予言の効用

11.05.14
お断り
「推薦する本」というコーナーでございますが、私が本当にお勧めしたい本を取り上げているわけではありません。その実態は、私が本を読んで頭に浮かんだ妄想を書いているだけです。
ですから取り上げている本には、まったく無意味なものもあり、唾棄すべきものもあり、うそ800のものもあります。まあ、私はそんな本を枕に、その本を読んで思いついたこととか、昔その本を読んでいた時のできごととか体験とか、あるいは本のうそを棚卸ししたりと、要するにいいかげんなことを書いているのです。それは書いている私がいいかげんな人間だから、それはやむを得ません(ナンノコッチャ)
本日の本も、ぜひ読めなんてお勧めするのではありません。単に昔読んだというだけで、書いているのは追憶です。いやとりとめのない妄想です。

出版社ISBN初版定価巻数
角川書店なし昭和32年4月30日(1956年)出版時120円・入手時1円全一巻

私が高校を出て就職したとき、同じ職場に私より4歳年上の高卒の方がいた。社会に出たばかりの18歳にとって4歳違いは、40歳の人にとっては20歳以上の違いがあるだろう。ちょっと年上というのではなくものすごくえらい人という感じでしたね。
さらに、この方はいわゆる親分肌というタイプで、仕事だけでなくお酒、マージャン、山登り、その他いろいろ私を指導してくれた。この先輩は40半ばのとき転職された。既にあれから20年、お会いしたことはない。もちろんとうに引退して、今ではパチンコと囲碁とゴルフ三昧の生活をしていると噂に聞いた。以前の知り合いが優雅な老後を過ごしていると聞くことは、私にとっては喜びである。ゆくゆく私もそういわれたいものだ。

私が入社した時、先輩が読んでいたのがこの本である。私は子供の時から本を読むのが好きだったが、こういった小難しそうな本は手にしたことはなかった。先輩は読み終えると、私に貸すという。ありがたくお借りして読んだ。それまでは、予言なんてと迷信だとバカにしていたが、この本を読んでその発祥とか役割に気づかされたという思いがした。社会に出たてで迷うことが多く途方にくれていた私にとって、一条の光であったといっては大げさだろうか。いずれにせよ40数年前のことである。

つい最近、なんであったかは記憶にないのだが、この本のタイトルを目にしたか耳にしたのである。私が記憶力のいいのはいつも書いている。タイトルを聞いただけで昔呼んだことを思い出し、その本の内容が頭に浮かんだ。そしてまた読んでみたくなったのである。
今は本を探すのは簡単だ。ネットで検索すると中古本が売りに出ているかすぐにわかる。アマゾンだけでなく、中古本でも新品でも、本をネット販売しているウェブサイトはたくさんある。
古い本だから見つからないだろうという気もしたが、検索するとあっというまにいくつものウェブサイトでこの本の中古品が出ている。
もちろん、新品があるわけはない。
お値段は1円である。どれを選んでも値段もなにも差がないので、ふたつめのウェブサイトに申し込む。申し込んで、翌々日には配達された。
では40年前の思い出にふけようか、

届けられた本は再版ではあったが初版と同じ昭和32年印刷である。開けば紙は酸化してボロボロとかぱりぱりとはなっておらず、逆に腰も張りもなくペタペタにくたびれている。何度も読まれて紙が繰り返し折り曲げられて、繊維がヨレヨレになったという感じである。しかし紙の色はまだ白く、本の外には帯もあれば、中には当時の新刊書の宣伝のしおりが入っている。これほど読んでいただいて、しかも50年の間これほどきれいに保管していただいて、この本は冥利に尽きるのではないだろうか。
値段を見ると正価120円である。(当時消費税はない)これは大金である。昭和32年の高卒の初任給はいくらだったのだろうかと、ネットでググルとすぐにみつかる
昭和40年以前は、あまりにもグラフがX軸のそばでよく読み取れないが、男で7000円くらいであったようだ。平成22年の高卒の初任給が16万前後だから、その比率から言えば、この新書は今の価格にすると2700円ほどしたということになる。今2700円の本といえば、厚いハードカバーのお値段である。安くはない。先輩がよくそんな本を買って読んでいたものだと改めて感心した。
1960年代末私はヘルマンヘッセなどを良く買って読んでいたが、当時それらの文庫本は70円とか90円くらいであった。私が就職した時で初任給が19000円だった記憶があるから、初任給の0.5%になり、今なら600円から800円くらいになるのだろう。文庫本の値段は今とあまり変わらないようだ。

読み返してどうだったかというと、改めて感動したところもあるが、こんなもんだったのかというところもある。あれから40年以上経過しているわけで、私も社会でもまれ、すれてきたしタフにもなったろう、いや夢破れて現実的になり、まったく同じく感動するはずはない。
冒頭にも書いたが、本を読んで感動するということは、すばらしい本に出会ったからというわけでもない。失恋をしたときにヘッセを読んで感動することもあるだろうし、ラブラブのときなら感動しないかもしれない。そのときの環境や体調で同じ本でも感情移入できるときもあるだろうし、縁がないと感じるときもあるだろう。
書評なんて誰がどんな気分の時に読んで書いたのかもわからない。どんな本にしても自分が始めの1ページからおしまいのページまで読んで、そこから得たものがすべてだ。いずれにしても値打ちはそこに何が書いてあるかではなく、その本を読んで何を得たのかということだろう。
ずっと昔、私が入社した時、人事担当者から固い本を200冊読めばそれで一生食っていけると言われた。
まあ、それはちょっと大げさかもしれないが大量に読書することはそうとうの価値はあるだろう。私はたくさんの本を読んだことは、やはり力になったと思う。

本日の総括
まあいくらたくさん本を読んでも今がその結果ならば、大したことはなかったわけだ。 



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