原発の町 2011.03.20

東北関東大震災による津波で福島第一原子力発電所が壊滅した。それにより放射性物質による災害を引き起こし、田舎の私の親戚も避難しようかと思案中である。私の田舎は原発から50キロは離れているが、もし放射性物質が撒き散らされれば風向きしだいで容易に到達し放射能汚染で住めなくなるのは間違いない。チェルノブイリのときは放射性物質が約2000キロ離れたスカンジナビアまで届いたのだから、50キロというのはお隣のようなものだ。

私は福島第一原発のある大熊町に住んだことはないが、若い時にその北側にある南相馬市で短期間働いていたことがある。高校を出たばかりのときでもう40年以上前になる。当時そこは原町市といった。原町には高いコンクリート製の電波塔があり、町のシンボルだった。
その電波塔で関東大震災を世界に知らせたという由緒あるものであったが、だいぶ前に老朽化で危険になり解体された。南相馬市も今回の津波で大きな被害を受けた。因果とか因縁なんてことはないだろうが、歴史とはいろいろなことが積み重なっているものだと実感する。

もう20年以上前、娘と息子が小学生低学年の頃、私は市役所めぐりと称して子供たちと福島県の役場や市役所をすべて回ったことがある。そんなことをだいぶ前に書いた。いつのことだろうと見返すとなんともう9年も前になる。
当時1990年頃は福島県には90市町村あったが、その後町村合併で今では60市町村に減ってしまった。(2011年3月現在)
合併後に町の名前も変更されて、なじみのない名前が多くなったのでなんとなく奇異な感じがする。最近では市町村名称もひらがなとか中にはカタカナのところもあるが、幸い福島県にはいわき市を除いてまだひらがなとかカタカナの名称はない。私は古い人間だから町の名前は漢字でなければならないと思っている。
市役所めぐりではもちろん大熊町の町役場の門の前でも記念写真を撮った。それだけではなく福島第一原発の前まで行った。大熊町の印象は、緩やかな起伏のある田園で、小高い岡の上に大きな公共施設の建物があり、原発のある町はお金があるんだと感心した覚えがある。そこからは遠くに太平洋が望めた。
しかし太平洋っていう名称にもちょっと違和感がある。そもそも太平洋とは「Pacific Ocean」の翻訳なのだが、その昔マゼランが南米最南端を通過した際、それまでの荒れ狂う大西洋と違い、非常に穏やかな海だったので「Pacific Ocean」と名付けたそうだ。
でも大津波に襲われた人々には、その名前には違和感どころか拒否感を持つのではないだろうか。それは津波の海か、恐ろしい海ではないだろうか。

福島県には水力発電も火力発電もそして原子力発電所も多数あるのだが、その多くは東京電力の持ち物で、そこで作られた電気はすべて関東地方に送電されている。子供の頃、田子倉発電所を郷土の誇りと思っていたが、あるときそれは東北電力のものではなく東京電力のものだと知った。それを知って都会人はずるいなあと感じたことを覚えている。

当時は福島とは田舎の代名詞であり、福島県人は田舎者の代表であった。テレビドラマ「ありがとう」なんてみても、岡本信人が福島県出身者の役でズーズー弁を語り田舎者を演じていた。福島県は今でも田舎の代名詞なのだろうか?
東京の人は、電気も食料もしぜんと現れると思っていたのだろうか?
電気を作っているところがどこかなんて気にしないのだろうか?
お米が取れるところ、野菜を作っているところ、りんごの果樹園などどこにあるか知ることもないのだろう。
そして田舎出身者は自分たちとは違う、めずらしい人間と認識していたのだろうか?
良い悪いではなく、そんな気がする。

今、福島第一原発が非常事態であるが、都会に住む人たちは自分たちに影響が及ばない限りは遠い国の出来事のように感じているのではないだろうか。福島県の原発をはじめ、火力発電所が地震と津波の被害を受けて稼動しなくなり、東京都心を除いて計画停電を行なっているが(2011/03/20時点)、多くの人は地震災害を受けた東北地方に電気を送るためだと考えていると聞く。そうじゃありませんよ。単純に東京電力が東北地方に作った発電所が壊れたので、東京の電気が足りなくなったのです。東京人が不自由な生活を我慢して、被災した東北人を助けているなんて誤解をしないでくださいね。東北は常に東京を始めとする関東地方を支え、犠牲になっているのですよ。
そんなことを思うのは、福島県人のひがみだろうか?

これから津波の被害から復興が始まるが、住民の多くが犠牲になったところもあり、町の機能が壊滅したところもあるし、また元々財政規模が小さく採算上も困難なところも多い。原発のお金に依存していたところもある。そんなことを考えると、今後独立して行政を行なえない市町村は合併するしかなく、福島県浜通りは二つか三つの行政区域になってしまうのかもしれない。
福島県は東側から浜通り、中通り、会津のみっつの地域に別れている。

決してあってはならないのだが、仮に、万が一、原発近辺が今後チェルノブイリのように立ち入り禁止などになれば行政区画そのものがなくなってしまうのだろうか?
そのときは、都会人は自分たちが快適な生活をするために福島の人たち、福島の自然、福島の歴史を蹂躙したことを決して忘れないでほしい。
もちろん誰であれ一人では生きられず、他の多くの人のおかげでいきているのだが、そのお世話になっているということを忘れてはいけない。
それと、今回の事故で反原発の人たちは大声で原発廃止を叫ぶことは間違いない。しかし、今までの豊かな暮らしは、電気のおかげ、原発のおかげで成り立っていることをしっかりと認識してほしい。
まあ、そんなことを理解できないだろうけど。



あらま様からお便りを頂きました(11.03.21)
贅沢の後戻り
先日 BS放送のある番組を眺めていたら、日本の電力の特徴について話していました。
メモを取るのを忘れてしまいましたが、その内容は、現在の日本の電力の使用量は、オイルショックのときの 約 1.5倍なんだそうです。
その内訳は、産業で使われている電力量はほとんど変わらず、増えたのは家庭やお店、自動販売機なとで使う電力みたいですね。
確かに我家を見ても、各部屋にテレビやエアコンがあります。
昔の生活の時のように、一つの部屋に家族が寄り添っていれば、テレビもエアコンも、一台で済みます。
そんなことを気付かせてくれた今回の大震災でした。

あらま様 まいどありがとうございます。
日本のエネルギー使用状況は下図のとおりです。
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1970年から製造業におけるエネルギー使用量は変わっていません。民生というもののほとんどは家庭ですし、運輸部門の半分は個人保有の自家用車です。
あらま様がおっしゃるように私たちが子供のときは、家族で火鉢やこたつ囲んでお話やゲームをしたものですね。いやいや、もっと時代が下ってからだって、テレビは一家に一台でした。みんなでチャンネル争いをしながら暮らしていました。
照明だって、風呂場と洗面所の間に20センチくらいの穴を開けて、そこに裸電球をつけて両方を照らしていました。
エアコンなんてありませんから、暑い時は我慢するしかありません。
当時7人暮らしの我が家では月に100kWh程度だったのではないでしょうか。
あんな時代が良かったのかどうか一概に言えませんが、エネルギーは少なかったわけです。ともかく、反省する機会にはなりました。


外資社員様からお便りを頂きました(11.03.21)
佐為さま 福島県ご出身と伺っていたので、親類の方に被害が無かったかと気をもんでおりました。
まだまだ、原発の問題が収束せず、気になります。
私の住む家の近隣では、東北の被災地区や、福島から避難した人を受け入れており、土曜日は、東北訛を懐かしく聞きました。(家内の実家は岩手です)
東京が、近隣地域と東北により支えられているのは、江戸時代から明確なことです。
ですから、本当の東京人ならば、判っているはずなのですが...
今回の災害に関連して、悪いことだけでなかったと思う話を少しだけ。
会社では、いくら使わない照明を切る、暖房は20度と言っても聞いてくれなかったのが皆さん大変素直に協力してくれるようになりました。自身が停電を体験するのが節電には一番良かったようです。
台湾の法人から、すぐに震災募金への寄付と、物資支援の申し出がありました。
何と、個人で数十万円寄付した人が数名おります。 かなりの金額を日赤経由で寄付します。
(台湾では四川大地震の寄付に比べて、日本への募金活動は大変協力的です。)
生活物資は、日本法人の社員が物不足だとテレビを見て心配して送ってくれたのですが、皆さんは自分たちより、支援物資に送ろうと言ってくれました。
企業からの物資受付が始まったので、支援物資として送ります。
まだまだ、復興には時間がかかると思いますが、少なくとも東北の人を応援する人々も、海外沢山いることもお忘れなく。
外資社員 拝

外資社員様 感情的になり、真に申し訳ありません。
親類縁者に犠牲者は出ていませんが、家屋が損壊したり、避難したりしている方はそうとういます。そんなこんなで、頭に血が上っておりました。
外資社員様がおっしゃるように、多くの東京人は電力会社の発電所がどこにあるか、なぜ停電をしなくてはならないかを認識されていると思います。
おかしなことを語っているのは一部の人でしょう。
台湾の方々をはじめ、多くの人のお心痛み入ります。
私もできることをせねばと強く認識しております。


ひと様からお便りを頂きました(11.07.13)
原発について
日本の政治の仕組みを作ったのは国民で、政府の人間を選んだのも国民。そして東電は政府の定めたやり方(いわば国民が認めたやり方)のとおりに発電や点検を行い、今まで政府のオッケーをもらってきた。
そして今回の事故。
原発反対を叫ぶのは簡単だ。ただ、その人たちはわかっているのだろうか。
自分たちが認めたにも等しい政府、東電を批判する矛盾を。
今までの生活が原発の電気によって支えられてきたことを。
いわゆる原発マネーで潤ってきた自治体があること(その自治体の人すら原発反対を叫ぶ。自らが利潤を得てきたのに、よくそんなことを言えたものだ)。
政府の原発安全神話を妄信してきた自らの愚かさを。
そして覚悟しているのだろうか。
自然エネルギーに切り替えた場合、いつ停電するかわからない不安定な電力供給になること。
火力発電が増え、地球温暖化が進むこと。
不安定な電力供給、地球温暖化を避けたいなら、相当に生活レベルを落とさなければならないこと。
生活レベルを落とした場合、生活に様々な影響が出、その結果死者すら出るかもしれないこと。
自らの発言ひとつひとつが、社会に大きな変革をもたらすかもしれないこと。
社会を動かすという責任の大きさ・・・。
東電や政府が悪いんじゃない。
もし誰かを悪者にしたいなら、国民全員が罪人だ。
今すべきはそんな犯人探しじゃない。誰かを悪者にしてあーだこーだ文句ばかり言うことでもない。
今という現実を受け止め、これからどうするか話し合い、ひとりひとりが考えることではないだろうか。

ひと様 お便りありがとうございます。
天災はみなでがんばって復興を果たすべきです。また日本のエネルギー政策から今原発を止めようというのも難しいでしょう。みなで考えようというのも大事でしょう。
ところで日本が第二次大戦で敗北したのはなぜでしょうか?
そりゃいろいろと理由はあるでしょうし、資源不足が徹底的な問題ではあったでしょう。
でも私は責任者の責任を追及せず、なあなあで収めて、問題司令官を再び作戦の指揮を取らせたことも大きな原因であったろうと思います。
軍事作戦で一番悪いのは小出し戦術といいます。敵が来たぞ、1000人派遣しろ、やられた、じゃあ2000人派遣しろ、やられた、じゃあ3000人というような戦法では負けるために戦っているようなものです。
敵が1000人来たなら、一挙に一個師団(約1万人)くらい派遣して、敵が逃げれば戦わずして勝てます。
原発事故が起きたとき、すぐさま30キロでも大避難をさせるとか、放射線量計を配布するとか、やれることは多々あったし、やらねばならなかったのです。
そういうことは原発が必要かとか、みなで考えようというのとは違います。やるべきことをせずに被害を大きくし犠牲を大きくしたのは、天災ではなく人災です。
今、天災という美名とかにごまかすのではなく、徹底的に責任を追及して、再発を防がねばなりません。
誤解ないように、ISOの世界では責任者を処罰するのではなく、原因をあきらかにして再び起きないようにすることが目的なのです。


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