国民の教養

12.01.22
池上彰というお方が、今(2012年時点)マスコミ界の寵児のようである。私も彼の本を何冊か買って読んだこともある。テレビでも本でも、彼の口ぶりも文章も、非常に分かりやすく面白く、ついつい引き込まれてしまう。
ところでちょうど1年前、2011年2月9日に、彼はテレビでISOの解説をしたことがある。その内容は、ISOに関わっている私から見たら、噴飯物であった。だって間違いだらけ、うそだらけだったから、
私は彼のISOの解説について非常に憤りを感じたが、同時に彼がほかのことに関して語っているお話も、うそ八百ではないかということを思った。
まあ、ちょっと考えれば、トーダイを出ようと、キャスターをしていようと、年金問題から、社会現象から、政治から、外交から、ましてISOについてご存知というはずはない。
彼はいろいろなテーマについて語るとき、けっこう調べるとは思うが、その道で仕事をしているわけではない。だから通り一遍ということもあるだろう。あるいは彼自身が調べることをせず、彼のスタッフが調べたものとかテレビ局が書いた原稿を読んでいるだけということもありそうだ。だから彼の話は、芸能人が政治について語っていると思って受け取るべきかもしれない。そんなお方のISOについての論を聞いて、怒った私が未熟なのだろう。
私は池上氏に比べられるような輝ける経歴はないが、誰にだって専門分野はあるわけで、私も恥ずかしながら、一応ISO認証についてはプロと自認している。だってこれで20年の間、家族を養ってきたのだから、そう自称しても許されるだろう。
しかしISOのプロと言ってもその範囲は限られている。10年前まではISO9001なら並みの審査員よりも詳しいという自負はあったが、過去10年はQMSにはタッチしておらず、既に忘却のかなたである。またセキュリティとか労働安全などは関わったことはない。また、最近話題のISO50001にはタッチしていないというより、タッチしたくない。なぜなら、その存在価値を認めていないから。
よって私は正確に言えばISO14001限定のプロである。更に言えば業種も製造業の中でアッセンブリーとか、小売業とか、オフィス管理などに限定されている。それははっきりさせておく。
もし誰かがISO14001に関しておかしなことを語っていれば、即座に論破してまっとうな道に指導してあげようという気はあるが、ISO9001についておかしなことを語っていても、そういう考えもあるのかと陰で思っているだけだ。
要するに人間は知っていることは堂々と発言するべきだし、知らないことについて遠慮することはないが、絶対に正しいとか間違いのないというスタンスではなく、己の主張は一つの考えであることを明確にして発言するべきだろうと考える。
そういう観点では池上彰は信頼できないといえる。

三橋貴明という方も、池上彰と同じく現代の寵児である。しかしそのキャラクターはまったく違う。三橋の話はすべて数字を基にして、論理明快である。「わかるでしょう」とか「わかってください」というような浪花節的な論理(非論理)は一切ない。これはこういう状態であるから、こういう手を打つべきだと、積み木を積み上げるような話を進める。その論理は明快で、言い換えると逃げ場のない非情な論理の積み重ねで話を進めていく。
もちろん三橋貴明も、過去に予測が外れたり、発言したことが後に誤っていたことが明らかになったことは数ある。
彼は、2008年に韓国の経済破綻を予測したが、幸か不幸かその予言ははずれた。もちろん経済の予言は、予言そのものが現実に影響を与えるのでなんともいえないが、

三橋が池上とは、根本的に違うことがある。
それは、三橋は検討に用いたデータの出典あるいは根拠を常に明示していることである。
現状は何々について、これこれの問題がある、と語ることは池上も三橋も同じである。
しかし、こうすべきだと語るとき、池上はただそう語るのみであり、三橋はこういうデータがどこから発表されていて、それを基に検討するとこうすべきだと語る。これは大違いである。
一般の人は、考えることが面倒くさいので、池上のように「これがいい」とか「この政党はだめだ」と言い切ってもらったほうが、ありがたいのだろう。しかし、まっとうな人間なら、三橋の提示するデータを基に考えるだろう。そして三橋とは違った結論に至るかもしれないし、三橋と同じ結論になるかもしれない。そこが自分が検討するために使ったデータを示す三橋の偉いところだといえる。
つまり池上は愚民を相手にし、三橋は考える人を相手にしているのだろう。そして三橋は己の間違いを指摘されても、それが論理的なら受け入れる。
そもそも三橋は、インターネットの論客として現れた。インターネットを便所の落書きなどと揶揄する人もいるが、現実はそうではない。インターネットでは、論理についても根拠にしても、多くの人が検証し、間違いはすぐにあきらかにされる。
大学の論文のように、書いた人と査読した人以外読まないなんて状態ではない。インターネットでうかつなことを書けば、即座に叩かれてしまう。匿名だから何を言ってもいいなんて甘いものではない。インターネット出身者に対しては、歴戦の論者、ハードディベーターとして敬意を表さなければならない。
一説には、大学で言いたい放題を語っている先生方が、インターネットでは相手にされないのでインターネットは便所の落書きと語っているという論もある。

ただ一つの懸念は、そのような論理的な話し方・考え方・言い方をする人を、考えることを嫌う人たちは敬遠することである。
「年金は破綻する!」「小沢は無罪だ」「TPPはいいことだ」というふうに、ものごとを簡単に単純化して、私の話を信じろと言ってくれた方が簡単に信頼してしまう。
だが、現実はイチかゼロかとか、白とか黒と言い切ることができることは少ない。年金が破綻するについては以前書いた
小沢氏はまだ公判中である(2012年1月時点)
TPPは良いところもあるだろうし、悪いところもあるだろう。そしてまた参加する時期によって、日本にメリットがあるかもしれず、メリットがないかもしれない。既にTPPの議論が終わってしまって時期遅れで、日本はもう言いたいこともいえないとも言われている。
先ほどものごとを簡単に単純にしてはいけないといったことに反するようだが、なにごとも簡単に言おうとすれば、ものごとは単純ではないということは言えるだろう。
この本は、三橋が日本人に「論理的に考えることができるようになってほしい」というメッセージなのだ。

著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
三橋 貴明扶桑社4-594-06469-32011/9/11400円全一巻

この本は「国民の教養」というお題であるが、ここでいう教養とは一般的な意味での教養ではない。
一般的に教養の意味は
@学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
A社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い―のある人」「―が深い」「―を積む」「一般―」
出典「デジタル大辞泉」

三橋貴明・国民の教養 ここでは従来の教養の意味ではなく、「一般に言われていることが、正しいか間違っているかを考える力」を教養と定義している。一般に言われていることとは、高度な科学知識や法律や行政についてではなく、自分の頭で考えれば判断がつくようなことを対象としているということだ。
具体例を考えてみよう。
マスコミは「財政破綻」という言葉が好きなようで、毎日どこかのテレビ局か新聞は、「日本は財政破綻する」、いや「既に財政破綻している」と報道している現実がある。
三橋はいう、「財政破綻とはどういうことかを説明してほしい」と、
いったい財政破綻とは何なのか、どういう状態になれば財政破綻というのか?
2011年のギリシアのように外国から借金をしてその返済に首が回らず、政府が国債を発行しようとしても買い手がつかないような状況を財政破綻というのか?
しかし、日本に借金取りは来たとか聞いたことがない。それどころか日本は世界一の債権国で、悪い表現をすると金貸しなのである。
韓国は前世紀末に国家が財政破綻してマスコミが大好きなIMFが乗り込んできた。韓国は、企業の売却とか国民が持っていた貴金属や外貨を集めて返済したという、涙ぐましいお話があった。

三橋は財政破綻をするというなら、どういった状態を財政破綻というのかをはっきりさせて、日本が破綻しているかどうかを考えようという。そして、現実は、財政破綻とはどういう状況かを説明できた人も、日本が財政破綻していることも説明できた人もいないという。
年金が破綻する、破綻していると語る人は多い。これも年金制度の一部において払っていない人がいるという事実はあるが、年金制度全体の問題ではない。
要するに・・という言い方が良くないのだが・・日本に問題があるほうが楽しいのか、ビジネスが伸びる人たちがいるのだろう。
そういった人たちは日本に問題があったほうが好ましく、問題が大きく取り上げられることが良いことなのだろう。 それに対して、三橋は日本人として、まっとうな生き方をしていると私は思う。
私もセンセーショナルな扇動や、断定的なもの言いに踊らされず、よく考えて生きていきたいと思う。
みなさんも、ぜひ読んでください。

2014.03.06追加
数日前、某病院の薬剤師の方と話をしたが、その方も池上彰が大嫌いだと言っていた。間違いをいかにも本当らしく権威あるふうに語るのが許しがたいという。その方の話ではお薬手帳について間違ったことを語っていたという。私はそれをしらなかったが聞くと2年くらい前のテレビ番組らしいが、恨みは永遠に残るのはこれまた常
もちろん私の恨みも消えないよ
どちらにしても、この御仁、信用するに値しないようだ。
いくらご本人が調べたのではなく、子分なりテレビ局のスタッフが原稿を書いたにせよ、間違いを語れば責任はご本人が負うのは必然だ。
もちっとまっとうなことを語ってくれよと・・・



しょうちゃん様からお便りを頂きました(2012.01.25)
池上さんの間違いだらけのVTR
池上さんの件、アイソスの中尾社長がずいぶん前にコメントしています。
で、テレ朝も正式に訂正謝罪をHPに掲載したそうです。
あんまり興味ねーから、確認はしていませんが・・・

ちなみに私はというと、本VTRを新入社員教育などに使っており、間違ってる!と喚きながらも、著作権法違反をしています。
新人教育には便利ですよぉ

しょうちゃん様 毎度ご指導ありがとうございます。
おっしゃるとおり、謝罪もぞんじあげています。
しかし、このときもISOの関係者・・某フォーラムなのかどうかは知りませんが・・が意見したからと聞いております。
つまり知らない人が聞いただけであれば、その間違いに気がつかないということがありました。
他方、三橋は、どこからの情報でこうでしたと手の内をみんな見せて、その上で論を進めているので、論理がおかしければ考える人はすぐに間違いに気がつくでしょう。
そこは、謝罪する・しないということとは、別次元のことだと考えます。
私はこれは公明正大と思うのです。

著作・・についてのところは、文字がよく読めないのでコメントはパス
でも、あれを使うならしょうちゃん様が書き下ろした方が良いものができることは間違いありません。


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