ISOよ!真価を示せ 09.07.24

本日は、愛情を込めた檄!
2007年末から世界的に不景気で、2008年のリーマン破綻以降は大恐慌といってもよい。今年3月底を打ったと言われているが、日本中のどの企業も、一般市民も、派遣切りだ!大変だ!生活が苦しい!と大騒ぎだ。それどころか日本政府も大変だ。いえ、本当を言えば世界平均から見ると日本政府はまだ安泰な方なのだ。世界には既に破綻した国家もあるし、破綻寸前の国家はいくつもある。
外国の国債の金利は高いから外国の国債を買おうなんていっている方、外国は預金金利が高いから外貨預金しようと思っている方、それは大きな間違い、勘違い。ファンダメンタルの安定した国の国債は金利が低い。だって低くてもみなさんが買ってくれるのだから、わざわざ高い金利を付けることはない。国債の金利が低ければ預金の金利も、貸し出す金利も低いのは当然です。
国債の金利、預金の金利の高い国はそれだけアブナイということになります。いえ、そんなこと浅学の私が言うまでもありません。世の中には賢い人がいて私のような愚人を教えてくれます。

ところで以前からISOは経営の仕組みだ、経営を良くするものだと言われてきました。いえ、正確にいえばそう語っていた人々がいたということです。そう語っていない人もいましたから。
おっと、ISOと言っても広ろうござんす、ここではISO9001とかISO14001に限定しましょう。
そういった人々のお話によると、ISO規格適合のマネジメントシステムを構築すると怖いものなし、不具合はおのずと修正され、問題は二度と起きないように是正処置(再発防止)が取られ、事故とか不祥事は起きないように予防処置もでき、槍が降っても嵐が来ても大丈夫、なんて言われていたのです。最近はそれだけでは物足りない方のために、更に強力・強烈な事業継続マネジメントシステムというものさえ現れた。まさに究極兵器、もうアキレスのようなわずかな欠点もなく神のごとく不死身です。
究極兵器とは防ぎようのない最終兵器。昔は核が究極兵器なんていわれたものだが、最近は弾道ミサイルでさえ迎撃できるようになったと言われる。現代の究極兵器は自爆テロなのかもしれない。
ところでこのような完全無欠なISOで武装した企業が日本には数万あるという。もちろん世界には数10万もある。
実は不思議なことに日本にISO認証した企業が何社あるのかだれも分からないようだ。ISO9001に限っても少ない方から4万社とか6万というのもあるし、多いのは8万というものまである。認証件数で倍も違うデータがあるとはISOらしくない。信頼性とかトレーサビリティはどうなんだ?
じゃあ、この21世紀初頭の大恐慌において、ISOを認証している企業と認証していない企業の業績はいかほどの差があるのであろうか?
みなさん、興味がありませんか?
私の知る限りそのようなデータを見たことがない。
もし誰もまだ研究していないなら、私は定年後に大学院に行ってそんなことを研究したい。
ISOの真価が分かるだろうと期待する。

本日の疑問
もしもの話だが、ISO認証企業は認証していない企業より経営体質が強化され、経済危機、遵法管理、生産性、品質が優れているという証拠がないなら、「ISOは経営の規格」だと語る人は何を根拠に語っているのだろうか?
単なる寝言なのだろうか?

風の谷のナウシカより
ISOよ、焼き払え、それでも最も邪悪な一族の末裔かあ!
いや違った
ISOよ、真価を示せ それでも経営のツールを名乗るのか!



しょうちゃん様からお便りを頂きました(09.07.25)
ISOよ!真価を示せ
おばQさま、いつもお世話になります。しょうちゃんです。
この21世紀初頭の大恐慌において、ISOを認証している企業と認証していない企業の業績はいかほどの差があるのであろうか?
みなさん、興味がありませんか?


興味はありますが、私の思考順序は逆です。
ISOを認証している企業と認証していない企業の比較でなく、どんなタイプの企業がISOをいち早く認証し、どんなタイプが今だに認証登録せず、世間の流行に乗らずに頑張って(?)いるか。
そして夫々の企業の性質が、この不況の時期においてどれだけ差が見られるのか?
(例外はありますが、殆どの場合において)
ISOが会社の本質を変えるとは思っていません。
世間の流行に敏感で、企業イメージやプライドを大切にする企業と、そんなモンには流されず質実剛健の企業、どっちがこの苦境に耐えられるのか、という意味で興味深いです。
企業規模や業種なども要素に入っていきますので分析は難しいと思いますが、ISOを認証していない企業の方がしぶといのでは・・・・?

しょうちゃん師匠!
ガバ 平伏する音
そうでありましたか、なるほど、
ISOが目的ではなく手段であるならば、別なツールを使ってでもより良い成果を出した者が勝ち
ええかっこしいの業界は業界が作った認証機関とともに沈没とか・・アブナイ、刺客を送られる 


外資社員様からお便りを頂きました(09.07.27)
ISOの真価 によせて
佐為さま いつも、ISOに対する愛の鞭? 拝見しております。
前にも書きましたが、真価で基本的な所は用語の統一だと思います。
これはISOに限らず、国際規格がもつ重要な役割と思います。
海外の会社だろうが、初めて取引する会社だろうが、少なくともISOに取り組んでいる会社ならば、同じ言葉で話しが出来ることは素晴らしいのだと思います。 特に、経営、品質など、抽象的な概念を議論するには用語の統一がなければ、「唐人の寝言」でチンプンカンプンで、高い出張旅費をかけて会議するだけ無駄ですので。

とは言え、規格書に全てが書かれている訳ではないので、見えない部分をどう読むか、解釈が複数可能な場合の考え方だと思います。
私は、見えない部分の補完や解釈が分かれた場合の指導に、第3者認証会社の役割で重要と思いますが如何でしょうか。
解釈の統一をするならば、かなりの頻度で認証会社同士で話し合うことが必要ですし、改定の背景には、不明確な部分を改善するような場合があるからです。
そうした点には私は暗いのでご教示頂けると幸いです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
私はISOとはキリスト教の言葉の世界だと考えております。ISOの審査員(もちろん日本人)の中には、「規格の行間を読むと・・・と思われる」なんて不適合を出している人が現実に存在します。
私はそういう人を見ると、ISOを冒涜する者だと毛嫌いします。
ISOとは規格文言に書かれた通りの世界で、行間もなければ、見えない部分も存在してはいけないのです。
解釈の統一とかかなりの頻度でコミュニケーションをとらなければならないようなあやふやなものであるなら、もはやグローバルスタンダードではありません。
価値観が異なっても、言語が異なっても、取引のための基準こそがISOの存在意義です。そう思う私はISO原理主義なのでしょうか?
規格改定の背景というのは部外者には知ることができないでしょう。どのようなビジネスがあり、どのような交渉、取引があったのかはISO-TC委員しかわからないと思います。


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