失われた技術2

12.09.22
だいぶ前に同名のタイトルで書いたことがある。よって、今回はその2である。
おっと、何度かいても駄文であることには変わりはない。それは前もって申し上げておく。しかし前回の「失われた技術」から7年が経過している。いかに長期間、私が駄文を紡いでいるかということと、私が成長しないかという証拠である。

失われた技術といっても、エジプトとかインカ文明には現代の人が知らない技術があったが今では失われてしまったとか、アトランティスには現在より進んだ文明があったというような、空想とかあいまいもこな話ではない。真実ではあるが、つまらない、くだらない話である。
具体的には、ほんの10年前、5年前には重要な技術というかテクニックであったものを、今では忘れられてしまったということをだらだらと書くだけである。
なんのために?
そうですねえ〜、私の暇つぶしということもありますし、ちょっと前を振り返っただけでも現在必要とされる技術、技能の価値を見直せるかという気もします。
まあ、いってみましょう。

「掛け算九九」をご存知ですか? 知っている、それは良かった。
だいぶ前に私はこれについて駄文を書いたことがある。私はなんでも書いているようだ。
1000

日本銀行券
★★千円

★★DE6289000
人間が生きていくためには計算することは重要どころか必要である。1300円のTシャツを3着買えばいくらになるのか?、みかん30個を4人の子供に分けるのはどうすればいいの?
今持っている100万円で、株を買うのが良いのか、郵便局の定期貯金が良いのか、宝くじを買うのが良いのか、私にもわからないので教えてください。

そんな計算をするためにはどうすればよいのだろうか?
昔、私が子供の頃は「くく」を覚えて暗算するか、暗算が無理なら紙に書いて計算するしかなかった。私が子供の時、おやじに会社ではどういう方法で計算しているのかと聞いたことがある。
お金の計算はそろばんのじょうずな人がいるという話だった。そして技術的な計算には、手回し計算機があるという。親父はその計算機には歯車がたくさんあって、ぐるぐると回すだけで掛け算や割り算をしてくれるのだと説明してくれたが、私はそれがどんなものか想像もつかなかった。
興味のある方は、機械式計算機あるいはタイガー計算機でググると写真が見られます。

私が工業高校に入ると、計算尺を習った。なにしろ当時は計算尺を使えなくては技師にも技手にもなれなかった。技術者と名乗るには計算尺を使えることが必須だった。
技手とは「ぎて」と読み、技師(ぎし)の命令で簡単な設計をしたり、図面を引いたり、まあ下働きをする職種である。工業高校を出て技師になるなんてありえないことで、技手になれば御の字という時代である。
そういえば技師に腕なし、技手に学なしなんて言葉があった
もっとも今なら高卒では技手にもなれまい。現在では技手という呼称はなくなったが、要するに設計や製造の下級技術者のことだ。今は大卒でも現場の時代だ。そして大手企業では技術系で採用する過半数は修士である。

計算尺というのは簡単に言えばメモリを付けたものさしを2本使って、長さを足したり引いたりして答えを求めるという原始的な器具である。メモリを等間隔に付けた物差し2つの長さを足したり引いたりすれば足し算と引き算ができるのは誰でも思いつくが、メモリを対数にしておけば掛け算と割り算ができる。これは素晴らしいアイデアじゃないか!
ということでコンピューターのない時代は、計算尺が技術科学の世界では大いに使われたのである。

計算尺

計算尺にもそろばんと同じように検定試験があり、商工会議所検定では1級から6級まで、工業高校検定では1級から4級までのランクがあった。どちらも1級から4級までは同等とみられていた。
1級の試験は、計算尺を使うのが速く正確なだけでなく、理論という科目もあり、単なる乗除ではなく特定の計算のためにはどのようなメモリを刻むべきかという問題もあり、結構難しかった。全校で900人もいる工業高校でも、1級合格は10人もいなかったと思う。1級に合格すると、まわりから尊敬された。
そんなわけで当時の工業高校生はみな在学中に、できれば2級、最低でも3級合格を目指して頑張った記憶がある。
え、 私はどれくらいの腕前だったかって?
1級でした。それがなにか?
1級といっても大勢いるわけだが、私は県の計算尺大会でベストテンに入ったことがある。10位だったけどね

私が会社に入ったときも、子供の時おやじに質問した状況と変わっておらず、お金の計算はそろばん、技術的なことは計算尺、正確な数値がほしいときは手回し計算機を使うということは変わっていなかった。なぜお金の計算に計算尺を使わないかというと、計算尺では有効桁数が3ケタしかないからです。昔は技術系の計算は3ケタで間に合うと思っていたのでしょうねえ。計算尺の理屈からいって、有効桁数を多くするには長い物差しを使うしかありません。普通は10インチ(25センチ)でしたが、正確な数値がほしいときは20インチ(50センチ)計算尺がありました。といっても、これでも有効数値は4ケタでした。
ともかく会社で計算をするときはもちろん計算尺を使いました。どんな計算をしていたかというと、1個つくるのに93秒の製品を1時間に300個つくるには、何人必要かとか、残業代1時間110円でひと月に時間外を43時間すると時間外手当がいくらになるかとか、そういうことでした。
ラーメン
私が社会人になったときの初任給は21,000円だった。当時は土曜日も休みではなかった。時間外手当がその2割増しで1時間120円弱だった。2012年現在の高卒の1割とみれば大体あう。 当時でもラーメンは150円くらいしたし、かつ丼は300円くらいだったと記憶している。残業してもかつ丼を食べると赤字になる。ラーメンでも、残業代の半分になってしまうという現実。だから今よりも貧しい暮らしだった。

私が入社してほどなくして会社では電卓を買ったが、工場に1台しかなく皆が自由に使えるものではなかった。ものすごく大事な仕事で正確な数値が必要な人だけが使えるものだった。当時の電卓の大きさは縦横40センチくらい厚さが10センチくらいあった。それは専用台車に載せて(とても重かった)あり、使用するときは管理者に申請し許可を得ると、しずしずと自席に移動して使ったのだ。
数字の表示は液晶ではなく、表示放電管といって小さな真空管の中でグロー放電によって数字を光らせたような気がする。細かいことはわからない。
ところが成人になった頃、電卓が7000円とか8000円に安くなって、個人で電卓を買い、計算尺から電卓に乗り換える人が増えてきた。といってもそれは関数電卓ではなく、6ケタの加減乗除しかできない、今なら100円ショップで売っているものである。 安いといっても、そのときでも高卒の初任給は3万くらいだったから、7000円というのは今なら2万とか3万くらいにあたると思われる。手軽に買えるものではなかった。私は毎月1000円払いの月賦で買った。
計算尺にしろ、電卓にしろ、会社が買ってはくれなかった。そういうものは個人が買うものと思われていた。
その後1980年頃だろうか、工業高校で計算尺を教えなくなったという話を聞いた。それには驚いたが、その頃は自分も会社では計算尺など使わず電卓を使っていたわけで、計算尺が1級であろうと、意味がなくなっていた。
今、技術者で計算尺を使えることは全く意味がない。いや、電卓を使えることも意味がないように思う。
かくて、計算尺を使うことは失われた技術となった。いや、単に時代遅れになったのだろう。

現時点、電子機器への入力方法としてキーボードが全盛だ。最近は音声入力も少しずつ増えてきているが、まだまだマイナリティである。それに私の場合は、キー入力ほど早く話すことはできない。だから音声入力よりキー入力の方が文章を多く書ける。それに早口で今書いていることを話せば、まわりの人から頭がおかしいと思われるのは間違いない。
キーボード入力となると、キートップの印刷を見ないブラインドタッチでないと早く打てない。ブラインドタッチは今必需品なのだろうか?
キーボードもキー入力方法もどんどん変わる、いや変わってきた。
1980年頃、8ビットパソコンが現れた時、NECは普通のタイプライターのキーボードそのままの配置であったが、ステップスカルプチャーではなく、平面的に配置されていた。NC機械の紙テープを作るのにタイプライターと同じキーボードを使っていた私には使いにくかった。
シャープはもっとおかしなキー配列であった。おかしな配置といってもわからないかもしれない。キーの基本的配置はQWERTではあるものの、Qの真下にAがくるという方形の配置だった。なぜなんだろうか? 安く作れたのだろうか? 理由は、よく分らない。
当時のNC工作機械の入力部のキー配置はこういったものが多かった。そういう機械用のキーボードを転用したのだろうか?

シャープのキーボード
Q W E R T Y U I O P
A S D F G H J K L
Z X C V B N M
MZ-80なんて覚えている人いるかなあ?

普通のキーボード
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シャープのキーボードでは、入力スピードを上げることは困難で、ブラインドタッチなど不可能だった。おっと、このキーボードでもブラインドタッチできる人はいただろうけど、その人は普通のキーボードではブラインドタッチはできなかっただろう。あるいは、二通りのブラインドタッチという曲芸ができた人もいたのかもしれない。

富士通は親指シフトというものを出していたが、多勢に無勢、いつのまにか消えた。
1990年以前にはワープロ専用機というものがあった。中にはかな入力専用機もあったが、そのかなのキー配列は多種多様、「あいうえお」の並び方も縦横配置があり、使いこなすのはむずかしそうだ。五十音配置でブラインドタッチをしている人を私は見たことがない。
おっと、JISでは正式な「かな」の配置を定めているが、このかな入力配置は複雑で私はブラインド入力はできない。

当時はありとあらゆる配置があった
   
   

 
   
 

 
   
 


携帯電話の文字入力は私にとっては難行苦行であった。あんな入力方式を考えた悪人を呪いたい。以前は、電車の中などで若い人がものすごい速さで文字を入力しているのをみかけた。私はあのようなレベルには絶対になれない。
しかしあれほどキーを叩くのだから、指がいたくならないのだろうか?
ローマ字入力よりははるかに回数が多いはずだ。
ちなみに「私は日本人です」と入力するには、ローマ字入力では、watashihanihonnjinndesuで合計23回、携帯入力では、29回、あれえ!あまり変わらない


ところがである。最近はやりのスマートフォン、スマホではまた新しい入力方法が現れた。
スマホの場合、入力方法はみっつあるらしい。らしいというのは、いまだ私はスマホを使ったことがないからだが・・
ひとつはパソコン方式で、画面にQWERTキーボードを表示して入力する方法、ふたつめは携帯電話と同じく「あかさたな」を表示して「あ」なら1回、「い」なら2回叩く方法、みっつめは「あかさたな」のキーにタッチして指を動かして文字を選ぶジェスチャー入力と、動かす方向がちょっと違うフリック方式がある。
電車の中でスマホをいじっている人をみると、ほとんどが「あかさたな」にタッチして指をはねている。連続してキー(画面)を叩いている人はみかけない。かくして携帯電話の入力方法は、失われた技術の殿堂入りを果たしたのである。
だが、現在の主流であるジェスチャー/フリック方式だって、あと5年もすれば消滅するだろうと思う。老人の私がわざわざ習熟するほどの価値はなさそうだ。

パソコンについては失われた技術は多い。
そもそもパソコンが現れた当初は、マシン語とか機械語と呼ばれたイチゼロの組み合わせだった。私は基盤だけマシン語だけのパソコンをいじったことはない。8ビットのPC8001をはじめとするキーボード付パソコンが現れた時、すぐに飛びついた。それはおもしろいおもちゃにみえた。しかしBASICを理解しないとなにもできない。
当時はたくさんのBASICの教本が本屋に並び、多くのサラリーマンが買って読んだ。でも使えるようになった人は1割もいなかったと思う。
なにしろBASICという言語は、コマンドが少なく単純で覚えるのは簡単だが、単純が故にわずかばかりのコマンドを組み合わせてゲームや仕事で使えるプログラムを作るのはとてもむずかしかった。それに8ビットではメモリー空間が64キロバイト(メガとかギガの間違いではないよ)という上限があり、ちょっと長いプログラムを書いていると、すぐに限界になってしまうほど余裕がなかった。
64キロバイトとはアルファベットでたった6400文字、A4で6ページ分しかない。
それだけのメモリーでプログラムもデータも扱うのだから、限界が非常に低かった。
わずか2年くらいであっというまにBASIC熱は冷めた。わずかな人たちがBASICにとりつかれて、遊びとか仕事の専用プログラムを書いて喜んでいた。私もその一人だったけど・・
それ以外の人はパソコンをあきらめたのかというと、そういう人のために簡易ソフトというものが現れた。これはあらかじめ目的が決まっていて、必要な項目を決めれば済んだような記憶がある。実は私は簡易ソフトというものに触ったことはない。
やがてマルチプランなどが現れると、BASICを必死にやる人は死滅した。同じことをさせるのに労力が半減どころか大きく減ったから。
WINDOWSの上でまっとうなアプリ、つまりワープロソフトや表計算ソフトが動くようになると、BASICも、簡易ソフトも、マルチプランも、CPMもMS-DOSも、ゼーンブ失われた技術となった。
当時の私の上司は、自分でワープロソフトを作って使っていた。トンデモナイ人もいたものだ。もちろんIMEは市販品を使っていた。それでもワープロを使った累計時間より、ワープロソフトを作る時間の方がかかったのではないだろうか。彼は自作のワープロソフトをずっと使っていたけど、マイクロソフトのwordが現れるとサッサとwordに乗り換えた。なにしろ他人との互換性がないとビジネスでは役に立たない。

会社で仕事をしているとなんでもしなければならない。昔々、ちょっと自動化しようとかすると1970年代ではシーケンスを組むことになる。シーケンスとは「sequence」、つまりひとつにつながったものであり、スイッチやタイマーなどをつなげたものである。シーケンスというできあいのものがあるわけではない。その辺に転がっている、スイッチとかリレーといったものをつないで決まった動きをさせるには、その回路を自分で考えて組みあわせるしかなかった。ところがスイッチにしてもリレーにしてもタイマーにしても、1個1個はけっこうな値段がしたのでむやみに使えるわけではない。目的の動きをさせるのに最小の部品で組み上げるということが腕の見せ所となった。
そのためには試行錯誤なんてことではまったく手におえず、また突然、素晴らしいアイデアが浮かぶわけではない。方法は正攻法しかない。それは論理代数を学ぶことだった。ということで私は一生懸命、論理代数を勉強した。初めは100個くらいの素子が必要と思われたものを、式に書いて最小化を図ると、20個とか30個くらいにできたときはうれしかった。但しあまり限界に作っておくと、その後の変更が難しくなるという弊害はあった。
ところが、あるときシーケンサという代物が現れた。それはモニター上にシーケンスの回路図を書くと、その機械の中にそのとおりの回路を作ってしまうのだ。タイマーだってわざわざ買ってこなくてもその機械に入っている。カウンターなどはそれ以前はリレーを組み合わせて動作回数をカウントしていたものだったが、シーケンサでは何回動作した後にどういう動きをするかを指示しておけば自動的にやってくれる。
ええ! 今まで論理代数を一生懸命勉強したのは無意味だったのか!
かくして、シーケンスも論理代数も失われた技術となった。
シーケンサとは正確には三菱電機の登録商標で、一般名称はプログラマブルロジックコントローラ (PLC)という。

NC機械が出現したとき、刃物の径補正という機能がなかった。信じられないかもしれないが事実である。
ご存じない方のために説明すると、回転する刃物で加工する場合、製品の形状よりも刃物の半径分刃物を遠ざけて動かすことになる。刃物の半径はいろいろあるし、刃物研磨すれば直径は0.1ミリとか0.12ミリとか変わるわけだ。それでNCプログラムは加工物(ワーク)の外形で作り、加工するとき刃物の半径を測定してその寸法を入力する。これを径補正と呼びプログラムではHと表示する。

径補正の説明図

ところが原始時代のNC機械は径補正機能がなかった。じゃあ、どうするの?と言われると、答えは単純だが実行は容易ではなかった。つまり、刃物径に合わせてプログラムを書いたのだ。新規購入の刃物の直径が10ミリなら10ミリ用のプログラム、1回研磨して直径が9.8ミリになれば9.8ミリ用のプログラム、9.85ミリならそれ用の、2回研磨して9.6ミリになればそれ用の、これは大変だ。プログラムを作ることも大変な労力が必要だった。
実際にはあらかじめ刃物径が変わることを想定して、0.1ミリ刻みのプログラムを何通りも作っておいて、刃物径を計って近いプログラムを使うのだった。町工場ではそんな複雑で数多くのNCプログラムを作ることなどできず、プログラムを作る商売がなりたった。
しかしNC機械の進歩によって、径補正は当たり前の時代になり、プログラムを作るパソコンとソフトの進歩によりプログラム作成商売も過去のものとなった。
思い出話であるが、1980年頃、私は町工場の人を相手に、加工方法の見直し切粉の流れの改善、ワークの取り付け方法を工夫して、時間当たり生産個数を向上させる講演をしたことがある。

当初のNC機械は紙テープで動いた。なぜならメモリーが高くてNC機械にはついていなかったから。複雑な加工になると紙テープの長さも20メートル、30メートル、それ以上と長くなった。そんな長い紙テープはきれいに巻き取っておかないと加工中に紙テープがねじれたり、巻き締りすると、テープ送りのときひっかかってテープはちぎれて加工品はパーとなった。だから紙テープをどのように巻いて保管するかということが一つの技能になった。また紙テープが切れてしまったら作り直しというのも大変だ。それでそれを補修してつなぎ合わせるという技能も必要だった。

nctape.gif
紙テープってこんなものでした。
何回も加工すると、テープの穴が毛羽立ってきてリードエラーになりました。

そのうちNC機械にもメモリーがついてデータ転送もRS232Cで行うようになり、紙テープを扱う技能は過去のものとなった。
ついでにいえば、今どきRS232Cなど分る人はいないだろう。
いや、実をいって私も現在のNC機械ではデータ伝送がどんな方法なのか知らないのです。今はUSB接続なのでしょうか?

私が子供の時から中学の頃まで、親父は自動車修理屋でアルバイトしていた。というのは親父は日支事変のとき自動車部隊にいて、運転はもちろん車の修理もできたからだ。戦後は大型二種免許、自動二輪限定解除の免許を自慢していたが、なんのことはない、昔はそんな区分がなく、自動車の運転免許があれば、なんでも運転できたからに過ぎない。
そしてもうひとつの理由は、我が家が貧乏だったから金になることは何でもしていたのだ。
あるとき、親父はアルバイト先の修理屋でもう修理不可能だとなったスバル360のポンコツ車を買ってきた。それを親父は庭で修理して走るようにすると、早朝、私に運転を教えた。当時の車は非力でマニュアルギアチエンジでしかもシンクロなしというものだ。
マニュアルトランスミッションのギアを低速に切り替えるとき、エンジン側と車軸側の双方の回転数が合わないとうまくギアがかみ合わないではじいてしまう。それで変速するとき一旦ギアのかみ合いをはずしてからアクセルを踏んでエンジンの回転を上げ双方の回転数を合わせてからチェンジレバーを動かした。これをダブルクラッチといい、これがうまくできないとすぐエンストした。
この操作は結構難しかったので、わざわざダブルクラッチを使わなくても自動的にギアがかみ合うようにしてくれるシンクロメッシュというものが現れた。ダブルクラッチは失われた技術になった。
おお、オートマチックトランスミッション全盛の現在では、マニュアルミッションの車で坂道発進をできる人は珍しいのではないか? いや、必要ないことができても自慢にはならない。

ほんの10年前までは、字がきれいな人はそれだけで貴重な存在だった。私は小学生のような字を書くので、お手紙を書いたり、いや会社で報告書を書いたりするのが苦手だった。幸い、始末書を書いたことはないが・・
今はワープロ全盛、年賀状にしても、ビジネス文書にしても、町内会の催し、公民館のクラブ、みんな印刷した文書の方が手書きよりも良いとされている。手書きが必要なのは、サインだけだ。まあ、自分の名前くらいは練習しよう。
よってペン習字も過去のものと・・・

私が子供の頃、女性は和裁と洋裁ができることが結婚の必要条件だった。だからどの町にも裁縫学校があり、個人でも教えている人がいた。今では・・
一昔前なら和服を自分で着られることは男も女も必要な技能だったが、これも今では・・・

しかしなんだなあ〜、すべての技術は過ぎ去ってしまうようだ。
失われた技術というのは間違いではないが、失われるべき技術だったのではないだろうか?
絶対に失ってはいけないもの、それは考えること、挑戦する精神、くじけない意思くらいなのだろうか?
私は、その三つとも元々持っていないようだ。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/9/22)
今はUSB接続なのでしょうか

今の主流は社内イントラ、LANですね。USBには5mを超えると信号が保証されないという弱点がありますから。加工プログラムは鯖からDLして使ってます。ちなみに鶏は「紙テープ」はウルトラマンでしか知りません。
それにしても加工プログラムの組み方にも個性はありますね。鶏はああしてRを描く遣り方ではなく、刃具を「少しオーバーラン」させて方向転換させる方法でC面をとってました。昔のことでハッキリと覚えてませんが・・・

技術というのは生まれた瞬間に陳腐化が始まります。ですから技術者は常に新技術に対して貪欲でなくては生き残っていけません。
10年も前の「規格解釈」に囚われていると・・
長生きしているのは溶接とかマニュアルフライスなんかの手作業系ですね。こういうのは中々と需要が無くならない技術ですわ。

鶏様 毎度ありがとうございます
なるほど、今はLANというものがあったか、チキショーメ
どうせ私は化石ですよ

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/9/22)
MZ80は知りませんね。私が触ったのはMZ2000からですが、普通のJIS配列キーボードでした。6桁の電卓というのはおそらくカシオ製ですね。シャープは8桁にこだわっていましたから(6桁など使い物にならないというポリシー)、そんな中途半端な製品は出していないはずです。
シャープは、本来なら創業100年ということで華々しい式典を企画していたはずなのに、今や存亡の危機。感慨深いものがあります。

たいがぁ様 毎度ありがとうございます
MZ2000も知っています、あれはキーボードは普通の並びでした。それ以前のものが不評だったので直したのでしょうか?
しかしシャープはパソコン本体、モニター、外部記憶装置まで一体にして売ったのですから、NECとは違い偉かった
それはユーザーとしては最高です。
電卓はオムロンだったかもしれません。なにせ40年も前の話です。

Yosh師匠からお便りを頂きました(2012/9/23)
転居の際に荷造りした侭なので直ぐには出せないですが、私は未だに算盤と計算尺は持つてます。計算尺は40年程前ので、今は其の使ひ方も忘れてます。

Yosh様 すごいですね
そろばんも計算尺も状態が良いと結構な値段で売れます
実を言いまして計算尺の中古を買おうとしているのですが、ものすごく高い
良いものは1万円くらいします


外資社員様からお便りを頂きました(2012.09.24)
こういうお話は、古い人間の方が得意ですね(笑)
技手(ぎて):これは旧海軍の工廠での呼び名ですよね。技師、技監、技師長なども同じと思います。
計算尺もさりながら、私はタイガー計算機も習いました。
歯車を使った計算機で、とにかくハンドルを回す必要があります。
桁上がりがあると、時間がかかるので、9を掛ける場合には一桁あげて乗数を引くのを自然と覚えました。
http://www.tiger-inc.co.jp/temawashi/temawashi.html
光電管タイプの計算機も知っていますが、歯車式にモータを組み合わせたものも使っていました。
これはカムがモーターで動くので、とにかくうるさかったのを覚えています。

大学時代に、TIからプログラマブル電卓TI-59が出て憧れでしたが、高すぎて変えませんでした。(多分 大卒給料一か月分以上)
その後、カシオが安価(と言っても3万円程度)なプログラム電卓FXシリーズを出して、飛びついて使っていました。
その後 マイコン、パソコンが出始めてからの値下げは、ご存じの通りです。

スマホの入力方式
タッチとはいわず、「タップ」と言うそうです。
私も若手に修正されました(苦笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
技手というのは一般語ではなかったのでしょうか? 私が就職したときは晴れて(?)技手という職階でした。正直言って、技師と技手は身分が違い、社内でも月給日さえ違うという格差がありました。まあ、45年も前のことです。
タイガー計算機は使ったことがありません。あるにはあったのですが、私などが使うと、割り算で回し過ぎるとチーンと音がして周りからうるさいと叱られました。まあ、精度がそんなに必要なものはありませんでしたから計算尺で間にあいました。
プログラマブル電卓は私が社会人になってからで、とても高価で買えませんでした。一人変わり者がいまして、15万円でヒューレットパッカードのBASICが使えるプログラマブル電卓を買った人がいました。ご本人はだいぶ自慢していました。19851980年頃ですから、今なら40万円相当でしょうか?
当時私は、高度な計算とは縁のない監督者だったので、ワープロ専用機に移ってしまいました。あの頃はPCが中途半端でワープロは専用機の方が良かったと記憶しています。PCでワープロソフトがまっとうになったのはWindows3.1以降でしょう。
今思うと、ワープロ専用機、PC、何台も買って全部捨ててお金を無駄にしたという気がします。

木下様からお便りを頂きました(2012.09.24)
お久しぶりです
算盤はいまでも小学校で教えているはずです。なんでも暗算能力を高める効果があるというのがその理由のようで、私の住んでる地域(引っ越したので田舎ですけどね)でもちらほらと算盤教室を見かけます。

計算尺というのは知りませんでした。算盤は知ってるのに(存在をということですよ)計算尺は知らない・・・ 廃れ方に違いがあるのはどうしてでしょうね。

木下様 ご無沙汰しております。
そうですか、そろばんは学校で教えているのですか。少し安心しました。
計算尺とそろばんの違いは、計算するのは同じですが、そろばんは暗算の力が付くのに対して、計算尺はメモリのついたものさしを動かすだけで、暗算といいますか、計算能力がつかないからではないでしょうか。


VEM様からお便りを頂きました(2012.09.27)
失われそうな技術
なんにせよ不器用なものですから技術なるものを身に着けたためしがないので、失われた技術といっても自分は何も失ってはいないようです。
個人レベルではそもそも技術は何も無いのですが、国レベルではこれから失われそうで心配なのが原発の制御技術です。あと20年もしないうちに国内では失くしてしまおうという原発を真剣に学ぼうとする若者がいるとはとても思えません。 でも、放射性廃棄物は何万年も残るらしいのでとても心配です

VEM様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
聞くところによると、今は原子力を学ぼう、研究しようという学生がものすごく減っているそうです。まあ、それは分りますよね。今後、原子力は先細りでしょうし、これから社会に出るのに衰退する分野を目指そうとする人はあまりいないでしょう。
国策として原子力を始めたのですから、国策として幕引きをしなければならないでしょうね。
空き缶とかかんな音のような、「俺は原子力を知っているんだあ」というオバカさんでなく、まっとうな技術者を養成し、適正配置してほしいとおもいます。


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