事務局講座 15 2007.06.02

「最近、ISOに関して書いていないぞ」とお便りというか督促があった。こんなISOに関する過疎でマイナーなウェブサイトでもご覧になっている人はいるのだ。正直 感動である。
お名前がありませんでしたが、感謝申し上げます。


というわけで、本日はISOネタでいきます。
私にとって、ISO規格を実現すること、また第三者認証制度をより良くすることは天命と信じております。そして、日常体験していること、考えていること、感じていることは多々あり、書くことに事欠くということは絶対にありません。

私はもともと現場上がり、世の中の品質保証の専門家とか、学校で環境管理を学んだとか、学位を持っているなんて方とは住む世界、育った世界が違います。当然、知識も能力もそういった方々に比べて天と地の差であることを認めます。
しかし、逆に泥臭い、肌身で感じ、仕事の上で教えられてきたという強みというか裏付けもあります。
私は学校に行かなかっただけでなく、師と仰ぐ方について品質管理とか品質保証を学んだこともない。しかし、お話を聞き、また現場で教えられてきたことは数多い。
どこの地域でも同じかどうかわかりませんが、私の住んでいた地方都市では地域の工場の担当者が集まったいろいろな会合とか団体がありました。そういったところで知り合った方から教えられたことも多い。
もちろん、「品質保証とはこうこうである」とか「環境管理についてお教えしましょう」なんて教室に座って勉強したことはない。
会合での雑談やその後の酒の席でお聞きしたお話、あるいは付き合いの中で学んだということだ。

Nさんという方から聞いた話である。
Nさんの勤める会社では機械を製造していたがあるとき不具合が続出した。検討結果、アメリカから輸入している部品が原因であろうということになった。やがてアメリカから品質保証のマネージャーという人がやってきた。Nさんは品質不具合の原因説明とか改善についての打ち合わせを予定していた。ところがそのマネージャーがしたことは、アメリカの工場の製造ラインの種々管理データを提示していかに管理され安定しているかということの説明に終始した。いったい彼は何のために来たのだろう。
といった話であった。
そのとき、私はまだ現場の監督者であって品質保証などに関わっていなかったので、「なんでしょうかね〜」と相槌をうっただけであった。
しかし何年かして、品質保証業務について、「ああ、それこそが品質保証そのものだったのか!」と気がついた。
品質保証とは品質を保証することでもなく、不具合をなくすことでもなく、お客様の不具合対策をお手伝いすることでもない。己の製品がいかに仕様を満たした製品であるかを説明することであり、そのマネージャーははるばる日本の地方都市まで来て、製品が管理状態で製造されている、だから安心して使いなさいと顧客に説明する外部品質保証のために来たのである。
決してその部品がどこか悪いのではないかとか、どう改善しようとかを打ち合わせに来たわけではなかったのである。
そのような品質保証という活動が良いか悪いか、存在意義は、と考える前に、品質保証とはそういうものであると私は学んだ。
この話はもう20年以上前のこと。Nさんは当時50過ぎだった。今は田舎で品質保証とも不良対策とも縁のない生活をしているに違いない。

次の話は、やはり何かの会合でお会いしたTさんの話である。
Tさんの勤める会社では超大手企業に納入しており、そういったところでは品質保証要求は昔からだった。Tさんは品質保証部門で働き、その仕事はいかにして顧客企業の品質監査において不適合を出さないかということであった。そしてTさんは完璧にその仕事をこなしていた。
いまでいうならカリスマ事務局というのだろう。
Tさんは製品に関する製品仕様書も品質保証協定書も完全に暗記していて、監査員がくり出すいかなる質問にもアットいうまにエビデンスを提示し、立て板に水のごとく説明し、審査員が瑕疵を見つけることもなく、突っ込む隙も与えなかった。
そして毎回審査は無事に終わったという。
もちろん私は他社の、しかも顧客企業が来た品質監査に立ち会って拝見したわけではない。しかし伝え聞く武勇伝、そしてその会社内のTさんの評価を知っていたので、それは事実に相違ないと信じている。
nogisu.jpg
勘違いはないと思うが、このときの監査は顧客による監査であり、もし瑕疵というか不適合があれば納入ができなくなる。そして実施することとして、製品の検査もあるし、工程管理の記録の監査もある。そして品質保証協定書によるマネジメントシステムの監査もある幅も奥行きもある重大なものだった。
しかも派遣されてきた監査員も、万一監査での見逃しがあれば後々責任が問われるので、真剣勝負である。いまどきのISO9001や14001の審査のような甘いものではない。
Tさんとはニ三度しかお会いしたことはない。しかし私は、監査をするあるいは受ける態度とかいう前に、職業人として自分の仕事のプロにならなければならないというその意気込み、使命感に感動を受けた。
Tさんも私より数歳上だったからもう定年退職していることだろう。それともそのスキルを買われて今でも嘱託で働いているか、あるいは他の会社で働いているのかもしれない。

なお、やはり地域の企業で大手オーディオメーカーの下請けをしていた会社がありました。
製品納入は定期的にロットで納めており、その前にはメーカーから検査員がきて抜き取りで検査をしていました。倉庫に積まれている製品の段ボール箱から検査員がこれとあれと抜き取りするものを指定すると、そこの社長が「じゃあ、飯を食いに行きましょう」といってクラウン(大会社ならベンツなのだが)に乗せて出かける。
man2.gif その会社では抜き取りを指定された製品を取り出すだけでなく、そこに貼り付けられているラベルをはがして、隠してあった選りすぐりのものに張替えた。検査員が食事から帰ってきたときにはその完璧なものが検査場にならんでいた。検査員は並んでいるものを検査してもちろんロット合格である。検査員も社長も肩を叩きあいハッピーエンドである。そして検査員が帰るとまたラベルは張替えられて完璧製品は再び保管されたのである。
実は、検査員は毎回同じ品物を検査していたのである。
間違ってもこういうのは良い方法ではない 
今ではオーディオメーカーの下請けはすべて中国である。
あの社長は 今頃〜どうしているだろう〜♪

田舎でISO9001の認証が始まったのは1994年頃でしょうか。私が当時働いていた会社ではヨーロッパ輸出の関係で92年には認証しました。そんなわけで少しは余裕を持って近隣の企業がISOと格闘しているのをながめることができました。
従業員30人くらいの板金部品の工場でKさんという方が工場長でした。
ここも親会社からISO9001認証しろといわれて、しょうがないと認証活動をはじめました。その頃なにかでKさんとお会いしてどんなことをしているのかお聞きしたことがあります。
Kさんいわく「あんなもの簡単だよ。ISO規格の文章の最後を『する』っておうむ返しにした品質マニュアルを作ればいいんだ」
そんなことでいいのかなあ〜と私は思いました。私は当時からまずISO規格があるという認識ではなく、まず会社の仕組みがあって、その仕組みがISO規格に合っていることを説明することが認証であると考えていましたから。
しかし、その工場ではアットいうまに審査を受け合格し、ISO認証工場なんて看板を掲げました。
それでいいのだろうか?と思いつつ、認証するにもいろいろなアプローチがあるものだと思いました。
でもそういったアプローチは負のスパイラルの出発だったのだろうと今では思います。

やはりその頃、「ISO認証を指導しますよ」と、某社の品質管理部長と名乗る方が勤め先に来たことがあります。残念ながらというか私どもでは既にISO認証していたのでコンサルのお仕事はありませんでした。まあせっかくだからとお話を伺いました。
その方はやはり独力でISO9001を認証したのですが、そのノウハウを基にコンサルをはじめたわけです。
94年頃、田舎ではISOコンサルなんて商売をしている人はいませんでした。だから認証しようとする企業はどこも独力で勉強して対応したわけです。そういった中からコンサルをはじめたところもあったのですが、ビジネスになったのはISO9001が広まったその数年後からでしょう。
その方が自慢げに言った。
「品質マニュアルなんてISO規格に合わせて作成するもんじゃないんですよ。会社の仕組みをよく調べてそれを書くのです」
私はその前に既に数回ISO認証の経験がありました。マニュアルだけでなくたくさんの規定を作った経験からその言わんとするとことがよくわかった。彼はコンサルの嚆矢であったろうが、規格にとらわれたコンサルではなく、会社の本質をとらえたコンサルだったに違いない。彼のようなコンサルばかりだったら、ISO認証した企業は形骸化することはなかっただろうと思う。
名前も忘れてしまったが、その部長さんは当時50代だったはずだから今は70歳くらいか。元気にしているのだろうか?

なんだ、今日は思い出話かよ・・と思われた方、そうではあるが、それだけではない。
私はそういう企業や人々をみてきたから今があるのである。
あなたは私の失敗談を聞いて、学ばなければならないのだよ。

こんなことをいったら笑われるかもしれないが・・・ 
いつかどこかで、
「佐為さんという環境監査をしていた人がいたんだ。その人は監査ではダジャレしか話さないんだ。世の中には専門知識がある人もいるし監査がうまい人もいる。しかし、相手を困らせたり追いつめたりせず、双方が笑いながらの監査をできた人は珍しい・・・」
なんて評価されたいと願っております。
でも
「佐為って監査をしていたアホがいた。とっくに定年になったが今何をしているやら」なんて言われることは間違いないようです。 



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