ISOで品質が上がるはずがない 2006.09.13
「ISO9001をやっても品質が上がらない」なんてぼやきは過去15年聞かされた。
ISO9001でよくなったのは文書管理、ISO14001で改善されたのは紙ごみ電気なんてやゆも聞こえた。
今日はそんなことからはじめよう。

そもそもISO9001:1987は品質を良くしようとしてはじまったのか?なんて大上段に振りかぶることもない。もっとくだけた話である。
私が「ISO9001はそもそも品質を良くしようとしてはじまったのか?・・」という話もできることを信じて欲しい・・できないかもしれない 
なにものであっても物を作るには技術・技能が要る。形のないサービスだって同じだ。
卑近な例として、そばを湯がくことを考えてみよう。
私はそばが大好物であるが、実を言って炊事など一切できない。そばの湯がき方をインターネットで探してみた。
そばのゆでかた
  1. 準備するもの
    • 茹でる鍋→約24センチの鍋(5リットル以上)
    • そばを洗う鍋→茹でる鍋より小さくても可
    • 氷でしめる鍋→洗う鍋と同程度
    • そばをあげるざる→金属製なら尚可
    • 時  計→必ず用意
    • さいばし
  2. この茹で鍋は、6.5リットルです。1人前茹でるのにいい大きさです。
    • 茹で作業の前に、二つの容器に水と氷水を用意します。
    • こちらは、水洗い用のです。鍋から上げたのを金網の容器にあけて洗うと作業が楽になります。
    • そばをしめるための氷水です。金網の容器ごとこちらに移します。
  3. 一人前を少しずらします
    • 紙を持ち上げて手のひらの上にそばを乗せます。こうするとそばが切れにくくなります。
  4. 茹で時間は必ず時計で計ってください。
  5. 入れる量は一人前(150g)です。
    • グラグラと煮立った状態の鍋に手のひらから滑り落とすように鍋に入れます
    • 入れて3秒ほどたったら、入れた反対側から菜箸でごく軽く麺を持ち上げます。
    • 絶対にかき混ぜないようにして下さい
    • 20秒たったら柄付きの金網等で湯からあげ、洗いようの容器に入れます。
  6. すぐに水道水等の流水で10〜15秒程度そばを洗います。
    • 水洗いした麺は、氷水につけて麺をしめます。必ずこの作業は行ってください。
  7. ざるに盛って完成です。
手順を標準化してセオリー通りに書かれたすばらしい手順書である。
お断りしておくが、この蕎麦屋に縁もゆかりもない。 
しかし良くできた手順書があるから、これでうまいそばが食えるかというと、これだけでは不十分である。
固有技術がないとだめだ。
固有技術なんていうと大げさかもしれないが、たとえば「絶対にかき混ぜないようにして下さい」という指示を順守できる技量がなければならない。
正直言ってわたしにはできない。
ここに書かれているとおりに実施できる手際がないと、いくら上質な十割りそばでもだめになってしまう。
そばは硬いか、ぐちゃぐちゃになってしまうかして食えないものになる。
なにごとも、行うべき基準を定め、行うべき手順を定めても、そのとおり手際よく処理することは管理技術ではないことは明白であろう。技術・技能が必要条件である。
コツとか腕とかカンとかいろいろな言い回しもあろう。

成  果
固有技術管理技術職業倫理
さて、冒頭に上げたISO9001で品質が上がらないというのは・・・論理がおかしいのではないかという気がしてきた。
何事も成すにも、固有技術、管理技術、職業倫理あるいは士気というものが必要条件であり、どれが欠けてもものごとは成り立たないのである。
ISO規格がその三つを備えていたか? といえば、管理技術だけだったのではないかと思う。
いや、失礼、この言い方は間違いである。
ISO9001もISO14001も、もともと管理技術の部分をカバーしたものなのだ。
だってマネジメントシステムと自称しているではないか。

わが社はISO9001認証しました。会社のマネジメントシステムは規格に適合で、管理も是正処置も是正処置もしっかりやっています・・・といっても品質がよくならないかもしれない。
いや良くならないだろう・・・固有技術がなければ

そもそもISO規格とは標準化であり、未熟な技術は標準化できるまでの段階に至っていないのである。枯れた技術こそが標準化することが可能であり、そして標準化された手順とおり定められた基準で実施できる技量があり、作業者のモラールが高くてその通り実践するときにはじめて一定の品質が保たれるのである。

エッツ、一定の品質が保たれる? 品質が上がるのではないのか?
そのとおりなんです。
標準化し、その運用することによって品質向上するのではなく、一定の品質の製品・サービスを提供するということこそが我が愛しきISO9001規格の真髄なのです。
だってISO9001規格は品質保証の規格であって、品質改善の規格ではないのですから・・・

ISO14001で環境改善はできるか?
ISO14001規格はISO9001とは若干ニュアンスが違う。以前「環境保証とは何か?」という駄文を書いたが、ISO14001は環境保証規格ではなく環境マネジメントシステム規格であり、実態は品質保証規格であるISO9001よりは守備範囲は広い。
真にISO14001を満たしたシステムを運用すれば、その序文にあるように「組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし、かつ、将来も満たし続けることを保証する」であろうことは期待できる。
満点ではないだろうが・・・
しかし、もちろんISO14001でも運用管理に該当するのは標準化された枯れた技術のみが該当する。
そうでないもの、未熟な技術、不確定な要素、現時点ではリソースが不十分で投資が必要なもの・・・などは、環境実施計画を立てて改善を推進する対象であることを思い出そう。
14001.gif
ということは、品質を良くするにはISO9001規格(に限らないが)をそらんじ、それを実現し、維持推進するだけでは、確実に不十分である。

品質を良くするには、その上に固有技術を常に向上し、それを標準化し、普遍化していかなくてはならない。
qa.gif 環境を良くするには、ISO14001規格をそらんじ、それを実現し、維持推進するだけでは、<すこし>不十分なのである。改善を進めていくには、法規制への理解を深め、環境管理技術・知識を収集し検討し、力量を高め、実践していかなくてはならない。
規格の範囲だけでなく、品質なら品質保証、品質管理(狭義)、品質改善の三要素を総合的に推進していかなくてはならない。環境なら私の造語であるが、環境保証、環境管理、環境改善の三要素を総合的に推進していかなくてはならない。
品質保証の範疇でいくらいじりまわしても一定の品質を維持するのが到達可能な最善値である。


最近、数人のISO屋と話をしていて、あまりにも環境管理の固有技術に無知で驚いたので、そのうっぷんを晴らしに拙文をしたためたと読んでください。 
環境管理をしてますというには、管理技術、すなわちISO規格、文書管理、内部監査などだけでなく、固有技術というべき環境法規制、エネルギー管理、廃棄物管理、環境配慮設計あるいはCSRのプロでなければならず、更に手を汚すことをいとわない人でなければならないのである。
もちろんすべての専門家であることは不可能である。しかし固有技術のいずれかの分野の専門家であることは必要だろう。


本日のたわ言

固有技術とマネジメントシステムが揃えば、品質も環境も良くなるか?といえば
更にそれに高い士気が必要であると念を押す。



ISOで品質が上がるはずがない 2 2006.09.17
前回の続きである。
sake.jpg 以前、某審査機関の取締役と飲んだときの話である。
私が「ISO9000もISO14000も審査登録を受けることとは、会社の仕組みが規格に合っていることを説明すること・・・より正しく言えば説明するに過ぎない・・・」という持論を述べた。
その取締役は私の論に対して、「そういう考えもあるだろうが、それでは現状維持である。ISO認証をトリガにして、あるいはISOの仕組みによって会社の改善や改革をすべきではないか」と疑義を呈された。その理屈では、ISOとは会社の改革、刷新に使えるということなのだろうか?
おっと、その前に会社というものは、改革していかなくてはならないものなのだろうか?
その後いろいろ論じ合ったのだが、なにしろ酒が入るにつれ双方とも酩酊状態を呈し、その後のいきさつを覚えていない。
第三者認証という仕組みのおかげで存在できる審査機関の見解としては、その存在意義・レーゾンデートルからしてISOは会社を変える力を持つ、ISOで会社を変えようと言わなければならないのかもしれない。
もっとも私が面識のある別の審査機関の取締役には、私とまったく同じお考えの方もいる。

世の中には考えがいろいろあり、極端な相違でなければどちらが正しいか決着をつけなくてはならないとか、共存できないということはない。だからISO認証あるいはISO規格をどう受け止めるか、どう位置づけているかということは、人によって違いがあってもISO審査登録システムは成り立つ。
これがいい!とかこれしかないということはない。
いろいろあっていいのである。
しかし・・・とこだわるわけではないが、本日はこれをネタに話を進めてみる。 ISO関連の雑誌ではときどきそんな特集を組んだりする。
確かにそういう会社も現実に存在するのだろう。
しかしちょっと待てよ、ISO9001にしてもISO14001にしても、会社あるいは組織が最低限供えるべき基準、仕組みを定めているに過ぎない、と私は考えている。
既に述べたように、そういう論者は私だけではない。

すると、「ISO認証によって会社の仕組みができた。」ということは、それまでその会社では、事業を進めていくにしっかりとしたシステムがなかったのだろうか?
あるいは全然、会社の仕組みがなかったのだろうか?
ちょっと心配である。
もうひとつの「ISO認証で会社が変わった。」ということを考えてみよう。
どの会社を改革しなければならないのだろうか?、どの会社の現状も問題であるのだろうか?
過去より会社を良くしようといろいろな手法が唱えられてもてはやされ、廃れていった。これからもそうだろう。
しかし、いろいろな管理手法が流行しても、当社は過去より培ったシステムで問題なく十分であるというどっしり構ええていた会社も多かったのではないだろうか?
すべての会社が、毎年のように出現するさまざまな経営手法や管理手法に踊らされていたわけではない。
ちょっと待ってくれ!
会社というものは改革していかなくてはならないものとするならば、ISOで改革した後には更なる改革をしていかなくてはならないことになるではないか?
ということはISOがベストではないということになり矛盾ではないだろうか?
odoroki.jpg
更に驚くことに、ISO14001システムを構築したおかげで遵法体制ができたという記事を見たことがある。
オイオイ、日本の国にいる限り、日本の国法を守るのは当然であるぞよ、今までは法律を守る仕組みもなかったのですか? 
ISO認証前は法違反があったのに気付かなかったのだろうか? そんな会社では、万一法違反が見つかっていたら、経営者あるいは担当者の手が後に回っていたのだろうか?
もっともISO14001認証してもしなくても環境事故、環境違反の発生は変わらないという話も聞く。
日常報道されていることをみても、私は実体験からも、それは事実であると感じている。

今まであげたいくつかの見方からの論は、私の偏見、色眼鏡によってだいぶ偏っているとは思う。
しかし、ISO認証が会社を良くするという論理は、それ以前は水準以下の会社だったと白状することではないのだろうか?
ISO認証によって会社を改革したという事実は、経営者・管理者・一般社員が改善する能力を持たず日常活動において自己革新ができなかったということではないのか?
システム構築で遵法が確実になったなどとは・・・・口が裂けても言ってはならない 
ところで日本に法律がいくつあるかご存じでしょうか?

どうもISOが革新の手段とか手法であるとは思えない。
いろいろ考えた結論はやはり、ISOマネジメントシステムは最低基準を定めたものにすぎないようだ。

ISOマネジメントシステムは最低基準を定めたものであるという、私の持論で考えてみよう。
最低限の水準は満たしている会社があるとする。
最低限の水準とは、品質保証や環境管理だけではない。会社の事業運営全般にわたって、会社の仕組みはある程度文書化され、業務は標準化され、教育はそこそこされており、環境だけなんて遠慮せずに、セクハラをしないように、種々差別が起きないように、違法コピーのソフトを使わないことなどなど、すべての法規制を十分に認識しそれを遵守する仕組みがあり、内部牽制も機能していることとしよう。そしてインフラとしての文書管理や記録管理なども、まあそこそことしよう。
本来、すべての企業はそうでなければならない。そうでなければ存在を許されないのだ。

さてその最低限の水準を満たしている企業がISOの認証(審査登録)をしようとしたとき、何もしないはずである。何もする必要がないのです。
じゃあ、ISOの審査登録とは一体なんなのだと質問されるかもしれない。
「意味がない」というのが答えなのかもしれない。
だって基本に戻って考えてみれば、ISO9001:1987の発祥とは商取引をするときに、外部品質保証の基準として要求したものなのである。
売り手はその規格をクリアしているということを、第三者に証明してもらえばよいだけのことであった。
20年近く前、まだ日本語のISO9001がないとき英文の third party という語の意味が分からなくて悩んだことを覚えている。
ISOの第三者認証とはそういう意味であり、それ以上でもなく、それ以下でもない。
当時から関わっている私にとって、ISOで品質を上げようとか、会社を良くしようという論を聞くと、そりゃ無理だよと思ってしまうのだ。
見る人によっては、そういう私が前世紀の遺物なのかもしれないが・・・

私と反対の立場にいる人々が、「ISO9001:2000が品質保証の規格じゃない! 品質マネジメントシステムの規格だと叫んだ」ところで、それがどういう意味があるのか?
理解しがたい。
ISO9001が1994年版から2000年版に改定されたいきさつは、品質が良くならないという理由が大きかったのだが、よっく考えてみると、ISO9001:1994で品質を上げようとした、あるいは上がると考えたのが間違いだっただけなのではないか

そう考えると、負のスパイラルということ自体おかしな論かもしれない。
それは単にISOを間違えて理解していた人が過大な期待をして、期待通りでなかったというだけのことかもしれない。
man2.gif あの人はいい人だわ、と思いこんでお金を貢いだり、入れあげるってことありますよね? そして後でその人が夢に描いたとおりでなくて八つ当たりする人がいたりして・・・
ISO9001って品質を上げてくれるんだわ!と思い込んで、入れあげて、そして現実がそうではなかったからひどい人よと言っている世間知らずのような気が・・・アブナイ アブナイ

本日はこれまで!



知動説様からお便りを頂きました(06.09.18)
「ISOで品質があがるはずがない」について
いつも、政治絡みの話題で詰まらない文章をお送りしていますので、私もたまには趣向を変えて「ISOネタ」で、1筆加えてみたいと思います。
私も佐為さまほどではありませんが、「ISO」なるものを、業務の一部としております。
さて、まず私もこの佐為さまが掲げられた、この表題ついては、8割方同意致します。
(「8割方」とした事については後述します)
ISO9001が1994版から2000年版に改訂された頃、(或いはその前から)一部の経営者から「ISOやっても品質が良くならない」との、「ぼやき」(笑)が聞こえてきたそうです。
しかし、「物作り」と「品質」に関するそこそこの知識があって、かつ「ISO9001の規格条文」を読めば、普通の人なら「これは製造業での、ごく基本的な事を定めたものに過ぎない」と理解出来た筈です。
つまり、(まさに佐為さまご指摘の通り)これは「管理技術」(平易に言えば「仕組み」)について定めたものであって、それ以上ではありません。
つまり、品質を向上させる為の「必要条件」であって「十分条件」では無いのです。
「仕組み」だけで「品質」が向上すれば、こんな楽な事はありません。
あとは、佐為さまのお説通りに、「固有技術」(私見ですが、「材料」と「設備」に関するものが重要かと思います)と、作業員の適度な「モラル」が必要である事は論を待ちません。

さて、ここまでであれば佐為さまのご意見とウリ二つですので、わざわざ話題にする必要は無いのですが、ここから多少は佐為さまが触れていない事について、述べてみたいと思います。

先ほどの表題について、私は「8割方・・」と書きました。ここでは残りの2割について述べてみたいと思います。
まず前提として、私も仕事柄、取引先の企業にお邪魔する事がありますが、私は佐為さまが思っていらっしゃる程、日本の製造業の実態はレベルが高くはないと思っています。(特に日本の製造業を底辺で支えている、いわゆる「中小企業」においてです)
つまり、佐為さまが言われている「ISO認証が会社を良くするという論理は、それ以前は水準以下の会社だったと白状することではないのだろうか?」に当てはまる企業が、決して少く無いのです。・・・・・・尤も佐為さまもこの事は認めていらっしゃますが(「・・確かにそういう会社も現実に存在するのだろう。」)
具体的な話しをしますと、まず品質監査にお邪魔して、驚くのは「QC工程表」が無い、或いは有っても、きちんと書けていない企業が、多数存在すると言う事です。
「無い」のは論外ですが、有っても「品質特性」と「管理項目」(呼び名は企業によって異なるとは思いますが)が、正しく書けていないケースが、多いのです。
「よく、これで物を作ってきましたね?」との疑問を投げかけずにはいられません・・・(笑)
但しそれを言えば、これまでそこから製品を買っていた、自社の責任も問わねばなりません・・・・・・・(笑)

尤も、ここまで来て思うのは、これは佐為さまが今、関わっていらっしゃる業界と、私が属している業界の管理レベルの差が、そもそも決定的にあるのかも知れませんネ。お恥ずかしい限りです。

ですから私が言いたいのは、その様な業界の企業にとっては、やっと他業界の普通のレベルに追いつく為の、当座の到達点として、ISOの規格は意味があると言う事です。
 (「当たり前の事」が出来ていなかったのだが、、それが出来る様になった・・・)
具体例を挙げますと、例えば「是正処置」です。
これまでは、不良品やクレームが発生した場合、「不良項目の補修」つまり「現象の除去」だけで、お茶を濁していたのが、ISO導入後は、一応「作業員への教育」「冶工具の改良」「作業手順書の見直し」と、「原因の除去」まで、何とか持ち込める様になってきます。
ここまでくれば前述した「固有技術」の領域にまで、踏み込むきっかけを掴む事が出来ます。
そうすると、「ISO導入で『品質』が良くなった」と言えるケースも、出てくると思うのです。

再度、私の意見をまとめますと、確かに「ISOで品質が良くなる」と言うのは、あまり安易な考えだとは思いますが、しかしだからと言って、「○」「×」式の議論から脱却すれば、場合によっては(規格の意図をうまく使えば)ISO導入で「品質向上」につながるケースも決して少なくは無いと思う次第です。

但し先ほど例に挙げた取引先ですが、ここの管理は私の担当職務ではありませんので、実際ここにISOを導入して、品質を向上させた実例は持っていません。
本当は、実例をご紹介出来れば良かったのですが・・・。
「所詮、オマエの推論だろ!」と言われれば、認めるより他有りませんが・・・。

以上、毎度毎度、詰まらない拙文にお付き合い頂き、有り難うございました。

知動説様、毎度ありがとうございます。
知動説様のご意見にコメントすることはまったくありません。その通りだと思うからです。
要するに管理が一定水準以下であれば、管理技術を用いることによって管理ミスによる不具合を削減することができることは間違いありません。
すべての管理ミスをなくすことができるなどと高望みはいけません。
一定水準以上の企業であれば、それ以前からの社内の運用をISO規格とひも付けをするだけですからなんら実質的に変わらず、向上は期待できません。
知動説様のご意見そのとおりですが、日本においてはISO規格を採用することによってすべての企業において品質が上がるという誤解があったのは事実と思います。
もうひとつの重大な問題は、入札や取引条件にISO認証ということを盛り込んだところがあり、そのために入札や取引のために認証する企業があり、それを支援するためにあやしげなコンサルがバーチャルなシステム構成を支援(?)し、多くの審査登録機関が認証証をジャンジャンと発行したことであると思います。
なかにはISO維持管理サービスなんて虚業も現れたのではもう救いはありません。ところが、それを評価するような環境関係の新聞もあるのですから、もう言葉もありません。
そういった実態を知らずして、あるいは無視して、ISOが期待はずれであると判断したのが負のスパイラルの正体ではないでしょうか?

客が「ISO認証しなさい」ということを、認証証を得ることではなく、品質保証を確実にしなければならないと認識しなければならなかったのです。そしてそれを愚直に実現しようとすれば、いやがおうでも管理ミスによるトラブルは防げ、単に取引条件を満たしただけでなく、企業の質向上に役立ったはずです。
そういう意味で、私はISO負のスパイラルに書いたことは真実であると確信しています。
残念ながら、審査機関のトップも審査員もJABもそれを認識していないのか? あるいは改善する能力がないのでしょう。
悲しいことです。

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