「定年諸君!」

2013.02.05
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、別に推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だから「定年諸君」の内容について知りたいという方には不向きだし、タイトルだけを見て、この本は推薦に値しないとか文句を言ってくるのもやめてほしい。そういう勘違いの方もいますので・・

著者出版社ISBN初版定価巻数
原作 あべ善太
作画 篠原とおる
小学館4-09-182151-0
4-09-182153-7
4-09-182152-9
1990/01/01出版時 500円
入手時 100円
全3巻

この漫画は1990年頃ビッグコミックスに連載されたものである。支店長まで出世して定年を迎えた銀行員が主人公である。当時はまだバブル絶頂、奥さんに先立たれてはいるものの、経済的には不安はなく、体も健康、息子夫婦とも仲良く同居している。しかし猛烈サラリーマンであった主人公は隣近所との付き合いはなく、親しくつきあっている親戚もなく、趣味のつきあいもない。さて、これからの日々をどのように過ごしていくかと悩み、なんとか自分の場所を築いていくというストーリーである。いやストーリーといえるようなものはなく、さまざまなエピソードの積み重ねである。

当時私は40歳、働き盛りといいたいところだが、実際はその頃、勤めていた工場ではうだつが上がらず、上司とはそりが合わず、あげくに会社で怪我をしたりして、非常に腐っていた。そんなときこの本を読んだ記憶がある。
40歳の私にとって定年なんてまだ実感がなく、自分とは無縁のことに思えた。ただ私は下手の横好きで囲碁をやっていたので、囲碁クラブや碁会所では定年した人たちの知り合いが多く、定年後の暮らしというものを少しは見ていたと思う。
当時は戦争に行った人がまだ元気な時代、いやその頃60代半ばであれば従軍していただろう。囲碁クラブの会長は陸軍少尉であったし、インパールで戦った中尉もいた。もちろん一兵卒だった方もいた。彼らは戦争や戦後の大変な時代に生き、苦しい経験をしたわけだが、定年後の暮らしは優雅の一言のように思えた。
大体碁会所にたむろしているような人は、生活に困っているとか病気があるなんて人はいない。その頃付き合っていた人たちの現役時代の勤め先は、国鉄とか専売公社とか公立高校の先生など親方日の丸の公務員とか、東証上場の大企業が多く、年金はバッチリ、暮らしは安心という人ばかりだった。勤め人でなくても、大きな商店のご隠居などばかりであった。
そして彼らは、引退した後も地域の有力者、商店会の役員、市のなんとか委員会のメンバーとか、優雅なだけでなく地域の顔役で権力も持っていた。
私はそんな状況でこの漫画を読んだわけだが、実際の定年退職者よりも、漫画の主人公が地縁もなく趣味もなく、過去の勤務先の人間関係だけしか付き合いがない哀れな存在に思えた。私の碁仲間の多くは、過去の勤務先よりも、今近所に住んでいる人、趣味の仲間、そういう関係を重視していたように思う。だからこの漫画を読んで、主人公があまり積極的でなく、内向きというイメージを持った。
ただ、この本を読んでどんなイメージを持ったにしろ、それが私にどうこう影響を与えることもなく、私にとって定年とは別世界の出来事であって、自分が定年になったら何をするなんて考えることもできなかった。
私は自分があと20年したら、目の前の定年退職者のような暮らしをするのだろうと漠然と思っていただけだ。それは豊かで個人の誇りもある、決して悪いものではないように思えた。

それから10年経った2000年頃に、古本屋でこの漫画の単行本を見かけて買った。当時私は50歳、田舎の工場で働いていたことは変わりなかったが、10年前と違い、ISOというものが現れてくれたおかげで私はその専門家になり、社内だけでなく近隣では私ほど詳しい人はいないとみなされていた。だから自信満々、仕事が生きがいという状況であった。
90年頃の私を知っている人は、2000年頃の私に会っても同一人物とは思えなかっただろう。

本を読んだ感想というのは、本の内容もあるだろうけど、それを読んだ時の状況、心境というものに左右されることは言うまでもない。
二度目にこの本を読んで何を感じたかというと、やはり10年前に読んだときとは違う。40歳の時、定年ははるかかなたであったが、50歳となると指折り数えるとまではいかないが、現実の問題となってくる。退職金は大丈夫か、いくらもらえるか、今住んでいる家が築何年だからいつ頃建て直すべきか、あるいは家を買い替えてしまった方が良いのか、子供たちの学費は大丈夫だろうか、子供たちの結婚の資金援助は・・・そんなことを考えていた。
そのような状況でこの漫画を読むと、やはり自分の立場では、こうならないようにしようとか、このようにしようとか、いろいろと考えさせられたのである。とはいえ、それが参考になったかと言えば全然ならなかったように思う。というのは予想もしなかったことに、私はその直後、リストラで職場を変わり都会に出てきた。

それからの10年間、定年のことも定年になった後の暮らしも考えたこともなかった。日々一生懸命生きたと言えば、かっこいいけれど、仕事は多忙だったし、余計なことを考える余裕もなく、ジェットコースターのような、とにかくあれよあれよという感じであった。
ただ、田舎には小さいながら家も土地もあり、家内も定年したら田舎に帰りたいということを常々語っていたので、私はそうなるだろうと思っていた。土地があれば家を建て直すにしてもそんな大金はいらない。新築の家の価格の6割7割は土地の値段だろう。
生きがいを考えても、私も田舎には小中高の同級生はいるし、趣味の囲碁仲間も亡くなった人もいるだろうけど囲碁クラブも碁会所もあるわけだし、隣近所の人たちとは仲良くやっていたわけで・・
そのときの勤め先にも私より年上はいて、そんな人たちと定年後の話をしたこともある。ただ当時はまだ年金はステイブルだと思われていた。そして60になって定年退職すると失業保険をもらい、年金をもらい、優雅な生活ができた時代である。今50以下の人たちには想像もできないだろう。
私も60歳になれば、そのときからちゃんと年金がもらえるだろうと思っていた。それは甘かった。

その後の変化は多々ある。
まず公的年金は60ではなくなり、受給できる年齢は逃げ水のように遠ざかるばかりである。60歳で定年退職してから年金が満額もらえるまで、なにがしか働くか、手持ちのお金で食いつなぐしかない。
個人的には娘は結婚して、息子は就職して家を出て行った。その後、家内は田舎に帰ることでなくこちらに住むことを選択した。家内がそうしたいと思うなら、私がどうこう言っても始まらない。値段から市街部では無理だから、かなり田舎にマンションを買った。

さて誰だって歳をとる。私もとうとう60になり定年となった。幸い上司から嘱託で働かないかと言われて、ありがたく働かせていただいた。それはお金ばかりではなく、定年のショックを遅らせることになった。もっとも仕事は嘱託といっても社員のときと変わらないわけで、会社としては私の力量を半分以下の賃金で使えたのだから迷惑はかけなかっただろうと思う。お互いにウィンウィンで良かった。もし会社のお情けでしがみついていたならば個人的には大きな恥だから。
さて2012年4月末とうとう嘱託もやめたわけだが、会社をやめると毎日が日曜日で、いったいどうしようかと悩んだ。とりあえず、図書館通い、フィットネスクラブ、講演会めぐり、公民館のクラブ、NPOをのぞいてみるとか、そんなことをして、自分に向いたもの、興味を持ったものに参加し、なんとかインターバルができてきた。とはいっても、やはり心理的に落ち着いたとは未だ言えない。
そして2013年1月に古本屋で「定年諸君」を見かけ、また買い求めた。なにか得るところがあるかもしれない。三度目の正直である。
この漫画の主人公が定年になってしたことは、亡くなった奥さんと昔行ったところへの旅、古い友達との再会、いつかやりたいと思っていたカメラに凝る。この漫画に限らず、引退すると旅、旧交、長年したかったことをする、そんなことが定番らしい。
だが夢は夢であるからいいのであって、実現したら楽しいものではないようだ。
定年後は、油絵を描くとか、ギターを弾くとかいう夢を語る先輩諸氏もいたが、毎日油絵を描くわけにもいかないだろうし、朝から晩までギターを弾いているわけにもいかないだろう。
先輩の一人は農業をやるといっていたが、半年で飽きたらしく仕事を見つけて会社員をしている。

実を言って私も退職してから昔の仲間、小学校、中学校、高校の同級生がどうしているのか気になった。会いたくなったが250キロも離れているわけで、ましてや彼らも今どこに住んでいるのかも分からない。数年前、還暦になったとき中学校の同級会をやったらしいが、私には招待状は来なかった。それから1年くらいして簡素な同級会の写真集が送られてきたが、そこには私は行方不明と記載されていた。ヤレヤレ、冷たい奴らだ。
次回、同級会があればぜひとも参加したいが、案内がくるかどうかも定かではない。
このマンガでは大団円、主人公も生きがいを持って生活していけるようになっておしまいだが、私の場合はいまださまよっている。

老後で大事な3Kがあるという。健康、金、気持ちだそうだ。じゃあ3Kがあればハッピーか? 3Kがなければアンハッピーか? となれば、もちろんそうではないだろう。金があっても幸せでない人もいるだろうし、病を得ても生きがいを持っている人もいるだろう。いずれにしても日々することがなければ幸せ以前に毎日が退屈だ。そしてもっともコアになるものは人間関係なのだろう。

昔から、人間関係で大事なものは、血縁、地縁、宗教の三つが世界共通だそうだ。(「小室直樹の中国原論」)
例えば昔、農家の人がいたとすると、その人の属する社会は、親類があるだろうし、近所の人がいるだろう、また檀家になっているお寺や氏子になっている神社があるだろうということだ。それは日本だけでないだろう。
日々生活していくうえでこのみっつを軸として年中行事があり、苦しみを分かち合い楽しみを共有して、生きて死んでいくのだろうと思う。

もちろん時代はどんどん変わっている。
社会が複雑になれば、人間関係も複雑になる。
私たちをとりまくものとして考えられるものにはどんなものがあるだろうか?

今の人にとって軍隊というのは奇異に感じるかもしれないが、太平洋戦争に行った80代以上の人にとっては大きな意味がある。

さて、現在はどうなのかと考える。
現代の日本では血縁、地縁、宗教のみっつが希薄化してきた。
血縁はどんどん薄くなりつつある。親が生活保護を受けていても自分は関係ないと考える人は多い。生活保護は特別としても、兄弟や親せきとの交流は昔と違いドンドン稀薄になっていることは間違いない。まず年始に行くなんてことは少ないだろうし、年賀状を出しても直接顔を合わせることはあまりないだろう。私自身、姉に会うのは数年に一度あるかないかだ。最後に会ったのは姪の結婚式だったとおもうから、たぶん5年以上前だ。この次は姉か私の葬式でもなければ、お互いに相手の家に行くこともないだろう。
地縁なんてなきがごとし。戸建ての場合は、ゴミ出しとか町内会のイベントで少しは付き合いがあるかもしれないが、マンションの場合はお隣の人くらいしか面識がないのではないか。
宗教、私の場合は故郷の鎮守様はもう無縁だ。檀家となっているお寺は、葬式、法事では世話になるから先方もこちらもあいての住所、電話番号くらいは知っている。そういえば先月なんとかのお金の寄付依頼がきたので家内はしょうがないねえと言いながら郵便局にお金を振り込んできた。確かにお寺だって、葬式とか法事のお布施だけではやっていけまい。

ところで現在は古来からのみっつの関係に代わって、会社が大きな場所を占めている。毎日長時間会社にいること、休みといっても同僚とゴルフ、研修、冠婚葬祭の出席者も会社関係者が多い。しかしこれがくせもので、退職するとまったく無関係になってしまう。
もちろん現代は会社だけでなく新しい関係もある。学校、スポーツ、趣味、NPO、政治活動などもあるだろう。

ともかく定年後、大きな場所を占めていた会社の代わりに、ちゃんと自分の足で立ち倒れないようにしなければならない。単に時間をつぶすのではなく、自分が存在している価値を自覚できないと生きがいはない。
どんな参考書も前例も、そのまま自分には適用できない。自分は、いや自分に限らずすべての人もすべての事例もユニークなのである。結局、自分とはなんなのかと自分探しの旅を続けなければならないのだろう。というか、それが人生なのだろう。
ともあれ、経済的には家内と暮らしていく分にはなんとかなるだろうし、趣味を楽しむこともできるだろう。とりあえずは英語を話せるようになることと、100メートルくらい泳げるようになることだ。このふたつができればグアムに行ってもハワイに行っても今までよりもっと楽しく過ごせるだろう。日々節約しても年に一度くらいは南に島に行ってビーチでのんびりとすごしたい。
誤解のないように申し上げておきますが、グアム4日なんて飛行機賃とホテル代込みで5万とか6万で行けます。ちょっとした温泉に行くよりも安いのです。
そして私は温泉ってあんまし好きじゃないのです。

ところであと10年してこの漫画を読んだら、また別の印象を持つのだろうか?
待てよ、10年後に私が生きている保証もない。
10年経ったらと思うのではなく、これからの10年いかに楽しく有意義に生きるべきかを考えないといけないな。
まだ修行が足りないようだ。

本日の挑戦状
主義思想でもISOでも、私の言い分に異議があればどんどん文句を言ってこい。
それはお互いにとって生きがいになるだろう。




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