そんなことは自己宣言に限らず、認証を受けるときでも当たり前のことであるはずだが、当たり前でないことに多くの人はうなずくだろう。もっとも駆け出し事務局とかISOマニアにはそういう発想が浮かばないかもしれない。
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もっとも見直しをした結果、管理項目から漏れていることが見つかるケースもあるだろう。その場合は、それまで法違反が起きなかったことを神に感謝するしかない。
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つまり通常の企業において想定すると、ISO14001規格が4.3.1項で決めていることは「設備、工程、材料、事業、などを新しく導入あるいは進出するとき、アセスメントしなければならない」という意味に過ぎない。 簡単ではないか? |
もっとも認証を受けても、事故や違反が起きれば、認証機関は素早く逃げてしまって一切責任を負わない。
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自己認証は世の中の流れ? ISOの自己認証、興味深く拝読致しました。 例によってISOは素人ですが、IT機器関連の認証試験は、仕事でかかわっています。 この分野では、従来はライセンサーが第3者による認証を求めていましたが、自己認証の方向が増えてきています。 例としてはWindowsロゴ認証(Microsfot)や、HDMI(テレビなどAV機器の企画)などです。 これらの試験では、第三者による認証も可能ですが、大会社で費用負担も問題なく、社内にも評価部門があれば、そこによる自己認証が可能です。 なぜ自己認証になったかと言えば、第三者検証は市場での問題がないことを保障できないからです。 これらのロゴ認証では、基本的な機能のみ確認します。 つまり最大公約数的な試験しかしません。 一方で、市場で試験対象となる製品(DVT)は、様々な機器と組み合わされ、認証試験以外の部分でも問題が発生します。ですから、自己認証があろうが、品質に真面目な会社は第三者試験を利用したり、自社で更に試験をします。 さて、ISOに話を戻すと、自己認証が進んでも、第三者検証を受けていけない訳はありません。 違いは、そこで不適格と言われようが、少なくとも自社では合格しているのですから、審査官はその違いを説明する必要があるはずです。もし、そのような動きがあれば、審査官は真の力を試されるのだと思います。また、社内だろうが、自己認証の責任部門が独立性を持つならば、それは社内規定や業務を知らない第三者より、会社の利益につながる認証が出来るのだと思います。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 興味深く拝読 していただくほどの文ではありません・・恥ずかしいです。 外資社員様のコメントを読んで新たなことに気が付きました。それはCEマークなんてほとんど自己認証ですよね? わざわざ人さまに頼んで試験をしているメーカーはあまりないように思います。 それに対して、法的に何の意味もないマネジメントシステムの適合確認を大枚を払ってみてもらう・・あげくにおかしな規格解釈をする審査員にほんろうされて・・・ まったくおかしいとしか言いようありません。 しかし外資社員様の後半の論には違和感があります。 自己認証が進んでも、第三者検証を受けていけない訳はありません そうでしょうか? 自己宣言が一般的になれば、誰も無駄な出費をしないと思いますけど?? |
自己認証と、第三者認証 自己認証が進んでも、第三者検証を受けていけない訳はありません そうでしょうか? 自己宣言が一般的になれば、誰も無駄な出費をしないと思いますけど?? 私がかかわっている民生機器の規格認証では、自己認証が可能にもかかわらず、第三者認証を受ける会社がおります。 それはOEMやODMの場合には、自分のデータでは手前味噌かもしれないから、お客から第三者によるデータを出せといわれるからです。 ISO認証の場合は、別かもしれませんが、日本の会社はまじめですから、自社内部でも審査をやった上で第三者試験でも問題ないことを確認する会社があります。こうした会社の試験をするのは、怖いです。なぜなら結果で相違が出れば、思い切り突っ込まれるからです。ですから、軽々しくNGは出しません、こちらも再確認をしてから判定をします。 こういうお客さんがいれば、審査部門も淘汰されてゆくのだと思います。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。 お客様が要求すればこれはやらざるをえません。 それに自社でできない、あるいは自信がない、しっかりと確認してほしいということもたしかにあります。 ところで昔輸出する機器の試験ができない会社はJMIという所に頼んでました。JMIがJQAに名前を変えて認証機関になりました。それ以上言うとアブナイかな? |
おばQ様 自己宣言に関し、興味深く読ませていただきました。共感されている方がいるのはうれしく思います。 確かに環境側面の特定と著しいものの決定というのは、組織にとって一番のめんどくささだと思います。 審査の場では審査員からは、著しいかどうかは組織が決めればいい、などと先に言っておきながら、○○が入ってませんね、などと言われます。あれが混乱の元だという認識は審査員にはないのですかね、、、 自己宣言においては、すでにおばQ様が書かれているとおり、すべて自分たちが納得できるやり方で進めていくことになるのでしょう。順守評価しかり、運用管理しかり。そういった意味では、自己宣言になると、自律と自立を組織に促す効果はもしかしたらあるかもしれません。 事務局時代の経験で、 運用管理では、著しい=手順書が必要か?という議論になりました。また、順守評価は何をもって証明するのか、という議論もありました。いずれも、エビデンスのためにどうするのか?という視点での議論でした。確かにエビデンスがあれば審査のときに説明はしやすいかもしれませんが、それが経営に何の意味があるのか分かりません。仲間内で議論しましたが、手順書がいるという主張には辟易しました。 そもそも、省エネのための手順書なんて存在できるわけがないのです。設備投資や機器の異常診断、毎日の巡視とデータの俯瞰、これらのことが手順書化できたとしても、それで省エネが達成できるものではありません。歩留りにしても同様です。手順書一つでなんでも改善可能ならISOなどいりません。 また、産業廃棄物の契約書の各項目をチェックしたとして、そのエビデンスは最終的に出来上がった契約書で十分なのではないでしょうか。署名されたレ点のチェックリストなんか紙の無駄です。 ISOの要求とは、すべて業務の中で達成されることであり、そのエビデンスは社会では誰も望んでいない無意味なものだと思います。全部とは言いませんが。 自己宣言はビジネスとしては流行らないのでしょうね。怪しげなコンサルさんも、さすがに自己宣言しようという意識を持った組織をうまく籠絡できるとは思えません。 |
まきぞう様 毎度ありがとうございます。 私も日々勉強中です。まきぞう様のおっしゃるように、省エネのための手順書なんて存在できるわけがないのです というのは至言のように思います。 ただこれこそ有効性とは何ぞやというときに、システムが有効に機能しているのか? パフォーマンスが向上しているのか? の違いであって、ものすごい違いであるのは確かです。 ともかく、私たちはISO規格を正しいという前提で活動しているわけですが、審査員の解釈が正しいかどうかは検証しなければなりません。 私たちはISO規格という聖書を信じそれを実現しようとするだけで、審査員という司祭の見解などどうでもよいというか、そもそも権威などないのでしょう。 とすると、第三者認証制度はカソリックであって、自己宣言はプロテスタントであるということでしょうか。 もちろんカソリックISOが悪いわけではなく、信じるだけで救われようとする人にとってはすばらしい教義です。更にゴシック風の教会(認定協会)があり、免罪符として認証証というものももらえるのです。 他方、プロテスタントISOたる自己宣言にはおごそかな儀式もなく、神を信じて己を信じて生きるほかありません。 まあ、他人に頼るより、己の力で生きていくということのほうが価値があると私は思います。 なんか全然関係ありませんね ![]() |
自己認証 その2 ロケットけんちゃん様がお書きになった自己審査の問題点は、私は次のように思います。 1)悪意はなくとも危ない部分は避けている 2)長期間すると審査が形骸化する 3)審査に合わない場合には、その部分のみ修正する などと思います。 なぜそう思うかと言えば、私は”製品設計の第三者認証”の仕事をしているので、その経験からです。 1)は、設計者は一番製品のことをしっていますので、危ない部分は自然に避けます、または消費者が行う非常識な使い方はしません。 ですから、思いがけない使い方での問題は見過ごすことが多いのです。 2)は、第三者認証機関にもいえることなので自戒していますが、同じ手順が繰り返されると、人は単純化やルーティン化をします。ですから見落とす可能性が多くなります。これを防ぐには、審査者を変える、審査機関を変える、自己認証と第三者認証を併用するなどの対策があります。 3)は、試験者や、認証機関の能力に関わります。 ある問題を見つけて、他にも発生する危険がないか、原因分析がそこまでできるかで変ります。 真に力がある人は、見つかった問題だけでなく、他に及ぶ危険もみつけます。そうしたことは認証や試験を行う人や機関が問われる力だと思います。 如何でしょうか。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 正直申しまして、外資社員様がおっしゃることの具体的イメージがわいてきません。 話は変わりますが、ISO9001の審査員認証機関のJRCAの季刊誌の09/03月号に第三者認証制度の問題点がいろいろと論じらています。 JABのISO大会と違い、かなり真摯に形骸化とか審査の問題を論じています。真剣に現状を憂いている人がいるのだと安心しました。 それに比べてJABはかみしもを付けて建前論しか語っていないようです。そういうところには現状打破も改善も期待できないなあと思いました。 |
自己認証の課題 済みません、自分の仕事の中で考えたので、判りにくい説明でした。 乏しいISO審査の経験から、言い替えてみます。 1)自己認証の実施者、判定者の選出が困難 利害関係者では駄目ですよね。 かと言って、社内の規定や、関連規格について判っている必要もあるし、深い経験や広い見方も出来るのが望ましいのだと思います。そういう人材の適任者を得るのは簡単ではないと思います。 利害関係者ではないという点では、第三者機関は問題ないのです。 2)長期間すると審査が形骸化する 上記のような適任者がいても、同じ人が何回も審査すれば、関係者は合格のためのコツを掴んでしまうと思います。 受験する側も、本来の目的は社内システムや規定が目的に対して適切なのかを確認することだったのに、いつの間にか”合格”するが目的に変容するのではないでしょうか。 手段を目的化しないことは、重要と思います。 それに対しては、対策例としては、審査をする人を複数化したり、どんなに素晴らしい人でもある期間で交代するのが必要と思います。 第三者の場合は、審査者が固定される可能性は少ないように思います。 もちろん自己認証でも、それを固定しなければ問題ないと思います。 (3)審査に合わない場合には、その部分のみ修正しない) 問題が見つかった場合に、その部分だけ手直しするのではなく、更に深く掘り下げて他にも同様な問題がないかなど、分析と確認が重要と思います。 ISO審査の現場で、どのようにされているかは不明なのですが、、試験者の能力が問われる部分です。 第三者認証なら出来るかは不明なので、これは自己認証固有の問題でないと気づきました。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 おっしゃるご心配は分かります。 自己宣言そのものは内部点検結果、適合であれば外部に表明することです。 しかし通常自己宣言と言った場合、真に内部の者だけが点検して外部に宣言するのは少ないようです。多くの場合は親会社、顧客、自治体の場合は住民代表などが監査員を務めるようです。そういう意味では多少なりとも客観性は担保されます。 長期間になると形骸化する・・確かにその恐れはあります。もっとも審査機関の場合でも組織側が審査員を固定することを望むことも多く、その場合は同じようになります。まあ、システムをドンドン改善していくという共通認識がないと、いかなる方法でも形骸化という罠に陥る可能性はありますね。 是正処置の深掘りは、組織の成熟度によると思います。ISOのない時代からしっかりした是正処置をしている会社もあり、ISOの時代でも不具合の除去しかしない会社もあり・・ 全部が全部、自己宣言に限らず、大なり小なり第三者認証でも同じかもしれません。 |