ISO事務局講座 その10 2006.12.29

カリスマ事務局
カリスマ事務局というのがあるそうだ。
カリスマ美容師、カリスマ塾講師、カリスマ主婦、カリスマ店員、カリスマ馬券師、カリスマシェフ、カリスマなんたら、カリスマかんたらとテレビやちまたでよく言われる。
fusein.jpg カリスマとはギリシア語の「神のすばらしい賜物」が原義だそうだが、一般的にはそのすばらしい賜物であるずば抜けた才能を持つ人という意味で使われる。とはいってもフセインもゲバラもカリスマそのものだったのだから、カリスマというものが腰を抜かすほどのたいしたものではなかろう。
いずれにしても、カリスマ事務局という言葉を聞いたときそれがいかなるものか? 私にはわからなかった。
想像するに、たとえば環境事務局あるいは品質事務局の担当者で、会社を良くするためにマネジメントレビューで経営者にさまざまな提案をして、会社の体質改善を進めている、更にいえば利益を大きく伸ばしたとかリスク予防を図ったとか企業買収を防いだとかいう実績をだした人なのか? と思った。
だって、マネジメントシステム事務局のお仕事の最終目的ってそれではありませんか?
マネジメントシステムとは唯一無二であることをお忘れなく
環境事務局だから環境だけしか知らないとは言えませんよ

内部監査をしたり、文書管理システムを考えたり、教育訓練をしたり、そして審査の対応をすることがマネジメントシステム事務局の目的ではありません。それらは企業の存在目的に比較すれば、ズーット下位の目的あるいは目的実現の手段に過ぎません。
私は職場が変っても長いこと事務局をやってましたし内部品質監査も内部環境監査もしてました。そして、会社の仕組みの改善や遵法をしっかりさせたことでは人後に落ちないとは自負しているが、会社の経営レベルで寄与をしたなどとたいそれた功績を出した記憶はいまだかってない。
カリスマ事務局恐るべし 
最近、カリスマ事務局とはいかなるものか? 知り合いから聞く機会があった。
その方の説明によるとカリスマ事務局とは、ISO審査で審査員から「不適合!」といわれても、それを「適合」であることを説明し、決して不適合を出させない事務局なのだそうです。
いや、笑っちゃいました。

そんな事務局がカリスマと呼ぶに値するのでしょうか?
それよりもそんな行為にいかなる価値があるのでしょうか?
私ならカリスマ事務局ではなく、かりそめ事務局って言いますよ。
それにそんなこと私ですら過去していたことではありませんか。そして全国津々浦々にはそのようなことができる人はたくさんいるはずで、たくさんいるならばカリスマではないではないか?
カリスマか否かはともかく、審査で不適合を出さないということに価値があるのだろうか?
もちろん昔の私のように、不適合件数で査定されるのでは不適合の有無が家計に響く。
事務局の価値をなんで計るかは人によって違うかもしれない。事務局は何のために存在するのか? 事務局のお仕事はなにか? そのあたりの認識を合わせておかないと話が合わない。
そもそも事務局のお仕事ってなんなのだろうか?
ISOあるいは顧客の審査対応のためであれば、事務局は必要ないことはいうまでもない。
だって考えてごらんなさい、行政の方が審査員より強制力・権力があることは間違いないが、行政の立ち入り対応の事務局を設置している企業はあるのだろうか?
薬事法とか防衛関係の会社で専門の品質保証部門を設置しているところはある。しかし公害の立ち入り対応の事務局や消防署の立ち入り対応の事務局を置いているところはないだろう。通常は保全部門や総務部が片手間に応対しているはずだ。
単にISO審査対応なら総務部が窓口になって審査機関と日程調整をして社内に周知をすれば済む。実際にそういう会社を知っている。総務部の担うコミュニケーション機能に過ぎないし、それで十分である。
わざわざマネジメントシステム事務局というものを設置しているなら、それはマネジメントシステムを良くするために存在しているはずだ。それ以外の理由があるだろうか?
マネジメントシステムの継続的改善は即パフォーマンス改善を意味しないとISO規格ではくどいほど語っている。しかし経営者、株主から見れば、企業においてパフォーマンス改善(それには利益も含む)に寄与しない部門、人は不要である。

ISO事務局とはただ扶養されているものなのだろうか? 

事務局が「無駄飯を食っているのではない、穀つぶしではない」というならば、目に見える形あるパフォーマンス改善を行いその組織・企業に寄与しなくてはならないのである。
そういった観点、次元から見れば、審査において不適合をださないことに価値はなく、審査で不適合を出していただきそれを糧にして会社のマネジメントシステムを改善していくことが会社に貢献し事務局の存在意義を示すのではないだろうか?
もちろん、アホな審査員のだすばかばかしい不適合や的外れコメントはリフューズするが・・・

もし毎回、不適合がなければ、その組織はISO規格を完璧に満たした組織であり、第三者に確認してもらう必要がなく、認証を辞退してもよく、自己宣言してもよいのである。
あるいは当社はISO規格をはるかに越えていると高らかに宣言してもよい。

ちょっと観点を変えよう。
quest.gif 品質であろうと環境であろうと事務局担当者の方々のうち、自分たちのしているマネジメントシステム構築維持あるいは内部監査が本当に会社に役に立っていると感じている方はどのくらいいるもんでしょうか?
あまりいないのではないでしょうか?
カリスマ事務局ならそういうい自負を感じているのでしょうか?

実は私も感じていなかったのです。
私は以前田舎の工場でISO9000とかISO14000とかの事務局をしておりました。10年もそんなことに携わっておりますとISO審査などをそつなく処理するのは習熟しましたがそれがいかなる付加価値があるでしょうか?
外部監査をクリアすることは当面の仕事ではありますが、それが果たして経営上いかなる改善効果をもたらすかということで考えれば正直なところ何も意義は感じませんでした。
品質監査も環境監査の報告書も名目上の経営者に報告するだけならば、その内部監査はオママゴトかISOのためと断言して間違いでしょうか?
監査報告書は、監査役や取締役会に、委員会設置会社の場合であれば取締役監査委員会や執行役へ、報告されなければ価値がありません。
なぜなら監査とは経営者に会社の実態を報告するものであるからです。それは規格要求そのものではありませんか! 会社の真の経営者に会社の実態を伝えなければ、監査がいかに立派であっても意味がないと私は断じます。
ISO事務局の力でできる範囲は限定されます。
会社を真に良くするのは経営者です。経営者があるべき仕組みを作らないとダメです。
ISO事務局が会社の仕組みを見直す、作り上げることが本当にできなければ、大口を叩いてはいけません。
あなたがISO事務局であるなら、あなたの部門は会社の組織の中でどのような位置づけになっているのでしょう? ISOの内部監査は監査役あるいは取締役監査委員会とどのような関係にあるのでしょうか?
事務局が会社組織上しっかりとした位置づけになければ経営に寄与するはずがありません。ひょっとしたら、マネジメントシステムといいながら真のマネジメントシステムと関連がないバーチャルか自己満足ではないのでしょうか?
そんな事務局なら外部委託しても良いのかもしれません。
カリスマと自称、他称されるのであれば経営者を動かして会社を改善していくことができなければなりません。

本日の結論
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不適合を出さないのがカリスマ事務局ならば、それは第三者審査登録制度が崩壊するとき同時に存在意義を失うだろう。
会社を良くするのがカリスマ事務局ならば、永遠に存在意義は失われないだろう。




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