持ちものの話 2010.02.21

先日、「持ち物の話」と題して、私は物といえるものをあんまり持っていないということを書いた。じゃあ、何も持っていないのかというと、実は大変なもの持ちだと思っている。そんなことを書く。

ところで、「もの」といってもいろいろある。ISO規格では製品には「かたちあるもの」だけでなく、無形の「サービス(役務)」を含むように、一口にものといってもいろいろある。
日本の法律ではそのへんを間違えないように言葉を使い分けており、同じ「もの」と読んでも文字に書くには三種類ある。
「者」とは自然人(つまり人間)と法人(企業や団体で人格を持つもの)をいう。「もの」とは自然人と法人だけでなく、人格を持たない団体や、形を持たないものも含む。「物」とは形ある物、ロレックスの時計やヴィトンのバッグや土地・建物などを意味する。
当然、日本語だからいずれも、単数を示すときも複数を示すときもある。
ということで本日は持ち物の話ではなく、持ちものの話である。

昔読んだ本にユダヤのことわざに「本当の財産とは家族と教養と健康」とあると書いてあった。ここで財産とされている、つまり価値あるものに「者」と「もの」はあっても「物」がない。本当に価値あるものは形あるものではないのだろうか? あるいは多くの人は金目の物を手にすることができないから慰めを言っているのだろうか? あるいは物はいつか失せてしまうが、無形のものは失うことがないからだろうか?
私はひねくれているので、なにごとも裏から見たり斜めに見たりしてしまう。
相方の肖像
たぬきは尊敬する友だ
では私はここでいう本当の財産を持っているのだろうか?
私には家族もいるし、親しい友もいる。現生においてはいつかは死別するのは当然だが、家族も友も永遠の存在である。よって、この項目は合格としよう。
教養、これは自分が決めることではない。他の人から見たらどうなのかわからないが、まあ今までの60年間重大な失敗とかトラブルを起こさずに生きてきたわけで、なんとか可あるいはCはもらえるということにしておこう。
健康はどうかと言えば重大なものはないが、還暦を過ぎた体であるから16階のオフィスまで階段を登れば少し息切れするとか、老眼になりつつあるとか、あちこちガタはきているが、これもCはもらえるだろう。
となれば、とりあえず最低限のものはもっているということになる。我が人生は大成功だったようだ。お断りしておくが、お金を含めて物はほとんどといっていいくらい持っていないことを力説しておく。

さて、私がもっているものは家族と教養と健康だけではない。もっとすごいものを持っている。といっても私だけが持っているものではない。それはパソコンとインターネットだ。
私にとってインターネットとは何かといえば、私の全てだなんて言っちゃ  笑ってしまうが非常に大きな部分を占めているのは間違いない。
まず、情報収集。私は21世紀の初めに新聞を読むのとテレビを観るのは止めた。ラジオを聴くのは30年前に止めている。だから私の情報収集あるいはインプット手段は本を読むのとインターネットが9割を占める。残りの1割は何かと聞かれれば、講演会もあるし、他の方とのお話、あるいは電車の中つりもある。
新聞を読むのを止めて困ったことはないか?といわれれば、気がつかないというのが答えだ。情報不足を感じたことはない。情報を得るのが遅れたと感じたことはない。むしろマスゴミに頼っている人より情報は先んじていると思う。もちろん芸能人がだれとくっついたなんてことは私の関心の対象外だ。官公庁の報道発表などは新聞などより半日早くしかも漏れなく正確に分かる。そしてマスゴミが報道しない詳細とか元データも参照できる。
外国のニュースだと興味があれば外国の報道にアクセスしてわたしの拙い語学力で拾い読みすることもできる。
そして偏向報道から逃れることができたと確信している。
なぜ新聞を読むのを止めたかと言えば、まず偏向報道はもう広く知れ渡っている。
日本人女性の道徳も倫理も否定した毎日新聞が今も事業を継続しているということ自体信じられない事態である。
自分が推薦する政党を選挙で勝たせようと、麻生さんが高い酒を飲むことを悪行として報道し、鳩山が贈与税を払わないのを親の愛と報道し、小沢が政治資金規正法違反が濃厚なのに報道しないということはもはやマスコミではなく、マスゴミヤクザとしか言いようがない。
おっと、本日は持ちものの話であって、マスゴミ断罪ではなかった。
チャイエンエン(タイ語で冷静になれという意味)
坂本竜馬だあ
テレビをなぜ観ないかといえば、偏向報道もあるし、それにないよりも内容がくだらな過ぎる。
「坂の上の雲」も「竜馬」もテレビより本を読んだ方が面白い。もっとも坂の上の雲は竜馬がゆくほど面白くなかった。
それにひな壇番組というのだろうか? 芸能人を何人も並べたクイズ番組なんてくだらないの一言だ。あれを観ておもしろいと思う人の頭をかち割って中身を調べてみたい。きっと脳みそではなくガラクタが詰まっているに違いない。
おっと、また頭に血が上ってしまった。
チャイエンエン

インターネットは辞書も百科事典も無用のものにしてしまった。なにしろ世界中のあらゆるものを目の前のモニターに映し出してくれる。世界で一番落差の大きな滝であろうと、絶滅危惧種であろうと、どんなものかを読み、姿形を見るだけでなく、動画や声まで確認できる。
政治家であろうと、映画俳優であろうと、ポルノスターであろうと、学歴でも経歴でも、スリーサイズでも、見ることができる。
昔はこんな辞典を使ったものです もちろんインターネットの辞書は豊富であり、重くて厚い辞書も、値段ばかり高い電子辞書もいらない。そして今現在の世界の動きや、研究の最先端は辞書や事典に載るよりもそれを研究している機関や研究者のウェブサイトの方が正確だ。

もっとインターネットがすごいことがある。それは情報を受けるだけでなく、情報発信することができるということだ。たとえば今私は己の愚考を世界に向かって発信している。
インタラクティブという言葉がある。実は以前、私はどんな意味だろうとネットで調べたがなかなかその意味を理解できなかった。しかしInteractiveというスペルを見た瞬間に あっ、私がいつもしていることじゃないか と理解したのだ。
インターネットは日本にはびこる権威主義、マスゴミ、薄っぺらなエスタブリッシュメントを追放できるのではないかと期待するのだ。

パソコンそのものはインターネットの基地であるばかりでなく、それ自体ものすごい能力がある。イチオシは検索機能だ。
本を読めばしおりをはさみ、ポストイットは貼りつける。大事なことはメモしておかなくちゃ・・というのが従来だった。しかしパソコンは検索機能がすごい。自分のCドライブにあるのが分かっているなら、言葉の断片を入れれば、あっというまにそのファイルを見つけてくれる。
Cドライブだけでない、法律でこんなことを決めいないか知りたいときは、キーワードを入れれば、日本の1800本の法律を一語一句調べてくれて候補を見つけるだけでなく、その法律のその語句を使っている個所を赤く示して表示してくれる。
すごい機能だが・・それが使えなくなると自分が無力になってしまうという恐ろしいことが起きる。

本日の結論
私は物持ちではないが、もの持ちであった。

本日のお断り
勘違いしないでほしいが、私がもの持ちであると語っても、私がそうだということであり、他の人はものを持っていないという意味ではない。
そもそも物は有限だが、ものは所有者が限られるわけではなく大勢で共有できる。だからあなたももの持ちであり、みんなが使えば使うほど、このものの効用は増大する。素晴らしいことじゃないですか。



可愛い娘からお便りを頂きました(10.02.22)
考えると本当に父はモノに執着のない人間だなぁと気づいた。
いつでも部屋になーんもない、のは本当にすごいと思います。
私も、アナタの妻(つまり私の母)のように、モノを集めるのが好きかも知れない。
でも、私と母親の名誉のために言い訳しますが・・・
娘じゃ 私たちはガラクタを収集してるわけじゃぁないのですよ!
私はブランドのバッグが大好きで、そりゃあたくさん持ってて、旦那は私の部屋をブランド小屋とか言うけれどね・・・
ちゃんと手入れをして、きれいに並べて、目でも楽しみ、実用的でもあり・・・私が死んだら、ちょっと位のお金にはなるかもしれないじゃない?
少なくとも私と母は自分が何を持ってるのかわからないくらいに余計なものをたくさん捨てずにいる人種じゃなくってよ。
それより、問題な人物が居るのよ!知ってる??
アナタの娘の婿ですよ!!!!
もう絶対に着る日なんて来るはずもないような、サイズの小さいワイシャツとかずーっと取っておくの。
あとね、いつのデザインだよ!?っていうネクタイとか。
穴の空いた靴下とか・・・
どうしてもう実用性が完全に失われたようなものを大事に取っておくのか私にはまったく理解できない。
かといって、勝手にこっそりと捨てるとばれる・・・
恐ろしい。
彼曰く、いつか災害が来たりしたときに役立つから、モノは簡単に捨ててはいけないそうです。
どーなの???????

ハーイ、かわいい娘よ、私は亀仙人じゃ
物を捨てる・・いや整理整頓する人も、大事にしまっておく人もそんな違いはないと思います。
ただ子供の時、家が広いと物を大事に取っておくのではないだろうか?という仮説を提起する。
私が子供の時、借家で6畳と4畳半という家に7人も住んでいた。だから物を置けない。とりあえず使わないものは捨てるしかない・・という暮らしだったということではないのだろうか?
家内・・つまりあなたの母は、広い農家だったから子供の時の教科書だってノートだって保存しておけた、婿さんのお宅もきっと豪邸で広かったのだろう。娘だって子供の時から自分の部屋があったことだし・・
ということにしておくか 

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