持続可能なんてない/「キリンヤガ」 2009.11.03

社会というのは長い目で見るとある一定方向に進化していくようで、意思を持っているように思える。いやもちろん社会が変化するのは、人間がそう望むから変化するのだ。
人間は稲森和夫のような聖人君子も私のようなろくでなしも等しく、安楽を好み、物質的豊かさを求め、自分の欲を満たそうとし、そういう社会を作ろうとする。それが原動力となって社会が進歩していくのだろう。それが良いことなのか、悪いことなのか、なんて言っていられる時代は良かったに違いない。
あんたの時代は良かったあ〜♪と沢田研二が歌ったのは1979年である。
いやはや沢田が歌った時代でさえ、今よりはるかに良かったに違いない。
なにが良かったか?と言えば、地球が破滅するとは考えもしなかったから

今、地球は人間が増えすぎ、そして先進国の人はより豊かな生活を、開発途上国の人は先進国の暮らしを目指しているから、消費されるエネルギーも資源もうなぎ昇りだ。しかしエネルギーも資源も無尽蔵ではなく、使えば減るし、やがてなくなる。そしてエネルギーも資源も使えば廃熱となり、廃棄物となる。

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排熱は地球温暖化を引き起こし、廃棄物は大洋も極地もゴミで埋め尽くされようとしている。
まず現代は人が多すぎる。イエス・キリストの時代、地球の人口は2億人と言われている。そしてその人たちは、質素な暮らしをしていた。自動車もなく電子レンジもなくテレビも持っていなかった。そして乳児死亡率も高く、人生わずか40年程度だったに違いない。ローマの元老院議員になる年齢が30歳以上というのだから、当時は30歳になれば大人どころか老齢の一歩前とみなされていたに違いない。
日本の平均寿命が50歳を超えたのはいつかご存知の方いるでしょうか?
織田信長が人生わずか50年と謡ったから戦国時代だろうって?
今から、たったの60年前、1947年頃のことなのです。
そんな社会は2000年前に終わったのでもない。江戸時代に町人も武士も40代半ばで隠居したと聞く。家督を息子に譲り、後はのうのうと暮らした・・と言えば楽しそうだが、そうでもない。当時の平均寿命は40歳くらいだったのだろう。もちろんだからといって40歳になればみな死んじゃうわけではないが、せいぜいが60歳まで生きれば御の字だったと思う。落語に出てくる長屋の大家さんが50前なのは間違いない。松尾芭蕉が奥の細道に出かけたのは45歳の時、奥の細道の描写を読むと既に老人であったに違いない。そして芭蕉は50歳で死んだ。
../Pyramids.gif いや、江戸時代にしても、ローマ時代にしても、人間の長い歴史から見れば文明社会だ。縄文時代の平均寿命は14歳程度と言われている。14歳しか生きなければ、子孫の再生産ができないなんていっちゃいけない。要するに乳幼児の死亡率がとんでもなく高かったのだ。一人前の子供になれば死亡率は相当低下したに違いない。もちろん現在と違い、人口ピラミッドはもちろん三角形だったろうとは思うが。

人間の寿命が延びたのは、医療のおかげという人が多いだろうが、そうではないらしい。ひとつには栄養状態が良くなったからであり、もうひとつは衣類が良くなったから、そして清潔になったからという。
中世のヨーロッパでペストが流行すると人口の何割も死んでしまったのだが、現在の人であればペストに感染してもそうそうは死なないのではないだろうか?
HIVに感染しても先進国では多くが10年以上生存しているのを見てもわかる。そして開発途上国でHIVになれば数年も経たずして死亡するのだ。結核は現在でもそうとう感染者がいるらしいが、結核で死亡したなんて騒がないのはやはり栄養が良くなったからだろう。
人間社会は良いものを食べられるようになり、楽な暮らしができるようになり、その結果死亡率が下がり、寿命が延びたのだが、人口問題、環境問題が起きてしまった。
そこで頭のいい人は持続可能性なんてアイデアを売り込み、今現在はみながそうだと賛同している。
持続可能社会って理屈から言って可能なのだろうか?
そもそも持続可能性とはなんだろうか?
持続可能な社会とは原始社会だという人がいる。少なくとも人間社会が同じ状態で継続したのは原始社会だけらしい。日本をとらえてみても、奈良時代、平安時代、鎌倉時代・・・江戸時代とくだるにつれ、人々の暮らしも、食べ物も、着るものも、武器も、どんどんと変わっている。平安時代における暮らしの形態がずっと続いたのではない。平安時代の生活様式は持続可能ではないように思える。長く続かなかったから持続可能社会でないのではない。持続可能社会であると証明されていないということだ。
日本で持続可能と言えるのは縄文時代くらいではないのだろうか?
縄文時代とは今から16500年前から3000年くらい前までとされている。弥生時代はその後の3000年前から西暦300年頃までの1300年間という。縄文時代が13000年続いたなら、それは人間の時代感覚から言えば無限であり、その社会は持続可能だと言ってもおかしくないだろう。とはいえ、その13000年の間、技術や文化の進歩がなかったかと言えば、それはやはりあったわけで、土器型式上の区分から、縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に分けられるそうだ。まあ現代に比べれば非常に進歩がゆっくりだったと言ってよいだろうと思う。
進歩が遅いということは悪いことではない。持続可能とはそういうものだろうと思う。
もちろん21世紀初頭の現在の文化というか暮らしぶりから進歩しなければ持続可能というわけではない。エネルギー消費、資源消費(浪費?)が少ない状態で進歩が遅ければ持続可能と言えるということだ。
実証された持続可能性社会というものが原始社会しかないならば、現代の文化を維持する持続可能性社会が存在できるのかというと、不可能のように思える。
二酸化炭素排出を半減するとか、四半減するとか、つつましいことを語るのではなく、自然エネルギー以外すべて捨て去り、素っ裸になって生きていく道を選ばなければ持続可能ではないように思う。
じゃあ、そんな社会を人間が選ぶことができるのか?
安楽で安全で長寿命が約束された現代の人間が、持続可能を達成するためにそれらをすべて捨て去り、縄文時代に戻ることができるのか?

「キリンヤガ」

著 者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
マイク・レズニック早川書房4-15-011272-X1999年5月31日820円全一巻

この本はもう10年も前に読んだ。なぜか再び読みたくなり、古本屋で買った。
遠い未来、小惑星に自分たちが好きな社会を作り、そこで生活することができる時代が来る。昔ながらのサバンナの生活をしようという思想のケニア人たちが一つの小惑星に、ヨーロッパ文明に触れる前の昔のサバンナの生活を再現する。だが、その社会は持続可能ではなかった。人々は慣習が支配する不条理な生活を嫌い、進歩を求め、サファリの生活は崩壊してしまう。
物語は本を買ってください。ストーリーを書くのはご法度になっております。
だがそれは、すぐそばに高度な文明社会が存在したから崩壊したのではないだろうか? もし文明が完全に崩壊して、原始的な生活しか存在しなければ、原始的な持続可能社会は継続したのではないだろうか?
いや継続しないだろう。
人間は己の知恵で、改善を繰り返し、新しいアイデアで発明し、そして再び文明を作り上げるのではないだろうか?
そして、再び文明は自然が許容できる範囲を超え、そして社会は崩壊する。
何かそんな気がする。

人間は存在すること自体罪なのだろう。
原罪は重い。



KY様からお便りを頂きました(09.11.03)
「健康で文化的な最低限の生活」は持続可能か
環境NGOやそれに付和雷同するマスゴミは口を開けば現代の物質文明を批判しますが、「無駄」があるからこそ「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されているのでは無いでしょうか?
勿論全ての無駄が許されるわけではありませんが、「文化」とはそもそも経済活動の無駄な部分から派生していると足りない頭で考えていました。以前仰られた「エコ商品」も一見無駄に見えても、立派に経済活動と文化活動の一端を担っているのですから、単純に「偽善」と切っては捨てられないでしょうね(苦笑)。一昔前「自然に還れ」というキャッチフレーズが流行りましたが、そんなことをすれば「健康で文化的な最低限の生活」すら営めなくなるでしょう。やはり今後の人類の活動にも「無駄」はついて回るでしょうね。
ところで、真っ当に働いている人の収入より高額の「生活保護費」を受け取っている人たちが「まだ足りぬ」とばかり母子加算の復活を求めて「沖縄旅行へ行きたい」とか「寿司40皿食べたい」と抜かしているのを観ると、これは「最低限の生活」を既に逸脱しているような気がするのですが・・・

KY様 毎度ありがとうございます。
生活保護の方々も、まっとうな方もいらっしゃいますし、以前はタクシー乗り放題、飛行機乗り放題、日本旅行し放題という方もいらっしゃったようで・・
そんなことをすれば生活保護の予算も底をつき・・持続不可能でっせ
エコ商品を売る、省エネ製品を売る、環境貢献をしよう・・・いいですね、環境問題を飯のタネにするなんて ステキ
まじめな話、KY様、地球はあと何年持つんでしょう?


某氏様から私が稲森氏を尊敬しているのかとご質問いただきましたのお答えします(09.11.06)
私は稲森氏を尊敬しません。
なぜなら、彼の価値観には同意できないからです。
中国への謝罪については、まったくおかしな話であって、もし稲森氏の論理であれば、中国は日本以上にチベットや西域に対して、謝罪し、かつ独立させ、賠償しなければならないでしょ。
またグローバリズムについてもまったく現実認識がないと思われます。
要するに起業家、あるいは資本家の尺度で一層の事業拡大(金儲け)の観点での発想ではなかろうかと考えております。


ふっくん様からお便りを頂きました(09.11.04)
茶々です
最近、爺根性になったのか茶々が多くなりました

まじめな話、KY様、地球はあと何年持つんでしょう?
地球は何年でも持ちます。多分あと数十億年は大丈夫でしょう。(もちろん人間は何年持つのかという意味で書かれているとは思うのですが・・・)
人間がいなくなれば、意識としての地球はなくなるわけでして・・・そういう意味ではこの文章も正しいのかな?いやいや、本当に茶々入れてごめんなさい。
でも職業柄、趣味柄、こういう文句には機敏に反応してしまうのです!
まじめな返事は、また後日・・・

ふっくん様 一本取られた・・・
おっしゃるとおり、地球はちっとも困りません。
困るのは寄生している人間様だけです。
昔読んだ本で、人間が死に絶えたら困る生き物が3種類あると書いてありました。
頭に付くシラミ、脇の下に付くシラミ、陰毛に付くシラミだそうです。
我々もシラミ並みか・・・orz

外資社員様からお便りを頂きました(09.11.05)
持続可能なんてない: 同意です
持続可能な社会:本来は老荘思想にあるように、「小さな村で自給可能で、隣の村の鳥や犬の鳴き声が聞こえるが行き来さえしない」という状況だと想像します。
ですから、ヨーロッパが大航海時代で世界に乗り出した時点で、もう持続可能な社会は無理でしょう。 マイクロソフトが作ったゲームで”Age of Empires"という文明間の戦いのシュミレーションがありますが、この基本戦略は自分の領地の資源を食い尽くして文明を発達させ、強力な軍隊で劣った文明を絶滅させ、資源を収奪することにあります。これほど、明確に文明の衝突を体験出来るものは無いと思っています。
逆の上記のような「収奪による持続」を考えれば、SF映画の如く宇宙に飛び出して地球上の人口が減ればよいのかもしれません。
さもなければ、江戸時代の如く貿易は情報交換などにとどめて、自給自足が出来てからの話のように思いました。

外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。
幸いにして(?)Age of Empiresというそのような悪の権化のゲームは存じ上げませんでした。
人間は本質的に征服し、拡大していくという欲望があるのでしょうか?
白人に限りませんよね、モンゴルはヨーロッパまで攻め入り、ネイティブアメリカ人だって新世界を求めて新大陸に行ったのですから。
ということは人間は滅びる運命なのだ・・と割り切るしかありません。
じゃあ、省エネなんてしないで、温暖化も止めないで、使い捨ての生活を続けましょうか・・
と割り切れないから悩むのですが・・


たけしな様からお便りを頂きました(09.11.08)
佐為さまこんにちは。
いつも楽しく拝見させて頂いています。
特にケーススタディシリーズ大好きで、勉強になります。
ですがケーススタディではなくて「持続可能なんてない。」についてです。
今月はちょうど品質月間で、職場の月例の全体朝礼で品質月間のテーマが「持続可能な社会を作る品質」となっているとの話があり、内心、「どんな品質?次世代エネルギーなど環境関連の製品か?いやいやこれでは品質ではない。これはマネーゲームではなくてきちんとした物をつくり、売っていこうという意味が込められてるのだろう」とそのときは理解したのですが、すぐに「それならば日本ではなくてアメリカや、質の悪いものを平気で作り、環境破壊も何のその(以下略)の中国にこそふさわしいのでは。」とも思っていたところにこの文を読み、何においても持続可能なんて無いよな。と一人パソコンの前で納得してしまいました。

持続可能とはヒトが知恵を持ったために目指すものであり、根っこにあるのはヒトの生存本能ではないでしょうか。

たけしな様 毎度ありがとうございます。
持続可能とはヒトが知恵を持ったために目指すもの
いまいち意味が理解できません。動物は持続可能性という認識さえ持たない。ヒトのみが知恵を持ったためにそういう概念を持ったということでしょうか?
あるいは、知恵を持ったからこそ持続可能性が毀損されたということでしょうか?
どちらにしても含蓄がありますが、どちらにしても解はなさそうです。


あらま様からお便りを頂きました(09.11.09)
持続可能の「解」
佐為さま あらまです
『持続可能なんてない』のところの「人類とエネルギーのかかわり」というグラフの曲線をみて、今の新型インフルエンザの状況を示すカーブを思い起こしました。
今までのインフルエンザの場合、次に描くカーブは急激な落ち込みです。
今回も、おそらくそうしたカーブを描いて、新型インフルエンザは静かになると思います。
マルチ商法と同じパターンですね。

あらま様、異議あり!
マルチ商法は永遠です・・・長嶋監督
インフルエンザには人は免疫を付けるのですが、マルチ商法や振り込め詐欺には・・・免疫がつかないようです。
突然変異が早すぎるのでしょうか??

KEN様からお便りを頂きました(09.11.09)
なにが良かったか?と言えば、地球が破滅するとは考えもしなかったから
破滅するときに、一気にどっか〜んではなく、真綿を閉めるようにねちねちとやられるのが最近わかってきましたね。
いつからか人類滅亡の核戦争の危機と言う言葉がいわれなくなりました。
しかしそれによって、死ぬときには即死が不可能になりました。
拷問を散々されるが簡単に死なせてくれないような死に方です。
例えば中華人民共和國の侵食に寄って精神的苦痛が与えられたあとに、一滴づつ砒素が盛られて80歳くらいまで生きつつも、すぐに死なせてもらえない、そんな未来が見えてきます。死が遠ざかっていても醜い世間はしっかりあるという生き地獄ですね。

KEN様 おっしゃるとおり
年寄りは忘れっぽくていけません。
ソ連が崩壊するまではいつ核戦争が起きて世界中の人が死に絶えるかということが心配事でした。
あの当時は、生物多様性どころか、一生物でも生き残れないんじゃないかと・・
ということは、今の環境問題ってのは、大したことはないんじゃないかと
大けがをしたときは突き指したくらいは気にしません。
今はけがも病気もないので、ちょっとした突き指を大げさに環境問題っていっているのかもしれません。
いや、そうに違いない! 


あらま様からお便りを頂きました(09.11.10)
持続可能の解 - 2
佐為さま あらまです
何か、ロジスティック式の解・・・みたいな話になってきましたね。
それにしても、どうして人っていうものは、分っていても騙されるのでしょうか ?
確かに、小生も酒を止められません。
同じ過ちを犯すことも、人間の特徴なんでしょうか ?

あらま様 毎度ありがとうございます。
同じ過ちを繰り返すどころか、今している過ちを止められない・・
これは人間の原罪です! 断言 


KY様からお便りを頂きました(09.12.04)
エコは高つくし不経済
世の中「エコエコ詐欺」が流行っているとは言え、商売のネタになっていることを全面否定するわけには行かないと頭では解っているのですが、最近インクジェットプリンターの調子がおかしい原因を調べて、「やはり・・・」と思わざるを得ません。
最近コピーにせよプリンターにせよ、出力される画像に縞模様が入って見づらいの何のって。電器店で聞いたら、「リサイクルインクを使っているから」とあっさり。純正品に比べて価格が安いので使っていたのですが、結局「安物買いの銭失い」だったんですね。しかも純正品じゃないから、万一トラブルが発生しても修理は有償になるとか。「資源節約・環境保護」を謳っておきながら印刷の品質は悪い、機械に優しくない、余計な修理の必要がある、これじゃ全然エコになってないですね(苦笑)。そして「文句を言うなら純正品を買え」と言わんばかりの商売姿勢。本当にエコを考えているならメーカーがリサイクルインクを作るべきなのですが、美味しい所だけ取りたいんでしょうね、メーカーは。
DVDプレーヤーのリージョンコードもそうですが、真剣に末端の消費者の方に顔を向けているメーカーって、どのくらいあるんでしょうね(棒読み)?

KY様 毎度ありがとうございます。
私のプリンタのインクを補充したり、安売りを使ったりしました・・過去形です。
結果はやはり芳しくありませんでした。
純正が一番というか、やつらは・・やつらってキ○ノンとかエ○ソンのことですが・・プリンタを売って儲けるのではなく、インクを売って儲けるのでしょうからしょうがありません。
ちなみにエレベーターとかエスカレーターも機械で儲けるのではなく、メンテナンスで儲けているそうです。
その儲けにあやかろうとしてシンドラーのような事件が・・やめておきましょう。
真剣に末端の消費者の方に顔を向けている
KY様!? そんなことをおっしゃるとは、寝ぼけているのでは?


上々様からお便りを頂きました(10.02.05)
持続可能性なんてないについて
ちょっと前の記事ですが、2009年11月3日の「持続可能性なんてない」につきまして、別のサイトで色々話をして一応の一致を見ましたのでお知らせします。
持続可能社会とはその範囲に届く太陽光エネルギーの範囲内で動く社会と考えます。
もちろん、そのすべてを太陽光発電にしてしまえば農作物もできません。それらすべてを加算したものがその範囲内ということです。
そういった意味で見れば薪を燃料と使い段々と森林を減らしていった時代もすでに持続可能ではなかったということです。

今の「文化的社会」の継続は無理でしょう。
これ以上のエネルギーを使う持続的社会というのは偽りと思います。

上々様 毎度ありがとうございます。
旧約聖書で神が「産めよ増えよ地に満てよ」と語ります。当時は人間の人口増加を懸念するよりも、人口が維持できるかを心配する社会だったのです。
地球温暖化が心配だあ〜と言われていますが、100年前、200年前はどうだったのか?といえば、気候が安定していたわけではありません。
現在は否定されているそうですが、気候決定論という考えがあるそうです。干ばつや冷夏で食糧危機になり、それによって暴動や社会の混乱が起きて歴史が織られてきたという考えだそうです。フランス革命の前数十年はヨーロッパでは大変な食糧飢饉だったそうです。関ヶ原の戦いは西軍の領地が不作だったからという説も読んだことがあります。
太陽光を生産者のクロロフィルは効率1%で化学エネルギーに変換します。それを消費者がかすめ取ります。食物連鎖が一階層あがるたびに二次生産の効率は10%で減っていきます。そして最上位の人間様が利用できるのは非常に少ない。以前そんなバカ話を書きました。
しょせん人間は神ではありません。他の生物の命をいただいて生きている動物に過ぎません。それなら分を守って生きていくしかありません。
つまり利用できるエネルギー量が一定限度なのですから、個体の利用量と個体数の積をそれ以下にするしかありません。
hato.jpg ハトポッポ首相が「環境を守るためには人がいなければ良い」と語ったのは政治家としては失言でしょうけど、それは事実です。
といいつつ、人間は楽でおいしいものを食べたいという欲求はなくせないでしょうから、このまんま破滅への道を進むしかないのでしょう。
しかしやがて人間が滅べば地球はまた安定した生態系を取り戻せるでしょう。
ヨカッタデスネ
地球の寿命からすれば、人間が滅んでもまた化石燃料を蓄えて、新たな知的生物が現れる余裕はまだあります。
というか、現在の人間が地上の最初の知的生命でもないように思います。過去何度も化石燃料を使い果たし、オゾン層を傷つけ、温暖化を引き起こし、そして滅んで行った文明は何度かあったのでは・・そんな気がします。


SF物理マニア様からお便りを頂きました(10.02.27)
持続性科学の欺瞞について
はじめまして
Sustainable Science(接続性科学)というのは、今年になってから聞いた言葉です。貴方のおっしゃるとおり、欺瞞の道具として使われています。
CO2地球温暖化問題は、まさしくこれで、私自身が池内了先生のいう第三種擬似科学であるという総括意見を述べてきました。
以下サイト(kikulog)をご覧ください。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256740025#comment_form
擬似科学批判のサイトなんですが、第三種疑似科学に飲まれちゃっているいるんです。
「ミイラとりがミイラになっちゃっている」のが落ちなんですが、わかる人はわかると思います。とにかく面白いサイトなのでごらんになってくださいな。

SF物理マニア様 お便りありがとうございます。
いやあ、ものすごいところですね!
なによりも論が一方的で、総論が一致しているところがスバラシイ!
古代ユダヤでは全員一致の決議は否決とされたそうです。なぜなら、いかなるものにも賛否があるのが当然で、全員一致ということは、熱にうなされたか、圧力があったか、いずれにしろまっとうではないとみなされたようです。
お断りしておきますが、私は近寄りませんよ 


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