当時1990年頃は福島県には90市町村あったが、その後町村合併で今では60市町村に減ってしまった。(2011年3月現在) 合併後に町の名前も変更されて、なじみのない名前が多くなったのでなんとなく奇異な感じがする。最近では市町村名称もひらがなとか中にはカタカナのところもあるが、幸い福島県にはいわき市を除いてまだひらがなとかカタカナの名称はない。私は古い人間だから町の名前は漢字でなければならないと思っている。 |
しかし太平洋っていう名称にもちょっと違和感がある。そもそも太平洋とは「Pacific Ocean」の翻訳なのだが、その昔マゼランが南米最南端を通過した際、それまでの荒れ狂う大西洋と違い、非常に穏やかな海だったので「Pacific Ocean」と名付けたそうだ。 でも大津波に襲われた人々には、その名前には違和感どころか拒否感を持つのではないだろうか。それは津波の海か、恐ろしい海ではないだろうか。 |
福島県は東側から浜通り、中通り、会津のみっつの地域に別れている。
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贅沢の後戻り 先日 BS放送のある番組を眺めていたら、日本の電力の特徴について話していました。 メモを取るのを忘れてしまいましたが、その内容は、現在の日本の電力の使用量は、オイルショックのときの 約 1.5倍なんだそうです。 その内訳は、産業で使われている電力量はほとんど変わらず、増えたのは家庭やお店、自動販売機なとで使う電力みたいですね。 確かに我家を見ても、各部屋にテレビやエアコンがあります。 昔の生活の時のように、一つの部屋に家族が寄り添っていれば、テレビもエアコンも、一台で済みます。 そんなことを気付かせてくれた今回の大震災でした。 |
あらま様 まいどありがとうございます。 日本のエネルギー使用状況は下図のとおりです。 |
1970年から製造業におけるエネルギー使用量は変わっていません。民生というもののほとんどは家庭ですし、運輸部門の半分は個人保有の自家用車です。 あらま様がおっしゃるように私たちが子供のときは、家族で火鉢やこたつ囲んでお話やゲームをしたものですね。いやいや、もっと時代が下ってからだって、テレビは一家に一台でした。みんなでチャンネル争いをしながら暮らしていました。 照明だって、風呂場と洗面所の間に20センチくらいの穴を開けて、そこに裸電球をつけて両方を照らしていました。 エアコンなんてありませんから、暑い時は我慢するしかありません。 当時7人暮らしの我が家では月に100kWh程度だったのではないでしょうか。 あんな時代が良かったのかどうか一概に言えませんが、エネルギーは少なかったわけです。ともかく、反省する機会にはなりました。 |
佐為さま 福島県ご出身と伺っていたので、親類の方に被害が無かったかと気をもんでおりました。 まだまだ、原発の問題が収束せず、気になります。 私の住む家の近隣では、東北の被災地区や、福島から避難した人を受け入れており、土曜日は、東北訛を懐かしく聞きました。(家内の実家は岩手です) 東京が、近隣地域と東北により支えられているのは、江戸時代から明確なことです。 ですから、本当の東京人ならば、判っているはずなのですが... 今回の災害に関連して、悪いことだけでなかったと思う話を少しだけ。 会社では、いくら使わない照明を切る、暖房は20度と言っても聞いてくれなかったのが皆さん大変素直に協力してくれるようになりました。自身が停電を体験するのが節電には一番良かったようです。 台湾の法人から、すぐに震災募金への寄付と、物資支援の申し出がありました。 何と、個人で数十万円寄付した人が数名おります。 かなりの金額を日赤経由で寄付します。 (台湾では四川大地震の寄付に比べて、日本への募金活動は大変協力的です。) 生活物資は、日本法人の社員が物不足だとテレビを見て心配して送ってくれたのですが、皆さんは自分たちより、支援物資に送ろうと言ってくれました。 企業からの物資受付が始まったので、支援物資として送ります。 まだまだ、復興には時間がかかると思いますが、少なくとも東北の人を応援する人々も、海外沢山いることもお忘れなく。 外資社員 拝 |
外資社員様 感情的になり、真に申し訳ありません。 親類縁者に犠牲者は出ていませんが、家屋が損壊したり、避難したりしている方はそうとういます。そんなこんなで、頭に血が上っておりました。 外資社員様がおっしゃるように、多くの東京人は電力会社の発電所がどこにあるか、なぜ停電をしなくてはならないかを認識されていると思います。 おかしなことを語っているのは一部の人でしょう。 台湾の方々をはじめ、多くの人のお心痛み入ります。 私もできることをせねばと強く認識しております。 |
原発について 日本の政治の仕組みを作ったのは国民で、政府の人間を選んだのも国民。そして東電は政府の定めたやり方(いわば国民が認めたやり方)のとおりに発電や点検を行い、今まで政府のオッケーをもらってきた。 そして今回の事故。 原発反対を叫ぶのは簡単だ。ただ、その人たちはわかっているのだろうか。 自分たちが認めたにも等しい政府、東電を批判する矛盾を。 今までの生活が原発の電気によって支えられてきたことを。 いわゆる原発マネーで潤ってきた自治体があること(その自治体の人すら原発反対を叫ぶ。自らが利潤を得てきたのに、よくそんなことを言えたものだ)。 政府の原発安全神話を妄信してきた自らの愚かさを。 そして覚悟しているのだろうか。 自然エネルギーに切り替えた場合、いつ停電するかわからない不安定な電力供給になること。 火力発電が増え、地球温暖化が進むこと。 不安定な電力供給、地球温暖化を避けたいなら、相当に生活レベルを落とさなければならないこと。 生活レベルを落とした場合、生活に様々な影響が出、その結果死者すら出るかもしれないこと。 自らの発言ひとつひとつが、社会に大きな変革をもたらすかもしれないこと。 社会を動かすという責任の大きさ・・・。 東電や政府が悪いんじゃない。 もし誰かを悪者にしたいなら、国民全員が罪人だ。 今すべきはそんな犯人探しじゃない。誰かを悪者にしてあーだこーだ文句ばかり言うことでもない。 今という現実を受け止め、これからどうするか話し合い、ひとりひとりが考えることではないだろうか。 |
ひと様 お便りありがとうございます。 天災はみなでがんばって復興を果たすべきです。また日本のエネルギー政策から今原発を止めようというのも難しいでしょう。みなで考えようというのも大事でしょう。 ところで日本が第二次大戦で敗北したのはなぜでしょうか? そりゃいろいろと理由はあるでしょうし、資源不足が徹底的な問題ではあったでしょう。 でも私は責任者の責任を追及せず、なあなあで収めて、問題司令官を再び作戦の指揮を取らせたことも大きな原因であったろうと思います。 軍事作戦で一番悪いのは小出し戦術といいます。敵が来たぞ、1000人派遣しろ、やられた、じゃあ2000人派遣しろ、やられた、じゃあ3000人というような戦法では負けるために戦っているようなものです。 敵が1000人来たなら、一挙に一個師団(約1万人)くらい派遣して、敵が逃げれば戦わずして勝てます。 原発事故が起きたとき、すぐさま30キロでも大避難をさせるとか、放射線量計を配布するとか、やれることは多々あったし、やらねばならなかったのです。 そういうことは原発が必要かとか、みなで考えようというのとは違います。やるべきことをせずに被害を大きくし犠牲を大きくしたのは、天災ではなく人災です。 今、天災という美名とかにごまかすのではなく、徹底的に責任を追及して、再発を防がねばなりません。 誤解ないように、ISOの世界では責任者を処罰するのではなく、原因をあきらかにして再び起きないようにすることが目的なのです。 |