マネジメントとシステム考

12.05.02
私の主たる論旨は「黒色の文字」で書いていおります。ただ、より一層ご理解いただけるように、解説や私の心中を「緑色の文字」で補足しております。
かように使い分けておりますので、ぜひそれをご理解の上、お読みいただきたい。

最近、私はISO規格やマネジメントシステム関係ではなく、戦争に関する本を読んでいる。そんなことを少し前に書いた
なぜ戦争に関する本なのか? と問われると、その答えは簡単明瞭だ。
ひとつは軍隊というものは組織論のエッセンスというか、組織論を具現化したそのものである。いや、逆だろう。軍隊においていかに大勢を動かすかということが考えられ、それが組織論になったのだと思う。
そして企業の管理においては、軍隊の組織や管理の考えを多く借用している。組織については、小隊、中隊、大隊という軍隊のヒエラルキーは、係、課、部というふうに。事業部はデビジョン、すなわち師団である。師団とは司令部を持つ軍のまとまりを意味し、それは事業部の定義そのものである。軍隊でも企業でも、規模が大きくなり中央の目が届かなくなったところで採用(発明)されている。
会社によっては単に部の上位の階層に事業部と銘打っているところもあることに気が付いた。
事業部とは正しくは「事業運営に関する責任・権限を本社部門が事業部に委譲することで、本社部門の経営負担を軽減するとともに、各事業の状況に応じた的確で迅速な意思決定を行う組織」のこと。
そしてもうひとつは、戦争は勝敗が明白で、その勝因・敗因が後世必ず検討されている。それもばくぜんとしたものではなく、組織、作戦、運用、それを取り巻く兵站、通信、練度、士気など多方面について分析されている。そして分析結果は時代や国を超えて、活用されている。誰だって同じ失敗はしたくない。特に戦争においては
他方、一般のビジネスにおいて、成功についても失敗についても、その原因がシステム、マネジメント、従業員の力量やファイトなどについて、戦争ほどに研究されてはいない。もちろん戦力その他の事前条件も競争の結果も、企業秘密ということもあるだろうし、それ以前に企業の戦いが目に見えるものではなく、勝ち負けが外からわかりにくいこともあるだろう。わずかに、パタゴニア、アップル、サムソンなど成功した企業について本が書かれている。しかし、何事も一方からのみ、あるいは対象物のみを見てはわからない。なぜ勝利したのかを分析するためには、勝利した側と敗北した側、あるいは成功例、失敗例を比較検討しなければならない。片方だけしか見ていないのでは正しい分析はできない。
もう15年も前だが、「ビジョナリーカンパニー」という本がある。その本では50年以上継続した企業を成功と定義している。そしてそれらの企業の特徴を分析している。だが現時点、そこに載っている企業のいくつもが傾いたり消滅したりしている。予言者の危険は十分に理解する。しかし、一つの会戦や海戦を両側からみて分析評価したものは長く価値を持つが、成功した会社だけをとらえて分析してもあまり意味はなさそうだ。そして「ビジョナリーカンパニー」を読んでも永続する企業を創ることはできないと思う。
ところで古本屋に行くと今でも、「ヤオハンの挑戦」とか「日産の躍進」なんてのを見かける。そういった本を書いた人、登場人物は今そういう本をみて何を思うのだろうか?
ともかく、そういう戦争の本を多数読んでいると、マネジメントシステムというものを、ISOの観点ではなく、少し離れたところから見て考えることができるように思う。そんなことを書く。

昔々、個人が住む家を建てるとか丸木舟を作るとき、システムとか管理ということを考える必要は少なかった。今でも店主がひとりで営んでいる居酒屋なら、システムを考えることはない。帳票さえいらない。すべて店主の頭の中で処理できる。しかし店が大きくなりウエイターと会計担当が別になれば、何を食べ何を飲んだかを記載した帳票をレジに渡さないと費用処理もできない。(今は情報伝達はコンピューター化されてるが)そして多店舗を有する居酒屋チェーンとなれば、購買システム、配送システム、人事管理システム、衛生管理、財務、宣伝広報など、いろいろな仕組みが必要になり、全体を調整し適切に動かすための管理が重要となる。
同じように、村の長老が己の経験や考えで決裁できるのは限界がある。共同体の規模が大きくなると、共同体全体に共通の判断基準を定め、それを周知徹底することが必要となる。更に大きな事業を行うためには、国家というシステムを必要とした。すべての道はローマに通ずと言われたローマ帝国の道路建設には、国家レベルでの決定方法と決定したことを推進する意思が必要となる。それで国家の構造、仕事の役割、進め方といった体制が作られた。それがそもそものシステムである。
広辞苑第2版 数年前、システムとは、インプット、プロセス、アウトプットであると、ある講演会で語ったISO-TC委員がいた。確かに現在そういう使い方というか意味合いもあるが、本来はそうじゃない。
元々システムとは、社会制度とか支配体制という意味である。どんな辞典でもシステムを引くと、真っ先に出てくるのが制度とか体制である。手元の広辞苑第二版(1974)では「@組織、制度A系統、体系」しか載っていない。プロセスについては言及していない。
現在の辞書ではそのほかに、B方法、方式、Cコンピューターを使用した仕組み、などが載っている。
INCOSEの定義では「システムとは、定義された目的を成し遂げるための、相互に作用する要素を組み合わせたもの。これにはハードウェア、ソフトウェア、ファームウェア、人、情報、技術、設備、サービスおよび他の支援要素を含む」とある。
INCOSE(The International Council on Systems Engine)
だからシステムの三要素を「組織、機能、手順」とするのは正しいと思う。インプットとかプロセスというのは自動制御などにおける考えのようで、システムの必要条件でもないし十分条件でもない。
黙っていることができない私であるから、前述のISO-TC委員の講演の後に、当人に「システムとはインプットとかプロセスなどとは関係ない。組織と機能と手順のことだ」と話しかけたら、ご当人から「わかってもいねーのに語るな」とご回答をたまわった。あまりの剣幕に当方黙ってしまったが、ご本人こそ組織論を学ぶべきであろう。
私も不遜極まりない 
ISO9000:1987で「Quality system」は「品質管理を実施するための組織の構造、責任、手順、工程及び経営資源」と定義されていた。だからISO規格が発祥した時から、システムとは「組織の構造、責任、手順」とはっきりと定義されていたのだ。
それを知らないとは、ISO-TC委員といえどもぐりである。
(注)もぐりとは、無許可、無免許で行なうことで、ブラックジャックのような人をもぐり医者という。

さて、システムだけでは動かない。動かすのはマネジメントだ。
戦争の本、それも戦争小説ではなく作戦や戦史を研究した本を多数読むと、戦国大名や提督や師団長が、その置かれた状況において、何を考え、どのような作戦をとったのかということが分析されている。その決断が間違っていようといまいと、ここでは関係ない。まず作戦の目的があり、その目的を達成するために、敵の兵力、自己の兵力、気象、地勢その他の条件を考慮して計画(作戦)を立てる。そしてその計画を実行に移すのだが、命令を実施する者に力量がなければ、よい計画もプログラム通りには展開できない。義経がひよどりごえの逆落としを計画しても、崖を駆け下りる力量と勇気がなければ作戦は実行できない。日露戦争でロジェストウェンスキー提督が石炭積み込みができるはずだと計画しても、士気が低く、指示が不適切であれば予定通りには進まない。そういうのを読むと、システムの限界もマネジメントの重要性もよく理解でき、システムや管理を考える上でとても参考になる。
仕事は、システム(組織)の良否だけでもなく、マネジメント(命令)の適否だけでもなく、コンピタンス(力量・練度)だけでもなく、モラール(士気)だけでもない。それらの総合であり、更に神のご加護(運・ツキ)がなければ勝利はつかめないのだ。
前線指揮官が現場で考えられる最善策をとっても、現場を知らない後方の司令部や一般国民からみると、ある場合は意気地なし、あるいは逆に蛮勇、無能に見えることもある。へたくそあるいは不適切な作戦でも、ひとたび成功すると勝てば官軍となることもある。そしてそれが前例となり、より良い決定を阻害する悪弊となることもある。
東郷平八郎のように
その他、正確な状況が分からないとき、あるいは後世の人が誤った情報を真相だと言いふらすことによって、適切な指揮がへぼと受け止められたり、ヘボな指揮が素晴らしいと評価されることがある。
前述したように私は最近日露戦争関係の書籍を読んでいるのだが、乃木将軍が決して劣った指揮官ではないし、秋山参謀が優れていたとは思えない。司馬遼太郎は「坂の上の雲」でさかんに、乃木はアホ将軍、秋山は有能な参謀というデンパを発信しているが、あれはそうとうに眉つばものである。
司馬遼太郎は日本人に乃木否定、秋山肯定を信じさせようと、意図的に誤った情報を発信したのだろうか?
いや、「坂の上の雲」は単なる小説なのだ。そこから歴史を学ぼうとすることが愚かなのだ。吉川英治の「宮本武蔵」も、山岡宗八の「徳川家康」も、真実とは異なる物語にすぎないのと一緒だ。そこから学べるものは宮本武蔵や徳川家康の人生観ではなく、吉川英治や山岡宗八の人生観なのだ。
だが、それにしては司馬は人間の心理だけでなく、たいそう武器弾薬の性能や戦略戦術について論じている。戦争当時一兵卒だったので、せめて小説の中で上から目線で司令部を評価批判して代償行為をしたのかもしれない。
いずれにしても後知恵で戦争を断じるのは見苦しいだけでなく、先人に対して失礼極まりない行為であろう。まして己の説こそが正しいと主張するのはふざけている。他の日露戦争の研究書のように、より深く研究し、そして結論はもっと謙虚であるべきだ。

戦争でなく、企業あるいは一般の組織においては、命のやり取りということはないが、その作戦と運用の考えは、軍隊におけることと全く同じだ。与えられたリソースで与えられた目標を効率的に達成することが組織の使命である。
ここで、ISOはプランすなわち環境目的・品質目標を決定することも含むとおっしゃる人がいることを予想する。(翻訳が違うだけで、元は双方ともobjective)そんなことはない。目的とは、ISOであろうと戦争であろうと、システムより上位概念である。目的を達成するためにシステムが作られるのであって、システムのために目的があるのではない。
もちろん目的のために戦争をするのではなく、戦争のために目的を作った人もいたかもしれない。しかしそのときだって、真の目的は戦争ではなかったはずだ。
石原莞爾だって満州事変が目的じゃなくて、その先があった。

ISO14001では環境目的を決めるとあるが、それは企業の上位目的をブレークダウンした下位の目的にすぎない。まさかあなた、企業の定款をISOのマネジメントシステムで決めるとはおっしゃるまい。それは企業経営レベルではなく、企業創立、創業の理念のレベルだ。
もっと簡単に説明すれば、家電品メーカーで売り上げを上げるという目的をISOのテーマに掲げることはあっても、車を作って売るという目的を掲げることはありえない。それは定款レベルの企業の本質にかかわることであり、ISOの範疇ではない。
本田技研は航空機を制作しているが、その定款で
「第2条 当会社は、次の事業を営むことを目的とする。
1.自動車、船舶、航空機その他の輸送用機械 器具の製造、販売、賃貸及び修理」
と明記している。

そうするとISO規格で定める環境目的や品質目標より上位概念である、「方針」とはなんなのか? ということも再確認が必要になる。
ISO規格でいうpolicyとは、我々が思い浮かべる日本語の方針ではないと私は考える。そもそも日本語の方針とは、「磁石の針の方向」であり、軍隊が進む方向である。到達する方法や時間的なことなど詳細を示すものではない。
それに対してISO規格の方針とは、企業活動における一般方向を示す上位概念ではない。それよりずっと下位の、年度方針とか、作戦の目的というべきものだ。policyを方針と訳したのが誤訳だったのかもしれない。
ISO9000:2005で品質方針とは「トップマネジメントによって正式に表明された、品質に関する組織の全体的な意図及び方向付け」であり、
ISO14001:2004で環境方針とは「トップマネジメントによって正式に表明された、環境パフォーマンスに関する組織の全体的な意図及び方向付け」である。
    参考までに英英辞典を引くと
  1. a set of plans or actions agreed on by a government, political party, business, or other group.
  2. relating to policies.
  3. a contract between an insurance company and a person or organization.
  4. a principle or set of ideas that you think is sensible or wise.
    どう考えても、上位方針ではなく、具体的な下位の目標あるいは当座の方針である。
    いや、さらなる疑問であるが、ISOの定義の「policy」は英語の一般的な「policy」の意味と同じでない可能性が高い。なぜなら、定義されていない語は一般の辞書に載っている意味で用いることがISO規格の使い方であり、「environmental policy」や「quality policy」が定義されていることは、英語の一般的な「policy」と違うことを意味する。
訳しにくい語を無理やり似たような概念の日本語(漢語)にするのではなく、カタカナ語のままにしておいたほうが良かったかもしれない。ISO規格というか翻訳したJIS規格には日本語の意味合いと大きく異なるものが多く、翻訳したものだけを読んでいると、うっちゃりを食らうことが多い。
「objetive」も「purpose」もJIS規格では同じ「目的」なのにはまいった。笑っちゃうというべきか。異なる原語に同じ日本語を充てるのはやめてほしい。
 ・objective 「達成する目標」
 ・purpose 「意図やねらい」・・・「目的」の意味は普通これだろう
本来は「objetive」を「目的」とせずに「目標」と訳すべきだったのではないか?
ISO9001では「目的」を「目標」としているが、ISO19011などでも「objetive」を「目的」としている。 審査員の中には二種類の目的を同義とみなしている人さえいる。中学で英語を習わなかったのか?
そうすると「『target』をどう訳するのか?」とご心配される人もいるかもしれない。そんなこと、簡単だ。「target」を「途中経過点の目標値」と定義しておけばまぎれることはなかったと思う。現実にそんなことを理解できない認証機関が「環境目的は3年後の目標で、環境目標は年度目標だ」と言い出して、3年後の計画がないと不適合を出す審査員が現れるようになった。最近でも2010年に「3年後の目標がない」という不適合を見たことがある。
似たような例に、legibleを分りやすいという意味に理解している審査員は多い。私は「文章が分かりにくいから4.4.5e)に反している」という不適合を2011年に見ている。
当然、判定委員会も認定審査員もそれが妥当と考えているのであろう。

というようなことを考えると、環境であろうと品質であろうと、ISO規格が示すものは、決して経営レベルのものではなく、管理レベルにすぎないと思う。経営のツールと言いたければ否定はしないが、経営判断のツールではなく、経営レベルで決定したことを推進するためのツールである。だからISOのマネジメントシステムで会社の運用を改善できても、会社の体制を改革することができるはずがない。
あるいは、そう語る人の考える経営とか会社の改善とは、私の考えているものよりも低レベルのものなのだろう。低レベルといっても考えが劣るという意味ではなく、階層が低いという意味である。

そもそもシステムとは、社会体制とか支配制度の意味であることは前述した。私のシステムのイメージとしては、ダイナミックなものではなく、スタティックなものである。もちろんシステムにフィードバック機能があってもよく、あるいはプログラム機能があっても良い、インタラクティブであっても良く、結果としてダイナミックでも良い。しかしそれはシステムの本質ではない。システムの本質は単なる仕組みであり、上意下達の命令ルート、あるいはフィードバックのないオープンループであってもシステムなのだ。
いや、ISOにはISOの定義があるからそれを確認しよう。
愛しのISO9000:2005(JISQ9000:2006/2010確認)では「相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり」(set of interrelated or interacting elements)と定義されている。
ISO14001:2004で環境マネジメントシステムとは「3.8 組織のマネジメントシステムの一部で、環境方針を策定し、実施し、環境側面を管理するために用いられるもの」と定義されている。
ISO9001:2008で品質マネジメントシステムとは「方針及び目標を定め、その目標を達成するためのシステム」とあり、先ほどのシステムの定義を代入すると「方針及び目標を定め、その目標を達成するための相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり」となる。
どう考えてもシステムとはその程度のものにすぎない。
私が1991年にISO9001と出会ったとき、私が理解したのは「品質保証システムとは会社の規則集が定めているもの」ということであった。極論すれば・・極論しなくても・・システムとは会社の規則集そのものであるということが、昔も今も私の認識である。

マネジメントシステムを考えるには、ISO規格をひたすら読むよりも、軍隊や軍事行動についていろいろ読んだほうが、理解が進むような気がしてきた。
そしてシステムとは、決めたことをゴリゴリと推進するためのものだと割り切ったほうがよさそうだ。つまりマネジメントシステムというものを、そういう観点から把握して、有効性、効率性を考えるべきなのだ。
そしてISOで会社を良くしようとか改革しようということはありえないような気がする。ISO規格が悪いとは言わないが、規格はマネジメントの高い階層の部分を包含していないように思う。露骨に言えば、会社の全体の仕組みの内、低い階層に限定された最低限の管理を決めているように思う。
企業を改革するなら、ISOのマネジメントシステムを使おうなんて考えずに、フェイヨルやテーラーから始まる企業管理の思想で行うべきなのだ。ドラッカーやマッキンゼーあるいはボストンコンサルティングに頼むことを、ISO風情に期待するのは無理というものでしょう。

誤解に備えて
私は品質マネジメントシステムに、プロセスや自動制御の考えを持ちこんじゃいけないと語っているわけではない。あるいはシステムはダイナミックではなく、スタティックであるべきだと主張しているのではない。また役に立たないとかレベルが低いというわけではない。
言いたいことは、ISO規格で定めているシステムに期待できるのは限定的だろうということだ。
そしていかにフィードバックやコミュニケーションについて優れていても、システムの基本的な要素を満たしていないものは、そもそもシステムじゃないということだ。会社の仕組みを明文化した会社規則集にダブり、隙間、矛盾などがあれば、その会社システムのパフォーマンスはたかが知れている。ベーシックなことをしっかりと踏まえて、それを満たしていなければ有効に機能しないということを主張したい。
ただ、インターネットの時代には、システムの三要素がなくてもシステムとみなされるケースがあるかもしれない。厳格な体制を有していなくても、関連がゆるい融通の利く相互関係によって生存性の高い仕組み(システム?)については、ロバート・A・ハインラインが1966年に「月は無慈悲な夜の女王」で論じている。ご参考まで




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