認証機関の顧客満足 10.02.27

事故や違反が報道されるとどんな業種でもその企業のトップが記者会見をして、事件の顛末の説明や自社に責任があれば報道陣の前で謝罪したりする。我々はそれを当然と考えている。
社会的な大事件でなくても、品質問題や、納期が遅れてお客様に迷惑をかけたなら、その問題の大きさに応じた企業の責任者、もちろん大問題なら社長自らが客先に伺い説明や謝罪をする。それが世の中の当たり前、社会常識である。
しかし、私はそのようなことが通念になっていない業界を知っている。いわずと知れたISO認証機関である。今日はそんなことを書く。
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おっと、マスコミも間違えた報道や捏造報道をしても謝罪も訂正もしないぞ!と言われるとそのとおりだ。
しかし、本日はISOに限って論を進める。

日本にはISO認証機関が50以上ある。私が全部と取引があったわけではもちろんない。私自身が審査を受けたのは5社くらいだ。しかし私が指導したり、あるいはトラブルがあって相談を受けて対応したりしたのを合わせると十社くらいになる。
審査で適合を不適合とされたので、取り消してくださいと相談にお伺いして、間違いだということが判明しても、企業のトップはおろか、管理者、営業担当者、いや審査員ご本人から「悪うございました。訂正して謝罪します。」なんて言われたことは私は一度もない。これはまったく本当の事実だ。
まず審査報告書を修正するということ自体ほとんどない。全然ないわけではない。一度「環境方針に『一般の人が入手できるようにする』と書いてない」という寝ぼけた不適合を出された会社から相談を受けたことがあり、これは指摘自体がおかしいですと申し入れしたことがある。そのときは審査報告書の差し替えがありそのアホな指摘は削除されていた。しかしその認証機関からは一切の説明も謝罪もなかった。審査員からも説明もお詫びもなにもなし。
客先からのクレームにそんな対応をしている一般企業があるだろうか?

例えを考えてみよう。
お買い物をしておつりが足りなかったとしよう。
釣りが足りないと言っても、不足分を渡さないお店がありますか?
あるいは、不足を渡しただけで「すみませんでした」と言わない店がありますか?

書いているうちにだんだんと腹が立ってきた。そんな例はいくつもある。
マニフェスト票の記載が悪いと不適合を出された会社から相談を受けたことがある。その会社では審査後に行政に相談に行った。行政はその会社のマニフェストの記載方法が適正だという。「審査機関にどう言ったらいいでしょうね?」というのが私への相談であった。
何を迷うことがあろうか? 不良を納入した業者を呼ぶように、相手を呼びつけて「お前んとこ判断が間違っているから直せよ」と言えばいいじゃないか。とは思ったが、私もそう語るほど乱暴な人間ではない。その会社の方と一緒に認証機関を訪問して、その審査員に会って経過を説明して不適合を削除してくださいと『お願い』したのである。しかし、結果は「審査報告書は修正できない」であった。じゃあ、いったいどうせいというのか? その場では結論が出ずに引き揚げた。
あとでその会社の人に「次回の審査はどうだった?」と聞くと、その審査員が来たそうだが、是正処置のフォローの際は、その箇所は見えなかったようで素通りしたそうだ。なぜ一言、「これはミスジャッジでした。すみません」と言わなかったのか? きっと認証機関は神のごとく無謬であり、欠点があってはならないのだろう。
おっと、審査上のことだけではない。審査のための書類の扱いにおいても問題は山積である。これは私の取引した認証機関だけかと思ったら、知り合いから聞くと他の審査会社も似たようなものらしい。
審査用の書類を送っても受領したとの連絡もない。審査直前になって「まだもらってませんけど」なんてふざけた連絡をしてくるなんてのはよくあることだ。それでも正直な認証機関は「弊社内にありました、すみません」なんて電話してくるところもある。最後までこちらが悪いと言う会社もある。
丸の内に本拠地がある国内系大手審査機関は、書類管理においてミスがあった経験もないし、そういう話を聞いたことはない。だから文書管理が良い機関もあることを明記しておく。
なお、最近は電子メールに添付して送信とかファイル転送システムを使う会社が多くなったようだ。今後は、もらっていないと寝言を語る審査会社はなくなるだろうと期待する。

それと、絶対にお願いしたいのは礼儀作法である。といっても小笠原流とかお辞儀の角度などをいうのではない。通常のビジネス敬語を使うことで十分だ。ということはビジネス敬語も使えないというか、自分が偉いと思っている審査員が大杉である。

思うのだが、そういった質の悪い仕事をしている会社が、顧客満足とか、品質第一などと口が裂けても言ってほしくない。一般論として、顧客クレームを無視し、自分の品質向上に努めていない会社は淘汰されるだろう。そう考えると現在の第三者認証制度の不調は、認証の信頼性の問題ではなく、認証機関全体に顧客満足が達せられず、社会から評価されていないということの現われではないのだろうか?

アイソスの1月号に各認証機関へ規格の理解についてのアンケートが載っていた。私はその回答を基に認証機関を評価して格付け表にした。
みなさん、騙されないでほいいのだが、あの回答は認証機関の公式回答ではないようだ。なぜなら高得点をとった認証機関でも、実際の審査においては認証機関がアンケートに答えたとおりの判断をしていない事実がたくさんあるからだ。
「有益な側面がなければ不適合か?」という設問に、「NO」と答えている認証機関の審査員が「有益な側面を抽出する手順がない」なんて不適合を出し、それが判定委員会を通っているという事実。
見積もりに来た営業マンが「全ての部門で環境目的・目標を設定してください。審査で見ますから」なんて説明している現実はどうだ!

そんなのは過去の話、昔のことだとおっしゃる方がいるかもしれない。確かに、10年一昔といわれたのは本当の昔のこと、現代は3年一昔とかドッグイヤーといわれる時代だ。しかしいくらなんでも半年前や1年も経たないことを、昔のことだなんては言わせない。
もしJABもJACBも本当に第三者認証制度の社会の評価を上げて興隆させたいと思うなら、まずなによりもISO認証業界の顧客満足を上げるように努めるべきだ。『虚偽の審査』などと蜃気楼を語り、さらにはその場合の認証取り消しのプロシージャを考えているよりも、より本質的で効果があることを保証する。

本日の疑問
敬語も使えない審査員から、「顧客満足を把握しているか?」と聞かれて、どう答えればよいのだろうか?


認定機関の顧客満足 10.03.13

先日、認証機関の顧客満足なんてことを書いた。残念というべきか、幸いというべきか、JACB(日本マネジメントシステム認証機関協議会)からも個々の認証機関からもいまだに苦情も謝罪も来ていない。
私の論に耳を傾けていれば、ISO業界が傾くこともなかったのにといささか残念である。 
しかしそんなことから認証機関の顧客満足なんて中途半端ことを語っていてはだめだと実感した。よって本日はより根本的、抜本的な是正処置として認定機関の顧客満足を論じる。

認定機関とは認証機関に認定を与える組織である。一国にひとつしか認定機関はおいてはならないというのが国際ルールであるが、複数の認定機関がある国が複数あるというのはこれいかに・・
とまあ、そんなことはどうでもよいとして、認定機関だって国家機関だって顧客満足を図るのは当然である。なぜなら全ての組織は誰かに製品やサービスを提供するために設立されたはずだ。
もっともひとたび設立された組織は存続することが目的となるのは間違いないが、そうなっても顧客のためというたてまえは変わらない。

まず、顧客は誰かってことを考えなければならない。
ISO9000での「顧客」の定義とは「製品を受け取る組織または人」であり、製品は「プロセスの結果」であって、形あるものだけでなくサービスやソフトウェアなども含むとある。
己の満足を目的とする趣味のサークルなどのたぐいを除き、全ての組織活動は他に対してなにものかを提供するために存在する。
../car.jpg たとえば自動車メーカーは車というハードウェアを一般消費者に提供することが存在目的であり定款にそう定めている。もっとも最近の車メーカーは移動という手段を提供することが最終目的と考えているところもある。いやそう考えないと時代に乗り遅れるのは間違いない。
ヤマハという会社は楽器とかスポーツ用品とかバイクとかを多種の製品を提供しているが、創業者山葉寅楠は日本の人たちにレジャーを提供することを目的としていたから矛盾はない。
このように全ての組織は、製品やサービスを提供する相手である顧客を持っているというか認識しているはずだ。 でもって、やっと認定機関にたどりつく。
JABの顧客は誰なのか?
間違ってもJACBとか個々の認証機関ではない。経済産業省でもない。天下り元の大手企業とか官公庁でもない。分かり切ったことだが、認証という制度を参照する企業が顧客である。
お間違えないように! 認証を受ける企業ではなく、認証というレッテルを参考にする企業である。
本来なら認定機関の顧客は一般社会であるといいたいところだが、現実はそうではない。まさかディズニーランドに行く家族連れや、コンビニで買い物をする若者が製品やサービスを提供する相手企業がISO認証しているかを気にするはずがない。無視以前に無関心である。
だから顧客と言えるのはISO認証を参考にしている企業に限定される。
ISO認証を受けた企業も、認証によって企業の改善を図っているのだから顧客ではないか?そういう論を語る人もいるが、私はそうは考えていない。なぜなら通常、顧客とは最終顧客を意味する。審査では審査員がバカの一つおぼえのように言うじゃないか「顧客とは目の前の人ではなく最終顧客ですよ」と、

では認定機関は顧客満足の指標をどのように考えて、それをいかに把握し、どのように改善しているのかを考えたい。
果たして認定機関は顧客満足の指標をどのように考えているのだろうか?
もう出出し(でだし)からして分からない。私には認定機関が顧客満足をどう理解しているのか分からない。少なくともそういうことが公表されたものをみたことがない。
世の中のほとんどの組織、行政を含めてステークホルダーが自分をいかに評価しているかをものすごく気にしている時代に、認定機関はまったくそのようなことをしていないように思えるのは間違いだろうか?
確かにJABのウェブサイトには「ご意見、ご質問」というページがある。
たぶん苦情や異議もあるのだろうとは思う。しかしその対応が外部に示されていない。だから実際にどのような意見や苦情があり、それにどのように対応しているかは全く闇の中だ。
いまどきの具体例を上げよう。現在、ほとんどの市町村はウェブサイトで質問や苦情を受けるだけでなく、その回答、対応を第三者に公開している。
そのような社会の水準からみれば非常に遅れているというか、非公開、隠ぺい体質と言われても反論しょうがないではないか?
顧客満足とはアンケートとか、数値で示すものではなく、苦情や異議をドンドン受けて、それに回答することによって客観的に認められるのではないか?

あるいは第三者認証制度の信頼性というか評価そのものが顧客満足の指標なのかもしれない。であれば信頼性を向上するために己がなにをしなければならないかと考えることが必要だろう。
今現在、第三者認証制度の信頼性はどうなのか? 日本においてISO第三者認証制度の信頼性はゴムの切れた靴下かパンツのようにズルズルと下がりつつある。
経済産業省が業を煮やしてガイドラインとかなんとか圧力をかけている状態だ。
JABは第三者認証制度の信頼性を上げるために己自身がなにかをしているのだろうか?
認定審査を改善したのか? 私はそのような公表を見たことはない。
審査員登録を厳しくしろとか言ったのだろうか? 私はそのような公表を見たことはない。

しかし現実はそれどころではない。第三者認証制度の信頼性低下は、組織が虚偽の説明をしているからだという。認定機関は被害者だという。
ちょっと待ってくれ、第三者認証制度の信頼性低下の被害者は第三者認証を参考にしている企業ではないのだろうか?

ちょっと話を変える。
認証機関が商売するのに認定は必須ではない。現実に日本の認証件数の3割は認定を受けていない認証機関によるものという説もある。
認定機関の認定が不要なら認定機関の存在意義は何だろうか? 認定を受けることによる付加価値は何だろうか?
ということはもともと認定機関はいかなるサービスを提供していなかったのだろうか?
サービスを提供していないなら、当然顧客はなく、顧客満足というものも考えることもないのかもしれない。
それが本日の疑問である。



しょうちゃん様からお便りを頂きました(10.03.13)
しょうちゃんです。
刑務所の顧客は誰か?
自衛隊の顧客は誰か?

は考えたことはありましたが、
暴力団の顧客は誰か?
は考えたこともありませんでした。
参りました。 m(_'_)m

ところでつまらない話ですが
「浄化槽保守点検」の顧客は誰だと思われますか?

しょうちゃん様 毎度ありがとうございます。
顧客というものがひとつであるということもありますまい、
浄化槽の点検というサービスの受け手は
 ・マンションの管理組合
 ・マンションの居住者
 ・下水流域の住民
 ・下水流域の生物全般
そんなところでいかがでしょうか?


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