「読む年表 中国の歴史」

12.07.20
著者出版社ISBN初版定価(入手時)巻数
岡田 英弘WAC4-89831-178-32012/3/21524円全一巻

図書館をうろついていて見つけた。最近の本である。
岡田さんの本はかなり読んでいる。そのために、この本を読んで新しい知識を得たというものはあまりなかった。最後まで読んで気が付いたが、あとがきに岡田氏が過去に書いた本からワック出版局が編集したものと書いてある。なるほど、そんな感じがした。
とはいえ、読んで損したということもない。他の岡田氏の著作より何倍もわかりやすい構成で、文章も平易だ。言い換えると、この一冊を読めば岡田氏の中国に関する本は読まなくても良いのかもしれない。

中国4千年の歴史なんていわれるが、そんなことはない。岡田氏も中国2200年の歴史と言っている。同感だ。もちろん4千年前にも今中国と呼ばれる土地には人は住んでいただろうが、それは今中国人と呼ばれる人と血統的にも文化的にも関連がない。
韓国では、韓半島半万年の歴史なんて中国以上の自慢話をしているが、それも同様に、5千年前に朝鮮半島に住んでいた人と現在の朝鮮人は遺伝的にも文化的にも縁もつながりもない。日本人は朝鮮半島から移住してきたから韓国人の子孫だという説も、韓国ではあるそうだが、我々日本人こそ韓半島半万年の歴史の後継者だとしても、現在の韓国人、朝鮮人は日本に移住してきた大昔の韓国人の子孫ではないという可能性は非常に高い。
何を言いたいのかというと、同じところにあっても、人も国家も文化も今と昔は関連性は乏しいということだ。

この本を読んで感じたことはもうひとつ、中国の歴史とはなんと平板なことであろうかということだ。武力をもつ英雄あるいは策士(詐欺師?)が現れて政権を確立する。やがて二代目三代目になると側近が皇帝を殺害し権力を奪う。それを数十年のインターバルで繰り返し、数百年経つと、また新たな英雄あるいは策士が・・以下繰り返す
 笑ってしまう

イギリスの歴史、フランスの歴史、あるいは日本であろうと、その他どこの国であろうと、このような皇帝と将軍とお妃の名前を変えただけで繰り返す歴史というものはみたことがない。
このような国の歴史を学ぶのは退屈だが、そもそも歴史を学んでいるのかという疑問を持つ。しかし過去の中国の為政者はしっかりと中国の歴史を学んでいたらしい。そうでなければ中国を治めることはできなかったという。
毛沢東が蒋介石に勝ったのは、毛沢東が三国志を読み込んでいたからだという本を読んだことがある。事実か否かわからないが、そんな気がする。というのは将軍の桃園の誓いとか、裏切りとか、異民族の扱いなど三国志をなぞって行えばよかったということを書いていた。
すると日本軍が中国で敗れたのは三国志を読まなかったからかということになるが、そうでもないように思う。心当たりがあるのだが、日本では昔から、特に武士の社会では儒教というものが基本だった。儒教とは簡単に言えば孔子がまとめた論語の世界である。それは日本の武家社会では適正な価値体系であったのだろうけど、現実の中国ではそれは価値観ではなかった。現実には韓非子の論理というか価値観で動いていたと聞く。それは今もそうだという前提で見れば、中国の行動規範、価値観はすっきりと理解できるのではないだろうか。それはつまり、打算と謀略の世界。
話を戻すと日本軍が中国で敗れたのは韓非子を読まなかったからではないかと思う。

しかしこの本を読むまで知らないことはたくさんあった。
中国のわいろは有名だ。最近も私腹を肥やした幹部がアメリカに亡命しようとした。だが、この本ではわいろというものは日本の概念と全く異なり、悪ではないという。科挙試験で偉くなっても給与というものがなかったとある。もちろん下級官吏も給与はない。じゃあ、どうするのとなると、それぞれの仕事においてそれぞれの才覚でお金をゲットして、それで生活していたという。つまり仕事を依頼するときによろしくと渡されるお金は、わいろではなく正当な報酬なのである。
だから現在においても、わいろで起訴されたり逮捕されるということは収賄という不正を働いたからではなく、勢力争いに敗れただけということだという。
朝鮮で使われているハングルは、朝鮮で開発されたのではなく、蒙古帝国で作られ、それが朝鮮に伝わったとのこと。韓国が自慢することはない。せいぜい、素晴らしい文字を採用したのが偉いというていどだろう。
万里の長城って、秦の始皇帝が作ったものが整備され今に伝わると信じていたが、それは全くの間違いだった。秦の始皇帝も防御の長城(防壁)を作ったが、現在のものとは場所も内容も全く違うという。現在の長城は15世紀から16世紀に造られたという。日本で言えば戦国時代であり、そんな昔ではない。

そしてまた中国的というか、中国文化というものはほとんどが周辺から伝わった文化だということに驚いた。
「中国人の歴史観では、北方の蛮族が中国に入るとたちまち偉大な中華文明に感化されて、自分たちが蛮族であることを忘れて中国化し、やがて中国人に吸収されて消滅するということになっている。しかし、これは話が逆だ。中国が北アジアの遊牧民・狩猟民に征服されるたび、漢人が北アジアの文化に同化したというのがほんとうで、清朝の時代に辮髪が普及したのはその一例である(p.229)」
その他、チャイナドレスは満州人の服で、清朝時代は特権階級である満州人だけが切ることができ、漢人たちがチャイナドレスにあこがれても着ることができなかった。20世紀になって漢人もやっとチャイナドレスを着ることができるようになって喜んだとある。
中国4千年の歴史とはそんなものなのだ。




Yosh師匠からお便りを頂きました(2012.07.21)
おかしく思ひます。
すると日本軍が中国で敗れたのは三国志を読まなかったからかということになるが

日本軍は支那(中国)では敗れてません、日本が米軍が主力の連合軍に太平洋の戦闘で敗れたので支那での戦闘も終わらせたのです。
當時支那人も日本が敗れたことを喜ぶと同時に、支那では支那軍が戦闘で逃げ回りてたのを知つてたから、驚きてたそうです。
因に、マッカーサーの命令第一号で支那の蒋介石軍が台湾の日本軍の武装解除に向かふ時、日本軍の強力な抵抗があると心配したとか、でもすんなり日本軍の武装解除が出来て胸を撫で下ろしたとか。
日本軍の武装加除で得た武器で國民党軍の兵の装備が著しく良くなつた、とか。
また、台湾に上陸してきた乞食同然の支那兵達を見て日本が負けたといふのは嘘ではないかと台湾人は思ふたさうです。

Yosh師匠 毎度ありがとうございます。
私が子供の頃みたニュース映画か何かで、戦勝国である支那軍がとぼとぼと歩いている脇を、トラックに乗って負けた日本軍が引き上げてくるのです。はたしてどちらが勝ったのか、一瞬迷ってしまうような映像でした。
Yosh様のおっしゃることはよく分りますが、現実にはアメリカ、イギリス、支那はワンセットでしたから、日本が支那に負けたといってもしょうがありません。その証拠にポツダム宣言は三国が署名しています。
なお、「戦争とは負けたと思った方が負けたのだ」という言葉もあります。語ったのはかの東条英機だそうです。日本は中国(どの中国かは不明)負けたと認識したのですから負けたことは間違いありません。
それが今に引きずって大変なのですよ

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