ケーススタディ 是正処置 10.04.04

ある日の午後、環境保護部は廣井と山田だけがいた。中野は他社の環境報告書の広報発表に出かけていた。平目は嘱託になってからというもの、用事ができると気兼ねなく休みをとるようになって、今日は休みだった。
「うへぇ〜」
突然 廣井が大声を出した。
山田は驚いて廣井の方を振り返った。廣井は両手を上にのばして大きな伸びをしている。
「廣井さん、どうしたのですか?」
「うーん、昨年設立された関越工場の環境監査に1か月くらい前に行ったよね。あの時いくつかの不適合があったのだが、その是正処置の案をみてあきれてしまったんだよ。」
fac1.gif 山田はなにごとからでも学ぼうというスタンスである。廣井の机に行った。
「廣井さん、教えてください。どういうものがあきれるような是正処置なのでしょうか?」
「まず、当社の環境監査の仕組みだが、工場の監査で不適合があれば是正処置をするのは当然だ。監査後に監査を受けた工場で是正処置の案を策定し、環境担当役員つまり環境保護部長に提出することになる。このとき是正処置があまりにも稚拙ではまずいので、正式に提出する前に案を送ってもらい私がチェックすることにしている。というわけで今日、関越工場から是正処置の案がでてきたわけだが、1割も見ないうちに愛想が尽きたってわけだ。」
廣井はA4サイズで数枚ホチキス止めされているコピーを山田に手渡した。
山田はそういうものをみるのははじめてだった。環境保護部内では秘密などなく、内部ではお互い何でも見ることができる状況にあったが、他人の仕事を逐一見せてもらうようなことはない。
「一番目の不適合だけで十分だ。現象と原因と是正処置というのをみるともうお手上げだよ。」


環境担当役員殿

本社環境保護部環境監査不適合是正処置計画/完了報告書

20XX年 XX月 XX日
関越工場
環境管理責任者 ○○○○


監査実施日
21XX/XX/XX
発見事項・場所
第5工場 屋外 北側
発見された現象
屋外に保管している遊休トランスから絶縁油がにじみ出ており、地面に油のしみがある。
なお製造年月が微量PCB含有の恐れのある時期であり、測定して確認することを要する。

原因
定期点検を行っていたが見逃した。

是正処置

当面と再発防止を記すこと
当面対策として行政に相談したのち、付近の汚染土壌を回収し、除染処理を依頼して埋め戻した。
絶縁油を測定した結果、0.5ppm以下であり微量PCB含有に当たらないことを確認した。(今回は測定結果を添付せず)
トランスはオイルパンに入れた状態で廃棄物処理業者に処理を委託し処理完了済み。
恒久対策として、類似の定期点検には時間をかけて点検精度を上げる。

実施スケジュール




※内部環境監査で是正処置計画として処置した事項について不適合が是正された場合、この様式により環境管理責任者に報告する。


山田はそれを見て何が良いのか悪いのか理解できなかった。
「すみません、このどこが悪いのでしょうか?」
「うーん、問題点は技術的なことではないのだよ。国語の問題と言ったらいいのだろうか? 要するにつじつまが合っているかどうかなんだ。おれがコーヒーを飲む間考えてみたまえ」
廣井はそう言ってコーヒーカップを持って給茶器に行った。

山田はそのペーパーを持って自席に戻り何度も読み返した。
廣井は技術の問題ではなく、国語の問題と言った。だから論理的に考えておかしなところがあるはずだ。
言葉の定義は人により規格によりさまざまである。しかし現実には、是正処置は影響の緩和などの当面対策と、再発防止を含む恒久対策の二つがあるとして間違いないだろう。簡単に言えば、当面対策は不具合である現象を取り除くことであり、恒久対策はその原因を取り除くことだ。
この場合の不適合の現象はトランスからの油漏れであり、汚染土壌の処置もしたことだし、トランスは廃棄してしまったからもう良いと思うが、どうだろうか?
恒久対策は原因の除去だ。定期点検で見逃したというがそれは本当だろうか? 勘ぐれば定期点検をしていなかったのかもしれない、あるいは見つけても放置していた可能性もある。しかし廣井は技術的なことではないといっており、紙に書いてないことを問題にしているふうではない。
待てよ、定期点検での見逃しは原因なのだろうか? と山田は思いなおした。考えてみるまでもなく原因ではないようだ。見逃しは結果というか単なる事実だ。
点検で見逃したとして、見逃したことにとどまらず、なぜ見逃したのかを考えなければならない。見逃しの原因としてどんなことが考えられるだろうか?
山田は先日、廣井から教えられた現場の5Mというのを思い出した。品質管理や生産性向上には、五つのMが大事だという。
それは、機械(Machine)、方法(Method)、材料(Material)、人(Man)、管理(Management)だという。
5つめのMにはお金(Money)や測定(Measure)をあてはめる人もいる。

定期点検にも5Mがあるのだろうか? あるとすればどのようなものなのだろうか?
機械というと、点検作業には目視以外に機械や工具などを使うのだろうか? 目の高さでは見えないのであれば、脚立や鏡を使うこともあるかもしれない。暗ければ懐中電灯も必要だろう。
方法とは点検方法そのものだ。点検の仕方、点検個所、カバーを外すとか、移動してチェックするとか・・汚れていれば汚れを取り除いて点検するとか・・
人であるが、まず点検者の技量がある。能のない人が点検しても何も見つけることはできないだろう。担当者を固定しているか否かもあるだろう。定期点検などは前回あるいは以前との違いを気付くためには継続的な見方が必要だ。いや心理状況もあるかもしれない。忙しければさっさとかたづけようとしていたかもしれない。点検者がその日、夫婦喧嘩をしてきたならまっとうな仕事はできないだろう。
山田は夫婦仲の悪い同僚が、しょっちゅうお客様と衝突していたのを思い出した。
管理だっていろいろな要素があるはずだ。
山田には何が原因だろうかと考えて、具体的な原因が書いてないことこそ関越工場の原因究明がされていないからだと気が付いた。
../coffee.gif
山田のところに廣井がいい香りのするコーヒーカップを持って歩いてきた。
「どうだい、何か気が付いたか?」
「是正処置ということは原因を除去しなければなりません。ここで『原因は点検漏れ』とありますが、点検漏れは原因ではありません。原因をあきらかにしていないことが問題です。」
「まあ、そうだね、俗に不良対策ではなぜを5回繰り返せなんていう。はじめ原因と思ったものはたいていが結果とか見かけの原因で、真の原因には5回くらい考えないとたどりつかないということだ。といって『なぜなぜ』と問い続ければ良いわけでもない。そもそも誰が見たって原因がはっきりしていることもあるし、経験を積めば考えるまでもないことも多い。」
「関越工場では真の原因を突き止めていないのでしょうか?」
「そりゃ本人ではないからわからないよ。でも本当は分かっているだろうと思う。しかしその対策がとれないか、とりたくないということが、意識上にあるいは潜在していて真の原因を書きたくないのだろう。工場の総意として書かないことにした可能性もある。」
「想像ですが、仮に点検方法が悪かったなら手順を見直すとか、点検者の技量の問題であれば指名業務とするなど、具体的なものでなければならないと思います。」
「もちろんそうであれば手を打たなくてはならないことだが、それはまだ真の原因ではないかもしれない。今までそういう手順であって問題にならなかったのはなぜかということを考えないといけない。正確にはなぜ問題としなかったかということだろう。」
「ああ、そうですね。でもそれをいうなら手順作成者の教育、決裁者の教育あるいは認定もあるでしょう。廣井さんが監査に行って通りすがりで見つけたことを、なんども定期点検をしている人が見つけないということは更に考えなければなりませんね。」
「そのとおりだ、だけどそういうことは頭の中で考えても意味がない。そしてまた過ぎ去ってしまったことをとやかくいってもせんのないことだ。三現主義という言葉があるが、問題が起きた時に現場で現物を手に取り現実を調べないと進まないよ。」
「廣井さん、この是正計画を関越工場に差し戻しても、向こうで真の原因を究明して改善できるとは思えませんね。だって今まで1カ月考えてこの程度ならあと1週間考えても変わらないように思います。」
廣井は苦笑いしていった。
「その論理では是正処置として環境課長を更迭するってことかなあ?」
「いや、廣井さん、そのような人を環境課長に任命した上位者の責任でしょう。」
「あるいはだ、この原因は我々つまりおれと山田君にあるのかもしれないよ。我々の職務怠慢かもしれないということだ。我々本社にいる人間は常に自戒しなければならないことだが、本社にいる者が工場で実際に仕事をしている人よりも偉いわけではない。工場の人たちに養ってもらっているということを認識しなくてはならない。工場がまっとうな仕事をしないならそれは本社の責任だろう。当社の環境管理の体制が悪いのか、我々の指導不足なのか、教育の仕組みが悪いのか、日ごろの我々の努力が足りないのか、それこそなぜなぜと考えなければならないよ。
山本五十六
山本五十六
おれたちは実際の仕事はできないのだから。山本五十六ではないが、してみせて、話して聞かせ、させて見せ、実務担当者が自ら進んで仕事をする風土を作ってナンボの仕事だと認識しなければならないよ。おれも一生懸命仕事しているつもりだが、道は遠いね。」
山田は廣井がいればこそ会社が持っているように思った。いずれ何年か後には廣井も定年になり去っていくだろう。そのあとどうするのかと思った後、その後は自分が引き継がなくてはならないと思い至った。

本日の是正処置
いままでのケーススタディは、登場人物が多すぎて誰の言葉か分かりにくかったという反省から登場人物を二人にしてみました。

本日のお断り
貴社の内部監査の是正処置はこんなプアなものはありませんよね?
私もレベルの低いものを考えるのに頭を使いました。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(10.04.04)
「原因:定期点検を行っていたが見逃した。」

国語的にはこれは「原因」ではなく、どちらかというと「経緯」なわけですが、ウチの報告書でもごく普通に見受けます。
それどころか大手の認証機関でさえ、もっとお粗末な「原因」を挙げてこられます。というのも、ある質問をしたところその返事があまりにも遅かったのでその原因を追加質問したところ、「営業担当者の対応が遅れたのが原因でございます」という答えが返ってきました。
もうあきれるしかありません。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
そうです!原因というのはそれによって問題が起きることです
つまり見逃すと・・・あれえ


ケーススタディ 是正処置 2 10.06.16

だいぶ前に関越工場に対して行った社内の環境監査において、屋外に保管されていた遊休トランスから油漏れが見つかった。工場から出てきた是正処置が稚拙であったので山田は是正処置の指導に行った廣井のお伴で出張である。

toransu.gif関越工場の現場事務所で山田たちは先方の施設管理部の大山部長と環境管理課の内山課長そして電気機器の担当の村上技師の3人と打ち合わせを行った。廣井は先方の3人と顔見知りであったのですぐに本題に入った。
廣井「大山部長、お宅から出てきた是正処置がちょっと簡単すぎるというか通り一遍なんですよ。もう少し真に再発防止になるようなことを考えてほしいのです。」
大山「廣井さん、あまり難しいことを言わないでくださいよ。今こちらの工場は新機種の立ち上げと、景気後退の影響で負荷調整もありましてね・・いろいろ大変なんですよ。」
内山「廣井さん、私どもが提出した報告書では現物については既に処理済みですし、恒久対策としては点検方法を変えるなどで対応しております。通り一遍と言われると・・・」
内山課長は露骨に不満そうな顔を見せる。
廣井「内山課長、おっしゃる通りですが、その前になぜ私どもの監査で見つかって、関越工場の内部監査、いや日常点検などで見つからなかったのか、そこが問題ではないでしょうか。つまり従来の日常点検項目に不足があったのか、そうであれば日常点検項目を見直したということに価値があります。あるいはなぜ内部監査の現場点検などで見つけなかったのでしょうか?」
大山「廣井さん、それは本社や他の工場から来る監査員は環境管理のベテランだよ。関越工場の担当者では見つけられなかったことを見つけるのは当然じゃないか。」
廣井「大山部長へんなふうに謙遜することはありませんよ。我々が工場を歩いてすぐに見つけたものを、毎日お仕事されている方がどうして見つけなかったのか、それを不思議と思いませんか。私はそれを疑問に思うのですよ。」
大山は村上を振り返った。
大山「村上君、今までの点検であれは見つけていたのか? 見つけていなかったのか?」
内山課長が急いで口をはさんだ。
内山「部長、日常点検記録は毎月末に私のところに来ています。あのトランスは1個づつの点検表はありませんが、あの保管場所について1枚の日常点検表を作っておりまして、毎日油漏れや転倒その他の項目についてOK/NGを見てチェック記録を付け、それが月末に私のところに来ます。監査で指摘された時にそれ以前の三月分を見ましたが、何も異常はなかったと記録されていました。」
廣井「課長、監査のあとに現場で点検者にあの油漏れを見せたのでしょうか。そして従来の日常点検で気がついていたのか、気が付かなかったのかを確認したのですか?」
大山部長もそれが気になったようだ。
大山「内山課長、廣井さんのいうとおりだ。それは私も聞いていなかった。どうだったんだ?」
内山「もちろんです。そんな初歩的なことをしていないわけはありません。私はこの村上君と現場で実際に毎日点検している構内で下請けをしている坂本電気という会社の・・山岡さんだっけかな? と三人で現場を見ましたよ。山岡さんはご指摘を受けたトランスは監査の前には油にじみはなかったと言っていましたが。」
大山「おいおい、内山課長、まさか監査の当日に油漏れが発生したというんじゃないだろう。私は漏れた油の量はトランスの残量から40リットルくらいと聞いている。40リットルといえば一斗缶二つだ。それほど大量の油が当日突然漏れたとは思えないよ。」
大山部長はいささか感情を害したようだ。
内山「村上君、君もいたがそういういきさつだったことは間違いないね」
村上が恐る恐るという風情で
「正直に申し上げますが、実はあのトランス置き場を毎日は点検していないのです。当社から下請けに支払う費用削減で毎日の日常点検を月1回にするということで昨年の8月から変更したのです。」
内山「なんだって!どうしてそんなことにしたんだ。」
村上「課長もご存じじゃないですか。今申し上げたように予算カットされたときに保守点検の外部委託費用削減を行ったじゃないですか。あのとき課長は過去1年間問題がなかったものについては日常点検を月例点検にすると指示されたのですよ。だから、該当するものは点検頻度を変更したのです。」
内山「ちょっと待て、そしたら日常点検の報告が存在するということはどういうことなんだ。」
村上「課長は点検基準や頻度は本社の規則で決まっているので、工場の独断で変えることはできないとおっしゃいましたので、私は工場の点検基準も点検記録も従来の様式のままで月一回の点検時毎日点検したように記録するよう下請けに話していました。」
大山部長は唖然としながらも
大山「内山課長、まあいい、論点を戻そう。月一回の点検しか行っていなかったとしよう。それでもそれまで前月の点検で大丈夫だったトランスから、監査を受けた月に突然40リットルも漏れてしまったということは信じられないが。」
内山課長は怒り狂ったような顔で村上技師に言った。
「村上君、まさか毎月の点検もしていなかったというわけじゃないんだろう?」
村上「実は私もあの監査のあとで問い詰めて分かったことなのですが、下請けの方では予算をカットされて月例点検の人件費にもならないということで、毎年行う設備棚卸のときに点検するだけに手抜きをしていたそうです。だからあの日常点検表はまったくの作文だったのです。」
内山課長は立ち上がって。
「くそう、村上君、これはただじゃおかないからね。ともかくあの坂本電気は今日限り契約解除だ。オイ、村上君、すぐに社長を呼んでこい!」
大山部長はもういいからと手を上下に振って内山課長を座らせた。
大山「内山課長、とりあえず私が次に指示するまで何もしないでいてくれ。廣井さん、とんだ茶番を見せて申し訳ない。この件に関する是正処置だけでなく、環境に関するものだけでなく、施設管理について総点検して改めて報告します。廣井さんは本日はこれでお引き取りいただきたい。」
廣井はうなづいて山田を促した。

山田は帰りの電車の中で廣井に話しかけた。
「廣井さん、とんだ展開になりましたね。」
「まあ、あれほどのことはぼくも初めてだ。しかし部長、課長、担当者とやはりそれぞれの役職に就く人はそれなりということが良くわかった。」
廣井は苦笑いした。
「関越工場から今度はどんな是正処置がでてくるのでしょうか?」
「うーん山田君、何と言ったらいいのかなあ、この問題の是正処置というのはいろいろなレベルというか観点から考えなくてはならないよ。つまりだ、真の是正責任は我々本社にあるのかもしれない、いや本社は本社の是正処置をしなければならないということだ。」
「本社はどのようなことをしなければならないのですか?」
「具体的なこともある、しかし我々環境保護部が当社グループの環境管理について全責任を負っているということを踏まえてどうしていたら今回の問題が防げたと山田君は思うかね? そして問題があったわけだから、再発させないためにはどうすれば良いかが是正処置になるだろう。」
山田は正直驚いた。
「関越工場の問題が本社の環境保護部の責任なのですか?」
「山田君、しっかりしてくれよ。本社って何のために存在しているのか? 誰に食わせてもらっているのか? うーん、こう考えてくれよ。PDCAといっても階層や頻度は多種存在する
同じく是正処置と言っても一つではなく、一つの問題について、階層ごと、部門ごとに対策しなければならないということだ。今回の問題だって、関越工場の部長は部長の、課長は課長の、担当者は担当者の、下請けは下請けの是正処置をとらなければならない。そしてもちろん我々は本社でしなければならない是正処置を、ぼくはぼくのレベルで、山田君は山田君のレベルで対策しなければならないということだ。

本日の課題
山田がとるべき是正処置とはどんなことだろうか?

私がここに書いていることは、実際のことかそれともフィクションかという質問が来たことはない。正直申しあげるが実際に起きたことは書いていません。勤め先の守秘義務はありますし、それに私の勤め先はまっとうな会社なので、これほどハチャメチャな問題は起きていない。
だからここに書いているのは報道や行政の広報などを基に、その時自分ならどうするかというスタンスで書いている。そしてもし仮に私の後任者がこれを読んだら教科書か反面教師になってほしいという気持ちから書いている。それは私の本心である。
ところで自分で言うのも変だが、こんなものを書くのはあっという間です。この駄文を書くのに要した時間は夕飯をはさんで1時間でした。内容はともかくキーボードを叩くのが早いのは間違いないようです。



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