ISO認証の信頼度 10.08.15

ISO認証していても不祥事を起こす企業があるから、ISO認証なんて信用できないわ、とおっしゃる方がいる。マスコミなどはそのての報道が多い。でも「品質保証」という意味を知らないなら人ならしょうがない。
品質保証の意味も時代と共に変遷はあったが、いまだかって品質を補償するという意味であったことはない。
ISO8402:1986では「品質保証」は「製品又はサービスが、所与の品質要求を満たしていることの妥当な信頼感を与えるために必要なすべての計画的及び体系的活動」と定義されていた。
ISO9000:2000では「品質要求事項が満たされるという確信を与えることに焦点を合わせた品質マネジメントの一部」となったが、その意味するところは変わらない。
2010年時点有効なISO9000:2005でも2000年版と文言は同じである。
しかし、第三者認証制度の中心人物というか中心となる組織である認定機関や認証機関が、第三者認証の信頼性が落ちていると語っている。
いつ? どこで? なんて寝ぼけてはいけない。
過去何年も、日本適合性認定協会は東京ビッグサイトなんていうビッグな会場で、JAB/ISO9001公開討論会なんてものを開催しているが、そこでの毎年のテーマは涙ぐましいとしかいいようがない。
2008年は「ISO 9001認証を考える」なんてタイトルで、いかにその価値をあげようかと討論していた。2009年は「審査を変える〜QMS認証の価値向上〜」とそのものズバリで前の年と同じことを議論していた。2010年は「ISO 9001 認証の社会的意義と責任」と・・
もっとも、一般社会はISO9001認証に何も期待していないかもしれませんよ、
JACBつまり日本マネジメントシステム認証機関協議会のウェブサイトを訪問するとトップページに「信頼性ガイドライン&アクションプラン」などと大書してある。
大儀である。 

まあ、ISO9001認証企業において、食品の賞味期限偽証や、リコール隠し、再生紙と称して売っていたものがバージン紙であったとか、リサイクルプラスティックを使用していると宣伝していた冷蔵庫が実際にはバージンプラスティック使用であったなど続発・・
ISO14001認証企業においても、公害測定データの改ざん、排水基準をオーバーした未処理排水の公共河川への排出、大気測定データの送信を測定値が法基準を超えたときには送信停止したり、廃棄物処理法違反で摘発を受けたりという刑事事件が続発・・
こんなことが何年も続けば、ISO認証していても、品質保証や環境管理がしっかりしているとは思えないのは人情である。
しかしこれらの論は論理よりもイメージが先行した、かなり定性的なものに思える。日本でISO認証している企業の多くが、違反や事故を起こしているとか、あるいは環境事故や違反が増加しているという客観的な証拠を提示して主張しているわけではない。

私は証拠を見てみたいと思う。
なにせ、ISOの世界は証拠なく語ってはいけないのがオヤクソク
第三者認証制度の信頼性が落ちているとか、信頼性が低いとおっしゃるなら、その証拠をぜひとも見たいと私は思う。

無邪気な疑問だが、そもそも信頼性ってなんだろうか?
信頼という言葉は日常生活でも使われるが、一般的な用法としては、文字とおり「なにものかを『信』じて『頼』りにすること」をいう。例えば、約束を守る人や故障せずに動いてくれる機械を信頼できるといい、約束を守らない人や頻繁に故障する機械を信頼できないという言い方をする。
でも、JABやJACBあるいは第三者認証に関係している大学の先生方は、信頼性という言葉をそんなあいまいな意味で使用するはずがない。JISあるいはISOの信頼性用語の定義に則り使っていると考えても間違いではないだろう。
私も昔は品質保証屋だった。環境管理担当となった今では、水質汚濁防止法とか容器包装リサイクル法とか廃棄物処理法などしか読まないが、20年前は抜取検査表とかISO9001:1987などを愛読していました。とはいえ今ではもうほとんど忘れてしまい、信頼性の定義も忘れてしまいました。

さてさてと、信頼性の定義は・・とJISをめくりました。
信頼性
「JISZ8115:2000 ディペンダビリティ(信頼性)用語」で「アイテムが与えられた条件の下で、与えられた期間、要求機能を遂行できる能力」と定義されている。この場合のシステムとは、ハードウェアに限らず、ソフトウェアにも、組織の仕組みにも、当然マネジメントシステムにも適用できるのはもちろんである。
信頼性を数値で表したものを信頼度といい、「アイテムが与えられた条件で規定の期間中、要求された機能を果たす確率」と定義される。
信頼性の指標としていろいろな信頼性特性値が考えられており、また狭義の信頼性もあるし、広義の信頼性もある。

はたしてISO第三者認証制度の信頼性が落ちているという場合、どのような指標で具体的には何パーセントで、どのように推移しているのだろうか。それが気になる。
いや、気になって眠れない。
先ほど言ったように、JABやJACBあるいは大学の先生方は、しっかりしたデータを基に信頼度を計算して、20XX年のISO第三者認証制度の信頼性を計算した結果、何パーセントで標準偏差が何パーセントだから、危険率何パーセントで前年度の信頼度と差の検定を行った結果、低下していることが有意になったという情報を基に「ISO第三者認証制度の信頼性は低下している」と語っているに違いない。
そして、今いろいろな施策を打っているわけで、定期的に信頼性を把握して、「おお!信頼性が○パーセント上昇しているぞ」とか、「第三者認証制度の信頼性は目標に達した」なんて語っているに違いない。
まさか、「いくら手を打っても、第三者認証制度の信頼性は向上していない」とか「もう打つ手がない」なんて、囲碁で中押し負けを喫したようなことは語っていないと信じる 

おお!話がそれた。信頼度のはなしであった。
ISO9001認証の信頼度はいかほどなのだろうか?
ISO14001認証の信頼度はいかほどなのだろうか?
きっと東大のI教授は数値をご存知だろうと推察する。ぜひとも公表してほしい。
そしてこれからは定期的に広報してほしい。

ところで、ISO認証の信頼度はどのような信頼性特性値で表すべきなのだろうか? しかしその数値を知りたいものですね、
そして、その数値はどのように推移しているのかしら・・・知りたいです。

まさか信頼性の数値を把握してなくて、信頼性を語っていたなんてことはないだろうね。
信頼性って言ったものの、感じで言っただけなんだよなあ〜数値なんてわからないんだ、なんてことは絶対にないと確信している。

本日は以前語ったことと同じようなものになってしまった。思い返せば、その駄文を書いたのはちょうど1年前のことであった。
あれから前進はあったのだろうか?
ぜひとも進歩を数値で説明してほしい。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(10.08.15)
たいがぁです。

2008年は「ISO 9001認証を考える」なんてタイトルで、いかにその価値をあげようかと討論していた。

はて、これは面妖な。
考えるのはケッコウですが、努力して上げなければ上がらないようなものなら淘汰されるのが自然の定め。価値なんてものは、「上がる」ものであって「上げる」ものではないと思いますがねぇ。
「役立てる」とか「経営に生かす」とかそんな文言にも同じことがいえますが、当事者つーか関係者の皆様は結局自信がないということでしょうか。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
「上がる」ものなのか、「上げる」ものなのか?
昔のたとえがございます。
 鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす(織田信長)
 鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす(豊臣秀吉)
 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす(徳川家康)
えー、その伝で行きますと
 ISO 価値なければ 放り出せ(織田信長)
 ISO 価値なければ あげましょう(豊臣秀吉)
 ISO 価値なければ あがるまで待て 字あまり
天下取りと違って、待っていてもだめかもしれません。


ごんべい様からお便りを頂きました(2012.04.12)
ISOの取得企業の不正運用
よくある話かもしれませんが、ISO9000シリーズの取得している工務店に住宅を建設をしてもらったが、大きな欠陥が発生し、品質管理等について問い正すと、実施しているの一点張りで、その内容に関する質問事項には答えず・資料提出もしてもらえない状態でありました。
元従業員の話によると、実際には何もしていないのが実態ということも確認しました。
このような企業に対して、法的・社会的・民事的な制裁を与えたいと思っておりますが可能でしょうか。

(参考)
・法的な制裁
品質管理していると営業してながら実施していなかったことに関する詐欺的行為に関する刑事的な告発

・民事的な制裁
品質管理していなかったことによる欠陥が発生して損害を被ったことに関する損害賠償請求

・社会的な制裁
品質管理していなかったことによる認証の取消および公共への周知等による制裁

ごんべい様 お便りありがとうございます。
まず論点を整理しますと、この問題はISO認証とは関係ありませんね。ISO認証しているからという上の句であるなら、下の句は認証機関あるいは認定機関に対して、法的、民事、社会的と続くはずです。
まあ、それはともかく、本論として、その工務店をとっちめてやりたいということですね。
法律相談は弁護士にするようにというのが日本の法律で決まっています。私のような一般人が語ることはまったく意味がありません。もっとも弁護士が裁判で勝てますよといっても、実際に勝てるのは3割程度と聞いています。ほんとの話、民事裁判で判決に至るのは3割もないでしょう。7割以上は和解という決着で、その実、内容は妥協にすぎません。
ともかく欠陥とおっしゃるものが本当に欠陥に値するのか、あるいはそれに値しないのか専門家に判断してもらうべきでしょう。
ちなみに、欠陥というのは、仕様を満たしていないとか、ちょっと具合が悪いということには使う言葉ではありません。重大な不具合でまったく使い物にならないか、安全などに大問題がある場合のみ使う言葉です。
成功を祈ります。


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