ケーススタディ 監査事務局1

12.05.14
山田は森本と共に、鷽八百グループの環境監査の仕組みの見直しを進めてきた。
まず関連会社の環境監査について改革を進めている。各工場の環境課長を集めて、監査の目的の再確認、そして監査基準がISO規格やシステム監査ではなく、環境法規制とリスク管理であることなど会社規則の周知徹底を図った。
次に監査の実施を各工場に丸投げするのではなく、監査には必ず本社の環境保護部のメンバーが参画することとし、工場の監査員の指導を行った。初めの数回は山田と森本が子会社の監査に参加していたが、山田は森本が山田の意図を理解したのを見届けて、現在は森本に任せている。森本は山田の教えを受けて、ISO審査の真似事から遵法監査に徹するよう工場のメンバーの指導を行っている。変われば変わるものだと廣井部長も森本に感心している。
そしてアウトプット、すなわち監査報告書は監査目的に見合って書くように指導を行い、山田は内容をチェックして、不適切なものに対しては差し戻している。
じゃあ、山田は暇になったのかといえば、そんなことはありえない。
そもそも監査事務局はなにをするのか? 本日以降はそんなことについて書きたい。

「監査を良くするには監査員教育だ」とか「良いチェックリストがあればよい監査ができる」なんて語る審査員がいるし、そんな広告を出している研修機関もある。はっきり言ってそれは明白な間違いだ。ISO審査も内部監査も二者監査も、監査員教育やチェックリストでよくなるはずがない。監査を良くするのは監査システムである。
それは当然じゃないか。会社を良くするのは「マネジメントシステムですよ」と語る審査員がなぜ「監査を良くするのは監査システムですよ」と語らないのか私は不思議で仕方がない。
PDCA じゃあ、監査システムを改善するとはどういうことだろうか?
いろいろな考えがあるだろうが、簡単に言えば、適正な計画、厳正な実施、調査した事実を経営層へ報告して指示を受け、それを次の計画に反映すること、つまりPDCAそのままである。システムを継続的に改善することが、結果としてパフォーマンスを改善していく。教育やチェックリストを改善することは、視野が狭すぎるし、その効果はたかが知れている。いや改善になるのかも怪しい。そもそもチェックリスト単独の改善などありえないと私は考えている。
監査計画のインプットはISO19011などを見るまでもない、そんなものは常識である。
まず、今までの監査結果がある。
監査結果といっても、組織自身による内部監査、ISO認証組織の場合は審査報告書、そして環境保護部による二者監査結果がある。それらを細かく見ること、また総合して傾向やばらつきをみることによって、ものすごい情報が得られる。
正直なところ、私の経験から言って、ISO審査の報告書をみて参考になったということはあまりない。しかし、ISO審査で我々が二者監査で見つけている問題を見つけていないということは重要な情報であり、私は認証機関に対してそれを見つけることを要請していた。その意味では、やはり重要な情報源の一つである。

それから社内というかグループ企業の、法に関わる不具合や環境事故、近事故がある。そして報道された他社の違反や事故も考慮するのはもちろんである。
近事故(きんじこ)と書いて、今もその言葉が通用するのだろうかと心配してググってしまった。そしたら懸念した通り、今は近事故なんて言い方はないようだ。
私が社会人になった1960年代末、ハインリッヒの300に当たる事故にならないヒヤリとした事例を集めて対策する近事故法という手法があったのだが・・
おっと、だから現代は事故が増えているのか!
法改正と今後改正される情報の反映もある。法律の改正から施行まで1年以上あるのが普通であるから、監査でその対応をしているかをチェックすれば、結果として法改正対応が漏れることはほとんどない。そういう意味では該当法規制一覧表なんてものが役に立つのは1回目だけで、それ以降は法改正予定表を作るべきだ。監査員としても毎回同じことを聞いていても面白くないだろう。それよりも先手先手と手を打つことが、遵法を確実にすることなのだ。
「法改正に対応しましたか?」という質問は良く見聞きするが、本当は「法改正の準備はできてますか?」と聞くべきだろう。その結果、不十分なところがあっても重大な問題にはならないから、監査する側、される側ともハッピーである。
監査員には重大な問題を見つけることが功績と考える人もいるが、本当は重大な問題になる前に見つけなければ役に立つ監査ではない。

そのほかに、これが一番大事なことだろうが経営者の意向がある。多くの場合、監査の目的(objectives)は下の者が今までの監査の結果や法改正などを基に案を作り、決裁をいただくだけだろうと思う。しかし新ビジネスへの進出、企業買収や合併、あるいは場所の移転などに伴う項目を監査することを、経営層が環境監査部門に対して指示することはあるだろうし、なければおかしい。

おっと、それらは監査の計画のためのインプットにすぎない。そういったインプットを基に、監査の具体的計画を考えるである。
鷽八百社の今年度の環境保護部の環境監査計画書は、前年度末に山田が下案を作り廣井と議論して案を取りまとめ、廣井が監査部と調整して監査部長が他の業務監査と合わせて社長の決裁を受けた。これを基に詳細の実施スケジュールを調整し監査員をアサインし、具体的なプログラムを協議し、詳細計画の策定を監査員に指示する。
どの会社に監査に行くにしろ、山田が監査項目を指示し、それに則って実施させた。かっての森本のような監査をされたのでは、監査の目的を果たさない。それはとりもなおさず依頼者の依頼に応えていないことではないか。
今まで子会社の監査をしていたメンバーが新しい方法を聞いたとき、はじめは不満の声が上がった。しかし、山田が計画の策定時から監査員の意見を求め、それを計画に反映していったので反論はなくなった。そしてそれは山田にとっても現場の意見を知る上で重要な過程であった。
またそれは監査員にとっても好ましいことであった。というのは今までは監査員が担当した監査結果を己の監査計画に反映することはできても、自分の経験を他の監査員の監査計画に反映することができず、他の監査員の経験を自分が知ることもできなかった。それを情報共有すること、そしてそれを水平展開しグループ全体の監査に反省できることは、納得できることだったから。

関連会社の監査は毎週1社ないし2社行われており、山田はその監査結果をみて監査項目の加除や方向性の見直しを検討した。子会社の防油堤の排出弁が開いたままのところがあれば、その時点以降は防油堤全数のチェックをさせるべきか、他社の環境事故が報道されれば、それを追加すべきかを考えないとならない。
だがそれは簡単に決めるべきことではない。なぜなら監査の時間は限定されていて、あちら立てればこちらが立たない。なんでもかんでもはできないのだ。入手した事故や違反についての点検をすべてを盛り込んだら、監査項目がパンクするのは当たり前だ。もちろん現場で監査を行っている者の裁量は認めるものの、一般方向は山田が決めて、監査員にはそれを厳守させた。
監査というのは監査員が考えて行うものではなく、監査事務局の意向で行うことなのだ。
野武士野球と管理野球という言葉があるが、その表現であれば山田は徹底的な管理野球を行った。プロ野球は単に勝つのではなく、素晴らしいプレーを見せてお金を取るショーと言っても間違いではないだろう。しかし監査は高校野球のように、ファインプレーを見せるものではなく、ミスや見逃しをしないことを最優先しなければならない。もちろん、その方向性については監査員の意見を求めることは忘れなかった。しかし総意として決めたことは全員がそれを遵守することを徹底したのである。

山田は出勤するとサイボウズを眺めた。今週は森本が岩手工場の若手と二人で、北海道にある販売会社の監査である。昨日は函館、今日は札幌で明日は旭川の予定だ。今日は札幌泊まりだから、夜はビール園でジンギスカンでも食べるのだろう。それも楽しみだろう。
うぇー メールソフトを立ち上げると夜に入っていたメールが100通近くあり、いささか気持ちが暗くなった。
ざっと眺めて、先週に行われたはずの宮崎鷽販売の監査報告書が入っていないことに気が付いた。山田の体にアドレナリンがあふれた。腕時計を見ると8時40分、工場は既に始業時間を過ぎている。山田は鷽宮崎に監査に行った大分工場の坂本課長に電話して、監査実施後、3日以内に報告書を出すのは義務であることを説明し、すぐに報告書を出すように督促した。先方の課長はかなり言い訳をしていた。
次に気になったのは、先週信越鷽機械に監査に行った関越工場の内山課長に電話して、報告書の記載に三要素がないこと、今年度の重点チェック項目である化学物質管理の点検結果の記述が不十分であることを伝えて報告書を見直すように依頼した。内山課長が「今回の監査には本社の人が来てくれなかった」とブツブツ言うのを聞いて確かにそういうこともあったなと思いつつ、「よろしくお願いします」と言って電話を切った。

おや、昨日森本が監査に行った函館鷽販売からメールが来ている。
『環境保護部 山田課長殿
函館鷽販売の総務部長の福井です。本日環境監査にお見えになった森本様ですが、監査時の態度に若干問題がありましたのでご注意申し上げます。ひとつご指導のほどお願いいたしたく』

オイオイ、ただ事じゃないよ。山田はすぐに内線用携帯を取り上げた。
山田
「函館鷽販売さんですか、鷽八百本社の山田と申します。福井部長さんをお願いしたのですが、ハイ山田です」
福井
「はい福井ですが」
山田
「福井部長さんでいらっしゃいますか、環境保護部の山田と申します。昨日、森本がご迷惑をおかけしたとメールをいただきました。大変申し訳ございません。状況をお教えいただけないでしょうか」
先方は山田が電話してくるとは思っていなかったようだ。
福井
「おお、これは山田課長さんですか、わざわざお電話いただきかえって恐縮いたします。いやね、社長が弊社の概況をご説明していましたときに、監査に見えたお二人がひそひそ話をしてましてね、まあ監査の計画とかそういったことを打ち合わせていたと思うのですが、それに社長が心証を害しましてね、まあ、そういうことですので」
山田
「福井部長さん、どの程度の対応が必要ですか。廣井部長からわび状を出すべきか、私レベルでよろしいのか、どのあたりでしょうか?」
福井
「いえいえ、そんな大げさなことではないのですが、今回のメールは私、福井個人が出したもので、社長宛にされるとまた大げさかになるかと」
福井部長がそういうのを聞いて、山田は社長から指示があったのだろうと推察した。
山田
「福井部長さん、森本はまだ出張から戻ってきておりませんので、明後日出社しましたら状況を確認して対処することを約束します。とりあえずは私から福井部長さんにお詫びの電話があったことを社長さんにお伝えいただけませんか。ハイ、よろしくお願いいたします」
山田は携帯を耳に当てたまま最敬礼をした。はた目にはおかしく見えるかもしれないが、営業にいた者には普通のことであった。

そんなことをしているうちにまた数通のメールが入ってきた。
千葉工場の井上課長から、排水処理の特定施設を新設するので、役員全員の住民票と登記されていないことの謄本がほしいと言ってきた。昔は禁治産者と言ったものが、今は成年後見制度に変わったのだが、要するに精神に障害があるような場合、本人に代わって財産の管理などをする制度である。登記されていないことの謄本というのは、その後見人が登録されていないことを証明するもの、つまりご本人が精神異常とかぼけたりしていないことの証明でもある。東証一部上場の役員が精神異常ということはありえないだろう。しかし法律では廃棄物処理施設などに該当する場合、その会社の全役員の書類を提出しなければならないのだ。これも法務局の場合と、市役所が発行するものがほしいと言われることもある。
そういうことは環境保護部から直接役員に依頼するのではなく、総務部にお願いするしかないのだが、社外取締役の中には外国に居住している方もいて、役員全員の者を集めるのは非常に骨の折れることだ。法で定める期間内に集められるものだろうか?
ともあれ、総務部に依頼文を書いて送る。以前なら廣井にメールを送ればおしまいだったが、課長となった今は山田が総務宛に依頼を書かねばならない。そのまま役員に転送できるように美辞麗句を盛り込んで住民票などが必要な理由を説明するメールを書くと40分くらいかかってしまった。

次は何か?とみると、森本からの昨日実施した函館鷽販売の監査結果概要だった。函館から札幌までの電車の中で書いたらしい。交通機関の中で会社の書類やパソコンを広げるなとあれほど言っているのに困った奴だと思いつつ、メールを読む。
何々、エレベーターにPCB含有機器が使われているとメンテを委託している会社から通知を受けているが、電気事業法とPCB特措法の届をしていない。エアコンの特定施設の代表者名の変更届をしていない。石油タンクから地下配管でボイラーまで持ってきているが、かなり老朽化しており、消防法や水濁法の改正はともかくも点検する必要がある・・いろいろ問題がありそうだ。先方の社長も不適合を出されたので不満を持ったのだろうか?

メールの処理だけで11時過ぎまでかかった。午後は中野が環境報告書の試し刷りをメンバーに説明することになっている。株主総会が6月末で、それまでに環境報告書を発行しなければならず時間がない。中野も子分の横田も大変だなあと山田は思った。

翌々日のこと
山田が出社すると、森本はいつもどおり既に出社していた。明るい顔で山田に挨拶してきた。
「山田さん、生まれて初めて北海道に行ってきましたよ」
山田
「それはよかったね、札幌はビール園に行ったのか?」
横山
「ススキノじゃないんですか?」
横から横山が口をはさむ。
「山田さんのお見込み通りビール園に行きました。予定は一応こなしたつもりです」
山田
「そうか、報告書は目を通したよ。いろいろあったようだね」
「そうなんですよ。お話してよいですか」
山田は願ったりだ。
山田
「いいとも、あっちに行こうか」
二人は打ち合わせコーナーに行く。
山田
「何か問題があったのかい?」
「函館鷽販売でのことですが、こちらが不適合を説明したときかなり紛糾しました。先方はそんなことは問題じゃないじゃないかというスタンスでした。こちらは問題の重要性を説明したのですが、ご理解いただけなかったようです。かなり気まずい状態でした」
山田
「そうか、それは大変だった。ちょっと違うのだけど、先方の社長も監査の場に出てきたのかい?」
「はい、でも名刺交換だけで引っ込んでしまいました。ですから会社のご説明とかこちらの説明もクロージングも先方の福井取締役総務部長という方が向こうの代表でした」
山田
「隠し立てのない話だが、おととい福井部長から監査の場で森本さんたちに苦情があったのだよ。なんでも社長が会社概況を説明したときの態度が悪く、まじめに話を聞かなかったとか言っていた」
「真面目かどうかといことは主観的なものですから何とも言えません。しかし社長が会社概況を説明していないことは事実ですね」
森本もかなり論理的なことを言う。
山田
「わかった、それでPCB機器と騒音規制法の届出漏れは間違いないんだね?」
「そう確認しました」
山田
「わかった」
山田は社内用携帯で昨日函館鷽販売にかけた番号を探してリダイヤルを押した。
「環境保護部の山田と申します。福井部長さんをお願いしたいのですが」
福井
「ハイ福井でございます」
山田
「御社にお伺いしました森本が出社しましたので前後関係を聴取しましたが、福井様のお話とちょっと異なるようなのです」
福井
「ああ、その件ですか、私の方にも誤解があったようでその件はもういいです」
山田
「しかし社長さんにご説明しなければならないと考えますが」
福井
「社長はいいんです。山田課長さん、この一件はもう終わったことにしたいと思います」
社長は関係ないのか? 山田は昨日のメールを思い返したが、文章には社長とは書いてなかったことを思い出した。つまらないことを追求してもしょうがない。
山田
「福井部長さん、じゃあ御社としては今回森本他1名が訪問したことにおいて問題はなかったということでよろしいのですね。・・わかりました。今後ともよろしくお願いします」
山田は電話を切った。まあ、大方は・・・だがもういい。
「森本さん、函館の方はうやむやだね。まあ、追求することもないだろう。余計なことを心配させて申し訳なかった。
ところでもう一つ問題がある。いつも言っていることだが、情報セキュリティはしっかり遵守してもらわないと困る。交通機関や公共の場で、仕事の資料を広げたりパソコンを使ってはいけないといっているが、移動中の電車からメールをしなかったかね?」
「はいメールしました。札幌まで3時間も電車に乗っていて時間がもったいなかったのと、一両に数人しかいませんでしたので見られる恐れがあるとは思いませんでした」
山田
「森本さん、ルールは守ってほしい。ルールを守ることが身を守ることになる。今回は状況証拠しかないから処分はないけど、今後そのようなことをすると始末書、重なると懲戒になるよ」
「わかりました」
函館の一件があったせいか、森本は殊勝だった。

本日の蛇足
私がこのようなことを毎日していたのか?というご質問を予想する。
YES
もちろん本当のことは書けない。退職時に「会社の秘密をばらさない」という契約書にサインさせられた。もっとも手順書は会社に残っても、ノウハウとスキルは私の頭の中にだけに存在する。



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