ちがスバル360に乗ってました。いえ、スバル360が買えればお金持だったのです。1960年代、一般庶民は自転車、少し余裕のある人は50ccのバイクを買いました。21世紀初頭のインドが私の子供の頃の日本ですよ。いやあ、半世紀の間に日本人は金持ちになったものです。
それは過去の話で、ここ20年は毎年貧しくなっているとおっしゃいますか?
あなたもしつこい人ですね  残念ですが、それもブーです。
そりゃ年によって若干の凸凹はありますが、常に「前年に比べて暮らしが苦しくなった」なんてことは絶対にない 断言

まあ、世の中疑問に思うことはたくさんあります。
そんなことを毎日通勤電車で考えると結構面白いのです。そして気になったことはインターネットとか本で調べて疑問を解消する。そんなことを日常していたら博識というのではありませんが、考えるという習慣がつくでしょう。そうすると変な話に騙されなくなります。それは生きていく力だと思います。
「どんなことを考えたらいいかわからないわ!」
そんな気の弱いことを言わないでくださいな。そういう方のためにお似合いの本があります。

「日常の疑問を経済学で考える」
著 者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
ロバート・フランク日経4-532-35298-12008年2月21日1800円全一巻

「日本はなぜ貧しい人が多いのか」
著 者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
原田 泰新潮社4-10-603648-42009年9月20日1200円全一巻

それぞれ何十ものテーマ(というか疑問)について1ページから、数ページの短い考察があります。その解説が全部正しいとは思えません。いや明らかにおかしいと思えるものもあります。でも考えるテーマとしてはすばらしい材料だと思います。
ほんとはいけないことですが、いくつか例をあげましょう。 もし一冊だけというなら「日本はなぜ貧しい人が多いのか」は止めた方が良い。なぜかというと、二つ理由がある。ひとつは中身も表現も三橋貴明の二番煎じであること。もうひとつは、記述が主体的でなく傍観者的であり、ペシミズムを感じる。要するに読んでいて楽しくないのだ。



KY様からお便りを頂きました(09.10.19)
本当に「考えること」って面白いですね!
今朝の朝刊に「CO2 25%削減は却って収入増」という記事がありました。何でも麻生政権は25%削減の経済的影響を試算したとき、各家庭の収入増の可能性を導き出していたが、それを隠していた、ということです。
これだけ観れば「25%削減はいいことじゃないか」と早合点しそうですが、記事の結びに「この場合、前提条件によって可処分所得の予想値が違ってくるので、経済学的に意味が無く具体的な金額は公表できなかった」とのくだりが・・・
そもそも25%削減だって、充分な試算もせずに思いつきで為された発言ですし、「どうすれば所得が増えるのか」についても生地では具体的言及が為されていません。負担増のシュミレートが比較的具体的に為されているのに所得増のシュミレートは記事からはうかがい知ることは出来ません。
所詮これも鳩左ブレ政権に対するフォロー記事に過ぎないのでしょうか?

KY様 毎度ありがとうございます。
ハトポッポの25%削減発言に、産業界はまっさおというのが実情でございます。
そして外国からも、鳩は鳩並みのノーミソしかないと思われたようでございます。
まあマスゴミが何をいっても金もかからず責任も取らず・・・いい加減なことです。
ところでKY様、日本産業で使用しているエネルギーは1970年と比べて何倍になったと思いますか?
実は変わっていないのです。
増えたのは運輸と家庭、つまり省エネする責任は家庭と運輸、しかしその半分は自家用車、さあ、KY様、25%削減してもらおうじゃないか 


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