監査実践論 その9 コミュニケーション

11.12.10
本日は直球勝負でいこうと思う。たまには私が批判や皮肉ばかりでなく、ダジャレなしでも話せるというところを示したい。
監査はオーディット(聞き取り)というくらいであるから、コミュニケーションそのものであり、監査員はコミュニケーション能力を求められる。といっても難しいことではない。普通に話ができて、相手の話を聞き取れればよい。もっともそれができる人は、少ないのも事実である。
普通に話ができる人が少ないというのは矛盾しているようだが、現実である。

監査におけるコミュニケーションはみっつある。
ひとつは自分が聞きたいことを被監査者に伝えることであり、ひとつは相手の話を理解することであり、ひとつは監査の結果を依頼者に分かりやすく報告することである。どれが難しいかと言っても意味はない。一連の連鎖であるから、そのうちひとつでもできなければコミュニケーション能力はないということになる。コミュニケーション能力がないということは、即監査員としての力量がないことを意味する。
では、各論にいく。

  1. 自分が聞きたいことを被監査者に伝えること
    監査とは行き当たり場当たりで行うものではない。依頼者からの命令を受けて、それを監査プログラムという計画に展開し、調査することである。現地監査とはその実行段階だ。だからプログラムに予定した調査項目を漏れなく達成しなくてはならない。
    しかし現実にあなたの前にいる人は、ISO規格なんて知らない人が多いだろうし、品質管理用語も環境の法律も知らない人が多いだろう。当然関心もさまざまだし、あなたに協力的な場合ばかりではない。だから質問に当たっては次のことに気をかけなければならない。

    • 相手が関心を持っていることにつながるような質問が良い
      「これからわしはISOの監査をする。質問するから正直に答えろよ」なんて口にする内部監査員もISO審査員もいないだろうが、心の中でそう思っている人は多い。そういうことを思っているとそれが言葉に表れて、相手はすぐに悟ってしまうのです。

      ところで、なぜそう思うのかといえば、監査員というのは責任を感じていない人が多いからだろう。相手の不具合を直す責任もなく、相手を指導する責任もなく、あげくに監査に対しても責任を持たない監査員が多い。その根拠をひとつあげよう。不適合を提示しても、適合を提示しない監査員、審査員は多い。それが立派な証拠だ。そしてそれがなぜ責任感のない証拠になるのかを知らない人は、無知な人である。

      だから、「私は現状を知りたい。ぜひとも教えてください」という心からの思いを持って質問しなければならない。
      そして、質問は自分が聞きたいことの切り口ではなく、相手が言いたいことの切り口で始めるということが大事である。
      難しいことではない。私ミリタリーオタクであるが、普通の人は駆逐艦とフリゲートの違いなど分からないし、知りたくもないだろう。私の仲間にはアニメオタクもいてヱヴァンゲリヲンとか攻殻機動隊なんて話をするが、私はそのようなものを知らない。といっても趣味を切り口にしろとか、たとえ話をしろということではない。要するに相手が関心を持たないことを語っても、聞いてもらえないということだ。
      例えば社長が代わっているので、エアコンの騒音特定施設の変更を届けたかどうかを調べるとしよう。
      「社長さんが代わると騒音特定施設の変更届はしなければなりませんが、しましたか?」と聞くより、「社長さんが代わるといろいろ行政に届けることがあると思いますが、騒音特定施設の変更届けもしていますよね?」と言い換えるだけで相手の気持ちはだいぶ違う。

      ここまで書いてきたとき、家内が私を呼んだ。
      「あんた、ご飯だよ」
      この言い回しに私はすこしカチンときた。
      「あんた、ご飯よ」というべきではないだろうか。「ご飯だよ」には「ご飯を用意したのに来ない人は悪い人だ」というメッセージが込められているように思う。「ご飯よ」には「ご飯ができたからおいでなさい」という意味だけのような気がする。

    • 相手が知っている言葉を使うこと
      ISO認証担当とかISO事務局という人は、どの認証企業にいってもいるだろう。そういう人がISO規格を知っているかといえば、くわしい人が多いだろう。
      実際には規格を知っていても、意味を理解している人は非常に少ない。
      しかし、一般社員に「教育訓練をしていますか?」なんて聞けば、ISO規格でいう教育訓練ではなく、その会社の教育訓練体系を思い浮かべることは普通だろう。
      また「是正処置」なんて聞けば、普通の人は不具合の除去と原因の除去などを分けて考えないのも当然だろう。私のホンネを言えば分ける意味もなさそうだ。
      だから質問に当たってはなるべく一般的で平易な言葉をつかうとか、言い回しをするよう心がけよう。
      是正処置を例に挙げれば「どのような是正処置をしましたか?」という質問そのものが不適切なのだが、もし是正処置という言葉を使いたいなら、「是正処置といっても、目の前の不具合の対策と、二度と起きないようにする対策がありますよね」と言葉を補うことは必要だ。
      ところで面白いことに、ISO審査員や監査員で自分が質問している意味を理解していない人も多いのである。
      「環境方針を知っていますか?」なんて質問するISO審査員の過半数は、その意味を理解していないことは間違いない。環境方針を周知するとは何か?
      おっと周知の原語はコミュニケート、まさにコミュニケーションですね。この質問をする人の多くは環境方針を知っているとか、その概要を回答することを期待していることは間違いない。そしてそう考えることは大間違いなのである。
      だんだんと真面目さが薄れてダジャレが出てきてしまう
      コミュニケートの意味は「to make someone understand an emotion or idea」つまり、覚えるとかカードを携帯するなんてことではない。感情とか考えを相手に理解させることである。方針を周知するとは、トップの思いを共有して行動することであり、それぞれの立場でトップの思いを実現するために、何をするかを理解して、実行することである。
      だから「環境方針を知っていますか?」という言い回しは不適切だろう。環境方針が周知されているかどうかを調べるためには「あなたがお仕事で今年の目標としていることはどんなことでしょうか?」と聞くべきかもしれない。そうすれば、オフィスの派遣社員は「この事務所のエアコンの温度調整を管理することです」と答えるかもしれない。トップの方針に省エネがあり、エネルギー危機であることを踏まえるとこれは立派に方針を展開しているといえるだろう。
      あるいは設計者なら「開発中の製品を仕様とおり、納期どおりに生産ラインに乗せることです」と語るのもあるだろう。要するに環境方針を周知するとはそういうことなのだ。

      私はネットを歩き回るのが趣味、某ISOコンサルのウェブサイトを訪問したら、「環境目的と品質目標が同じというのは間違いである」と力説していた。なんでもEMSとQMSとは別物であり、安易に目標を共有してはいけないそうだ。
      なぜそうなのか私には理解できない。そもそも私は会社にはマネジメントシステムは一つしかなく、EMSもQMSも分けることができないと考えている。
      病気(アホ)がうつるかもしれないので、近寄ってはいけません。

    • 相手が理解しているかを常に確認する
      話といってもいろいろある。休憩してコーヒーを飲んでいるとき、同僚から「最近評判の○○という小説を読んだか?」と聞かれて、○○を聞き逃しても、それは大したことではない。わざわざ聞き返すこともせずに「いや、読んでない」と答えても問題が起きることはないだろう。
      しかし監査の場合、相手が質問を理解したかを確認することは大事なことだ。特に環境管理とか監査の世界では当然とされている用語が、普通の人に通じないことを忘れてはいけない。廃棄物の世界では廃掃法というのは一般的だが、運送会社に行ったら配送法という法律があると思った人がいた。
      でも「私の言っていることが分かりますか?」とか「Get it?」と聞くのも失礼だ。そのへんは言いかえたり、相手の反応をみて大丈夫か大丈夫でないかを判断するしかない。

  2. 相手の話を理解すること
    さあ、今度はあなたの番である。あなたが投げた質問に対して被監査者がした回答、返事をどのように理解するかである。もっともクローズドクエスチョンの場合は簡単だ。
    「文書管理を決めた手順書はありますか?」
    「はいこれです」
    と出されたものを見て、内部監査の手順書や教育計画ではなく、確かに「○○工場文書管理要領書」とか書いてあれば間違いなさそうだ。
    しかし、レベルの高いあなたはオープンクエスチョンでなければならないと考えており、クローズドクエスチョンなどは忌み嫌うだろう。
    「社内の手順書の制定や発行などの管理を、どのような方法で決めていますか?」と決めてみよう。
    もっともあなたが決めたつもりでも、このような質問では相手の対応のバリエーションは多様である。
    「手順書といっても、紙といいますか、様式になったものとしてないものがあります。例えば会社規則は様式を決めて書面で決裁を受けますが、それをpdfにしてイントラネットにアップしています。下位文書といいますか設備の運用や点検方法をさだめたものや、マニフェストの記載要領などは使い勝手から様式に書いて決裁を受けたものをプリントして使用する現場に配布しています。そのほか、社内の消灯基準とか分別要領などはhtm形式でイントラネットに掲示しています。外部文書というのもありますね。市の講習会にいって各種行政届けの一覧があって便利なので使っています。これは冊子を・・」
    あなたはだんだんと気が遠くなってきたのではないだろうか?
    監査員たるもの(ISO審査員はもちろんであるが)、相手の話を聞きながら要点をメモし、そしてどこかに規格を満たしていないところがないか、スリカエ、ごまかしがないかをしっかりと見つけなければならない。
    もっとも相手が立て板に水の説明をするのを聞くと、おかしなことに気がつきやすい。しかし、被監査者が緊張したり、あるいは話というか説明をするのが苦手でわけのわからないことや、回りくどく話をされるとどこで切り込んでよいのか分かりにくい。そういうものこそ監査で指摘を受けない対応話法なのかもしれない。
    ともかく相手の話すことに耳を澄まして、聞き取り、咀嚼し、規格とか法規制に適合していることを確認しなければならない。
    この場合のコミュニケーション力とは忍耐力かもしれない。

  3. 監査結果を依頼者に分かりやすく報告すること
    監査とは監査員が「監査をするぞ!」といってはじまるものではない。監査でもISO審査でも依頼者から「監査をしろ」と命じられて行うものである。
    、知りませんでしたか?
    実は、私と一緒になんども監査している方がいる。数日前に雑談をしていたら、彼は監査とは被監査会社を良くするためのものだと考えているという。そこで私と大激論になった。私は間違いを許せないのだ。
    監査とは事実を調査して、依頼者に報告することである。被監査会社を指導したり、是正させることではない。してもよいのだが、それが主たる目的ではない。
    もちろん私が指導しないとか、冷酷な人間であるということではない。
    いや、本当は冷酷なのかもしれない。

    当然、監査目的は依頼者から与えられている。だから監査報告は監査目的に対応しなければならない。
    通常、ISO審査の目的は「マネジメントシステム規格に適合しているかどうかを確認すること」であって、単純明快、簡単である。だから報告書の主文は「○○社の環境マネジメントシステムはISO規格○○に適合していることを確認しました。認証登録を推薦します」というのが一般的である。間違っても「適合していないことを確認しました」なんては書かないだろう。
    もしそんな報告書を出せば、認証機関の営業部長から呼び出しを食らって「我々は認証してナンボなんだ、認証しなければつぶれちゃうんだよ」と怒鳴られるであろう。
    まあ、それはどうでもいいのだが、内部監査(第一者監査)や第二者監査においては、監査目的は一様ではない。
    実際にはほとんどの内部監査は、規格適合をみるだけだ・・悲しいね

    例えば経営者が「少し前の日経エコロジーって雑誌にな、廃棄物処理契約していなかった会社の例が載ってただろう、ウチではそんなしてないと思うけどよ、今度の監査ではそれをしっかり見てくれよ」なんてのたまわったとしよう。
    こんなことを言う経営者がいたら、すばらしいと思う。日常見聞きしていることに関して、自分のところはどうだろうかと省みるトップはいかほどいるのだろうか?
    監査員であるあなたは、この経営者の言葉をしっかりと胸に収めて監査をしなければならない。そして監査報告書には「○○年度の内部監査を行った結果、ISO○○の規格に適合しており、適切に運用していることを確認しました」なんて寝ぼけたことを書くようなことは絶対にないだろう。
    「監査の重点項目であった廃棄物関連の遵法状況を確認しました。その結果、廃棄物契約書を締結せずに処理委託しているケースはありませんでした。しかし契約書の要件が廃棄物処理法で定める事項を網羅していないものが散見されました。また契約書の印紙金額が印紙税法に定めと異なり過不足があるものがありました。これらについては現在新規契約書を締結するよう対策中です」くらいは書くだろう。いや、書かねばならない。
    もちろん「監査の重点項目であった廃棄物関連の遵法状況を確認しました。その結果、当工場においては廃棄物契約書に関して法を遵守していることを確認しました」という報告もあるだろう。
    まあ、私の経験ではそのような工場はまずない。そういう報告書を書く監査員は節穴の恐れがある。

    コミュニケーション能力とは、分かりやすいことも重要だが、相手の求めるものを提供することはそれ以上に重要である。
私がそんなことを考えて監査をしているのか、なんてご質問されますか?
当然でしょう。プロの監査員であれば、そうでなければなりません。
以前、内部監査員検定というものがあったし、今でも日科技連ではマネジメントシステム監査員検定なんてしている。私はお金がもったいないのでそのようなものを受けたことがない。本音を言えば、私が合格できるのか、いささか自信がないからである。
しかし試験問題のサンプルをみると規格解釈とか初歩的なことに終始しているようで、実際の監査にはまったく役に立たないことは保証する。監査において、コミュニケーション能力が何よりも重要であることを理解していないようでは、その検定制度を始めた人は監査をしたことがないのかもしれない。

監査員の力量として、報告書を短時間で書くことも必要だ。今はあまりいないだろうが、パソコンのキー入力をブラインドタッチでできないようでは使い物にならない。文章作成能力もある。適切な報告書を短期間で作成し、提出することはコミュニケーション能力の重要な項目である。そしてそれができないなら、監査員を辞めてもらおう。
これは言いすぎではない。監査の翌日午前中に、まとまった報告書を出せないようでは監査員として役に立たない。
ISO審査報告書をみると、日本語になっていない文章など珍しくない。主語述語がみあっていないもの、複文がねじれているもの、述語がないもの・・ そういったものが認証機関の判定委員会でOKになるということは、ISO審査員には文章能力もコミュニケーション能力もいらないのかもしれない。いやいや、期待水準が低いだけなのだろう。

本日の反省
私はテーマを決めると、筋書きもなにも決めずにキーを叩き始める。今回もそうだ。だから始めのころは力を入れていたが、中ほどからもう切り上げようと思いはじめた。今度はしっかりとプロットを決めてから・・無理無理



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2011.12.10)
そもそも私は会社にはマネジメントシステムは一つしかなく、EMSもQMSも分けることができないと考えている。

世間の審査員猊下の中には「よって、会社にはQMSしかなく、品質だけしておれば環境もOKである」と誤解する向きも。
彼らの頭の中には騒音とか水質といった側面も「品質」に見えるのでしょう。蝶蝶トンボも鳥のうち〜♪

名古屋鶏様、アイソス誌デビューおめでとうございます。
QMSもEMSも概念(頭の中で考えたこと)ですから、現実にそのままのものがあるわけではありません。それを現実だ!と思い切るあたり、決断力が・・以下略
そういう方は、きっと後で後悔することになるのかも?

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.12.10)
私の仲間にはアニメオタクもいてヱヴァンゲリヲンとか攻殻機動隊なんて話をするが

いや、あの、別に、この程度のことなら「アニメオタク」とかいうレベルではないんですけど。。
年頃の子供がいて親子のコミュニケーションが成立していれば、自然に耳に入るレベルのものですわ。

(゜Д゜).。oO
はあ!? そうなんですか?
そういえば私も子供たちと一緒にザブングルとかダグラムなんてテレビを観てましたが、そういったものなのでしょうか?
なにしろ、子供たちも30過ぎまして・・・


N様からお便りを頂きました(2011/12/11)
おばQ様 いつも楽しみにしています。
コミュニケーションは相手がいることですから難しいんでしょうね。
今年のJRCA講演会では「更なる改善に向けて、真のコミュニケーションを」という表題で、星さんという方のお話でした。
いわゆる接客といったお客様に対峙する職業などへの(新人)研修のようでした。
審査員がまともにコミュニケーションが取れないことが顕在化してきたんだなぁと感慨深いものがあるのと同時に、周りを見渡すと寝ている人もおり、私も含めて「自分のことは棚に上げて聞いているのだろうな」とちょっと情けなさがこみ上げてきました、

N様 毎度ありがとうございます。
私は、今年のJRCA講演会は忙しくて行けませんでした。
私は高校生のときにスーパーでアルバイトしたくらいしか、販売とか営業という職種に携わったことはありません。どうも私はコミュニケーションなるものが苦手で、客商売とか営業には向いていないような気がしております。
ところが、私が過去20年間、ISO審査でお会いした審査員の方々は、私以上に営業経験がなく、客商売に向いていなかったように思います。
あるいは、審査員になる前は役員とか管理職とかされていて、それなりの言葉使い、態度が身についてしまっていたのかもしれません。
部下に対するような言葉使いなど珍しくなく、驚いたのは若手社員を「坊や」と呼んだ審査員もいました。親しさを表したかったのかもしれませんが、初対面の社外の人に、しかも30代の大人には不向きではないかと思います。
いえ、人の振り見てといいますので、反省します。


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