いつからとは分からないが最近は、ISOコンサル、研修機関、その他ISO教材会社というのだろうか、まあそんな会社から宣伝がたくさん来る。FAXの案内(宣伝)もくる、講習会のチラシが入った封筒は郵便で来る、電子メールもくる。それどころか、営業マンがリアルでご訪問というのも一度あった。いくら都内とはいえ企業を回るのは、手間ひまもお金も大変だろう。それに歩きまわれば疲れることでしょう。
ともかく毎日々々
(うそじゃない)たくさんのISOのコンサルや講習会や教材の宣伝と売り込みがある。これほど宣伝や売り込みが激しくなったのは、ISO業界のビジネスがそうとう厳しくなってきているということだろうか?
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ところでこういった宣伝の効果はいかほどあるのだろうか? たまたま若いものをISO規格の講習会に派遣しようと思っていたら、ちょうど広告が来た・・なんてことはまずあるまい。
出勤するとFAXに「ISO9001講習会」なんてのが数枚あると、もう朝から気分を悪くするという人もいるかもしれない。そうなると逆効果だ。
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ある日〜森の中♪ではなく、電子メールでISO教材会社から
「内部監査の検定のご案内」というのが来た。(2009/07/15)
ふえ!内部監査の検定だって、それを見て私は驚いた。
内部監査検定とはおかしなことというか、トッピなことを考えた人もいるものだ。つい先日も私は
エコプランナーとか
漢字検定などを論評したが、世の中にはいろいろと考える人がいるものだ。お疲れ様である。
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2013.08.05追加
内部監査員検定協会は2013.03.04に終了したそうだ。2009.09.01発足とあるから、4年続かなかったわけだ。その間に試験を6回行ったとある。ビジネスになると思ったのだろうが、世の中そんなに甘くはなかったということだろう。
ビジネスになるには、目ざといこととか、時流に乗るとかいろいろあるだろうが、一番は人に真似ができない固有技術がないとならない。
内部監査員検定協会でも、教育内容、試験の内容、それを学べば確実に力が付くということがなければ、いつかは化けの皮がはがれるのは当たり前だ。内部監査員検定協会のウリはなんだったのだろうか?
→ もっと詳しく
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しかし笑ってしまったのは「検定があれば転職に有利」ですって
はあ!?
CEAR登録、IRCA登録なんてしてても、就職に有利なんてことありません。審査員になりたくても、今は縁故とか会社からの出向でないと無理です。そうでなくてもこの業界の事業環境は厳しいのです。ましてこれから立ち上げる内部監査検定なるあやしげなものに合格してどうなるというのかね?
今までなかった検定を作るということは、世の中にニーズがあるから応えようとするのか、それとも単なる金もうけなのか?あるいは免状を出すことに意義を感じるのだろうか?
内部監査員検定を受けて合格することに意味があるかどうか、それはアウトプットマターズ次第だ。内部監査員検定を合格した人が、合格しない人よりすばらしい監査を行い、その検定の価値を立証してくれればハッピーである。だが、その可能性はあまりないと思う。そもそも内部監査をしていて自分が成果を出していると自認している人はそのような検定を受けないだろう。受ける必要がない。
仮に内部監査検定を合格した人がろくな内部監査ができなかったとき、たとえば、規格不適合をみつけない、遵法不具合をみつけない、会社の儲けになる内部監査をしないとき、検定機関はどういう言い訳をするのだろう。
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「三段の囲碁免状を持ってます」という人が級位者に負けては、免状を与えた棋院の評判がた落ちです
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まあ、私はキーボードを叩くのが趣味なので、本日は内部監査員検定というものについて考えてみる。つまり私が検定制度を作るとしたならばどういうスキームとするかということだ。
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その某ISO教材会社がこのウェブサイトをみて、参考にしたりして・・
もし参考にされたなら、ぜひともご一報を、アイデア料というか寸志くらいは期待します
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監査でも審査でも検定でも、基準がいる。
もっとも確固たる審査基準も持たずに審査してる審査員も多いが・・それは正しくは審査ではない。おっと、文句を言う前にISO19011を読んでくれ
検定というならいったいどういう検定基準で行うのか。恣意的なものじゃだめだ。何事かを理解していること、何事かをできること、なにごとかを説明できることなどの次元とその満たすべき基準が定まっていないといけない。
たとえば、見つけるべき事項を書面や現物にしかけておいて被験者がそれを見つけるかというのもあるが、それを見つけるか、どう判断するかにしろ基準がいる。これは不具合と検出すること、これはOKと判断すること・・といったものである。
もちろんそのような具体的、技術的なことに入る前に、どのような次元の力量が必要かと決めなければならない。
審査員の力量についてはISO19011に定めてあるが、私はもっと具体的というか泥臭くというか考えてみた。
- 目ざといこと
私がまったくの新人を監査員に使ってくれといわれたときどうするか?ということを考えてみる。(私にとって、そんなことは毎度のことだ)
ISO規格など遵法監査には関係ない。環境法規制を知っているかいないかということも大事だ。しかしそんなものは勉強すればどうにでもなる。やはりその人の性格が、注意深く大胆なことではないだろうか?矛盾するようだが、知らないでやり過ごすのではなく、見つけてまあいいかと判断しそれを周りに悟られないような態度というか行為だろう。
しかし生来のものといってはおしまいである。そうじゃない。目ざとさとは努力して身に付くものであるはずだ。
もっとも誤解のないように言う。書面審査で「規格の文言がありません」なんてのは、目ざとさでもなんでもない。そんなものはくだらなさという。目ざとさとは、手順書を読んで、規格要求が盛り込まれているか・・それは明示された文言でない場合もある・・手順書が示すところを行えば、目的が達成できるか否かを読み取り適否を判断することである。
それと帳票や届書をながめて日付がおかしくないか、ハンコがおかしくないか、そんなことに気がつかないといけない。複写伝票の1枚目と2枚目の数字が同じでも重ねて書いてないなんてこともある。そういうことに気がつくかつかないかということは監査能力として重要なことだ。
- コミュニケーション能力
コミュニケーション能力とは、社交的ということとは大きく違う。
ISO用語も品質用語も環境法も知らない人を相手に、自分が調べたいことを伝え、そんな相手の回答から情報をつかみ取り、監査依頼者に適正な報告をする能力だ。初対面の人にそういう情報伝達と情報収集できるということは重要だ。
依頼者から命じられた事項を定められた時間内に達成するということは、内部監査員の最低の具備すべき要件である。あるいはそれがかなわない場合、代用特性を得て判断するのか、許容誤差を大きくしても結論に至るべきか、臨機応変に対応できることが力量の必須条件である。
それと社会人としての常識がないといけない。挨拶、敬語、つまらないことかもしれないが会議室で座る場所を知らないと恥をかく。もっとも恥を感じない審査員もいる。
- 公平無私の意志
意思といってもいろいろある。
責任感を自覚しているということがまずある。己の趣味というか好奇心から質問しているように思えるケースもある。それじゃ聞かれた人に足元を見られる。己の職務上これは事情聴取しなければならないという確信を持って質問するのは相手にその真剣さが伝わる。もっともあまりガチガチでもいけない。質問には杓子定規とコロンボ流がある。
公平無私というのは、規格がいう監査員は客観的、公平でなければならないということに対応するのか?というともっと次元が高いものだと思う。
ISO 9001/14001/19011規格がいう客観性、公平性というのは形式上のことである。つまり監査をする組織に属していないとか、その部門の活動に責任を負わないとか・・
そうではなく真にその組織(会社、企業)に貢献するという意識をもち、大局的な見方・判断ができることが必要だ。
しかしそんなものが検定というか試験という方法で評価できるのだろうか?
思うに冒頭にあげた某ISO教材会社の検定に合格する人は、多分初心者として備えるべき最低限の知識レベルの確認であり、現実の監査あるいは審査においておかしな点に気が付き、それがどんな不具合なのかを考え、審査基準あるいは監査基準に照らして根拠を判断し、その組織を良くするためにはどのような切り口で不適合を出すべきかを、一瞬で判断できるという力量を評価するものではあるまい。
そのような力量を評価する方法を簡単に作れるならぜひとも知りたいと思う。
本日の提案
内部監査検定を考える前に、内部監査の出すべき成果を考えましょう。
多くの人は内部監査の成果を知らないようなのです。
S様からお便りを頂きました(09.07.20)
はじめまてお便りします。
内部監査検定というものを否定することはないと思います。ISO認証している会社では、どこでも内部監査員を任命して内部監査をしています。しかし我社の内部監査は他社に比べて、あるいは全国平均から見てどのくらいのレベルなのだろうかと思う人も多いと思います。ISO認証するときはどの会社でも外部の内部監査研修などを受講した人を任命しますが、その後は外部の研修を受けた人の教育を受けたり、またその孫になったりしています。だから内部監査員のレベルは不確かなものになってしまいます。そういったことを考えると、低廉な価格で内部監査員の力量を評価してくれる検定はあっても良いと思います。
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S様 お便りありがとうございます。
おっしゃる気持ちはわかります。
ところで私は内部監査とはISOのためとか、認証維持のために行うものではないと考えています。それはご同意いただけると思います。
じゃあ内部監査ってなんのためにするの?と考えれば、会社を良くし、儲けるためにするのです。
それにもご同意いただけると思います。
それでは会社を良くし、儲けるために行う内部監査をするための力量ってどのようなものでしょうか?
少なくともISO規格を知っているとか、監査の仕方を知っているということではないですよね?
ISO認証して3年も経ったら、規格適合なんてチェックしていては困るのです。システムが適合なのは当たり前、有効なのも当然で、効率的なのか? 更にはより効率向上をしていくためにどうするかをみなければなりません。
そのためには会社の仕組みを知り尽くしている、会社の方針、事業計画、進む方向、業界の動向、他社に比べての強み弱みといったものをある程度知っていなければ会社を良くしたり儲けるための監査はできません。
そういう内部監査をする力量がペーパーテストの内部監査員検定で評価できるとは思いません。
それにもご同意いただけると思います。
言い方を変えると、QMSやEMSの初歩段階においてなら、そういった内部監査員検定というものが意味があるのかもしれません。あるいは内部監査員検定とは内部監査員研修の修了試験と考えるべきなのでしょう。
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しょうちゃん様からお便りを頂きました(09.07.20)
内部監査検定
 おばQさま、いつもお世話になります。しょうちゃんです。
内部監査検定を考える前に、内部監査の出すべき成果を考えましょう。
多くの人は内部監査の成果を知らないようなのです
さらにその前に、何のため、誰のための内部監査なのか考えましょう。
多くの人はそれすら答えられないと思います。
そう!ISOのため、審査員のためです。(・・・冗談です)
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しょうちゃん様 毎度ありがとうございます。
真面目な話、ISO認証している企業の半分ではISO審査のための内部監査をしているのではないでしょうか?
だから経営者も会社に効果があるよりも、審査で問題のない内部監査を求めているのではないでしょうか?
ところでしょうちゃん様、ぜひとも内部監査員検定を受験してください。私には3級は無理ですが、しょうちゃん様ならきっと1級まで合格間違いナシ!
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内部監査員検定の終焉
2013.08.16
ISO関係のウェブサイトを巡回していて、内部監査員検定協会が終了となっていたのに気が付いた。2013.03.04付けらしい。終了とはどういう意味か分からないが、ヤーメタということなのだろう。
発足が2009.09.01とあるから、4年続かなかったわけだ。その間に試験を6回行ったとある。ビジネスになると思って始めたのだろうが、世の中そんなに甘くはなかったということだろう。
ビジネスとして成り立つためにはいろいろ条件がある。
まず需要がいかほどあるかということだ。日本のISO認証企業は品質3万5千、環境2万で、それ以外は微々たるもので更にダブりもあるから、せいぜい5万組織だろう。そのうち1割の企業で一人受講したと仮定すると約5000人となり、この人数が受講すると一巡してしまうことになる。内部監査員検定の受験者は初回が数百人だったが、二回目三回目と増えており、5回までで累積6000人が受講したとプレスリリースしていた。すると上記の仮定では一巡してしまったということになる。
だがそれでおしまいになってしまうかどうかは、検定合格者の力量次第ということだろう。もし検定合格者がすばらしい監査をしたならば、後に続く者がでて最終的には5万人くらいまで伸びたかもしれない。また内部監査員検定にはランクがあったが、ランクの上の人は確かにすばらしいという評価があれば、更に上を目指すリピーターを得ることができたかもしれない。
つまりもうひとつ大事なことは、検定合格者は素晴らしい内部監査ができなくてはならない。内部監査員検定協会のテキストを読めば確実に力が付き、検定試験でそれを保証するという実態がなければならないのは当たり前だ。内部監査員検定合格者の力量はどうだったのだろうか?
ちなみに私は公開されていたテスト問題を見てまったく意味がないと思った。毎日内部監査をしている人(つまり私のような)が考える内部監査、そしてそれに必要な力量というものとは無関係なものだったから。
更に大事なことだが、損益がどうかということだ。繁盛貧乏という言葉もあるから、受講者が多くても運営費用がかかるのではビジネスにはならない。
TOEIC試験というのがある。これはすごい、試験会場は全国津々浦々、私の住んでいる都市でも二か所くらい試験会場がある。受講者が増えればそういう体制が整備でき、それによってより多くの人を囲い込むことができる。つまりこういった検定ビジネスの損益分岐点は結構高いところにあるのではないだろうか。
内部監査員検定は通信でテストを行っていた。それでは信頼性がどうなのだろう?
この辺はビジネスモデルの検討が足りなかったと言われても仕方ないのではないだろうか。
考えてみると内部監査員検定は、ISO認証の仕組みと全く同じ構造であることがわかる。
ISO認証を受けた企業は、受けていない企業に対して品質管理、環境管理において差別化ができるという実態があれば、認証を受けようとする企業は後を絶たないだろう。だがそうではない場合は、新規顧客は途絶えてしまい先細りとなる。
いつの日か、ISO認証を終了しましたなんて広報が出なければよいが・・・棒
ところで、内部監査員検定協会のウェブサイトに「検定に合格し、認証頂いている方は有効期限まではそのまま継続してご利用いただけます。」と記載してあるのだが、有効期限までいったいどんな効果があるのだろうか?
そもそも内部監査員の力量とはいったいなんだろう。
いや、そんなことを私は過去何度も語ってきた。
最もベーシックなものとしては、ISO19011に書いてある。別にISO規格にあればそれが正しいなんて言うつもりはないが、それについては特段異議はない。
簡単に言えば、監査のノウハウ、監査基準の知識、専門分野の知識の三つである。さて、内部監査研修とか昨日語った内部監査員検定とか、内部監査にまつわる教育や試験と言ったものは多数あるが、真にISO19011で定める三つを教えるものは見たことがない。
内部監査員研修なんて題しているものの多くはISO9001やその他の認証規格の教育が半分、あとは監査のテクニックの真似事を教えて終わりだ。
あんなことを習ってまともな内部監査ができると思う人がいたら異常だ。
おおっと、世の中には異常な人が多すぎだ。
だが、今となってはまともな内部監査ができる人を育成するよりも、内部監査が崩壊する方がたやすく、そしてまともな審査員を育成するよりも認証制度も崩壊する方が可能性が高い。
スタート時点で間違えていたのだから、もう救いようはないのだろう。
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