「ノモンハン航空戦全史」

12.12.20
著者出版社ISBN初版定価(発行時)巻数
D.ネディアルコフ芙蓉書房4-8295-0499-42010.12.272500円全一巻

もう1年近く前になるが外資社員様と飲んだ時、ノモンハンの話が出た。そのとき私は、外資社員様の話相手が務まるほどノモンハン事件について知らなかった。それでその後に、それに関連する本を何冊も読んだ。するとその中の1冊でこの「ノモンハン航空戦全史」を引用していた。けっこう有名な本らしい。
ぜひ読もうとしたのだが、いつも行っている市の図書館や大学の図書館の蔵書にはなかった。アマゾンで買えばいいと言われるかもしれないが、中古本でも同じくらいする。
最近、ネットで蔵書検索をしていたら別の街の図書館にあることがわかった。そしてよその町の図書館から本を取り寄せてもらうことができることを知り、市の図書館に依頼した。便利なものである。
ということでだいぶ時は経ったが、やっと手にとって読むことができた。

まず、ノモンハン事件とは1939年の5月から9月にかけて、旧満州国とモンゴルの国境が明確でなかったことから起きた戦闘で、実際にはモンゴルと満州国ではなく、日本軍とソ連軍の間で戦われた。その結果、どちらが勝ったかは藪の中である。一部の戦闘に参加した日本軍兵士がソ連軍を相当撃破したと主張したものの、戦前はソ連が勝った勝ったとプロパガンダを飛ばし、他方日本側は戦況を秘匿していたこと、戦後は五味川純平原作の映画『戦争と人間』など日本軍大敗北としたものが多い。そしてNHKの報道番組では今も草原に放置されている戦車の残骸を日本軍の戦車と報道したことなどから、日本では日本軍が大敗したと受け止められていた。
しかしソ連が1991年に崩壊した後、過去の資料が公開され、その結果ノモンハン事件もソ連の一方的勝利ではなかったことが明白になった。またNHKが日本軍戦車と報道した残骸も、その後の調査でソ連軍戦車であることが分かっている。下表にあるように日本軍の戦車の被害そのものが大量ではなかった。
実際の被害はソ連の方がはるかに多かったことは間違いない。しかしもちろん被害が大きい方が戦争に負けたというわけでもない。

ノモンハン事件での双方の損害の比較
(ウィキペディア他より作成)
 日本の損害
日本の資料による
ソ連の損害
ソ連の資料による
戦死者・行方不明7,720人8,000人
戦傷者8,664人16,000人
戦車損失30両400両
航空機損失(注1160機350機

しかし日本が勝ったのかと言えば緒戦では勝っていたのは事実だが、時間の経過とともに押され気味になっていく。冬の到来と双方の思惑で戦争は停戦が成立したが、継続していたら完璧に負けていただろう。

まずこの本は現役のブルガニア空軍の大佐で博士号を持つ著者が、ソ連崩壊後に公開された旧ソ連のノモンハン事件に関する資料を調べて、基本的にソ連側から見たノモンハン事件の航空戦について発生から終結まで時系列に戦闘の経過をまとめたものである。若干日本側の資料も参照してはいるが、相互の比較検証や考察などはあまりない。
ボリュームとしては、本文170ページほどで、それほど膨大なものではない。論文ではなく調査報告書的な小品である。
このように種々の資料に書いてある出来事を整理して時間的に並べただけで、その裏を取っているわけでもなく、深く検証しているわけでもない。もっとも日本もソ連も戦果や被害を隠して60年も経過した過去のできごとを、現時点で真実を究めるのは困難なことはわかる。

日本もソ連もノモンハンは戦争と言わず事件と言っている。これは宣戦布告された戦争ではなかく、偶発的に発生し、そのまま戦闘が拡大したというものだから。それゆえソ連側は神経質なほど国境を越えた空軍の作戦行動を抑えている。日本側も大本営は戦闘拡大を抑えよう抑えようとした。
しかし事件といっても、実際はまさしく戦争だった。ここでいう戦争とは宣戦布告されたとか戦死者が多かったということではない。ノモンハン事件は日本にとってもソ連にとっても国家的な消耗戦だったということで、私は戦争だったと思う。戦争とは、少数精鋭の軍隊が会戦で勝利するとか、ひとつの海戦で勝てば終わりとなるわけではない。前戦の部隊が全滅しても後背地からどんどんと新兵力を送り込めること、敵より戦死者や被害が多くても、それ以上に更に新兵力を送り込めること、そして最終的に相手に参ったと言わせること、それが戦争に勝つ唯一無二の方法である。いや、それが戦争に勝つということなのだろう。東条英機は「戦争に負けるとは、戦争に負けたと思うこと」であると語ったそうだ。
結局戦争とは金持ちが勝つことになっている。もちろん戦争継続の意思も必要条件である。

最近読んだ「大絶滅」という本に「ギャンブラーの破産問題」という章があった(p.63)。
「大絶滅」ディビッド・M・ラウプ(1996)平河出版社4-89203-265-4
カジノで勝ち負けが五分五分のまっとうな賭けをするとどうなるかという考察である。その結果は、最終的に常にカジノが勝ちギャンブラーは負けることになる。
その理由は実は簡単だ。個人のギャンブラーの元手は当然カジノより少ない。一回の賭け金はギャンブラーの元手よりも当然少ないだろうが、仮に全額としても構わない。勝率は五分五分という前提から、ギャンブラーが勝ち続けたり、負け続けることはない。すると多数回の賭けを行えば勝ち負けは平均化され、ギャンブラーの持ち金は元手を中心に上下に変化するはずだ。多少のゆらぎがあって、ギャンブラーが連続して勝って持ち金が元手の二倍や三倍に増えてもカジノは困らない。当然ギャンブラーの負けが続いて持ち金がゼロになることもあり、そうなった時点で勝負はカジノの勝ちで終わる。
実際にシミュレーションをするとその通りになる。元手が多くてもオケラになるまでの時間が長引くだけで負けることは変わりない。絶対に勝つには、カジノ以上の元手を確保するしかない。
つまり結論は、最終的に賭けに勝つには、自分が破産する前に相手が破産すればよいということだ。そのためには相手以上に金を持っていることが必要条件だ。戦争と一緒だ。
なお、これは特に新しいアイデアではなく「ランダムウォーク」という定番の問題らしい。
じゃあカジノほどに元手がない一般人は、どのような戦法をとればよいのか? となるが、だいぶ前にラスベガスに観光で行ったとき、ガイドが1回につき100ドルだけ遊びなさいと言っていた。100ドルだけ使うと決めて少しずつ賭けて、もし勝って200ドルくらいになったらハッピーとすっぱりと終わる。もちろん100ドル全部スッたらそこで止める。100ドル以下であるとすぐに終わってしまい楽しむ間もなくまた儲けが出ることはない。100ドル以上投入すると損が大きいからという。そして日が変わったらまた100ドルで遊べと言った。
この戦術は「いつでも一方的に戦闘を止めることができる」という条件が必要で、戦争には使えそうない。

ノモンハン事件の位置づけが、まず日本とソ連では大違いである。日本ではこれまた真実か否かはわからないが、大本営や内閣が意図して始めたものではなく、国境が不明確であったことと、国境周辺における軍隊の行動の規制が不明瞭であるがゆえに関東軍が始めたことになっている。それは上層部の責任回避なのかどうかはわからないが、ともかく日清戦争とか日露戦争のような国家的事業の位置づけではなかった。しかしソ連においては国家の大事業としてノモンハン事件に取り組んでいる(p.46)。ソ連の最優秀パイロットを集めて前線に送り込む。ここからしてスタンスが違う。これでは、はじめから日本、いや関東軍は負けそうだ。
ソ連がそういう行動をとったというのは、ノモンハン事件の帰趨はソ連という国家の存続にかかわる問題だったからという。当時はソ連国内の国内状況が不安定なこと、なにしろ建国して間がなくスターリンの粛清などやっとこさっと反乱分子を抑えている状況だった。そして周辺諸国との国境問題も数多く抱えていた。当時の国境問題とは、即軍事的小競り合いであり、ソ連は周辺諸国と常にもめていたのである。国内問題を抑えるためにもソ連という国家の存在感を示す必要があり、ソ連はノモンハンで勝たねばならなかったとある(p.171)。だから政府の意気込みは違う。
ましてスターリンの粛清の時代だ。気に入らんのは将校であろうと将軍であろうと文字通り消してもしたいことを実行する。気に入らないだけでなく、もし戦いで負ければ軍の幹部から下まで粛清が待っている。そういう強権があれば兵士も必死になることだろう。
現在の北朝鮮ではミサイル打ち上げが失敗すると、関係した技術者は処刑されるというから必死だ。現在の日本で、それくらいの信賞必罰が行われればもう少し真剣さが増すかな?
当時の日本がソ連のそういうやむにやまれぬ事情を知っていれば、関東軍だけでなく国家レベルで対応したかもしれない。もしそうすれば戦争の結果はそうとうに変わったと思う。あと一押しすれば、ひょっとしてソ連崩壊があったかも知れず、そうなれば世界は全く違った歴史を歩んだかもしれない。
まあ、歴史にイフはない。
それに日本が勝ってシベリアなどを自国領土にしたところで、その経営に相当持ち出しになりそうだ。朝鮮の二の舞、三の舞ではたまらん。

ノモンハンでは大戦末期と異なり、日本軍の主力戦闘機97戦の性能は敵戦闘機よりも優れていた。
私たちが子供の頃プラモデルを作った陸軍の「隼」や海軍の「零戦」が出現するのはノモンハン事件の後である。当時はまだ複葉機とか木製とか布張の飛行機が主体であり、全金属製の97戦は先進的であった。もっとも97戦も翼の一部は布張である。
最初、日本軍はソ連軍の複葉の戦闘機をみて旧式だとバカにしている。実際にそれは97戦に比べて低速だし、97戦についている無線機もなければ酸素マスクもない。しかし、それが日本の戦闘機の倍も三倍もの数が飛んでくれば、ランチェスターの法則で負けは必定だ。いやランチェスターの法則で負けるのではなく、自然の摂理で負け、それに気付いた人の名前をつけてランチェスターの法則と呼ぶのだろう。

ソ連軍の主力戦闘機 左I-16と右I-153
I-16&I153
日本の97式戦闘機はあまりにもマイナーでフリー画像が手に入りませんでした。

I-153は複葉機だが引込脚である。引込脚というのは先進的であるが、I-153は脚の出し入れは人力であった。I-153の主輪の径は約55センチ(写真から推定)、これはTOYOTA VITSやHONDA FITのタイヤとほぼ同じだ。I-153の全備重量は1.8トンだから、そのくらい大きさのタイヤは当然だろう。タイヤ交換したことがあれば、その重さは想像つくだろう。けっこう重い。これを片手でヨイショヨイショとハンドルを52回も回して脚を出し入れするのは重労働だと思う。ちなみに零戦や隼の引込脚は動力である。
「メンフィスベル」という1990年の映画を思い出す。ドイツ爆撃に出撃した爆撃機がメッサーシュミットにあちこちやられ、やっとのことでイギリスの空軍基地にたどり着くものの車輪を出す動力装置がやられて一方の主輪が出ない。片脚がでたままで胴体着陸もできず、怪我人を残してパラシュートで飛び出すわけにもいかない。乗員が一生懸命に人力でハンドルを回す場面があった。

戦争というのは極限の状態だから、戦闘の勝利や敗北を反省しそこから必死に学ぶ。ソ連軍は手持ちの飛行機を、いかに運用するかということを考える。低性能の戦闘機には地上の機銃掃射だけさせ、それを護衛戦闘機が守る。無線機がないので、地上に大きな白布で印を描いて命令を示す。またソ連軍機が飛ぶルートを決めておき、そこ以外を飛行するものには無差別に高射砲を撃つという戦術をとったりする。もちろん日本も常に対策を考えていく。
しかし結局は物量が多い方が勝つ。

本書による航空戦による損害機数
(空中・地上を含む)(注2
 ソ連軍日本軍
自軍で認めた損失機数207162
敵軍が主張する破壊機数1,260646
この本の著者がまとめた損失機数252158
本書「表8 ノモンハン事件における日ソ両軍航空機の損失比率」(p.164)及び「表9 確定されたノモンハン事件における日ソ両軍主要航空機の損失機数」(p.168)より作成
(注)航空機の損失で、注1と注2の数が異なるが理由は不明

国勢調査をしているわけではないので本当の損害はわからない。実際に投入した機数はソ連軍が900機、日本軍が400機程度とのことで(p.166)、両軍とも敵側が主張するほど撃墜あるいは破壊されたはずは絶対にない。
いずれにしてもどの資料においても、ソ連の被害が多く日本軍の被害が少ない。数的劣勢にあってランチェスターの法則にあらがって、これだけの戦果を出した日本の航空戦力はたいしたものだ。
といっても撃墜された数も、そのキルレイシオ(損害比率)も、実は戦争の勝敗には関係がない。要はソ連軍が仮に1200機墜されてもまだ飛行機が残っていて、日本軍が160機しか破壊されなくても次が続かなければその時点で戦争はおわりだ。ギャンブラーのランダムウォークからは逃れられない。

文中、戦闘中のエピソードはいろいろある。
日本の97戦が撃墜されて不時着すると、味方の97戦が近くに不時着して操縦士を救出するのは日常的に行われていたとある(p.65)。またソ連軍戦闘機を撃墜したもののそれが不時着して操縦士が無事なのをみると、撃墜した97戦も草原に不時着して敵操縦士を追いかけて行って、軍刀で切りつけたなんて記述もある。本来なら軍紀違反の軍法会議ものだ。
まだ現代の戦争になる前の、のどかといっては変かもしれないが古き良き時代なのかもしれない。

著者はバトルオブブリテンよりも激しい空の戦いであったとしている。どちらの戦いが激しいかはともかく、双方とも大消耗戦であったことは間違いない。
バトルオブブリテンとは、1940年7月10日から10月31日にわたって、イギリス本土進攻のためにドイツがイギリスの制空権をとるためにイギリス上空で戦われた大空中戦である。双方多くの戦闘機が参戦したが、結局ドイツは勝利を得られなかった。知られている限り、史上最大の航空戦である。
バトルオブブリテンの概要
 イギリスドイツ
参戦した戦闘機10811024
戦闘機の損害715588
出典:「空軍大戦略」リチャード・コリヤー(1977)早川書房
ウィキペディアの数字はこれとかなり違う。
この表から、ノモンハン事件はバトルオブブリテンの半分規模の大規模な航空戦であったことがわかる。それにしては世界に知られていない。日本人でさえノモンハンの戦車戦を知っていても航空戦は知らないんじゃないか?
実は私も知らなかったのだ

バトルオブブリテンの主力戦闘機 左スピットファイア、右メッサーシュミットMe-109
バトルオブブリテン
ノモンハン事件は、バトルオブブリテンの1年半前に起きている。それにしては参戦した飛行機が、スピットファイアやメッサーシュミットより一世代前のように思われるかもしれない。しかし、当時は航空機の創成期で性能が日々向上している時代であり、今のようにF15が40年も使われている時代とは違う。もちろん1970年代のF15と21世紀のF15は外観は同じでもソフトもハードも別物に近い。

バトルオブブリテンではチャーチルが戦闘機が足りなくて頭を悩ませた。ノモンハンでは関東軍参謀が戦闘機がたりなくて頭を悩ませた。
しかしソ連軍は戦闘機の数量に心配はなかったようだ。ソ連軍が後方から補充された戦闘機を、空戦戦域に対して数が多すぎるからという理由で離陸させなかったなんていう記述をみると、日本人としてはもういやになる。
私は日本人として、ノモンハンが負け戦だとは思いたくないが、圧倒的物量には勝てなかったことは間違いない。
戦争とは前線の武器の性能や作戦の上手下手もあるだろうが、根本的には国力がなければどうしようもない。そして国民の意思というものが最重要だ。

話はパット変わる。
今、中国は世界に覇権を伸ばそうとやっきになっている。
日本には中国寄りというよりも、中国の手先き、いや中国の報道機関としか思えないような放送局や新聞社がいくつもある。そういうところは一生懸命に中国はえらいぞ、日本は中国にかなわないから中国に従おうと、日本国民を洗脳しようとしている。
更には経団連も日本から工場を中国に持って行って、中国の政府に差し上げようとこれまた一生懸命だ。

ちょっと待ってくれ、
そのようなことが日本のために、いや日本人のためになるのだろうか?
年金問題、少子化問題、そういうことの解決になるのだろうか?
絶対にならないだろう。
戦争だけでなく、国民の暮らしも、すべては国家経済次第なのだ。
国民が豊かに安全に暮らせるためには、日本経済が伸びていかなければならない。中国経済が伸びても、日本がワリを食うだけで、日本の人たちの暮らしは悪くなるばかり。
どうしてそういうことを報道しないのか・・・そりゃ中国の手先がそういうことを報道するわけはないか・・

日本人の暮らしを良くするためには日本経済が伸びないとならない。
中国の覇権を恐れ、中国の新兵器を恐れて軍拡しようとするのではなく、日本経済を伸ばさなくてはならない。
間違っても中国経済を伸ばすのに協力してはならない。中国のような世界を支配する覇権国家を目指す危険な国と、経済交流を図って平和をもたらそうという発想そのものが、敵を利するだけの間違った考えのように思う。
かって中国に貢献しようとして進出したパナソニックがどんなにひどい目にあったかをみんな知っている。投資した資本を引き揚げることは簡単にいかない。ひょっとすると差し押さえか?
中国の産業が伸びないように、経済が発展しないように諸国が協力していくこと、それが中国覇権を防止することだろう。

私の見解が偏見だと思われた方へ
日本にミサイルを200発も向けておきながら、日本が過去を反省しない攻撃的な国だと語り、
日本は20年後になくなると言い、
アメリカに中国による日本支配を認めろと言い
日本をいまだに国際連合の敵国であると主張する国
日本はそんな国に何兆円もODEを支援し、留学生に年間171万円援助しているのです。
日本の刑務所で一番多い外国人は中国人です。なんでわざわざ日本に来て犯罪を犯すのでしょうか。それとも犯罪をするために日本に来るのでしょうか。なお、韓国人と違い、中国人には元々日本に生まれて住んでいる人はまずいません。
あなたは、そんな中国が好きですか?
そんな中国に支援する日本はまともですか?
そんな政策をあなたは支持しますか?
ノモンハンで戦った先人の思いに応えるために、私たちは日本経済再興を目指さなくてはならない。

ノモンハンから対中国政策って、飛び過ぎだよと思われた方へ
細かいことを気にしてはいけません。老人は忘れっぽくて、そのうえ更に私は常にとりとめがないからです。



外資社員様からお便りを頂きました(2012.12.20)
ソ連崩壊で当時の資料が参照になり、本当の損害が判るようになりました。
それにより、日本が勝ったと勘違いしている人もいますが、仰る通り損害の多寡は戦争の勝敗を意味しないのです。
その背景は、ご指摘の通り、ソ連は周到に準備してトップダウンを受けた現場の将軍ジューコフが指揮、一方は現場の突っ走りで始まり、誰がトップかアヤフヤなままで、「戦争」だという危機意識の欠如が勝敗につながったのだと思います。
ゾルゲ事件でも判るように、ソ連は首相の周囲までスパイを巡らし、日本の手の内を見ていましたので、物量だけでなく情報戦でも負けていたのだと思います。
いくら「事件」という名で封印しようが実態は戦争であり、現場に責任を押し付け自決させようが、そこから教訓を引き出し改善に繋げなかった事が、後に、更に大きなツケになって、史上まれにみる太平洋戦争の大敗北につながったのだと思います。
ギャンブラーの理論は、仰る通りですね。
これはまさに、米ソが2つの大カジノ・オーナーになった背景でもあり、最後はカジノ間の戦いで相手の破産で、東西対決が無くなりました。
中国は新たなカジノオーナーになりたいのか、興味深い所です。
カタログだけ見れば、原潜、戦略爆撃機、大陸間弾道弾など可搬手段を持ち、核兵器を持って、更に空母まで手を出しています。
但し、ソ連と違うのは、自分は客(巨大市場)だとアメリカに思わせている点です。
その一方では、武器輸出国でもあり、旧ソ系だけでなく、西側兵器のコピーまで売っているのですから、凄い事です。
太平洋戦争の日本は、典型的なオケラ・ギャンブラーで、始めに勝って舞い上がってしまい、負け始めると「今度こそ」と逐次兵力投入してオケラになりました。
それでも本土決戦をすれば勝てると思っていた参謀がいたので、この人達は「家と女房を売ればその金で逆転」と考えるギャンブルホリックですね。
私が聞いたラスベガスの楽しみ方は、ギャンブルをしない事です。
ラスベガスのホテルは、無料のイベントが山のようにあり、火山、海賊船、お城、ベニスなどホテル自体が無料のテーマパークになっているので、これを見るだけでも無料かほんの少しのお金で十分楽しめます。ブッフェレストランも、値段が安いが内容が充実しています。
ホテルの部屋も、上手く探せば、300$の部屋が50$だったりと、時期を選べば豪華な部屋に安く泊まる事が可能です。
なぜそれが出来るかと言えば、ギャンブルで儲かっているからで、そこでギャンブルをしないとメリットが多いのです。
戦後の日本は、そのような道を選んで何とかやってきました。 でも、これからも同じでは難しいと思います。
ですから、憲法の見直しもやれば良いのだと思います。あの憲法は朝鮮戦争とベトナム戦争に巻き込まれる事を防いでくれましたが、そのままで良いとは当時の人(例として吉田茂)も考えていなかったでしょう。 吉田茂がもし生きていたら、「あんなもの50年も変えないのか、バカヤロー」と怒るのではと想像します。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
もう少し勉強すれば外資社員様の話し相手が務まるかと思います。
いろいろありますが、まずバクチ、負けるとつぎ込むという心境というか考えがおかしいですね。それと同じで戦争でもビジネスでも、逐次戦力を投入するというのも同じで負けがこむだけです。やるならやる、止めるなら止めるとスパッとしないと文字通り泥沼です。スモールスタートという発想もありますが、まあ、そこが経営センスなのでしょう。
ラスベガスには家内と2度行ったことがありますが、一度は1000ドルくらい儲けて帰国しました。二度目は、ご想像の通り・・・トホホ


B様からお便りを頂きました(2012.12.22)
意見
いくら喋っても、動かないと平和にはなりません。
だから、僕の意見としては、募金活動をしたり、発展途上国や、困っている人達の所へ出向き、しっかり顔を合わせ、行動で示すべきです。
僕の夢は世界平和に貢献することです。
人間みな、言葉で動きますが、行動で動かす方が、より持続的で、質も高いものがあるように思います。
だから、高校に入ったらそういう活動をどんどんしていきたいと思っています。
もし、どこかでお世話になることがあれば、宜しくお願いします。

B様 お便りありがとうございます。
おっしゃるとおり口だけではなにもできません。と言いたいところですが、語ることもしない人が多いのですから、しゃべることも大事です。
いや、しゃべるということもいろいろな意味がありますが、インターネットの時代なので、放送局、新聞社、官公庁、政党への要請メール、抗議メールなどはそうとう影響力があります。
募金活動や行動も大事です。大いに頑張ってください。
私もここでしゃべることをしていますが、いくつかの団体に所属してデモやその他の活動をしています。今年だけで10回以上デモに参加しました。
もちろん選挙での投票における意思表示もあります。
いわんとすることは、しゃべらず行動しないのは最低でしょうけど、しゃべることも大切、行動することも大切です。
みんな自分ができることをしっかりやりましょう。そして日本を良くしていきましょう。



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