継続的改善 09.09.22

岡崎二郎ってお人を知ってますか?
いえこの方、タレントではなく、政府高官でもなく、大学の先生でもなく、小説家でもなく、マンガ家であります。
彼が書くマンガはエッチのものではありませんし、小難しい話とか哲学的なものでもありません。ほのぼのしたユーモア系といいましょうか、老若男女、万人が楽しめます。1コマとか4コマではありませんが短編が多い。しかし結構感動したり泣いたりするんです。もし見たことも読んだこともなければご一読遊ばせ 決して後悔はしませんよ。

この岡崎二郎のマンガに、成長するというか熟成する絵の話があります。成長する絵というとなんだかわからないかもしれませんが、描き上がった時は駄作だと思われている絵が、年月が経過するにつれてどんどんと素晴らしくなっていきやがて傑作と言われるようになるのです。

描いた時は駄作でも
時間がたつと
変化するなんて
矢印
ちょっと怖い

やがて傑作になる
マンガの中でもその理由は明らかにされず、登場人物の一人が「絵の具が風化することを計算して描いているのではないか」と言う程度です。
もっともウイスキーが樽の中で醸成されることを思えば、それほどトッピなアイデアではないのかもしれません。
物語の中に、親から相続した絵がくだらないと早々に手放してしまい、やがて何十年か後にその絵にものすごい値がついているのを見て悔しがる人もいれば、若い時に画家から頂いたものを価値がないと思っていても恩を感じて生涯大事に持っていて老齢になってその素晴らしさに感動する人もいます。
まあ、そんなことが実際にあるのかどうかはわかりません。しかしそれを読んでちょっと感じたことがあるんです。

まあなんですわ、私の考えることはチョーくだらないということを踏まえて読んでくださいね。ここの常連の方はそんなこと言わずもがなではありましょうが・・
できちゃった婚です 私が結婚したのはもう35年も前のこと。その時、私が家内を素晴らしい人だと思ったのかどうか?今では思いだせません。
世の中の男女の組み合わせで、相手を素晴らしい人だと思って決めたというのははっきりいって少ないのではないでしょうか。相手がお金持ちだから、ハンサムでかっこいいから、将来出世しそうだから、赤ちゃんができちゃったから、もう歳だからこのへんで手を打とうとか・・まあそんな理由で結婚を決めているのではないでしょうか?
私がどうして家内と結婚するようになったのかといういきさつは既に書きましたが、真剣に考えた末ではなく、要するに成り行き、行きがかり、偶然の重なりに過ぎません。
しかし多分、いや間違いなく、当時の家内は今の家内よりは若かったのはもちろんですが、考えも未熟で料理の腕も子供を扱うも知恵も劣っていたと思います。もちろん私も、子供でバカで世間知らずでただ元気と体力は今よりあったとは思います。
いえ、正直言いますと、現在の私の方が当時の私よりも精神的には若く強くチャレンジ心も向学心もあるような気がします。体力と健康はビンボー家で貧しい食事をしていた時に比べて、家内のすばらしい腕前の料理を35年も食べてきたので60になった今の方が間違いなく上でしょう。
ところで、岡崎二郎の本から演繹すると、若い時つまらない人だと思って別れた女性がものすごい人になって後悔するとか、お互いに助け合って成長して老齢になって我が人生悔いなしなんて思うこともあるのだろうと・・
過去、私は女性を振ったことはなく、私が振られたことは両手くらいあった。私を振った女性は今の私に会ったら後悔するのか? 振ってよかったと思うか?
家内です
バカなこと言ってんじゃないですよ

まあ休日の午前中、そんな妄想が浮かびまして、結婚というものは、未熟な二人がお互いの葛藤の中で鍛えあい成長していくのではないかと。初めから完成した大人の男女が結婚するとしたら成長という過程はありえず、たんなる生活費の削減とか子孫の再生産にすぎないのではないか。
ということは俳優とか有名人同士が結婚するということは、成長を目的としておらず、お互いの経済的、社会的、あるいは政治的目的を果たすという庶民とは異なる目的を持っていることになる。そういう場合は単なるビジネスのパートナーであり、浮気をしても気にしないとか、お互の財布を別にするとかあっても当然なのでしょう。
そういえば子供が親を大人にするなんて言い回しもありました。我々は決して完成したものではなく、常に成長し続けるのでしょう。

妄想ははてしなくドンドン発散するのだが・・いや成長すると言おう・・子供だってそうでしょう。昔は小さく生んで大きく育てろなんて言いました。今はこの言い回しを会社の事業なんかに用いて、新規事業は小さくはじめてやがて大きく育てて会社の大黒柱にしようなんて意味に使います。つまり初めから完成状態とか完ぺきなことを求めずに、とりあえずスモールスタートではじめるというのは何事においても常套手段なのです。
【常套手段】(じょうとうしゅだん)同じ場面なら決まって採用される方法

やがて妄想はわが愛しきISOにたどり着いた。
ISO14001の目的は遵法と汚染の予防である。それを実現する会社の仕組みは一律に決まるものではない。それは、その会社のレベルや文化、そしてとりまく事業環境などによって異なるのはあきらかだ。だからISO規格で求めていることは、決まりきった理想形とか、完ぺきとか最高ではなく、常に改善していくという継続的改善である。静的な状態ではなく、動的な運動・活動状態を求めているように思われる。
これはすごいことじゃないか。「あなたは完ぺきであるべきです」なんていうのは論理的に無理だし、現実的にあり得ない。他方「常に努力して向上に努めなさい」ということは現実的妥当なことのように思える。
「エデンの東」風にいえば「あなたは成長することにあるべし」
良いじゃないですか! 

それから演繹すれば、企業の仕組みが不適正だとか、パフォーマンスが低いなんていうのはおかしなことだ。その企業の将来価値を評価すべきなのだ。あの企業は素晴らしい利益を出したというより、あの企業は伸びるぞという方が株を買おうかという気になるもの

とすればISO審査において、がんじがらめの規格解釈で審査するのはまことにもっておかしなことなのではないだろうか。その会社がドンドン伸びていくであろうということを前提に、いかなる環境マネジメントシステム(EMS)に育てていくべきかということを脇から支援するということがISO審査であり、認証ではないのか?

組織に対して継続的改善を求めるなら、審査において継続的改善を求める審査をすべきだし、それは現時点は荒削りで欠陥があっても将来に期待するという裁量があっても良いのではないか?

本日の誓い
私は死するときまで学び続けることを誓います。 


ふっくん様からお便りを頂きました(09.09.22)
凡人の継続的改善の限界?
岡崎二郎さんのまんがは、私もビックコミックでたまに見てますが、「サンちゃん」などは大ファンです。
そういえば、ある本につんく♂はモーニング娘の生みの親ということですが、最初は「何であんなやつが?」って普通の人なら思う人(女の子)をこぞって集めてあのような大人気グループにしたという話が載っていました。
私は好きでしたけど、サザエさんに出てくる花沢さんなんかは、もしかしたら素敵な女性になるのかもしれませんね。
もちろん大前提として成長したいという強い想いがなければ、人は成長しません。「かくありたい」という想いが、人をその方向に導く唯一のエネルギーです。ま、それがいい方向か悪い方向かも含めて私たちは(時として冷静に)考えていく必要があるみたいです。でも、恋は盲目といいましょうか、自分が選んだ人や道がよいと本当に信じている人は他人がとやかく言っても絶対聞く耳を持たないということ…自分もそうだったし、他人を見てもそんな人も多いです。下は一般庶民から上は政治家まで。それが結果的によければよいのですが…。
また人は成長すると(しすぎると)自分ひとりで上がりつめたように誤解するといいます。その結果、爆弾発言が一気に身を滅ぼすことも間々あります。それを考えると凡人の「継続的改善」もある一定レベルまでの有効性じゃないかと思います。苦労しながらも、すべてに感謝し、謙虚に生きて成長を重ねるイチローのような人はそんなにいません。俺は世界最高だと思った瞬間、人は悪魔に魅入られるのではないでしょうか?

ふっくん様 毎度ありがとうございます。
成長したいという強い想いがなければ、人は成長しません
おっしゃるとおりですね、
では私も初心に帰り、大人になりたいと念じます。
といっても、まだ大人になりきっていない老人でした・・・orz

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