ケーススタディ 書面審査 09.12.13

岩手工場の環境遵法監査の二日目である。午後は書面審査の時間だ。
山田は書面審査とは、先日見学したISOの審査のようなものを想像していた。つまり監査側と被監査側が向い合い、監査側が質問してそれに応えて被監査側がエビデンスを提示して進んでいくものと思っていた。
しかし実際は予想と全く違った。それは過去、山田が営業にいた時に毎年のように受けていた社内の会計監査や何年かに一度あった税務署の立ち入りと同じだった。口頭での質疑ではなく、被監査側に準備させたすごい量の書類や帳票をひたすらめくる作業である。そして記載事項が法規制と異なるところや、つじつまが合わないところを見つけることである。あるいはつじつまが合うことを確認することだった。
私が15年も前にISO9001審査員研修を受けた時、講師が「監査とは不適合を見つけることではない。適合を確認することだ」と語った。意味は同じようなことかもしれないが、監査員はそういう心構えで行うべきだ。そうでなければ単なるあらさがしに過ぎない。

山田はリーダーの廣井からマニフェスト票の点検を割り振られた。廣井がマニフェストの点検は初心者向きと考えていることに間違いない。一応は山田も特管産廃管理責任者講習を受け「特別管理産業廃棄物管理責任者講習修了証」なるものをいただいているのだが、廣井や井上、熊田から見ればヒョッコどころかまだまだ卵にすぎないのは山田も認識している。
それも受精前の卵かもしれない・・

井上はいろいろと面倒見が良く山田に教えてくれる。
「山田君、マニフェスト票には直行用と積み替え用があり、それがまた作成販売している業界団体ごとに種類がある。収集運搬と処分が同じ会社の場合は一緒に返却してよいという環境省通知は知っているね。そして自社運搬の場合もあるので間違えないようにね。
A票には記載する項目が24か所あるけど、法の必須要件とマニフェスト作成者がおまけに作った記入欄もある。法で定めた以外の、おまけの欄には記入がなくても良い。そして大事なことだが最終処分地はマニフェストだけ見ても適正かどうか分からないので、契約書の最終処分地と照合しなければならないよ。」
うーん、これは結構な仕事だと山田は思った。岩手工場が一年間に交付しているマニフェスト票は約700枚、それぞれA票、B2票、D票、E票の4枚セットであり、積み替え用になると更にB4とかB6というのがある。自社運搬の時はC1、C2票も保管されている。
更に更に、紙マニフェスト以外に100件ほどは電子マニフェストを使用している。それはモニターでチェックすべきかプリントアウトしておいてもらったほうがよいだろうか?
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山田は、指サックをしてひたすら帳票をめくった。最初はチェックする項目を探すのが骨だったのだが、二・三〇〇枚もチェックするとパターンが頭に入りチェック漏れがなくスピーディーになった。そしてめくるときに残像で感圧紙の各票の記載にずれがあるかないかも分かるようになってくる。もしずれていれば後で追記したということで、つまり虚偽の記載ということになる。

要領が分かると少し余裕が出てきた。他の三人がどんなことをしているのかとあたりを見回した。
熊田は排水関係の測定データを担当したはずだ。熊田の前にはたくさんの自記記録用紙が山のように積んであり、熊田は自記記録紙をひとつづつ手に取ると巻物のようにというか、扇子のように広げて見ている。なるほどああいうふうに見るのがコツなのか、と山田は感心した。もちろんその他に公害防止管理者がどのように見ているのか、統括者あるいは代理者がどのように確認しているのかもこれからチェックするのだろう。
井上を見ると廃棄物の契約書、届け出、現地調査の記録などをものすごい速さで片付けている。雑談をする余裕もなさそうだ。そしてときどきポストイットを張り付けている。おかしなところがあるものは、後で工場の担当者を呼んで聞くのだろう。
それにしてもものすごい速さだ。廃棄物処理委託契約書の記載事項として法律で定める要件は多々あるが、井上はそれらを漏れなくチェックしているのだろうか? 首を伸ばすと井上の前に契約書のチェックリストがあった。そこには印紙については金額や消印の有無から始まる数十のチェックポイントがある。最後は許可証の期限となっていた。そこにチェック印とかおかしなところを記入している。

廃棄物処理委託契約書チェックリス
業者名螺吹クリーン産業(株)
区分収集・運搬 処分 最終処分
収入印紙印紙金額400円 OK
消印の有無消印あり OK
・・OK
廃棄物の種類許可証にその種類があること廃アルカリあり OK
・・・文言不明瞭 ?
・・・OK
・・・・・・OK
・・・OK
・・・OK

廣井は何をしているのだろうか? 廣井は熊田とか井上と違い、だいぶ余裕のある雰囲気だ。行政報告や届のたぐいを見ているようだ。見ているとものすごくゆっくりしているように見えるのだが、そのチェックしている早さは井上どころではない。
廣井は山田が見つめているのに気がついて、手招きした。山田が立ち上がって傍に行く。
「なんだ、もう飽きたのか?」
「いえ、そんなわけじゃないです。みなさんがどのようなことをしているのかと興味がありまして・・」
「まあ、岩手工場の人たちもちゃんとしているとは思うけど、人間というのはミスをするのが当然だからね。うっかりとか、早とちりというのは誰にでもある。マニフェストはどのくらい見たのかね?」
「400件くらい見ました。半分というところでしょう。」
「何か気付いたところがあるかね?」
「そうですね、ほとんどが排出地の欄が『同左』とあるのですが、記入漏れが散見されます。その他『V』印漏れもありますね。」
「それで、どんなことを思ったのかね?」
「マニフェストを手書きさせるのはそもそも間違いというか無理ではないでしょうか? できればすべてを電子マニフェストにするか、最低でもプリンターを使うようにしなければ完ぺきにはならないでしょう。」
「まあ、そうだろうな。もちろんそうできない理由があるから現在があるのだが・・ところでマニフェストの記載漏れはどのくらいの罰則を受けるかご存じかな?」
「法では五十万以下の罰金とかありますが、それよりも措置命令が重大でしょうね。青森岩手の不法投棄でも罰金を受けた排出者はありませんでしたが、措置命令を受けてそれ以上にお金を支払った企業は複数ありました。」
「よく知っているな、ああ 先日の講習会で聞いたのか。そういうわけだ。だからミスはあってはならない。そのためには手書きでは完ぺきは難しいと思う。だけど交付するとき担当者任せというなら、その仕組みも問題ではないだろうか。」
「廣井さん、私もそう思います。営業でもさまざまな帳票を書きますが、担当者まかせというか、起票する人一人で完結というものはありません。見積書でも請求書でも出張旅費でもかならず第二者のチェックが入ります。マニフェストは起票したらおしまいというのはおかしいですね。」
「売られている様式には検印欄がないけれど、社内的にはそういった決裁欄が欲しいねえ」

廣井は腕時計を見ると
「おおい!休憩しよう」と熊田と井上に声をかけた。
二人は手を休めて、廣井の傍に来て腰をおろした。
「井上君どうだい、調子は?」
「廣井さん、契約書はほとんど見ましたが、まあ大きな問題はありませんね。ただ記載内容が当社のひな型に沿っておらず、廃棄物業者が持ってきたものそのままというケースが散見されました。何日〆とか費用支払いの期限とか銀行口座などがありません。法律の要件は及第でしょうけど、会社の契約書としては落第でしょうね。」
「なるほど、許可証などは大丈夫だった?」
「許可証は大丈夫です。期限切れについては業者の更新申請が添付されてます。ただWDSを出すとありますが、実際に交付しているかはこれから見ます。」
「熊田君はどうかね?」
「規制基準を超えたものはありません。ただ、どういったらいいんでしょうかねえ〜、規制基準すれすれとか、測定値がだんだんと一方にずれてきているのが見られます。そういったものに手を打っているのか後で聞いてみます。」
山田はなるほどと聞いていた。法規制値を守っているのは当然で、測定データが偏っていたり、一方に推移しているようでは手を打つ必要があるのだ。予防処置とはそういうものだろう。しかしと思って声を出した。
「熊田課長、法規制値を超えているものは不適合というのは当然でしょうけど、規制値内で偏っている場合、何を根拠に不適合とするのでしょうか?」
熊田は驚いたように
「そりゃ当然じゃないか。根拠と言われても・・」
「仮に被監査側が同意できないと言った時、不適合にできるものでしょうか?」
熊田は困ったように廣井の顔を見た。
「山田君の言う通りだ。監査は一方的な言いたい放題とか弱い者いじめではない。監査前に双方が監査基準を同意して始まる。昨日オープニングで私が監査責任者として監査基準を説明した。それは条例や告示や通知の行政指導を含めた法規制、当社の会社規則、そして岩手工場の工場規則、過去に発生した事故に関わる事項、そして現実にある利害関係者から苦情や口頭での行政指導だ。」
「すると廣井さん、測定値が偏っているというのは不適合にできないのですか?」
熊田は不満そうに廣井の顔を見た。
「熊田君もそうしょげるなよ。監査とは何か?それは機械的な帳票の点検じゃない。我々が帳票をめくったり、現場で見つけるものは単なるエビデンスだ。監査の結論とはそのエビデンスから導き出される、もっと上位のものであるはずだ。そうじゃないか?
言い方を変えると、測定値が偏っているから不適合といえばおしまいなのか? そんな簡単なものじゃないだろう。
例えば、工場規則あるいは下位の手順書で測定値が偏っている場合、どのように判断するのかという手順や基準があるのか、ないのか? あればそれに従って管理しているのか否か、なければそれは上位の会社規則の予防処置基準に適正なのか、否か、そういう監査基準を基に考えるべきだろう。現象だけを見て良否を判断してはいけない。そんな即物的なこっちゃ会社を良くするなんて大層なことを言ってはいけない。
監査の考え方とか方法というのはみな同じだ。ISO規格に基づく第三者審査であっても、文書があるとか、記録があるということで適合・不適合を判定するのではない。それが組織においていかなる意味があるかという観点で見なければ結論など出るはずがない。
さっき山田君がマニフェストに記載漏れが散見されると言った。記載漏れは法的にはまずいだろう。といってもそんなことに目くじらをたてる行政もないだろうけどね。だけど問題は記載漏れではない。記載漏れが起きるのはなぜかということだ。山田君は手書きさせているのが問題じゃないかと言った。それが正解かどうかかともかく、そういう考えを期待している。『マニフェストに記載漏れがあるので不適合です。』じゃ出張旅費を返してもらわなければならない。それはエビデンスだ、それを基にどういう監査の結論を導き出すのか山田君に期待する。

ところで、よく『内部監査で会社を良くする』なんて高尚というべきか、わけのわからないことを語る人がいる。特にネットやISOの書籍では、ご大層なことを語っている人が多い。彼らの意図はボクにはわからないね。
監査なんてきれいな仕事じゃない。大量の紙を見て、現場を見て、作業者の行動を見て、設備の状態を見て、その現象や、状況や、運用状況を基に、仕組みが適正なのか? しっかりと運用されているかを見極めることなんだ。
口頭のやりとりとか、表面だけを見て、適正とか、問題ないなんて怖くて言えないよ。良いにしても悪いにしても、大量のエビデンスを見て、多面的に考えなくてはならない。
もっともそれはねじり鉢巻きでしなければならないものでもない。工場を歩くとき、作業者がどんな仕事をしているか、日常点検記録がどうか、そんなことを見ているとおのずから分かってしまうものさ。」

熊田は納得できないふうであったが、山田には廣井の言うことが良くわかった。しかし、監査の結論を出すのは、簡単ではなく、法規制や設備の知識だけでなく、管理・・マネジメントというべきだろうか・・というものを知っていること、そして総合的な判断ができなければならないことだ。先日見たISO審査のようなものでは会社に寄与するどころか、環境管理に寄与することは不可能だろうと感じたのである。
管理者でなければ監査員は務まらないだろうと山田は思った。いや、別に部長課長でなくてもよいが、経営的なレベルで考えられる人でなければならないのだ。



まいどのことですが、監査というのは何かを見て「これは規格要求事項4.4.3の・・・に不適合です」なんて言えば済むような簡単なものじゃないです。そんなものはオママゴトと言います。
もっとも世の中にはオママゴトさえもできず、証拠も根拠もなく意味不明なヒトリゴトを語っている内部監査員もISO審査員もいます。
私の経験ですが、ものすごく大量の証拠を見ていると、ひとりでに問題が見えてきて、その原因も見えてくるように思います。
マニフェスト票を1000枚も見ると「数量の漏れが何件ありました」なんていう低レベルの結論ではなく、内部牽制がないのか、管理体制が悪いのか、人の移動が激しすぎるのかとか、そういうことが見えてきます。もちろんそれが問題点ではなく、真の問題は更に深堀りしなければなりません。なぜなぜ、なんてそこから始まるのです。

ここに書いた方法は遵法監査にしか適用できないなんてお考えのあなた
そりゃ大間違い
ISOの適合審査の方がもっと簡単です。なにせたくさんある法律に違反していないかと考えるより、ISO規格の方が文字数が少なく簡単じゃないですか! それに真剣になることもないですしね。
ISO規格を読み違えても警察に捕まることはありません。
いずれにしても現実を観察してたくさんの証拠を集める、そして適合・不適合を考えるのです。
もっとも、「環境方針に『社外に公開する』と書いてないから不適合です」なんて語っているような審査員には無理な話ですよね。




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