MS 信頼性ガイドライン対応委員会 報告書 その2 09.08.29

本日は、第三者認証の信頼性回復について考えたい。
まず信頼性とは何か?
別にJISの定義とかを持ち出すまでもなく、通常使われる意味を考えると「なにものかを『信』じて『頼』りにすること」だ。
この報告書でいう信頼性回復とは、第三者認証制度に対する信頼が下がった状態を、それ以前の状態に挽回することを意味するのだろう。もし、元々信頼されていなかった場合には、信頼性を上げることを回復とはいわず、信頼性向上というだろう。
もっとも過去においては第三者認証は信頼されていたのか?ということ自体検証が必要だと思う。不祥事が起こる前から信頼されていなかったという可能性もある。それは別途考えることにしたい。

では信頼性とは誰が第三者認証制度に対して持っている、あるいは感じている信頼性なのだろうか?
そもそも、信頼性が減じたことによって、誰がいかなる被害あるいは迷惑を受けたのだろうか?
認証を取り巻くステークホルダーごとに考えてみよう。
ということは、第三者認証制度の信頼性低下は社会的な問題ではなかったのだ。
第三者認証制度の信頼性低下の被害者は、実は認証機関と認定機関だったのだ。

本日の結論
第三者認証制度の信頼性回復とは、認証機関と認定機関のためであった。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.08.29)
ISOの仕組みを活用して会社をよくしようとしていた会社にとって認証はどうでも良いのではないでしょうか?だから認証の信頼が低下しても、ISO規格を参考に会社の改善、効率化を推進していくでしょう。迷惑とも被害を受けたとも感じないでしょう。

その通りです。認証の信頼が低下しようがゼロになろうが、少なくともウチにとっては何の関係もありません。はっきり言って、どうでもよろしい。例え認証制度が崩壊しようが今後も規格をスケールとして利用し続けます。
大企業はいざ知らず、多くの中小企業は創業時よりKKD経営のままであったのが、ISO規格の登場によってようやく近代経営への転換のチャンスを迎えたわけで、規格はそこに値打ちがあるのだと私は思います。登録証なんてのはオマケにすぎません。



外資社員様からお便りを頂きました(09.08.31)
題名:経営に寄与する審査2によせて 佐為さん 今日はミクロなお話にて。
第三者認証制度=品質保証の保証+品質マネジメントシステムの保証ここで言う保証とはどう意味でしょうか。門外漢の素朴な疑問です。

というのも、私が知っている技術系認証では、保証という言葉は怖くてく買えません。保証というならば”仕様書や技術標準に対する適合性”とか、Test Coverageや危険率を明示した上での保証しかありえません。
私が知っている技術系認証の試験では、全ての仕様書項目に対する試験は行いません。
それは費用と時間による制限です。
それ故に、Test Coverage(試験により検査されている範囲)や、全項目でなく一部抜き取り故の統計的な危険率を明示することが必要となっています。
多分、このことは統計や信頼性の考え方からご理解いただけると思います。
となると、ISOの第三者認証でも自明のことながら、Test Coverageとか、認証結果の危険率などは、認証機関により定義されていると考えて良いのでしょうか。
それとも、そうした概念とは、別の考え方で第三者認証をしているのが、ご教示頂けると幸いです。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
ISO9001の世界での保証は「品質保証」の意味です。
ISO9000では「品質要求事項が満たされているという確信を与えることに焦点を合わせた品質マネジメントの一部」と定義されています。
平たく言うと、「品質が良いと自信を持てること」に過ぎません。事務局講座15のNさんのお話を読んで頂けるとありがたいのですが・・
さらに具体的にいいますと、顧客あるいはISO9001規格で定めた会社の体制を作り、そこで定めた文書管理、記録管理、校正管理、教育訓練その他もろもろをちゃんとしてますよということが品質保証と言います。
簡単でしょう!?
とはいえ、定めたことをしっかり運用しているということは、それなりに信頼感を醸し出すはずです。


外資社員様からお便りを頂きました(09.09.01)
経営に寄与する審査2によせて No.2
佐為さま
ISO9001の世界での保証は「品質保証」の意味
品質要求事項が満たされている

素人の質問に判り易くお答え頂き有難うございます。
言葉一つとっても、定義が違えば 会話が成り立たないと感じました。
となると、品質要求事項の中に、目標とする品質水準も、抜き取りなど統計的手法を使う場合の危険率やサンプリング方法も、その中にあるのですね。
実は、上記の通りだとすれば、第三者認証の話しを聞いて疑問が出ます。
受験側が誤魔化す、糊塗する、不祥事が無くならないなどという嘆きだの問題点が出ることが不思議です。統計や品質をやった人間なら不良品が出ることは当たり前の前提で、試験を行います。ですから、誤魔化しは前提として試験であり、それを盛り込んだ調査をしなければ、自己の品質保証体制が無いと言っているに等しいと思います。
それでも事故はありますので、その後は審査方法を変えるべきですし、自身の認証の危険率は変わるのだと思います。
(私達の技術認証の世界では、Test Coverageと呼びます)
自社のみで駄目ならば業界前提で見直すべきと思います。
いづれ、ISO認証をする会社ならば、自己の品質管理が出来ていて当然で、ならば自身が実施する認証に対する危険率や、サンプリング基準があってしかるべきと思います。
そうした自身の品質管理面での議論があれば、是非 ご教示いただきたいと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
お断りしておきますが、私は第三者認証の体制側ではないし、それを説明(弁護?)する立場でもありません。いやそれどころか、第三者認証制度の鼎の軽重を問う不逞の輩であります。 笑
ISOが発生する以前から品質保証協定というものはありました。それはごまかすためとか、単に体制を作ればよいという発想ではなかったと思います。
抜取検査とかAQLとか寸法公差とかいうだけでは安心して買えません。だから、そういう即物的な品質管理だけでなく、品質管理の体制を要求したのです。
そのとき購入メーカーによって品質保証協定書の内容が異なりました。そりゃそうです。各社がそれぞれ期待する品質保証体制を求めたのですから。昔、JR、NTT、その他の大手の有名な品質保証規格があったのを覚えていらっしゃるでしょうか?
それで供給サイドはいろいろな人がいろいろなことを要求されたのでは困ってしまいました。まして品質監査なんてもう日常茶飯事になったのです。だから品質保証要求事項を統一してもらえば楽だという考えが出てきて不思議でもなんでもないでしょう。それがISO9001:1987だったわけです。
品質保証要求事項が国際共通なら、買い手の代わりに第三者が監査して証明書を出しても良いわけです。そして第三者認証ビジネスというものが発生したわけです。
しかし第三者認証が広まった結果、品質保証では品質が上がらないということがわかりました。それは当たり前のことです。品質保証じゃ品質は向上しないのです。しかし供給者も購入者も認証機関も、そんな当たり前の事実を理解して受け止めることができず、ISO9001は品質経営を良くする規格なのだと品質マネジメントシステム規格と改称した2000年からおかしくなったのではないでしょうか?
現在のISO9001は過去からの妥協の産物で、芯が通っていない帯に短しというかわいそうなものだと認識しないと議論は進みません。
このように現在のおかしくなったISO規格で第三者認証というビジネスを継続しようという考えがまっとうなのか? いやそういうことが可能なのか? その辺は大いなる疑問です。
新聞が時代遅れのビジネスモデルといわれるように、第三者認証という制度も時代遅れのビジネスモデルなのかもしれません。まあ、いずれにしても時が経てばわかるでしょう。


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