ISO 負のスパイラル 2004.11.27
ISOの負のスパイラルという言葉をお聞きしたことがありますか?
2003年に適合性評価専門委員会が国内のISO9000の問題点を調査した報告書の中で「負のダウン・スパイラル」という表現を使った。これは、審査機関(審査員)、コンサルティング機関(コンサルタント)、企業あるいは自治体(受審組織)の3者がそれぞれ、なれあい、形式的、談合審査、マンネリ審査に陥り、その相乗効果で悪循環を繰り返して悪いほう悪いほうに進み、ISO9001認証の信頼性を次第に失ってきたという論である。
それは仮定の話ではなく現実に散見されている、認証された企業の実態とパフォーマンスが向上しないことへの説明であった。
まさにISO14001のスパイラルアップの反対である。 

実を言って、私はISO9000の認証がはやりはじめた1992年頃からそういう事態になるだろうと予想していた。
だって、私自身が「輸出のパスポート」を手に入れるために活動していたのだから。 
品質を良くするためにISO9001に適合するシステムを作ったのではなく、仕事をもらうために、輸出するために認証取得しようとしたのである。
当時は「審査登録」なんて言わずに、かっこよく「認証」と称していた。

品質を良くするための品質保証システム(ISO9001:1987)が品質を良くせず、会社を良くするための品質マネジメントシステム(ISO9001:2000)が会社を良くしないなら・・・それはもう笑い話でしかない。

本当は限りなく悲しい話である。

 なぜ負のスパイラル現象は起きたのか?
oioi.gif  その責任は誰にあるのか?
  • ISOの認証を経営改善を目的とせずに、仕事をもらうためのパスポートと考えた会社企業が悪いのか?
  • とにかくISO認証がほしいという会社の注文に応えたコンサルタントが悪いのか?
  • 規格を満たさなくても片目をつぶってOKし、そして継続的に「適合」と判定し続けてきた審査員、審査機関が悪いのか?
  • そんな審査員を量産し続けている審査員研修機関が悪いのか?
  • ISO認証してないと注文しないぞと言った発注者、行政が悪いのか?

そんなこと考えなくとも答えは明白だ。
私はみんなが悪いなんていう玉虫色的結論は語らない。
いのはひとえに審査員と審査機関である。これは間違いない。

考えてみてくれ、物を買うときに、良い製品を買いたい、そのためにしっかりした品質管理をしてほしいと願うのは発注者として当然のことである。そしてしっかりした品質保証を期待するのも当然のことである。
昔なら、発注者独自の品質保証基準を定めて、メーカーや工事業者と品質保証協定を結ぶのは当たり前であった。そしてその品質保証協定に基づいて顧客による品質監査が行われるのも当たり前のことであった。
まあ、今の時代だから、会社独自の品質保証基準とか品質保証協定を結ぶというのは時代錯誤かもしれない。だからこそ、ISO9001の認証をしていることとかISO14001の認証を要求するのは、これまた当たり前のことなのである。
負のスパイラルが公共事業の応札条件にISO認証を盛り込もうとしたからだって?・・・それは風が吹けば桶屋のたぐいの話としては面白いが真実ではないだろう。
証拠だって?
かって日本の企業は輸出するためには輸出先の国あるいは購入者から「品質保証システム」を要求され、それに応じてきた。その結果、品質低下、品質システムの形骸化が起きたか?
そんなことはない!
日本の品質は向上し、80年代は世界に敵ない状態となったのだ。
私も某企業の下請けとして発注者からの求めに応じて品質保証体制の整備をするだけでなく、孫企業に行って品質保証体制整備のお手伝いをしたものだ。
あれから四半世紀が経つ

じゃあ、お客さんや親会社からISO認証しろといわれて、ISO規格とだいこんの違いもわからないで認証取得しようとした企業が悪いのか?
実際、世の中小企業のオヤジさんはISO規格がどうたらなんて知らない方も多い。でもそれがないと商売ができないならいかなる手段でもやらねばならないのも渡世の義理。会社の経営者としては当然の選択である。

ならば、コンサルタントが悪いのか? でもね、この自由経済社会において法に反しない限りお客様が求めるものを提供するのはまっとうなビジネスである。中小企業のオヤジさんが「とにかく大至急ISO9001というのが欲しいんだ、すぐに納入してくれ!」なんてことを言ったかどうか知りませんが、そういう注文があればそれに応えるのに悪い理由がないではないか?

残るは審査機関とその実働部隊である審査員しかいない。彼らが悪いのか?
man1.gif そのとおり、私はISOの負のスパイラルを引き起こしたのは審査機関であると考えている。
理由として審査登録機関はISO規格と照らして審査して「適合した組織」のみを「登録」しなければならないのだ。お客様が良い品物を欲しいというささやかな願いと審査機関が免状を出すのは違う。
コンサルタントが客である企業が簡単に認証取得できるように固有名詞のみ入れ替えればいい文書のひながたを提供したり、審査時のQ&Aや応対テクニックを指導するのとは大いに異なるのだ。

なぜ負のスパイラルの報告が出てから1年もたってこんなコメントを書くのか? と疑問を持たれたかもしれない。たしかに負のスパイラルという言い回しにニュース性はなく、いまさらこんなことを書くのは大きく時代に遅れているかもしれない。
でも最近、某所で実際の審査に立ち会い、負のスパイラルという悪評を返上しようとする意気込みのない審査を見て怒りを感じたというのが正直なところです。

負のスパイラルを正のスパイラルにするのは審査員諸君なのである。
君は自分の仕事をなくそうとしているのだ、それを自覚しているのか?
行司が差している刀は軍配を誤ったときに腹を切るためだという。
ISO審査員も刀を差して、審査を誤ったときは腹を切る覚悟であたるべきである。
企業の各種の内部監査はそのくらいの覚悟でしているのだが・・・

もっとも私は負のスパイラルが起きても、その結果「第三者審査登録」というスキーム(制度)が破綻しても特段困ることはない。
なぜならば私はISO原理主義であり、ISO原理主義には司祭(審査員)も不要だし、教会(認定機関)も要らないのだ。
原理主義者はただ聖書(ISO規格)を読み、真理を追求するのである。その真理とは品質を良くすることであり、遵法を確実にすることであり、パフォーマンスを良くすることである。決して商売のために免状をもらう(買う?)ことではないのだ。

それが1987年のシステム規格発祥の時の理念ではないのか?


石橋様からお便りを頂きました(07.08.21)
負のスパイラル
読んでいてハタハタと膝を叩きすぎて、血が滲みそうになりました。
昨年の夏、審査機関と環境側面評価について意見の相違が生じ、イライラが募りましたが、秋になる頃にはいつの間にか収束してしまい、上げた拳の下ろしどころ無くなってしまい、なんとも割り切れない思いがした事がありました。
相手は環境側面評価は要求事項であり、評価は必要である。かつ、著しい環境側面の決定に際し、客観性が問われるから点数化が望ましい。という意見でした。
私は、環境側面の評価は要求事項ではないが、管理責任者及び経営者に対して説明する責任が事務局としてあるから評価は必要である。しかし、点数化では了解を得られない。了解を得るには「経費が減少する」とか「受注が増える可能性がある」といった説明でなければならない。という評価でなければならない。本当は金額表示がしたいですけど(苦笑)
では、なぜこのような食い違いが生じたのか。ひとえに教育機関の問題だと思います。この環境影響評価については、ある程度大きな教育機関で講習を受け、また問い合わせた所、点数化以外の方法を教えていない。また。それ例外の方法については、考慮も説明もしていないと説明がありました。そして講習では何の疑いも無く講師が説明していました。
ある講師は規格の説明に対して、こちらが異をとなえたところ、逆上し「この教育機関はJABの認定を受けている。だから、私の意見はJABの認定を受けていると同じだ」と。
これでは負のスパイラルの脱却どころか、基本の部分で「ダメジャン」ではないでしょうか。
石橋様 お互いに苦労してますね。
規格に書いてないことは不要、書いてあることをしっかりと理解しろとしか言いようがありません。
日本の審査員研修機関がすべてではありませんが、まともなことを教えないところもあるのは事実です。なにせ私は自腹を切って3箇所で受講したのですから。
ご自身が環境担当の実務を担当したことがある方なら、決して点数化とか客観性などという歯の浮くような言葉は言わないでしょう。
事故をどう防ぐか?リスクをどう低減するか?と日頃思い悩んでいる方なら環境側面もその重要性も言わずもがななのです。
そんなことさえ分からない人が審査員をしているということが恐ろしく感じます。
現実にそんな審査員が低レベルの現状を招いたとしかいいようがありません。
まあ、認証は税金、真の環境問題対応はそれとは別にすると割り切るしかないのかもしれません。
そのうち、ISO認証は霧散するでしょう。


うそ800の目次にもどる