「宴の後」なんて小説があった。といっても今じゃあそんなタイトルを知らない人の方が多くなったことだろう。「宴の後」の作者が自決してはや40年、時が経つのは早いものだ。
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三島由紀夫を知っているかい? 正直言って私は金閣寺より盾の会の印象が強い・・
彼が市ヶ谷にたてこもって自衛隊に決起をせよと檄を飛ばしたとき、私は会社にいたが仕事もせずにラジオのニュースを聞いていた。
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本日は宴の後にも関係なく、三島由紀夫にも、自決にも関係ない。単に○○の後という語呂合わせで始まる。ご訪問いただいた皆様・・毎度のことですが、とりとめのないのをお許しください。
私は商売柄、品質事故や環境事故あるいは法違反に興味があり、暇があれば報道された事件や事故のその後の対策や行政の報告などをネットで探してはなりゆきを眺めております。
ここ数年だけでも△自動車とか頭
(こうべと読む)製鋼とか☆印乳業とか老舗の饅頭屋など、たくさんの企業において不具合がありました。いや、日本だけではありません。中国では調味料だけでなく毒が入っていた
冷凍食品もありました。
不具合と呼ぼうと不祥事と呼ぼうと、原因があって結果があるというのは自然の摂理、どんな事故も違反もすべて原因があって起きます。その原因にはヒューマンエラーもあるでしょうし、悪意によるものもあったでしょう。もちろん非常事態において起きたり、十分な人がいない過重な多忙という状況下において起きてしまったこともあるでしょう。私も半世紀もサラリーマンをしてきましたので、当事者の担当者や管理者個人をどうこう言うつもりはありません。私の想像ですが、一人がミスしたとか一人が悪事を働いただけで重大問題が起きるのは、その会社の仕組みが悪いことは言うまでもありません。
誰にでも失敗はある。いや、誰でも失敗をする。
私が失敗をしたことがあるかって?
私の人生は失敗の積み重ね、振り返ると延々と失敗が並んでいて、はるかかなたはかすんでいて見えない
じゃあ、誰でも失敗するから同じだねとか、失敗はしょうがないなんて言っちゃいけないのはこれまた当然である。
失敗したことを責めてはいけないが、同じ失敗を繰り返えさないように手を打つのは当然だ。そして失敗を繰り返す人間は排除しなければならない。
最近、私も歳をとったせいか、粘りというか、忍耐がなくなってきた。
誰だ! 若い時からだろうなどとほざく輩は!
だから若い者が失敗するとそのこと自体は責めないが、是正処置をしっかりしろと口がすっぱくなるほど繰り返しいう。それが相手にとっては耐えがたく嫌なことらしい。
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まあ、わかるけどね・・
たぶん私の後輩は私の年になったら私の言ったことを理解し、そのまた後輩に口をすっぱくして語るのだろう。
おっと、振り返ると私が尊敬している元上司もいつも私に言っていた「もっとしっかりしろ、おれがお前の年のときにはもちっとしっかりしていたぞ」
人間とは進歩のない生き物である
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こんな事故が起こりました。手を打って被害を最小限に止めました。原因の対策をしました。
そんなもんじゃないだろう!?
私の知る限り、過去に起きなかった不具合はない。すべての問題、事故、違反は、すべて過去に起きている。神様は創造力がなかったのかもしれないが、不具合のパターンをたくさんは作らなかったようだ。
だから過去の事故や違反を徹底的に研究して再発を防ぐ手を打てば、再発をゼロにすることはできないだろうが、不具合は必ず減少し、やがては偶発的なところまで落ち込むはずだ。失敗は貴重な教科書であり財産である。
ISO14001でもISO9001でも予防処置なんて語っているが、真に予防処置ができるのは神様だけだ。我々人間には予防処置などできないと私は思う。
神ならぬ人間はそれを十二分に理解し、己の限界を知り、問題対策に努めなければならないと私は思うのだ。
失敗を反省し、繰り返さないようにすることは当たり前のことであり、それが進歩だ。そしてそれは個人レベルだけでなく、組織、会社レベルでも再発しないようにするのは当然のことです。
冒頭に申し上げたように、私が過去に不祥事を起こした企業のホームページを訪問すると、数年前の不祥事なんて忘れちゃっている会社もあるし、何年も経った今でも当時の社告なり顛末書を掲載しているところもある。過ぎ去った不祥事は忘れたかのように事故の見解なり報告なりをウェブにアップしていない会社はもう対策を完ぺきにしたからいいんでしょうか?
私は時間が経ってもちゃんと掲載している企業はしっかりしていると思います。
☆印乳業は昭和30年に食中毒事件を起こしたそうです。そのときそれを悔やんだ社長が社員はこうありなさいと書いて全社員に配ったそうです。それだけでなく、それ以来その社長の言葉を30年もの間毎年新入社員に配っていたそうです。30年ですよ、半端な年月ではありません。大学新卒者が入社して昔の55歳定年のころなら退職していくほどの期間です。そのようなことをした会社は尊敬にあたいすると思います。
ところが☆印乳業はそれを昭和60年にやめた。やめただけでなく会社の理念を見直すCIを行ったそうです。私は会社でも人間でも改革を否定するものではありません。しかし顧客満足とか社会貢献ということは決して変えてはいけないことです。変えてはいけないというより、それそのものが会社の存在意義ではないでしょうか?
ともかくそのCIで社風が一転した☆印乳業はそれから10年でまた事故を起こしました。それが原因で不祥事が起きたなんて言いません。企業は複雑ですからそんな簡単ではないことはわかります。
しかし今(2010年6月)☆印乳業には10年前の事件の顛末と改善の誓いが掲載されている。私は単純にそれは素晴らしいことだと思う。
△自動車も今でも10年前の社告を掲載しています。それを見て、この会社は品質問題を起こして、それを隠してリコールをしなかった悪い会社だと思うでしょうか? あるいは、この会社は失敗を忘れず二度と失敗をしないだろうと思うでしょうか?
まあ、どう思うかは人の勝手ですが・・
3・4年前の規制基準オーバーをした会社のウェブサイトを見ますと、そのようなことは忘れて華々しい環境活動を掲載しています。もう同じ失敗はしないから従業員にそんな暗いことを伝えなくても大丈夫なのでしょうか? 社会的責任は果たしたからもうきれいさっぱりと・・なのでしょうか?
本日の提言
予防処置より是正処置
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