事務局の力量 10.06.13

ISOでは力量なんて言葉が出てくる。日常あまり使わない言葉である。
もちろん「力量」が口癖の人がいるかもしれないが、それはたぶんISO審査員であろう。
おっと、力量ってどんな意味かと調べようと広辞苑を持ち出してきたあなた、およしなさい。ISOで使われている言葉は広辞苑を引いても字源をみてもだめですよ。「おれの電子辞書には国語辞典がいろいろ入っている」といってもだめです。ISO規格の英語原文をみて、力量に対応する単語を英英辞典で引いて調べなくてはダメです。
原語はコンピタンス(Competence)であり、一般的な意味もISO規格の中での意味も、日本語の力量とは同じではない。いずれにしても詳細は英英辞典を引いてください。
そこまでしなくてもISO規格の中で力量とはいかなるものであるかが書いてある。
ISO14001:2004ではアネックスを除いて3回使われている。言い換えると3回しか使われていない。

3.1 監査員
監査を行う力量をもった人。
4.4.2力量、教育訓練及び自覚
組織は、組織によって特定された著しい環境影響の原因となる可能性をもつ作業を組織で実施する又は組織のために実施するすべての人が、適切な教育、訓練又は経験に基づく力量をもつことを確実にすること。


逆説的に考えれば、監査ができるなら監査の力量があるということになるし、著しい環境影響の原因となる可能性をもつ作業を行えるなら力量を持つことになる。
トートロジーそのものである 
すると、力量とは遂行能力であり、それを立証する唯一無二の方法は、実際に仕事をさせてみて、できることを確認することだろう。まあ、実際にさせてみなくてもだいたいは見当がつく。

公害防止管理者に求められる力量とは、公害防止管理者が務まることであり、そのためにはまず公害防止管理者試験合格していることが必須であり、更にその工場の特定施設や配置などを熟知していて、危険個所や対策などを理解していることであろう。
fac1.gif 水質1種の公害防止管理者の試験に合格していても排水処理設備に触ったこともなく、配管がどこを走っているのか、どこに地中配管が潜んでいるのか、万が一漏れた場合どちらの方向に流れどんな被害が起きる恐れがあるのか・・などを知らない人は力量がないことは間違いない。
良く見かけるのは、環境管理の現場に有資格者がいないので、設計とか技術部門にいる資格マニアの名前で届けている例がある。毎月の点検結果や測定記録に名前を届けている人が形だけでも押印しているのはまだ良い方で、ひどいところは公害防止管理者になっている人が何もしていないというケースもある。万が一事故でも起きたらその企業だけでなく名義を届けている人も連座ですよ。

まあいずれにしても公害防止管理者とか危険物保安監督者などの力量は簡単に定義できる。もっとも力量の定義は簡単にできてもその力量を身に付けるのは簡単どころか、永遠の課題かもしれないくらい困難ではあるが・・
しかしグリーン調達を行う購買担当者の力量とか、環境報告書を編集する力量となると、定義する以前に、どのようなことをどこまで深く知らなければならないのか、どのような関連部門を動かし調整する能力がいるのか、またその成果をどのような指標で評価するのかは、高度な判断を含むわけで簡単に言えるものではない。
おことわり、
さまざまな機関が行っている環境報告書評価で受賞することとか、環境報告書検証で良い評価を得ることなんてことはその人の力量を評価することとは違う。あれは企業のパフォーマンス評価であって個人の力量ではない。営業で他社よりすばらしい製品を担当すれば、他社より劣る製品を担当する営業マンより良い成績を出せるのは当然だ。
環境報告書の評価とは環境報告書のできぐあいを評価するのとは違う。伝聞であるが、過去に事故を起こした会社がその顛末を環境報告書に記述していてそれを高く評価した審査委員がいたそうだが、全体の総意として不祥事を起こした会社に賞を与えることは許しがたいとその会社の環境報告書には賞を与えなかったそうだ。

さて、ISO認証している企業の多くにはISO事務局というものが存在すると聞く。聞くというのは私の勤め先はISO14001を認証しているが事務局というのがないからだ。なくてもよい仕事をわざわざ作るのもおかしいように思えるがおかしくもないかもしれない。
CSRを喧伝している多くの企業にはCSR部とか社会貢献なんたらという部門を見かける。しかしCSRで名をはせた某優良企業にはCSR担当部門がないと聞く。もはやCSRはその会社の企業文化の一部であり、わざわざCSR担当とかCSRをするぞ!なんて言う必要がないのだろう。
さて、事務局が存在するなら事務局担当者の力量というものも定義されるだろう。まさかISOを担当している人が己の仕事に必要な力量を説明できないはずはない。
審査のための些事、つまり認証会社とスケジュールを調整したり、会議室を予約したり、審査員の昼飯を手配したり、審査部門まで案内したりすることは力量というほどのことはないだろう。そんなものを力量と言っては、わざわざISO規格で一項目を設けて力量を要求するはずがない。
あるいは審査の前に審査が不安な役員にレクチャーしたり、審査を受ける部門で不適合が出ないように事前点検をしたとしてもそんなものを力量と言うほどのことはあるまい。単なるルーチンワークである。
とすると審査の中でトラブった時に桃太郎侍か水戸黄門のようにさっそうと現れて「控えおろう」と審査員を白砂に這いつくばせるのが役目なのだろうか? あるいは審査員がイチャモンを付けてきたときに軽くいなして気分良く返すことが役目であって、そういうことができることが事務局の力量なのだろうか?
しかしその仕事を一番知っているのはその部門の人間であって、審査員でもないし、事務局でもない。その部署の管理者あるいは担当者が説明できなければ、そもそもおかしい。手順書があればそれを基に審査員を折伏すれば良いし、手順書など無用な職場であるならば無用であることを口頭で説得できることは論理的に証明できる。
それとも決定的な不適合があっても、重大ではなく軽微に、あるいは観察事項に値引き交渉ができることなのだろうか?
 でもそんなことをしない方が会社に貢献するように思うのは私だけではないだろう。
どう考えても、まっとうな会社なら事務局と称する人がしゃしゃり出てアシストしたり調整を図ったりすることはないように思う。

私は暇人なのでISO審査の時はだいたい審査員を案内する役を仰せつかる。なにせ私の勤め先にはISO事務局がないので・・
私は審査員をその職場に案内しても
「ここが○○部門です。どーぞ好き勝手に審査をしてください。もし不適合を出そうとしたら部門長が不適合でないことを説明してくれるでしょう。誰がみても不適合なら部門長が不適合を受諾して是正をするでしょう。それが部門長のタスクです。私は見物していますよ。」
そんなスタンスであるのだが・・

つまりISO事務局という仕事は存在しないのではないだろうか。となるとISO事務局と呼ぼうとなんと称しようと、認証機関との窓口となる人の仕事は己の仕事を最終的になくすことであるはずだ。その仕事が存在し続け、自分の仕事があるということは己の力量がないということではないだろうか?

とすると不思議なことに気が付いた。
だって現に事務局をしている人は、己の仕事をなくすことができないのだから力量がないことになり、存在している事務局員の力量を定義しようがない。。
他方、力量があって事務局のお仕事をなくしてしまったケースでは、事務局員が存在しないのだから力量を定義する意味がない。
どちらにしてもISO事務局員の力量は定義できないではないか!

本日のトリビア
ISO事務局員の力量は定義できない。



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