審査員の役割

12.12.24
本日のテーマは「審査員とはなんだろうか?」ということを考えます。
なもの考えるまでもないだろうなんておっしゃってはいけません。かむと味が出てくるスルメのように味わい深いかもしれません。
では始まり始まり・・・

審査員とはなんだろう?
普通の人は・・・それにはもちろん審査員をしている人も入るのだが・・・ISO審査員とは、スポーツの審判とか裁判官のようなお仕事と考えていないだろうか。私は、審査員とは「ジャッジする人」と考えている人が多いのではないかと思っている。
では本日はそうではないということを語る。もっとも私が間違っているかどうかはわからない。ただ既成観念に一石を投じたいと思う 

まず類似の事例から行ってみよう。
「刑事事件において裁判官及び裁判員(以下裁判官という)は誰を裁いているのか?」という質問をされたら、ほとんどの人は「被告人を裁いている」と答えるだろう。だって裁判の主文は「被告人を懲役10年に処する」とか「死刑」など決定しているからだ。そういうのをみれば裁判官は被告人の罪を判定しているように思える。
「被告人」とは刑事事件で訴えられた人であって、「被告」とは民事裁判で訴えられた人(法人)をいう。被告人は法に反した悪いことをしたと訴えられているわけだが、被告には悪いことをしたという意味はない。実際、被告になるか原告になるかを、紛争の当事者同志の話し合いで決めることも多い。
しかし判決をよく見てみれば、裁判官がしていることは、被告人の無罪・有罪を判定しているのではなく、検察が提示したことを認めるか認めないかを判定しているということがわかる。もちろん被告人が主張することを判定しているわけではない。被告人の仕事は、自分が無罪であると主張することではなく、検察の主張を否定することである。無罪であることの立証は、多くの場合悪魔の証明に近い。
つまり裁判官が裁くのは検察官である。そもそも刑事裁判とは、検察が被告人を訴えたのだから、その訴えが正しいか否かを判断することが裁判官の仕事だ。
参考:「痛快 憲法学」(2001)小室直樹
このように裁判官は、検察が提示した証拠が被告人の犯行を立証しているかどうかを判定する。そして証拠が不十分な場合、被告人は無罪となる。誤解している人もいるが無罪とは、犯人でないと判断したことではなく、犯人とするには証拠が不十分であると判断したということだ。場合によっては検察側の手続きが不適当で無罪となることもある。要するに有罪にできなかったということだ。
よく使われる推定無罪とは「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」ということである。

準備運動はここまででとして、さて、ISO審査員は何をするのだろうか?
ここでもうISO審査員と裁判官の違いに気が付いたでしょうか?

ISO審査の手順を決めた「ISO17021適合性評価-マネジメントシステムの審査及び認証を行う機関に対する要求事項(2011)」では
4.4.1 認証の要求事項への適合の責任をもつのは,認証機関ではなく,依頼組織である。
4.4.2 認証機関は,認証の決定の根拠となる,十分な客観的証拠を評価する責任をもつ。
と書いてある。
多くの人は前の文章を「認証の要求事項への適合の立証責任をもつのは,認証機関ではなく,依頼組織である」と理解しているようだ。しかしよく読んでほしい。企業は立証責任は負わない。適合させることの責任があるだけです。わざわざ組織が適合を主張しなくても、みずから適合しているか否かを調べるのが審査員のお仕事である。だが組織側が立証してくれれば、審査員が楽できるから、そう読みたいのかもしれません。
私は、適合であることを立証するのは、悪魔の証明ではないかと考えている。
みなさんはどうお考えでしょうか?
この論で行けば、企業が虚偽の説明をしたなんてことは、言いがかりである。盗人猛々しいというのかもしれない。
虚偽の説明を主張した方々、ぜひとも反論願います。
ともかく規格を素直に読めば、組織(企業)は現実が規格適合であるようにする責任があるが、それを積極的に示すことはないと理解します。そして、あるがままの状態を観察して適合か不適合かを評価するのは審査員です。しかし審査員が判定してそのまま認証となるわけではなく、認証機関は審査結果を評価する仕組みを構築し、そこで認証するかしないかを検討して決定しなければなりません。(ISO17021:2011 9.1.14)

このようにISO認証をするかしないかを決定するのは審査員ではありませんから、ISO審査員は裁判官とかスポーツの審判ではないようです。これらから類推すればISO審査員は検事役のように思えます。審査員が検事だとすると裁判官は誰でしょうか?
実はISO審査には裁判官役はいません。それに該当するものを考えると、認証機関の判定委員会(または同等の機関)があたると考えられます。
機関とは会議体ばかりでなく個人の場合もある。安倍さんや橋下さんは個人だが、安倍総理や橋下市長は機関である。

え、認証をするかしないかはともかく、ISO審査では審査員が適合/不適合を決めるのだから、やはり審査員が裁判官じゃないかとおっしゃいますか?
そうではありません。審査員は自分の判断では、適合や不適合を決定できません。
意外と思われるかもしれませんが、これは事実です。
ISO17021:2011では「審査員が決定する」とは書いてありません。そこには次のように書いてあります。
「9.1.9.8.3審査所見又は審査結論に関して、審査チームと依頼者との間に意見の相違があれば、協議して、できる限りそれを解決しなければならない。解決されない意見の相違があれば、それを記録し、認証機関に通知しなければならない」
つまり審査員は、組織が規格適合しているかどうかの情報を収集します。不適合を立証する証拠があれば、それを根拠に不適合を提示しますが、組織(会社側)は提示されたものが適正かを判断して受け入れてもよいですし拒否してもよいのです。
提示された不適合に納得できない場合は拒否できます。つまり団体交渉決裂です。そうなるとストライキではありませんが、審査結果はペンディングとなり審査リーダーはその旨を認証機関に報告しなければならないということになります。これはつまり審査員(s)が適正な審査を行い、組織を納得させることができなかったという、つまり無能だということになりましょうか。
ともかく認証機関の判定委員会がそれを評価し決定します。
ISO17021では審査員は、不適合を含めた審査所見を、組織が拒否できる旨を説明する義務を定めていますが、その通り説明しているかは疑問を持っています。(かなり疑問です)
ということは、審査員は検事役、認証機関の判定委員会が裁判官役ということになりましょうか。いずれにしても審査員に決定権はないし、適合・不適合の判断を企業に押し付けることはできません。
現実には押し付ける審査員がいないというわけではありません。いや自分の判断を押し付け、反論は許さないとのたまわく審査員は多いのです。しかし万引きが数多く行われていても、万引きが犯罪でなくなるわけではなく、自分の判断を押し付ける審査員が多くても、それが正しいということではありません。糾弾されるべきです。

さて認証機関は審査員の報告を基に、認証するかしないかを決定します。ここでも審査員の報告を受けて企業の見解を認めないこともあり得ます。この場合、認証機関の判定が不服であれば裁判の上告にあたるものとして、認定機関に異議申し立てすることもできます。ただし現実をみると、ISO認証制度は裁判ほど透明性・客観性は期待できません。それは制度的な問題と、運用上の問題の両方があるように、私には思えます。
まず、制度的な問題としては、「日本国憲法 第82条第1項 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」にあたる文言がISO17021:2011にはありません。
対審たいしんとは、対立する当事者が法廷に出頭し、裁判官の面前でそれぞれの主張を述べることです。そういう仕組みを作ればISO認証はより透明性がもて信頼性が高まると思うのは私だけでしょうか。
ですから認証機関の判定委員会と認定機関の審議内容を、外部の人は傍聴することはできないのです。認定委員会の議事録は非常にあっさりとしたサマリーではありますが、認定機関のウェブサイトに公開されますが、認証機関の判定結果はまったく公開されず藪の中です。
もうひとつは弁護士役がいません。判定委員会や認定委員会において組織は発言権はありません。これでは客観性は担保されません。
実際の裁判でも弁護士のいないケースがないわけではありません。しかし法定刑が死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは 禁錮に当たる事件では弁護士を付けないと裁判が成立しません(刑事訴訟法37条の2)。審査に関わる問題がそれに相当するかどうかは議論の余地がありますが、制度としてそういう仕組みがまったくないのは明らかに問題でしょう。

運用上の問題としては、私の過去20年の経験において、証拠の記載のないとか、根拠の記載がない不適合などISO17021規格(以前はガイド62やガイド66)に明らかに反する不適合や、日本語になっていない審査報告書が、1件も判定委員会で修正されたという通知をもらったことがありません。ISO規格要求にないことを根拠にした不適合がリジェクトされないなら、運用に問題があると言ってよいでしょう。
単に判定委員会が無能ということもありますが・・・
ともかく過去に発行されたおびただしい数の審査報告書(所見報告書)の証拠や根拠の瑕疵は極めて多数あり、これを根拠に運用上の問題、つまり判定が不適切であることを十二分に立証できるでしょう。この膨大な証拠を隠滅することはおよそ不可能です。
もっとも審査報告書に時効があるかどうは私は知りません。
しかしISO17021では「審査報告書の所有権は認証機関にあり、いつでも返還を求めることができる」としているので、それに記載されたことがらについて一定年限が経過すれば免責されるなどという付帯条項はありえないでしょう。
報告書を書いた時点での、ISO規格、IAF基準、JAB基準に基づいて、報告書内容の適否が評価されることは避けることができないと考える。
いや、待てよ、そうすると認証機関は後で「マズイ」と気が付いた審査報告書は企業から回収してしまうという奥の手があったか!

それでは、そもそも審査員とはなんなのかを考えてみましょう。
まず審査とはどういう意味でしょうか?
広辞苑でも大辞泉でも「詳しく調べて、適否や優劣などを決めること」とあります。
そのイメージから審査員にあたるものとしては、スポーツやコンテストなら審判(judge)、試験なら試験官(examiner)、成田空港なら入国審査官(inspector)ですよね。
しかし前述したようにISO審査員は「詳しく調べる」ことをしても、「適否や優劣などを決めること」はできません。できるのは「適否や優劣などの判定案を提示すること」です。
フィギュアスケートの審判が浅田真央ちゃんに「この点数で良いですか?」なんて同意を得ることはありえず、入国審査官が不法入国者に「日本に入国を認めなくてよいですか?」なんて交渉することはないのです。
ISO審査員の場合は、不適合案を提示して「これで異議ありませんか?」と提案し、同意を得なければならないのです。
おっと、詳しく調べもせず、適否や優劣などの判定案を提示することもせずに、ご自身の考えをご講演してお帰りになる審査員も多いのですが、それはとりあえずおいといて・・・
じゃあ、そういう人を審査員と呼ぶのはちょっと語義的(言葉の意味として)に変な気がしませんか?
実は審査員とは日本での言い方です。ISO規格ではauditorといいます。auditorを日本語に訳せば聴取者です。それはつまり、ひたすら情報、証拠を聞き取る人なのですが、日本ではそれをJIS規格に翻訳するとき、アイススケートの審査員、骨董品の鑑定者、入国審査官、就職試験の面接官と同じ言葉にして、おごそかで威厳があるだけでなく、決定権まで持つ言葉をあててしまったようです。

もちろん、そうじゃないという意見もありそうです。
ISO17021を翻訳したJISQ17021:2011においては、「審査」の意味は一般的な日本語の「審査」の意味じゃないのです。そこでは「第三者認証審査」を略して「審査」といい、「審査」を行う人を「審査員」というと定義しています。(3.4及び3.6)
そして認証機関は
「審査の所見及び結論の評価、並びにその他の関連情報に基づいて認証を決定する(9.2.5.2)」
とあるから、「審査員は決定者ではない」ということになるのでしょうか?
まあ、ISO14001では環境側面が日本語の側面じゃなくて、環境目標が日本語の目標じゃないってのもありますからね。
環境ばかりではありません。ISO9001でも顧客満足とは「お客様が満足すること」ではなく「要求事項が満たされている程度の受け止め方(ISO9000:2005 3.1.4)」ですから、日本語の一般的な意味で読んでいると足払いを食らいます。
しかしどう考えても審査員という言葉からは「審査の所見及び結論の評価」の決定ができるように受け取れますが、実は前に述べたように「審査の所見及び結論の評価」についても案を提示するだけであることから考えると、どうしても「審査員」という言葉は不適のようです。ここはやはりauditor直訳の「聞取り者」あるいは「聴取者」、意訳するなら「調査員」とするのが正しい翻訳だったのではないでしょうか?
審査員などといかにも権威がありそうなお名前にしたために、日本のISO審査がおかしくなったなんては言いませんが、あるいはそういうことがあったのかも?

さて審査員が検事なら、審査を受ける企業の人は刑事弁護士ということになりますか。
間違っても被告人だなんて卑下することはありません。
そうなりますと裁判官の前では、検事と弁護士の立場はまったく対等です。検察は被告人が犯罪を犯した証拠を提示するなら、こちらはそれを否定するのが役目。
弁護士は被告人が無実と信じていなくても、無罪を主張する責任があります。
おっと、無罪とは犯罪を犯していないことではなく、証拠不十分であることですよ。無実と無罪の言葉に注意のこと
責任をまっとうしないことは職業倫理に反するだけではなく責任を問われるのです。審査員にお土産を持たせて帰そうなんて安易に妥協することは、善管義務違反になるのです。(民法第644条)
ともあれ明日からの審査では、審査員とは審判者じゃない、単なる調査員である。調査員が何を言おうと決定じゃなくて意見にすぎないと考えるとよろしい。
実は私は過去よりそう考えて対応してきましたが、ご自身が組織より一段上の裁判官であるとお考えの審査員の方々はなかなかその考えを受け入れられなかったようです。その勘違いには困りました。 もっとも妥協はしませんでしたがね。相手を怒らせず、いかにして審査員の勘違いを正してまっとうな判定に持ち込むかってのが企業の担当者の力量でしょう。
認証機関さん、認定機関さん、苦情があればどうぞ

うそ800 本日の振り返り
ISO認証制度の問題、運用上の問題は間違いなく存在する。
その問題の原因は、関係者(それには審査員も認定機関も入る)の認識が、審査員の役割、権能というものを、実態以上に認識しているためではなかろうか?
審査員の役割を等身大に理解できれば、審査のトラブルは半減するのではないだろうか?
まず判定を押し付けない、規格に基づいて判断する、審査側と組織側が対等であると理解する、それは最低条件だろう。

うそ800 本日の言い訳
ちょっと短文じゃないかって・・・お客さん、文字数と価値はリンクしませんがな。
おっと短ければ価値があるのかって言われると言葉に詰まりますが
このところケーススタディのように、安易に書けるソーダ水のようなものばかりでしたので、今回は真面目にストレートのウィスキーのようなものを書こうかと。
あ、全然真面目ではなかったですか・・・では、次回はもっと真面目なことを書きましょう。
もっとも私は則巻千兵衛のように真面目でいられるのは3分間しかもたなので・・
もうこのダジャレを理解できる人は50代か・・




N様からお便りを頂きました(2012.12.24)
私が言うとまずいかもしれませんが、”ISO審査員は「詳しく調べる」だけ。「調査員」とするのが妥当”に賛成です。
まぁ、それだけでといろいろ困る人もいますので、いろいろ付加価値を考えるのでしょうね。

N様 毎度ありがとうございます。
審査員にもいろいろな方がいます。もちろんIAF基準を守って誰が見てもまっとうな審査をされている方も多いと思います。
ただ私の場合は、困ったことがあると話が持ち込まれていましたので、おかしな審査員に会うことが多かったのでしょう。おかしくなければ私には話が来ませんから
しかしながら、付加価値は願い下げです。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/12/25)
組織と審査員ってーのは、雇い主と業者に過ぎないわけで、ISO17021を持ち出すまでもなく、適合の証拠を探し出すのは審査員の役割に決まっています。そうじゃないとのたまう審査員は、クビを切るだけのことですわ。単純明快。

たいがぁ様
私はそのご意見に同感ですが、鈍感な審査員もいるわけで・・



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