ISO自己宣言 09.03.23

まきぞう様からお便りを頂きました(09.03.22)
こんにちは。まきぞうです。ISO14001自己宣言について、うそ800で取り上げてほしいと思いメールします。
不景気の折、社内では今度こそ無駄を徹底的になくせ、という大イベントが始まっています。
各部署の立場から、考えうる無駄を洗い出して、無くす、改善し利益を少しでもいいから出せ、という指示です。会社が赤になることを止められるような無駄があるなら、とっくに改善されているはずですが、そういう凝り固まった考えは捨てて、ゼロベースで再考し全部署からの提案をつのっていました。

私が上司に提案した内容が、なんと検討の土俵に乗りました。それはEMS事務局にとっては自爆テロに近い禁断の提案「ISO14001認証とりやめ」です。
私が最近まで事務局だったのはこれまでにも書いたとおりです。認証をやめるだけでは社会的なバッシングがあるかもしれないし、親会社のCSRゴッコ戦略にも反しますので、
 @自己宣言する、
 AKMSなどにしてしまう、
 B審査機関を変える、
などもあわせて提案しました。
4月にはこれらの施策が実行に移せるかどうか検討が始まるはずですが、事務局連中の動きは無いままです。この先どうなるのか、見ものと言えば見ものですが、その先にあるものが会社にとって本当にプラスなのか、確信を持てません。
率直に、ISO14001適合自己宣言というのはどうなのでしょう。手続きに沿って達成は可能なように思えましたが、社会に受け入れられるのでしょうか。ネットで見てても怪しげな自己宣言コンサルとやらはあっても、あとは宣言の証明書的なものを見ることしかできません。そこは事務局の仕事といえばそこまでですが。
うそ800で取り上げていただければ参考になりますし、社会的認知度もあがるような気がします。
いかがでしょう。

まきぞう様 毎度ありがとうございます。
今後メールのやり取りが続くような気がするので、ひとつぺージを作ってまきぞう様のご意見をアップします。
私は今まさにISO14001の第三者認証ではなく、自己宣言を目指している複数の会社の支援を行っています。ISO認証支援は何度もしましたが、実を言いまして自己宣言は初めてです。作業を進めていろいろ感じることがあります。
まず企業の業態や位置づけにもよりますが、ISO規格の全項目が必須とは思えないケースがあります。例えば親会社の業務を請け負うだけの会社が、わざわざ環境側面や環境実施計画を考えることはないように思います。とはいえ、そのような会社には単独のEMSが存在しないはずだとか、親会社のEMSに含めるべきだというのは乱暴な意見でしょう。ISO認証とは関わりなく、すべての組織にはEMSやQMSを包含したMSが必然的に存在するというのが私の考えです。100%下請けの子会社にだって独自のMSもEMSもあるはずです。
ISO9000シリーズで設計のない9002とか出荷製品の保証だけの9003などがあったように、方針策定がなく上位の指示に従うだけのEMSとか、監査が組織外が行う形式であってもおかしくないように思います。
MSとは決まり切ったものではなく、その組織が置かれた条件下でどのように行動するかを決めたものですから、いかなる組織体制にあってもあるはずです。
他方、人に見せるためのEMSではないので規格の項番だけに限定することもなく、会社のEMS全体を示した方がベターで現実的だとも感じます。そういう意味ではISO14001というのは自己宣言にしても認証にしても「ひと様に見せるためのもの」と思います。
審査対応でなく会社の真のというかEMS全体を示そうとすると、ISO14001は不適切なのかもしれません。不適切というと不適切な発言ですが、そもそも会社のEMSの全部を規格に表せるものではないし、すべての組織はユニークで二つと同じものはないのだからやむをえないのでしょう。まあそんないろいろなことに思い巡らしております。
EMSにISO規格項番以外にあるのか?と言われるかもしれません。例をあげれば、予算、考課査定を含めた人事管理、それに安全衛生もあります。

そんなことを考えると、第三者認証か自己宣言かという前に、貴社がQMSあるいはEMSが何のための認証しているのか? という目的の再確認がまず第一ですね。
ISO9001:2009はその序文0.1一般で、
「この規格は、製品に適用される顧客要求事項及び法令・規制要求事項並びに組織固有の要求事項を満たす組織の能力を、組織自身が内部で評価するためにも、認証機関を含む外部機関が評価するためにも使用することができる」
と示しており、
ISO14001:2004の1.適用範囲では
「この規格は、次の事項を行おうとするどのような組織にも適用できる。
a)環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善する。
b)表明した環境方針との適合を自ら確信する。
c)この規格との適合を次のことによって示す。
1)自己決定し、自己宣言する。
2)適合について、組織に対して利害関係をもつ人又はグループ、例えば顧客などによる確認を求める。
3)自己宣言について組織外部の人又はグループによる確認を求める。
4)外部機関による環境マネジメントシステムの認証/登録を求める。」

とあります。
つまりISO9001では第三者認証のためではなく、それどころか外部に表明することもなく、会社を良くするために好きな使い方をしてもよいわけです。
他方ISO14001ではa)項はありますが、自己改善のための用法が明確に書いてありません。ISO14001の文章だけからは、最低「方針を表明」が必要です。そして内部の者が「顧客要求事項及び法令・規制要求事項並びに組織固有の要求事項を満たす組織の能力を、組織自身が内部で評価するため」に使うことを想定していないように読めます。
私は9001に記述してある用途の方が幅広く良いと思います。この違いはなんでしょう?QMSが顧客を志向し、EMSが環境全体を考えるということから推察すると逆のように思えます。
とはいえ、ISO規格は世界のみんなの共有財産ですから、それを自分勝手に使って悪いわけはありません。組織の一部だけ適合していて「全部が規格適合です」なんてカフェテリア宣言をしなくちゃいいんです。
カフェテリア宣言とはカフェテリア認証を真似て今作った言葉です。 

ということで、まず貴社の認証の目的が
(1)組織のQMS/EMSを維持・改善するためであるのか?
(2)組織がQMS/EMSが規格を満たしていることを、対外的に表明する必要があるのか?
(3)組織のQMS/EMSが規格を満たしていることを、特定又は不特定の利害関係者に認めてもらう必要があるのか?
を再確認する必要があります。
まず、(1)の自社を良くするためという場合、規格の全条項を満たす必要はないように思います。そういったことを以前書きました
当社は遵法と事故予防を徹底して行うことを目的としているので、環境方針は公開しないとか、ISO14001の4.3.3は除外するとか、または内部監査を行わず職制による日常管理のみとするとして良いのではないでしょうか。ただ外部に対してISO14001規格適合ですと言えるか言えないかの違いだけです。
世の中にISO認証して違反や事故を起こす企業が後を絶たないのだから、改善を目指さず、違反と事故を絶対起こさないという考えの方が信頼できそうな気がする。

(2)外部に対して表明する必要があるか?
現在多くの企業はグリーン調達なんてエエカッコシイをいって、環境マネジメントシステムが確立している会社からのみ調達するといっています。そういうところと取引するためには第三者認証が必要な場合もあります。もっとも多くの企業はISO14001と限定せず、KES、エコアクション21あるいはエコステージでも良いといっています。更にマネジメントシステムが確立していれば、グリーン調達基準を満たすとウェブに書いている会社もあります。
「グリーン調達基準」で検索して条件を見ると、「ISO14001を認証していなければならない」と規定してい るところはまずありません
一説によると、「認証必須」とすると独占禁止法に違反になると言われています。
現実問題として今の日本国内で、グリーン調達のためだけに認証しなければならないということはないように思います。
しかし現在、グリーン認定基準はマネジメントシステムだけでよいのではなく、欧州の規制を満たすための化学物質管理の仕組み確立と運用を求めています。つまりマネジメントシステムだけでなく品質保証が求められています。そして現実に重要なのは後者のようです。

(3) 規格を満たしていることを特定又は不特定の利害関係者に認めてもらう必要があるか?
これは(2)より更に必要性が少ないように思われます。親会社とか顧客から要求されればしょうがないけれど、言い換えればそういうところの影響力が大きいということは、他の顧客の影響が小さいので自己宣言を行って、親会社/顧客による第二者監査を受けるという選択もあります。その場合、一般的な審査より、パフォーマンスは重要視されるだろうけど、環境方針に規格の語句がどうこうという些事にこだわらないのではないかと思います。
最近自治体が認証を返上し、自己宣言に切り替えているところが多くなっています。自治体の利害関係者といえば第一は自治体の自然人・法人含めた住民でしょう。認証機関という第三者に審査してもらって規格適合を住民に説明するなら、住民そのものに審査してもらった方が直接的で、かつお互いのコミュニケーションも図れることを思えば当然の帰結かと思います。もちろん費用削減も図れ、また審査の形骸化も避けられるでしょう。
親会社/顧客による審査というのはそれと同じと思います。
そもそも、1987年に第三者認証という制度が考えられたのは、供給者が多数の顧客から多様な品質保証要求を受け、また個々の顧客による品質監査を受けるのが大変な手間隙がかかるとういことから始まったわけです。もちろん顧客側から見れば、多数の調達先と品質保証協定を結ばなくてはならず、品質監査に行かねばならない。誰かが自分に代わって品質監査をしてくれればありがたいという需要があったのです。
でも顧客が少ないとき、あるいは調達先が少ないなら、画一的な品質保証要求事項に基づいた監査を第三者に頼むより、自分が望む品質保証要求事項で自らが監査した方が安心できるのではないでしょうか。第三者認証制度発祥前に戻るだけのことです。

私は「当社はISO9001を認証しています」とか「ISO14001認証」と自慢げに言われても「あそう」と首相の名前をつぶやくだけです。  認証を受けていることは、マイナスではないけど、プラスでもない。認証している会社とそうでない会社を多数見て、認証の価値がどんなものか分かっているつもりです。
じゃあ自己宣言はどうか?と聞かれると分かりません。自己宣言した会社を見てませんから。

それとまきぞう様のおっしゃるように、自己宣言もお金にまみれたビジネスのようです。インターネットで「環境+自己宣言」で検索すると、「自己宣言を確認してあげます」という団体が続々と見つかります。結局そういった団体がしていることは、認証機関が組織のEMSを審査して登録証を出すと同じく、自己宣言の適合証明書をだすことのようで、違いを単純化すれば審査基準がIAFのガイドに基づいていないことと認定機関のマークが付かないことだけのようです。

と駄文を連ねてきましたが、認証をやめるとか自己宣言しようという前に、貴社の認証の目的はなんだったのかを再確認しましょう。第三者認証がないと商売できないというなら認証返上という選択肢はありません。しかし考えてみると第三者認証がいらなかったとか、自己宣言さえいらなかった、しっかりとした会社の仕組みがあればよかったということになるかもしれません。あるいはISO規格の全項目を満たす必要もなく、つまみ食い的に利用させてもらって、会社の損益改善や顧客満足向上が図れると分かれば余計なことをすることはありません。
ISO認証が伸びたのも、減少しているのも、横並び・世間並みという発想だからだと思います。自己宣言というのはそのものだけでなく、自己宣言するという選択そのものが、横並びではない、他人と違っても良いという発想と決断が必要でしょう。世間のバッシングがあるだろうか?と気にするなら、毎年○百万払って認証を継続した方が安心ですよね。



まきぞう様からお便りを頂きました(09.03.24)
おばQ様
さっそくの返信ありがとうございます。しかも専用コラムまで立ち上げていただいて恐れ入ります。
私は筆まめではない方なので、いただいたコメントに対しては、一つ一つ考えながら返答することになってしまうと思います。ご容赦のほどお願いします。
まず当社がどういった目的で認証しているのか考えてみましたが、少なくとも事業上での必須事項ではなさそうでした。
どちらかというと認証ブームの後半から手をつけ始めた面もあり、流れに耐え切れなくなって動いた、という激流のなかの岩石といったところでしょうか。
おかげで環境報告書すら作ることもできず、今となってはあんなものやらなくてよかった、と思います。あまり前向きではないですね。
認証の目的の中に会社を良くするということは確かにありました。結果的に法規制の理解・認識が浅い面を改善するきっかけにはなりましたが、本質は変わってないように感じます。事務局がいないと法規制を順守できないようでは、会社として良くなったことにはならなそうです。著しい環境側面という言葉に踊らされて、意味があるのか分からない手順書もたくさんあります。これではまるで無駄のきっかけのようです。
目的と手段を履き違えた今の状態では、自己宣言とかいう段階ではないのかもしれません。コスト削減と割り切るなら、やはり認証をやめたほうがいいのかもしれません。
とりとめないですが、まずは愚考の第一段階ということで記します。

まきぞう様 私が何か言うと断定的になってしまっていけません。
ということでとりあえず、黙しておりましょう。
ぶらっくたいがぁ様がアドバイスを寄せてくれました。

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.03.25)
まきぞう様
以下、まきぞう様が知りたいこととはおそらく異なる話なので、寝ぼけたこと言ってやがるなこいつと思っていただいてかまいません。
というか、横槍で申し訳ございません。_| ̄|○
ISO認証の維持に費やすリソースと効果の関係はどうなんでしょうか?
まあ、これがプラスである会社はマレだと思いますが。
余計なお世話とお叱りを受けるかもしれませんが、ISO規格を愛する者の端くれとしては、もしマイナスであればまずプラマイゼロにまで持っていくことを考えてはどうかなと思う次第です。

おばQ様の
認証をやめるとか自己宣言しようという前に、貴社の認証の目的はなんだったのかを再確認しましょう。
という主張は私も賛成です。
会社の指令が「ムダをなくせ」ということなのですから、もし現状の「ISOの仕組み」を使っていろんなムダを見つけて排除することができるのなら、返上するのは指令への逆行ということになります。
もちろん文面からそうではないことは見て取れますが、それならそれができる仕組みに変えてしまう、つまり選択肢として、
(4)「ISOの仕組み」を有効なものに改める
もアリでは?
そもそもISOマネジメントシステム規格は認証を取得・維持するためにあるのではなく、儲けるためにあるのですから、本来の目的に転換するわけです。
偉そうに言うけどお前のところはどうなんだと突っ込まれそうですが、実は今まさしくこれをやっているところです。
正確に言うと、「ISO審査のための仕組みは一切捨て去り、品質保証、環境汚染防止、法令順守に必要な仕組みだけを残す。その上で、儲かるためにハザードとなっているものを炙り出し、排除する仕組みを練り上げる」ということになります。
あれれ、何のことはない、これって経営の仕組みそのものではありませんか。
ちなみにまきぞう様が出された案については、ウチではこう考えました。
(1)自己宣言→トヨタやソニーならいざ知らず、ウチのような中小企業が自己宣言したところで世間様から鼻で笑われるだけなので論外。そもそも実務にブレーキをかけている「ISOの仕組み」をそのまま残して認証を返上しても、審査費用が削減できるだけの効果しかない。それならいっそ、そんなムダな仕組みもついでに捨て去りたい。
(2)KMSなどにしてしまう→いわゆる簡易版ISOと呼ばれるものは、認証機関とコンサルがセットになっているものがあり、出来レースというか、「自作自演乙」といった感アリ。費用が安い以外にメリットが見当たらない。
(3)審査機関を変える→儲けるための仕組みに変えるためには絶対必要と判断し、登録移転を決定。ただし、審査費用はやや高くなった。その代わり、それに見合った効果は見込めるとソロバンを弾いた。
「儲かるためにハザードとなっているものを炙り出し、排除する仕組みを練り上げる」ためには、効果的な監査の仕組みが必要です。監査とは、内部監査はもちろん外部監査(ISO審査)も含まれます。ジョハリの窓でいうところの「自分は知らないが他人は知っている自分」にあたる身内では見つけるのが困難な弱点を、第三者の視点で認証機関が見つけてくれるかもしれません。
認証機関にそんな役割を期待してもムダという冷ややかな声も聞こえてきそうですが、数ある認証機関の中にはそれができるところもあるだろうと、私はまだ望みと期待を捨てておりません。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
まきぞう様 私から付け加えますが、ぶらっくたいがぁ様は評論家ではなく、某企業で自ら管理責任者をされており、それもISO認証のお守りというスタンスではなく、会社の儲けを増やそう!ロスをなくそう!リスク管理をしっかりさせよう!という、会社を良くするのが目的でISOはツールという信念の方です。そこらへんにころがっているISOマニアとは違います。
このウェブサイトでぜひともたいがぁ様のお考えと熱意と行動力を知っていただければうれしいです。


まきぞう様からお便りを頂きました(09.03.27)
おばQ様 お気づかいいただきありがとうございます。

ぶらっくたいがぁ様
ご意見ありがとうございます。何言ってんだ、なんて思ってもいません。
逆に私の視野が狭いことに気付かされました。考え方も浅かったのを認めます。

企業にとってISO第三者認証とは何なのでしょう。商売がうまくいくことを願いよい道具になると思って手を出しているとは思いますが、今の自社を見ていると、単純に褒められたいだけでやっているように思えてしまうのです。
その昔、TPMがはやり、ずいぶん力を入れたようですが、会社はよくなっていないように感じます。TPMなんて自慰行為だ、という人も社内にいます。これは道具の使い方が上手でないだけで、道具のせいにしている悪い例です。
どんなツールを使おうが、仕事の無駄を洗い出して、効果的なものから叩いていくというのは出来るはずです。なぜISOやTPMなど、新しい道具を使わなければならなかったのでしょう。経営者が、社会の変化に追随していくには取得が必要と考えたのかもしれません。経営が時代時代でスタイルを変えていくのは必然でしょう。当社の場合は親会社の落下傘降下部隊が多いので、下ってくるたびに丸ごと変わってしまいます。
経営が社会の変化に追随していくのであれば、現在では、この道具を使わなくても改善ができる、または道具は使うけど表彰状は要らないという判断に到達するのがあるべき姿のように思えてなりません。前回の審査所見を見る限り、私には第三者認証制度はあと数年もたないと感じました。更新2回、計6年であまりに当社のレベルが低い。そしてそれを指摘しない審査です。
日本人は表彰状が好きだと思いませんか?表彰されることは全然悪いことではないですが、ISO認証もそのノリで手を出している、だから国内は件数が多いのではないか、というのは考えすぎでしょうか。
表彰される → 評価上がる → 商売うまくいく この図式が成り立つのは最初の開拓者だけだと思います。なんだかネズミ講のような気もしてきました。
(ネズミ講は取り下げます)
経営者もバカではないですから、褒められるためだけの投資はしないと思います。
でもISO第三者認証の意味を考えている経営者は少ないように感じます。これは私が経営者の考え方を知らないだけかもしれませんが、少なくともわが社では、賞状の一つになり下がりつつあります。
昔気質の同僚に言わせれば、TPMもISOも、ルールを守ることと成果を上げることを履き違えているからどれもこれも頓挫するんだよ、とドライな意見もあります。
確かに必ず成果が出る道具というのは存在しないでしょう。成果が出ないのは道具として不適切なのか、使い方が悪いのか。答えは後者ですが、迷える当社は前者を選択しそうです。

自己宣言からどんどん話がそれていきますね。
ISO第三者認証にしても、TPMにしても、取得のために取り組むという姿勢や仕組みが続くのでは、会社が良くなることはないと思います。
自分達のため会社のためになる仕組みでないなら、まず直すことが第一歩ですよね。
直せないから捨てるという考えを持たざるを得ないこのご時世ですが、安易な方向になり過ぎないようにしたいです。
おそらく当社では、あと2カ月はISO認証取り止め案への結論は出ないでしょう。
その間に、仕組みをゼロベースで考え直すことが優先であることも、上司と話してみようと思います。

まきぞう様 毎度ありがとうございます。
ISOが素晴らしいかどうか? TPMがすばらしいかどうか? サークル活動が役に立つのかどうか? そんなことは一概に言えないでしょう。
私はISOをツールとして使いこなしたか、TPMを利用したのか、サークル活動を役立てたのか、という結果が重要だと思います。
世に、ISOは経営の仕組みだとか、マネジメントシステムとかご大そうなことを語る人は多いですが、世の中あがってナンボです。
役に立てればよくて、使いこなせなければ意味がありません。
そして多くの人がISOをいかに使いこなそうかと語っている現状を見ると、結局それは裸の王様だったのかも知れません。
あまりあがめたてまつることはないでしょう。



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