12.10.20
「カルタ取り」って遊びをご存じでしょうか?
年配の人ならもちろんご存じでしょうけど、今では若い人や子供は知らない人も多いかもしれない。
昔、つまり私が子供の頃、お正月になると子供たちはカルタ取りをしました。なにせテレビもなければカラオケもない、DVDどころかレコードもない、パソコンもないしゲーム機もない、ランドサーフもなければスケートボードもない、あるのはもてあますほどの暇だけという時代です。だから遊ぶといえば、室内ならカルタ、
すごろく、屋外なら鬼ごっことかたこ揚げくらいしかない。私が子供の頃、羽根突きなんてしませんでしたね。理由は羽子板を買うお金がないからです。カルタ、すごろく、凧は安かったし、自分でも作れましたから。
カルタをするとなればコタツの上ではちょっと狭い。暖房なんてものがない時代ですから、コタツから出ると寒いけど仕方がない。畳の上にカルタを並べて、かじかんだ手でやったものです。それでも、大人がご褒美を出すとなれば頑張りましたよ。なにせほかにすることがないのですから。
カルタというのは種々ありますが、基本的には二つのカード(札)のグループがあり、それぞれのグループのカードは1対1に対応しています。そして片方のグループのカード(読み札)を一人の人が読んで、他の競技者が畳の上に並べられたそれに対応するカード(取り札)を探して一番最初に見つけた人がゲットする、最終的に一番多くのカードをゲットした人が勝ちという単純な遊びです。
だからカルタをするには、最低3人いなければなりません。一人遊びはちょっとできません。
このゲームのルールは「いろはがるた」であろうと「小倉百人一首」であろうと当世のできごとを扱ったカルタであろうとすべて同じです。
対応の種類はいろいろあります。片方に文字があり、片方に絵を描いていてもいい。両方同じ文字(文章)を書いていてもいい。和歌などの上の句(前半分)を片方に、下の句(後ろ半分)を片方に書いても良い。難易度あるいは参加者の識字力や知識に応じていろいろあるでしょう。
しかし対応が1対1であるということが条件です。「読み札」に対して複数の「取り札」があってはゲームになりません。ただ「読み札」に対して「取り札」がないというゲームはありえる。百人一首の場合、100枚全部ではなく、50枚しか並べない。残りは空札といって場にはない。お手付きさせて減点しようって魂胆ですね。
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お手付きとはいろいろな意味がありますが、ここではカルタとりで間違えた札を取ることです。決して殿様が腰元とか鷹狩で百姓娘に(以下略)
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ではカルタ取りを理解したところで本題に移る。
2010年のことだと思う。LRQA(ロイド)の講演会を聞きに行ったことがある。その講演会を聴講した理由は実に簡単で、入場無料であること、勤め先から近くて交通費がかからなかったからだ。
そこで講師である星野特別技術顧問が、カルタ取りという話をした。星野さんのお話は半分くらい忘れてしまったが、おぼろげな記憶からたどると次のようであった。
まず会社の文書や記録を大広間に持ってきて、全部の表題が見えるように広げなさい。そしてISO規格を読んで、その要求事項に該当する文書や記録を探して、その文書名や記録名をその項番に記載していけばマニュアルは出来上がるというような話だったように思う。
もし空札があればそれは新規作成するのだろうが、星野さんはそれについては言及しなかった。
星野さんはそれをものすごい手法のように話をされていた。しかし、私はそれを素晴らしいテクニックだとは思いもしなかった。
では次のその理由を説明する。
私が品質保証に関わったのは1991年頃だった。だが、私は品質保証とはなにかということさえ知らなかった。当時、私は現場の監督者をクビになって、
磔獄門にはならなかったが、品質保証業務に
遠島になったのである。
さて、品質保証とは品質管理とは全く別物である。ISOに関わっていても、品質保証と品質管理の違いを知らない人もいるので困ったものだ。E塚センセイなどはその一例である。
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ここでいう品質管理とは狭義の意味である。もっとも最近は広義の品質管理はかっこよく環境経営という。
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製品やサービスが仕様を満たしているかをチェックし、不良品を取り除くのは検査である。品質管理とは検査と違い、品質を向上させることだ。そのためには不具合の原因を調べて、原因を除去し、不具合が起きないようにする、つまり是正処置と予防処置をする機能だ。なお統計的品質管理という言葉もあるが、統計とかデータ処理は原因やその寄与を評価することはできても、結局問題究明と解決には固有技術がなければなにもできない。
品質保証とは品質管理とは全く違う。品質保証とは、顧客・・それは組織内部のこともあるし、組織外部のこともある・・に対して、品質がどのようなプロセスで確保されているかを説明することだ。間違っても品質を保証するとか補償するなんていっちゃいやだよ。
実際問題としては、品質保証とは通常品質保証部門がイニシャチィブをとって行うのではなく、顧客から投げられたボールを打ち返すことになる。つまり顧客が品質保証要求事項を提示し、品質保証部門がその要求事項に対して、当社はご要望に対してこのように管理していますよと回答することになる。そして顧客が監査に来ればその対応をして、実際の品質保証活動を立証することになる。
私が異動した品質保証部門は実はできて間もなく、上司も同僚も品質保証とはなにかということを良く理解していなかった。つまりその部署に来たばかりの私も、それほど後れを取っていなかったのである。
当時の勤め先が取引していた顧客企業はたくさんあり、それぞれが独自の品質保証要求事項を定めて、勤め先の工場に要求していた。なにしろまだISO9000sが世の中に広まる前のこと。もちろん顧客によってその内容が異なり、厳しいところもそれほど厳しくないところもあったし、要求事項の項目が多いところもあったし少ないところもあった。
例えば計測器管理であれば、計測器管理の仕組みがあれば良いというところもあったし、校正間隔の具体的期間を定めて、そのとおり校正することを求める顧客もあったし、国家標準からのトレーサビリティの証拠書類を提出しろという会社まであった。また校正記録の保管期間も顧客によって異なった。お客様は自分が必要だからそういったことを定めて要求するのだから、異なるのは当たり前といえば当たり前である。
事実を言えば、当社の顧客はその後ろに最終顧客がいるわけで、最終顧客が品質保証を要求すると、それは不幸の手紙のように無限連鎖を作る。
あ、それってISOと同じですね、
実はそのとき私は計測器管理のマネージャーもしていた。顧客によって要求が異なるなら、顧客対応で計測器の校正間隔とか校正方法、精度、記録管理を変えるのか?
そういう方法もあるだろう。だが計測器が無数にあるわけでもなく、ひとつのものが複数の顧客の製品検査や信頼性評価に使われているのだ。どうすれば異なる顧客要求を満たし費用最少を目指すことができるのだろう?
私は計測器管理担当となると、管理方法をどんどんと変革していった。私は保守主義を任じているが、同時に革新も厭わないという二重人格なのである。 笑
計測器管理方法としては、最大公約数的なものを計測器管理の基準として、顧客によって更に要求が厳しいときはそれについてだけ校正間隔や精度の基準を上積みして管理する手順にした。厳しいことを言われないものをお金をかけて管理することはない。
ともかく顧客からそれぞれ特有の品質保証要求がくるので、それに対してこちら側がそれに対応する社内手順を取りまとめた「品質保証システム説明書」なるものを提出しなければならない。
顧客によっては提出文書の名称は異なり、「品質システム説明書」とか「品質保証マニュアル」「品質マニュアル」なんてさまざまであった。
だからISO9000sで
品質マニュアルというものを要求していても、またかと思っても、これはむずかしい仕事だなんて思うはずがない。ましてそれが重要な文書なんて思うはずがなく、会社の最高文書なんて考えるわけがない。もし品質マニュアル(及びイクイバレント)が会社の最高文書なら、最高がたくさんあることになる。世界最高峰は一つだから価値がある。
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正確に言えば、ISO9001で品質マニュアルを要求するようになったのは1994年版以降である。しかしなぜか1987年版においても認証に当たっては品質マニュアルの提出を要求された。今思うと不思議でならない。
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多くの会社の品質マニュアルでも環境マニュアルでも、冒頭に「この品質マニュアルは当社の品質における最上位の文書である」とか「このマニュアルは環境に関する当社の最高位の文書である」と書いてある。
バカ じゃなかろか?
もっとも審査員にもバカが多いようで、私が勤めていた会社の審査の時、「この環境マニュアルは最高位の文書と書いてないのでいけませんね」という。相手が私で良かった。マニュアルというものの性質、位置づけを無料で教えてもらえたのだから。もっとも当の審査員は私の話を不審な顔で聞いていただけで、感謝の言葉はなかった。失礼な奴だ。
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私をバカだと思われた方は、ISO9001:2008 4.2.2を再読ください。
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話が大きくずれてしまった。戻す。
先輩は・・・といってもわたしよりたかだか半年程度しか私を先んじていないのだが・・・そういった品質保証要求事項をみて、お客様を喜ばそうと一生懸命にお客様の言うとおりにしますという文章を書き連ねていたものだ。
内部監査をしろとあると、顧客A様のための顧客A用の内部監査規定を作り、実際に監査を行いその記録を作成した。その監査では顧客Aの要求する事項のみ監査したのである。
そして顧客Bの・・・以下略
当時、品質保証要求は顧客企業だけでなく、薬事法や電気用品取締法(旧法)もあり、対象となるのは10くらいあったと思う。
私も「お前はこれを担当しろ」と言われて顧客Xのための品質マニュアルを書いたし、その顧客対応もしたのである。駆け出しといっても私はその時40歳を過ぎており、歳はいっていた。だから少しは考えたのである。
私は思った。顧客要求事項を満たすためにお客様のいうとおりの顧客対応の文書管理をしたり、内部監査をするのはおかしいじゃないかって!
そして考えた。計測器管理と同じ方法で行ければハッピーだよね。つまり顧客要求事項で行っていることを、会社の本来の管理システム、といえばかっこいいけどもともとある会社の規則から引用、参照すれば間に合わないだろうか?
どうしても足りないことだけを追加すればよいのではないだろうかと・・・
とすると会社の管理システム、つまり会社規則集と下位文書を徹底的に理解して、顧客要求の各項目に対して該当するものをそこから引用することになる。それはつまり星野さんがおっしゃったカルタ取りということになる。
但し私の場合は、大広間に文書記録を並べる手間ひまをかけなかった。なぜなら、文書も記録もすべて頭の中にあり、顧客要求事項に該当するものがどの文書のどこに書いてあるか、あるいは今までは定めていないかは実物を見るまでも分かったから。
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当時、私は歩く会社規則集と呼ばれていた。
本当を言えば、おしゃべりする会社規則集というのが正しかったと思う。
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顧客要求が当社のシステムにないときは、しょうがないと追加した。また記録保管期間などが当社の基準より長いとかする場合もしょうがない。お客様は神様である。
いや、泣く子と地頭には勝てないというやつだよね
ISO9000sが現れたとき、お前が担当しろと言われた。もちろん私が一番能力があると思われたのではなく、面倒くさい仕事はいっとう下っ端に任せようとしただけだろう。私はそのときもまったく同じアプローチで対応した。というか私にはそれ以外の方法論を知らなかった。
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そのときはISO9001ではなく、ISO9002であったが、まあ同じと言えば同じである。
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当時はISO認証のための参考情報も書籍もなかったが、数年してそういった書籍がたくさん発行されたときいくつも買って読んだが、そこには規格項番ごとに社内規定を作るとか、ISO規格で要求する文書や記録を作成するという発想が書いてあった。私にはそういう考えがまったく理解できなかった。そして今でもそういった発想、考え方は大間違いだろうと信じている。
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しかし今思うと、当時の勤め先がISO9000sの認証を一人の担当者に任せるという発想というか判断はすごかったと思う。要するにISO認証など一顧客の要求と同じとみなしていたのだ。
あるいは単に勘違いだったのかもしれない。
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ロイドの星野さんのお話に戻る。そんなことをしてきた私は、星野さんのお話を聞いてまったく違和感がないと同時に、それが新しいアイデアだという印象もなかった。そんなこと、当たり前のことにすぎないと思っただけだ。
ところでカルタ取りという言葉から、マニュアルにISO規格の言葉が盛り込まれているかをチェックすることと発想した方も多いだろう。実際に
そういう意味で使っている人もいる。
まったく同じ言葉で、正反対の意味があるというのも面白い。
しかしこのカルタ取り審査は楽でいいね。
「環境方針の〜♪」と上の句を読んで、
製品名、継続的、汚染の予防、適用可能な法的要求事項、目的目標の設定、枠組み、文書化、周知、入手可能といった語句が含まれているかどうかをチェックすればよいのだ。まさに百人一首のカルタ取りの世界である。
このように上の句と下の句の対応を見るだけの審査ならだれにでもできる。それがいかなる価値があるのは定かではない。
本音は全く価値がないという意味だよ
そしてより重要であるが、ISO17021ではそのような審査をすることとは定めていないのだ。
だが、私はそういう審査をする数多くの審査員を見てきたし、そういった人々と議論をしてきた。多くの場合、相手の審査員は私を理解できず、つまりISO審査の意味を知らず、ただ無意味なカルタ取り審査を行い、組織を混乱させ、ISO認証制度の価値を貶めてきた。
そういう審査をしていた人々は己のしていることは、正しいこと、世の中に役に立っていると信じているのだろう。愚かだと嗤うしかない。
そういった審査員は恥を知るなら腹を切れとは言わないが、即刻審査員を辞めて人様に迷惑をかけないようひっそりと老後を過ごすべきであろう。
本■さん、わかりますか? ■吉さん、わかりますか? 中■さん、鈴▲さん、■上さん、須■さん、■橋さん、■川さん・・わかりますか? わからんでしょうなあ。
いや、私が恨みつらみのある審査員はきりも限りもない
私に恨みつらみのある審査員も、きりも限りもないだろう
本日のまとめ
ところで、本日は百人一首から思いついた
枕詞で締めたいと思う。
枕詞とは、和歌に見られる言葉の使い方で、特定の言葉に前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添えるものをいう。枕詞は修飾される言葉によって決まっている。
では、いってみよう。和歌など詠んだことのない無教養な私なのでヘボはご容赦願いたい。
朝露に、咲きすさびたる月草の、日くたつなへに、消ゆくあいえすおう
意味:朝露をうけて咲いていた月草が、日が暮れるにつれてしぼんでゆくように、ISO認証制度も消えゆくでしょう
枕詞:朝露は消えやすいことから、消えるとか、人の身、命などにかかる
茜さす、日の暮れゆけば、すべをなみ、千たび嘆きて、いその行く末
意味:日が暮れていく頃は、どうしようもなく、何度もため息をついて、ISOの先行きを嘆いております
枕詞:茜とは赤い色のことで、
日(ひ)、
昼、照るなどにかかる
吾が磯は、現在も悲し草枕、多胡の入野のおくも悲しも
意味:私の仕事であるISOは今も切ないが、多胡の入野の奥ではなくオク(将来)も切ない気持ちです
枕詞:草枕とは草の枕つまり仮の枕のことで、旅にまるわることや移り変わりやすいことにかかる
なお「多胡の入野」というのはオクにつなげるための言葉の遊びのようなもので特段意味はありません。
本日の発想
タワリシチ名古屋鶏さんは先日、妖怪「ぬりかべ」という名文をしたためた。
私は名古屋鶏さんの足元にも及ばないが、ここはひとつ彼への返歌をと思い書いてみたのである。
おっと返歌ではなく、単なるダジャレでございましたか?
本日の反省
先日、N様と飲んだ時、N様から「最近のうそ800は昔話が多くなったこと、過激さがなくなったぞ」と檄をいただいた。よし、ニトロを噴射してがんばらねば
頑張らなくても良いとおっしゃる人もいるようで・・・
名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/10/20)
おばQ師匠の教養の深さに感銘を受け、只管にPCの前で頭を下げております。
到底、鶏如きが足を踏み入れられる境地ではございません。
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何をおっしゃるうさぎさん、いや違ったニワトリさん
あのぬりかべを超えることは不可能!
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外資社員様からお便りを頂きました(2012.10.22)
返し
ふりつもる 書類の山の 認証書 むなしく消えて 残る看板
百人一首 かるたの習慣は、地域や家ごとにより異なるようですね。
私の家では「源平」と称して、二組の陣地に分かれ、五十枚ずつ持ち、無くなった方が勝ちです。
相手の陣地からとると、自分陣地から好きな札(当然 知っている歌)を渡します。
北海道の一部地域では、百人一首は、下の句のみを読み上げると聞きました。
おばQさまの所では、取札五十枚のみでやるのですね。 これは難しそうです。
内輪ネタにて、もう一首
認証を 例えば 昔の風呂桶か 上はジャブジャブ 下は大火事
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外資社員様 毎度ありがとうございます。
日本の歴史や文化に詳しい外資社員様からツッコミが来ることは十分予想していました。
しかし、その完成度にヤラレタナとしか言えません。ダメージ大です。
ではお返しに
ひさかたの 光のどけき 春の日に 心せわしい 審査前
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