ISO14001は時代遅れか 09.01.10

最近読んだ、ご高名なISO-TC委員お二人のISO14001についてのお考えについて感想を書く。
お二人はISO規格に基づく第三者認証の現状を憂いて、そのための規格改定を含んだ改善提案をされている。それを読んだ私はおおいにおふたりのご意見に疑問を感じたのである。
より正確に言えば、そういう考えは実態とずれているのではないかと考えたのである。

寺田 博さんはCEAR誌No.31(2008.12.15発行)に12ページにも及ぶ文を寄せている。
まず次のようなことから始まっている。
ISO9001の認証組織の増加は止まり、減少しつつある。ISO14001の認証もそれを追いかけている。それを脱するには規格を作る人、審査をする人、組織で運用する人がそれぞれの立場で努力し成果を出さなければならない。そして寺田さんは規格を作る立場として何をすべきかを述べている。組織の範囲の決定について、規格の解釈について、継続的改善の考え方についてなど・・
「EMSに欠陥があればパフォーマンスは良くならない、EMSが規格を満たしていてもパフォーマンスが良くならないかもしれない(p37)」と語る。
後段はISO14001の序文にもある文言であり私は同意するが、前段は同意できない。序文では「組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし、かつ将来も満たし続けるため」にEMSが必要と述べている。EMSはパフォーマンス向上の必要条件でもなく、十分条件でもない。「EMSに欠陥があればパフォーマンスは良くならない」は序文に矛盾するし、現実ともあっていない。しかしまあ、これは本日の論点ではない。
根本的なことだが「ISO14001=第三者認証のため」という発想に異議がある。
序文にあるように ISO14001は第三者認証のためだけを想定していない。いろいろな使い方があるのだし、使ってよいのだ。現在の問題はISO規格そのものの問題なのか? 第三者認証という用途における問題なのか? 別の問題なのか? ということがまずはっきりさせなくてはならない。
そもそも、問題をどう定義するのか?
寺田さんは冒頭で認証組織の減少が問題と言っている。認証組織のパフォーマンスが向上しないことが問題とか、認証に対する社会の信頼が得られていないことが問題とは語ってはいない。
しかし認証組織の減少は現象であって、真の問題ではない。もちろん認証機関やコンサルにとっては売り上げ減は事業上の問題ではあろうが、社会にとっては問題ではない。まずここがずれている。寺田さんの論では、認証の減少は問題だ、その解決のために認証の信頼性を上げることも必要だととれるのである。じゃあ、認証件数が減らなければ、社会の信頼を得られなくても良いのか? パフォーマンスが向上しなくても良いのか?
私はそうではないと考える。認証の信頼が得られていないのが問題だ。はたして認証は信頼を得られるようなものであるのか? 信頼をあげるべきなのか? あげることができるのか? などなどを考えるべきであって、認証件数は単なる結果あるいは指標に過ぎない。
そして組織のISO規格の使い方についてコメントしているが、規格をどう使おうとそれは組織の勝手である。このような意図で規格を作ったから、それを目指してほしいという思いはあってもそれを強制することはできない。規格は作成者とは独立した作品である。画家や作曲家がこういうモチーフで創作したのだからそう受け取ってほしいというのはナンセンスであり、見た人がそれぞれの見方、感動を受けてもそれを作者がとやかく言えるはずがない。
もしISO14001が当初の意図と異なって受け取られているなら、規格の文言が不適切だったにすぎない。
寺田氏はまとめとして
 ・客観的評価が困難な要求事項の記述
 ・要求事項の要素の記述について
 ・ワーディングの明確化
をあげている。
私が寺田さんの文書を読んで感じたことは、ISO14001は認証のためではないはずだということが第一であり、次に規格はひとつのスタンダードを示すに過ぎないのだからその記述に不備不足があっても規格の責任ではないし規格制定者が責任を感じることはないということだ。言い換えると規格を作ったからと言ってそう気負うことはない。

吉田敬史さんは日経エコロジー1月号(2008.12.08)でISO14001の弱点を論じている。
外部コミュニケーションの要求が不十分であるという。ここで環境報告書について言及しているが社会というかステークホルダーは現実の環境報告書に書いてあること、いや種々の環境報告書のガイドラインで示している情報を求めているのかという疑問がある。
外部コミュニケーションといっても多種多様である。
近隣住民は環境情報の比較可能性とか客観性や工場省エネがどれだけ進んだとかいうよりも、事故が起きないか、起きたときどうするべきかという情報提供が最優先ではないのか?
現在は工場(サイト)だけでなく製品の環境性能や化学物質含有や廃棄時の方法などが関心事だ。いずれにしても、そういう著しい環境側面の情報提供が最優先するのではないか?
だから第一義には規格にあるとおり、著しい環境側面についてのコミュニケーションであろう。そう考えると現行規格そのままでよいはずだ。もっとも現在のように「組織が決定できる」と裁量を認めるのではなく、「コミュニケーションしなければならない」と規定するべきかもしれない。
「情報公開が拡大すればISO14001の信頼性が高まるだろう」と語る。
本当ですか?
私はまったく見当違いのように思える。今ISO14001認証していることによって組織の評価が高くなることはないのは事実だろう。しかしそれは情報公開していなからなのだろうか? 環境報告書を発行している企業は、そうでない企業より組織の評価は高いのだろうか?
しかしその仮説は事実ではないように思う。
まあ、現時点大企業のほとんどが環境報告書を発行し、そうでないところはエコアクションに基づくものくらいしかないのが実情かもしれない。そういった背景によって発行している企業の方が社会的評価は高いという結論に至るかもしれない。
実際のところ信頼性あるいは認証の価値というのは情報公開は全然関係しない。そんなことでなく、ISO認証しているグループが認証していないグループに比較して事故・違反が少ないなら信頼性は高まるだろう。
それこそがパフォーマンスである!
影響を及ぼせる環境側面の範囲についても、現行の文言でサイトに限定されているわけではない。サイトに限定されると思うのは、規格制定時の経過を知っていることによる思い込みではないだろうか? 
現在の規格を虚心坦懐に読めば、設計や営業やサービスが除かれると理解するはずはない。
「製品に関わる緊急事態という発想はない」と語っておられるがそれも変な解釈である。製品に限らず、持ち株会社であれば管理下にある企業の事故や違反は当然該当すると読めるし、読まない人はおかしいのである。
吉田氏は「現行規格では、製品に法で使用禁止物質を含有していても、緊急事態にあてはまらない」と語っているが、現行規格においてもそれは「環境に影響を与える可能性のある」ことであり、明確な緊急事態である。
力量についても、「開発者や設計者、内部監査、遵守評価の実施者が漏れている」とどうして読めるのか私は理解に苦しむ。規格を素直に読めば、設計も資材も営業活動その他も著しい環境側面に該当するし、内部監査は4.5.5の最後の文章が要求しているのではないのか?
もし設計や資材を著しい環境側面にしていないなら、それこそ4.3.1の不適合だと私は考える。
多くの組織では環境側面というものを良く理解していない。例えば廃棄物そのものあるいは発生源でなく、廃棄物処理業者を著しい側面にしているのが実態で、認証機関も審査員もそう考えているのが多い。そりゃ間違いだろう。
「その証拠はあるのか?」なんて言われても私は困らない。あちこちの有料のセミナーのテキスト、審査員の言動どころか審査報告書に「○○産業は特別管理産業廃棄物を委託しておりあきらかに著しい環境側面であるが著しい環境側面に登録されていない」なんてのはざらに見かける。
おっと、これを読んで書きなおしているのはどなたですか?
アンケート結果を参照して「環境パフォーマンス評価があった方が良い」という声があるから追加した方が良いという。それも本当だろうか?
アンケートに応えた人々は実態を知らないか、リップサービスに違いない。パフォーマンス向上よりも先にすることがあると私は思う。
そもそもISO14001は法順守と環境側面の管理が骨であったはずなのに、紙ごみ電気と揶揄されるようなママゴトISOをしている組織が現在も多いことは何が問題なのだろうか?
簡単である。真の環境側面を把握せずに、形だけの改善をして気分だけISOなのだ。
真に環境側面を把握し、適用される法規制を把握すれば、必然的になすべきことは明確になり、環境管理はまっとうになるだろう、そして結果として環境パフォーマンスは向上するだろう。
現行の規格とパフォーマンス向上は関数関係ではないが、関連はある。
そう考えると、私は現行規格を改良しようという発想はでてこない。ISO規格の価値向上のためにすることは、現在の巷の規格の理解を正さねばならないという発想になる。
あるいは現行ISO14001に不満を持つ人や組織があっても良いのだ。この規格はあくまでも最低基準なのだから、組織が規格以上の仕組みや基準を作っても良いはずだ。とすると現行の規格の定めはおかしくともなんともないといえないだろうか?


環境パフォーマンスは重大な論点である。

パフォーマンス










まず自明のことだが、ISO14001規格はマネジメントシステム規格なのだ。私が以前書いたように改善も仕事も仕組みだけではできない
品質改善であろうと、環境パフォーマンス向上であろうと、改善を進めるには「仕組み」も必要だが、「固有技術」と「改善しようという意思あるいは意欲」が必要だ。
考えても見たまえ。マネジメントシステムがしっかりしていても、お金や人といったリソースが足りなければ改善は進まない。
4.4.1でリソースの確保を要求しているはずだなんて冗談は言わないでほしい。リソ-スが無制限に使える会社があるはずがない。
そんな論法ではISO14001は環境に投じる資金の有無の判定になるじゃないか 
もちろんパフォーマンスとは改善の指標だけではない。運用管理もある。そういったパフォーマンスは仕組みを構築すれば向上するのは確かだ。しかしお二人が述べているパフォーマンスは運用だけでなく省エネなどのイメージが強い。
ところでISO規格の要求をいくら厳しくしても省エネが進むとも思えない。技術がなければならないし、そもそも改善の余地があるのか、改善が可能かどうかだって定かでない。
もしISO規格を厳しくして、審査を厳しくすればパフォーマンスが向上するなんて考えているなら、それは完全な間違いだ。そんなことが通用するなら、あっというまに京都議定書が達成できることになる。現実はそんな甘いものではない。日本の一流企業(ということは世界の一流企業が)が寝食を忘れて努力しても、京都議定書の達成どころか90年時点より後退しているのが現実だ。そして排出権というバーチャルなもののために貴重な外貨をどぶに捨てるのである。
日本の企業はパフォーマンスが悪いのだろうか?
そんなことはない、平均的に日本の企業はヨーロッパの企業よりも、中国の企業よりも、韓国の企業よりもエネルギー効率がよく、生産性が高い。製鉄でも製造業でも車の燃費でも・・
それでも京都議定書など手が届かない。
私は京都議定書とは環境保護というよりヨーロッパ複権という意図があったと信じている。もっと露骨に言えば、ヨーロッパの植民地主義と考えている。
日本は今からでも京都議定書をリセットして、環境に関するパラダイムを再構築しても良いのだ。

ISO14001はマネジメントシステムの規格である。そしてそれはシステムに関してだけでも完璧を保証するものではない(序文)のだから、割り切って良いのだ。
つまり、
ISO14001認証が組織のパフォーマンスを向上させていないといわれているが、そういうこもとありえる。組織を良くし改善を進めていくには仕組みだけでは足りないからだ。しかしISO14001を満たした仕組みを備えた組織は、そうでない組織よりパフォーマンスをあげることができるだろう。また遵法を確実にすることもできるだろう。(序文参照)
またISO14001は最低基準を定めているのであって、規格を満たしただけの最低水準の組織とそれ以上の水準にある組織ではパフォーマンスが異なるのは当然である。
しかし環境経営を進めていくにはISO14001は基本であり、これを厳しくしたりパフォーマンスを求めることは目的から言ってそぐわないのである。
ISO14001のレベルでは不満な組織があるなら、その組織が独自により高い水準の要件を付加して一層高度なシステムを作り、パフォーマンスを向上させていくべきなのである。
システム規格であるのに関わらず、固有技術や意欲の相互作用であるパフォーマンス向上までを要求するのは筋違いなのだ。そんなことを規格で定めたら、ISO14001はマネジメントシステム規格ではなく、環境パフォーマンスの評価基準に変質することになる。
そして認証とは規格適合判定ではなく、環境経営度評価になるのだろうか?

一つ提案だが、
もしISO規格を改定するなら、現行の規格から4.3.2法規制の特定、4.4.7緊急事態、4.5.2順守評価、4.5.3是正処置・予防処置だけを残してあとは一切削除し、パフォーマンスの向上など要求しない方が社会に貢献する。
だって、事故・違反の撲滅こそが最優先のCSR(企業の社会的責任)じゃないか!

結論として、ISO14001は時代遅れではない
目の前の現象に浮足立つこともなく、周りに流されることもない。なにが問題なのかをはっきりと表明すべきなのだ。そして規格本来の目的と守備範囲を明確に主張すべきだ。
私はISO14001をISO-TC委員以上に愛しているから、ISO14001がおかしな方向に改正されることを懸念する。
品質保証の規格であったISO9001:1987が、改正されるたびに劣化していくのを他山の石とすべきである。

本日の懸念
審査員を批判し、認証機関を叱咤激励し、認定機関の認識不足を指摘してきたが、とうとうISO規格を作るISO-TC委員にまで意見するようになっては、もう私は地獄に行くしかない。
そこまで行かなくてももう表を歩けないかも? 



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.01.11)
9001にしろ14001にしろ、規格自体は少しも時代遅れではないし、当面はこのままでよいと思います。規格を変えること以前に、認定機関と認証機関にはやるべきことがあるのではないでしょうか。
社会は、認証企業に対して品質の信頼性、環境保全・汚染防止、法令順守といった実効を期待しているわけで、認証機関にはそれに応じる責任があります。
もちろん、これらのニーズを満たすことは認証企業自身の義務(コミットメントしているのであるから)であり、パフォーマンスを維持できるかどうかはその取り組みいかんに係わっていることはいうまでもありません。
それを前提として認証機関には認証したことの責任があり、今まさしくその責任のあり方が問われているのでしょう。
認証件数が減少していることの原因は、規格の出来、不出来といった完成度にあるのではなく、お粗末な審査の横行によって市場が認証制度の信頼性を見切ったことにあるのではないでしょうか。

ある国内大手認証機関のトップは、専門誌の寄稿の中で、
 @経営者面談を重視し、
 A書類ではなく現場主体で、
 Bプロセスアプローチに基づいた
審査を行うことで、偽装や捏造などの不祥事は審査で発見できると豪語しています。ところが、一昨年から去年にかけてISO9001/14001認証取得企業によるたくさんの品質・環境に係わる偽装が発覚しましたが、そのほとんどをこの認証機関が認証していました。
つまり、このことだけでも現実の審査は、経営者面談は形ばかりで、現場ではなく会議室主体で、うわべだけの文書・記録の整合性を見るだけで認証していたということが裏付けられます。
審査はサンプリングに基づくものですから、全ての不正を見抜くことなどできません。しかし、ただの1件も見抜くことができなかったというのはあまりにもお粗末というか、不自然というか、審査の適切性と公正性に疑いを持たざるをえません。審査員が無能だったのか、審査スキームそのものに欠陥があったのか。あるいは、それ以外の何かがあったのか。
いずれにせよ、“有効性審査”などと大見得を切らずとも、厳格に適合性だけをみていれば何件かは発見できたとみるのが妥当でしょう。

認定機関、認証機関、受審組織が一体になって壮大な“ISOごっこ”をやる時代は終わりました。経済全体が危機的状況にある今こそ、これらの関係者が実務に活かす認証制度というものを真剣に考えるべきであると思います。
それができないのであれば、認証制度は遠からず崩壊するでしょう。

ぶらっくたいがぁ様 あけましておめでとうございます。
認証件数が減少していることの原因は、規格の出来、不出来といった完成度にあるのではなく、お粗末な審査の横行によって市場が認証制度の信頼性を見切ったことにあるのではないでしょうか。
そうだと思いますが、そのお粗末な審査の原因はなんだったのでしょうか?
規格の問題でないとするなら残るのは、
認証機関の問題だったのか? 審査員の問題だったのか? 認定機関の問題だったのか?
まさか組織の問題とかコンサルの問題ではないですよね?
だって組織に問題があれば認証機関は認証しなければ良いだけなのだから、組織が未熟であろうと、バーチャルなシステムであったにせよ、借り物のマネジメントシステムであったにしろ認証しなければ良いのですから。
ある国内大手認証機関
どこなんでしょう? 心当たりがないなあ 
たいがぁさんの最後の言葉 それができないのであれば、認証制度は遠からず崩壊するでしょう。 には異議があります。
とっくに崩壊しているのではないでしょうか?

(´・ω・`)様からお便りを頂きました(09.01.12)
実際には言い回しが若干複雑でしたので、私が意訳しました。
疑問
ISO規格を厳しく改定しても仕方のないということに疑問です。
現在ISO審査を受ける会社はすべて問題なく合格することを願っているでしょう。
だから今の規格でも背伸びしても合格するよう努力しています。
規格を厳しくすればすべての会社はしかたなくそれに合格するように今より良くするでしょう。
だから規格を厳しくすることは意味があるのではないですか。

(´・ω・`)様 お便りありがとうございます。
おっしゃるように、規格が甘いからそれなりのことしかせず、規格が難しくなればそれなりに対応するということはありえますね。
しかし実際には規格に定めていることさえしていないのが実情かと思います。少なくとも私の経験からはそうです。
歩留まり的な考えからすれば、規格を厳しくすれば総体としては向上することになるのでしょうね。
ただ、私は決めたことはちゃんとするという性格ですから、少し守らなくても厳しくすれば今より良くなるだろうという発想はどうかと思います。
どうなんでしょうか?

高橋様からお便りを頂きました(09.01.13)
おばQ 様
「ISO14001は時代遅れか 09.01.10」 に対し、謹んで拍手いたします。
貴兄の正論が、一人でも多くの関係者に届くことを祈ります。

高橋様 コメントありがとうございます。
私もそう願っているのですが、なにせご訪問者が少なく・・・誰も読んでいただけないようです。
これ書くのに3時間くらいかかったんですけど・・・残念_| ̄|○


まきぞう様からお便りを頂きました(09.01.14)
今後も読みます
4月までEMSの事務局にいました。運よく脱出できた今、耳に痛いなと思っていながらチラ見していた本HPをよく読んでいます。脱事務局した身ですので、自社のEMSのなんちゃってぶりはよく分かってます。しかし私はその戦犯の一人ですので、外野からでも、あるべき姿に軌道修正するべく少しずつでも声を上げています。
で、何が言いたいかというと、このHPはEMSに関与している人間は読んでいると思います。反応が無いのは、論破されるのが嫌だからでしょう。今後も読みますので、力を落とさずにいてほしいです。

まきぞう様 お便りありがとうございます。
運良く脱出できたなんて・・・あなた、事務局は牢獄か地獄ですか 
EMSは事務局だけではありませんから、一市民いや一社員として貴社のEMS向上にがんばってください。
私も頑張ります。


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