自然保護ってなによ
有益な環境影響ってなによ 
09.10.25
なぜタイトルが二つあるかというと、一粒で二度楽しめるというか、一般用、ISOマニア用を兼ねるというか、あるいは単なる手抜きというか 

一年ほど前に他の部門から異動してきた同僚が、社外のISO14001の初級講座を受講することになった。私は「有益な環境側面なんて教えているところはダメだよ。○○協会なら大丈夫」と港区にある某研修機関を薦めた。彼は勧めに従ってそこで受講した。いささか心配だったので講習を受けた彼に、「講師は有益な側面なんて言わなかっただろうね」と聞いた。すると「講師は有益な環境影響はあるけど、有益な側面はないと言ってましたよ」という。少し安心した。
「でも、世間では有益な環境側面という言い方もあるので、知っておくようにとも言ってました」という。
まあ、今の世の中そんなものなのだろうとは思ったが、ちょっとがっかりした。長いものには巻かれろという感覚が気にいらなかったのだ。
ところが同僚は更に言葉を続ける。
「有益な環境影響って何でしょうね?」
../2008/sensu.gif 私は持っていた扇子をバタット落とした・・・というのはウソだが、雷に打たれたような気がした。
そうとも!有益な環境影響っていったい何なんだ!?

「有益な環境影響」という言葉はISO14001本文にはない。出てくるのはアネックスのA3.1の一節に「有害か有益かを問わず、全体的に又は部分的に環境側面から生じる、環境に対する変化を環境影響と呼ぶ。」という個所のみである。
ちなみに英語原文は
Changes to the environment, either adverse or beneficial, that result wholly or partially from environmental aspects are called environmental impacts.
adverseとは不都合とか、逆という意味であり、beneficialとは利益になるとか、助けになるという意味らしい。
有益とか有害ってなんでしょうか?
改めて考えると、英語も日本語も言い回しが間違っているような気がする。
正しくは「人類にとって有害か有益かを問わず、全体的に又は部分的に環境側面から生じる、環境に対する変化を環境影響と呼ぶ。」ではないのだろうか?
そんなの当たり前とおっしゃいますか?
環境保護とか自然保全なんていうのはすべて、人間にとって都合の良い環境を維持しようとか、我々が気に入るように環境を変えようということを意味している。
自然保護とは自分保護のことだと断じた方もいる。

それがどうしたという方もいるだろう。単なる言い回しじゃないかという人もいるだろう。
だが、良く考えるとこれはものすごく大きな違いだと思う。

単なる言葉の使い方じゃないんです。価値観の話ですよね。
有益とか有害というのは、人間がいてはじめて成り立つ言葉です。自然界にとって二酸化炭素が増えようが、オゾン層が消えようが、海水面が上昇しようが、どうでもいいことではありませんか。
オゾン層が消滅したらすべての生物が死滅すると心配される方もいるかもしれない。しかしオゾン層そのものも生物が作ったなら、意識せずオゾン層を作りだしその時の他の生物を死滅させたことと、愚かさによってオゾン層を破壊し自分を含めた多くの生物を死滅させることを比較すれば倫理上なんら変わりはない。
それを真剣な顔をして、地球温暖化を阻止せねばならないとか、生物多様性は重要だ、なんて語ることはありません。・・騙るかもしれませんが 

ISO14001は遵守と汚染の予防である。だから著しい環境側面を管理しなければならないということになっている。それに異存はない。
しかしなぜ?といえば、やはり「我々人類が被害を受けないことが目的」であることは言うまでもないことだ。

公害を出すなということは、地球がどう感じるかとか、お魚さんが死んじゃうからではなく、自分たちが困るからにすぎない。省エネしましょうというのは、石油がなくなると砂漠に住む生物が困るからではなく、人間がエネルギーを長く使いたいからに過ぎない。
そればかりではない。環境に悪い影響も良い影響もないのではないか?
ゴミをだすからカラスが増えたというのが事実か否か知らないが、カラスにとっては有益な変化だったろうと思う。あるいはひとつの種が滅べば、そのニッチは別の種にとっては新天地であり、悲しむべきことでもない。そもそも天然痘を撲滅して喜び、レッドデータブックを見て悲しむ価値観のねじれをどう説明するのだろう。
生物多様性を唱える人々は、殺虫剤メーカーに抗議デモをするのだろうか?
しないならなぜしないのだろうか?
いやもっと簡単なこととして、蠅も殺さず、蚊も殺さず、スズメバチも殺さず、野良犬も野良猫も退治せず、シロアリに我が家を献上するのだろうか?
マラリア蚊とかゴキブリが、あるいは害を与える外来生物がレッドデータブックに載ることはあるのだろうか?
外来生物がそれまでの日本の自然環境を破壊したというなら、米もかぼちゃもジャガイモもなにからなにまで排除しなければならないのだろうか?
もちろん日本人も
すごいことが頭に浮かんだ。
世界中の人間を排除しアフリカに押し返せば、アフリカ以外の自然は守られるだろう。
だがそうなれば人間の活動のおかげで生存が守られていた生物、人間に依存している生物たちは絶滅の危機に陥る。
 さあ、どうしよう? 
私は、地球環境保護なんてしなく良い、環境保全など無用だと言っているのではない。
../chou.jpg そうじゃなくて環境保護もISO14001も自分のためにしていることだと正直に受け止めて、エエカッコを止めるべきだと思う。
植林をしたり、里山保全とか、その他もろもろの環境保護活動は、トキとかチョウチョとかタンポポのためじゃない。あなたが気持よく暮らしていくためにしているんでしょう。
環境保護は正義だとか、生物のためとか、いい大人が語ったら恥ずかしい。あなた自身の利益のために環境活動をしているんじゃないですか。
おことわりしておきますが、目的論とか義務論なんて意味のない議論はそれこそ無意味です。

ISO14001の話に戻る。
良い環境影響なんて言い出すから、良い環境側面なんていう奇怪な考えが出てくるのです。良い環境側面がないように、そもそも良い環境影響もないとちゃんと理解すべきです。
私たちは、自分たちにとって困る環境改変をしてはならない。だからそのような怖れのある環境影響を出さないようにするために、環境側面を管理すると言い切りましょう。

環境に良いとか言いだした瞬間に、ウソというかバーチャルなオハナシになってしまうのです。そんな、うそ八百の歯の浮いたようなことを語っていると、神経衰弱になり、心身症になり、インポになるかもしれません。

はい、本日の再確認
私たちは人間に都合のよいように自然を維持改変します。自分たちに都合の悪くなるようなことはしません。そのためにISO14001のPDCAを回していきます。

でも、そうすると人間中心で自然保護も地球改造も同じ次元になりますね。
でも恥ずかしいとか困ることもありません。それが人間の性ってもんですよ
我々は単なる生物で、他の生き物を食べなければ生きていけないということを認識しなければなりません。自分の力以上のことをしようとか、楽をしようとするならば、他の人をこき使うか人間以外のエネルギーを使わなければならないという当たり前のことに過ぎません。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.10.25)
これは名古屋鶏さんの理論ですが、「有害か有益かを問わず」というのは「有害と有益の両方」ではなく「有害であろうが有益であろうがそれに関係なく」と解釈するのが妥当だと私も思います。
両方と解釈するから「有益な環境側面」という言葉が独り歩きするのでしょうね。所詮は審査のためのメシの種です。
また、ウルトラマンネタでも登場しましたが、トラは絶滅危惧種に指定されていて保護の対象です。でも、トラによって生命や財産(家畜)が危険に晒されている人たちにすれば、厄介な存在に他なりません。
焼き畑農業をしている人たちだって、好き好んでやっているわけではなく、生き延びるために仕方なくやっているのであって、それを第三者がとやかく言う筋合いはありますまい。
所詮は「人類にとって都合のよい」環境保護ということなのでしょう。

そもそも、貧困、飢餓、病気、麻薬、水不足などなど人類を取り巻く直近の問題が山積みとなっている現状を横に置き、二酸化炭素の排出制限などというアホくさく、かつ眉唾なことが何物にも変えがたい最優先課題として扱われる現状には、何らかの作為や陰謀があるように思えてなりません。
先日もわが国の首相が25%削減を公言して各国の喝采を浴びたという報道がありましたが、あれは「アホが陰謀にまんまとハマりやがった。やったね」という意味の拍手だったと私は思うのですが、考えすぎでしょうか。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
おおむね同意でありますが、一点だけどうかなとうところが・・
ハトポッポが25%削減を公言したとき、諸外国の首脳には、「こいつはアホか」と見られたのは間違いないですがそのアホさはチョット違うようですよ
「まんまとはまったアホ」と思ったのではなく、「この緊急時にアホを語っているアホ」と思われたようですということです。
世界大恐慌でイギリスが国家破産するかどうか?というときに、のどかなことを言っていると日本まで破産してしまうのではないかと心配です。


あらま様からお便りを頂きました(09.10.26)
よい環境
佐為さま あらまです
「環境」と言えば surroundings とか circumstance とか environment などを思い浮かべます。
air なども 「環境」という意味で使われていることを知り、それで最近、「空気を読む」なんていう日本語が使われるようになったのだと 妙に感心したことを覚えています。
ところで、「環境問題」の「環境」は、environment が使われていて、インターネットの辞書の解説によれば、個人の感情・情操・人格などに与える影響を強調するものなんだそうですね。
また、surroundings は「雰囲気」。circumstance は「事情」なんていう意味で、もちろんその主体は「人間様」ということになると思います。
よく、「他の惑星は生物が住める環境ではない・・・」なんて言われますが、それは当然、「人間も住めない」という意味を含んでいると思います。
ところが、最近は、森林の敵は人間であるとか、絶滅寸前の希少動物の敵は人間だとか、人類は地球のガン細胞だとか言われて、環境の主体は「生態系」という意味で使われているようです。
NHKなどが、そんな使い方をしていますね。
しかし、その生態系が崩れれば人間も住めないということで、結局、「環境」も「人間原理」の一つだと思っています。
小生にとっては、この佐為さまのホームページが、居心地の「よい環境」であります。

あらま様 毎度ありがとうございます。
すみません 浅学にして環境に対応する英語がそのようにたくさんあるとは知りませんでした。
いずれにしても人間なくして考える軸はなく、単純に生態系どうこうと考えることに意味があるのか疑問ですね?
人間が朱鷺を滅ぼすのは悪で、猛禽類が朱鷺を食べつくすならOKなのでしょうか?
ちょっと想像もつきません。
ところでこのホームページは毒はなさそうですが、アルコールの匂いが漂い、怪しいところですからご注意を!


活字中毒様からお便りを頂きました(09.11.14)
自然保護
連投失礼します。
まず自分は「自然保護」と言う言葉が嫌いです。
理由としては自然を保護するなんて無理ですし、何もしないで放っておく状態こそが自然のはずですから。
しかし実際には自然保護の名の下に植林、絶滅危惧種の保護(と言う名の飼育)が行われています。
自分は凄く違和感を感じます。
人間のためには良くてもそれは自然のためなのか…と。
自然を保護するということは生態系の変化、種の絶滅、新たな種の繁栄全てには介入しないことを絶対条件とした上で、その上で保護することだと思います。
なぜなら介入した時点でそれはもう自然ではありませんから。
言葉遊びといわれればそれまでですが。
あと盛んに叫ばれてる二酸化炭素削減。
軽くネットで調べただけで温暖化と二酸化炭素の関連性を疑う声が多いことが分かり驚きました。
あと面白かったのは、交通で発生する二酸化炭素よりも畜産で発生する二酸化炭素の方が多いこと。
エコカーって大して環境に貢献してないんだなってしみじみ思いました。
にもかかわらず二酸化炭素を25%削減しますなんぞと宣言したアホ首相…。
結局は自然のためと言いつつ人間のため、二酸化炭素の削減は単なる政治外交のカードに成り果てたわけですね…。

活字中毒様 お便りありがとうございます。
おっしゃることに全く同意です。
といってはオシマイですから、お付き合いしましょう。
自然とは何か?といえば、人間が手を加えていないということではないようです。その人が生まれた時の原風景をその人は自然と認識するそうです。
自然に自然と認識するなんて言葉遊び?
人間によってではなく、自然に種が滅ぶのを自然だと思うか、救おうと思うのか?自然保護主義者はどうおもうのでしょうか?
ところで天然痘を撲滅しよう、蠅、蚊を退治しようという人たちは反自然保護主義ですよ!
現時点、環境保護とは外交の手段であり武力を使わない戦争であるというのは事実でしょうね。中国が環境保護のために日本の技術を無償で提供せよと言っています。これって完全に経済戦争です。
日本としても技術を提供しないと公害で困るのは日本・・困りました。

ISO14001の目次にもどる