われわれはどこから来たのか

13.01.13
この駄文は先日酒を飲みながらN様と討論したことやそこから生まれた疑問をつづったものである。もちろん文責は、私、おばQにある。新規なアイデアが、こんな雑多なものから生まれるかもしれない。生まれないかもしれない。

本日は審査とは何か、認証とは何かを考える。審査とは認証を受けたいという企業あるいは組織に認証機関の審査員がきて、いろいろと質問や調査をすることを言う。これは当たり前のことでご異存はないと思います。しかし、この審査において不思議だと思うことはたくさんある。

ビデオ撮影と録音
まず、録音やビデオ撮影をしてはいけないという審査員や認証機関が多い。もちろん「どうぞかまいません」という審査員もわずかではあるがいる。非常にわずかだが。
サポーズ、作業改善や技術指導、最近なら省エネ診断などのコンサルをお願いしたとき、その指導内容をビデオ撮影して、その後でビデオを見て検討するのは当たり前だ。コンサルタントが話したことの細かいニュアンスまではメモに取れないし、記録の漏れもある。大枚を払ってお願いした指導を、漏れなく生かそうとするなら当然である。
コンサルタントとしても自分の指導を後々まで拳拳服膺けんけんふくようされることは望むところだろう。コンサルタント冥利に尽きるというべきか。
ISO審査とは企業を良くするためであるらしい。だって認証機関のほとんどは「経営に寄与する審査」を標榜しているのだから。ではその審査を経営に役立てるために、ビデオ撮影して骨の髄まで活用するのは、大枚を払った企業の権利ではないのだろうか? そして認証機関も審査員もうれしいのではないだろうかと愚考する。
認証機関と審査員は、単に商取引のための登録証を発行するために審査をしているわけではないのでしょう?
裁判は公判が原則(憲法82条第1項)である。公開されなくてどうして公平で正しい裁判が担保されるか。だから普通、秘密裁判というと、不公平な裁判というニュアンスをもつ。もっとも審査員は裁判官ではなく、検事であるから審査を公開しないことは秘密裁判でさえない。裁判を受けさせないという恐ろしい手順にしか思えない。いかがなものだろうか?
認証機関によっては、ISO審査に、その企業のコンサルタントが陪席することも許されないことがある。発言を認めないのじゃないよ、陪席を認めないのだよ。
私は親会社の立場で子会社のISO審査に陪席したことは多々あったが、事前に了解を得ておかないとまずい雰囲気だった。そして私が陪席していると、審査員は私のことをだいぶ気にしていた。露骨に嫌な顔をされたこともある。公平な審査(?)に圧力がかかるとでも思ったのだろうか?
実を言って、子会社から適正な審査であるかどうかの確認を頼まれて陪席したことが多い。
それと審査には他の認証機関関係者が見学するのは厳に禁じているようだ。某社の審査に見学に行った時のこと、その会社には審査した認証機関ではない別の認証機関で契約審査員をしている人がいた。それが審査開始後に発覚して審査員は烈火のごとく怒った。なぜ怒ったのだろうか? それはどういう理屈なのだろうか? 私は分らない。
社員が契約審査員をしている認証機関に審査を依頼した方が、私は公平性の観点からはまずいような気がする。
変なたとえだが、会社から依頼された弁護士が、その会社に弁護士資格を持つ人がいることを知ったら、怒るのだろうか?

ISO審査はノウハウの塊で他人には見せたくないのかもしれない。
しかし、ノウハウってそんなに簡単に真似できるものではないように思う。トヨタは看板方式とか種々のカイゼンについて講習会を開いたり、本にまとめて販売している。最近はだいぶ減ってきたようだが、かっては大野耐一の本が本屋の棚一段全部を占めている時代もあった。それでトヨタとその関係者は稼いでいるわけだ。しかし講習会を受講したり、本を読んで、トヨタの真似ができた人は何割くらいいるだろうか? まず1割もいないだろうと思う。1%もいないかもしれない。トヨタは簡単には真似ができないことを知っているから、講習会を開き本を売って儲けていたのだと思う。簡単に真似されるものなら門外不出だろう。
もう30年も前のこと、当時の私の上司がトヨタの講習会に行って、大層感動して帰ってきた。そして平準化生産、1個流し、可動率などと言いだして真似事を始めた。もちろん完璧に真似たのではなく真似事である。そんなことを1年くらいやっただろうか。その結果は、従来の方式よりも回転率は下がり、不良が増え、生産達成率が下がった。もう一つ下がったのはその上司の評価であった。
ノウハウは知識ではない。知識なら本を読めば手に入るが、ノウハウは本を読んだり、話を聞いただけでは手に入らない。いや身につかない。そもそも見ただけで真似できるものをノウハウとは言わないだろう。
審査を見られると、その審査員の審査テクニックを盗まれる懸念しているのだろうか?
それもおかしいよね、タレント審査員、カリスマ審査員は現に存在する。
タレントとは本来は「才能」とか「素質」という意味であって、芸能人とかテレビに出る人を意味するのではない。
そういう審査員が別の認証機関に転職すると、移った認証機関に切り替えた会社を私は知っている。つまりそれはそのタレント審査員が所属している認証機関であっても、その審査員のノウハウを他の審査員にトランスファーすることができなかったということである。審査を受けた会社が審査状況をビデオに撮って分析した程度では、その審査員のテクニックを盗むことは難しいだろう。
いやそれどころではない。現実には単なる知識でさえ後輩に伝えることは、とんでもなく困難である。学校や会社では、先生や上司が出来の悪い生徒や部下に、必死に伝承しようと教育しているのだが、なかなか学問や技術や技能が伝わらないのが世の中である。
七夕たなばたのように年に一度に会社に来るだけで、審査員の持っているノウハウが漏れるなんて心配する必要はなさそうです。

もちろん、肖像権はあるから撮影したビデオを社外公開するなとか販売するなということは認めよう。
あるいは、ひょっとして、万が一だが、審査員の力量がないことがばれることを恐れているのだろうか?

企業側の問題もある。
ISO14001は初めから目的目標を立てて活動しろと言っていたし、ISO9001も2000年から目標を掲げろと言っている。だから、ISO認証している会社ではすべて改善目標を定めてその実現のための計画を立てて活動しているはずだ。
しかし、それは役に立つ計画なのだろうか? 実現できる計画なのだろうか?

人は誰でも夢を持っている。とはいえ、1憶貯めるとか社長になるといっても、それは目標ではなく願望だ。1憶貯めようとするなら、具体的に貯めるための方策を考えなければならない。
私が毎回ジャンボ宝くじを買うのは1憶貯めようとしているわけではない。あれは日本の国家を思い、余分に税金を納めているのだ。

私の知るかぎり、多くの企業では到達目標を施策に展開し、その進捗管理をしているとは思えない。
卑近な例だが、どの会社でもしている「紙ごみ電気」の中の紙削減を考えてみよう。「今年の紙使用量は昨年の5%減」なんてのは、よく見かける。さてその目標を、どのように達成するのだろう。多くの企業では、数量を把握して公表して注意喚起する程度のようだ。不良対策などをしている者が考えると、そんなのは方法とは言わない。不良を減らそうと叫べば不良が減るなんてことは絶対にない。紙削減の目標を達成する方法とは、まずどのような用途に使われているのか、それは削減できる可能性があるのか、それぞれにおいてどんな施策をとればどの程度の弾力性があるのかという因果を把握して、これをしてコンマ何%、これで何%という割り当てというか積み上げをする。そして合計して5%になるようにするのだ。そうしないと達成できるはずがない。意識向上で改善できるなんて語る人は、ISOの世界の住人ではない。
そしてそういう施策がないにも拘らずISO審査で不適合が出ていないのはどうしてなのだろう?

「目標未達何%のときに是正を開始するのですか?」
そんなことを審査員はよく質問する。
自動制御の話となると、私の力を超えることを認める。だが目標管理における是正ではそんなにむずかしいレベルではなさそうだ。

排水などの管理では是正というかフィードバックをかける値はフィードバックをかけてからの上昇分を考慮して管理限界を超えない時点で開始する。早めにフィードバックをかけるのもロスだし、遅すぎると管理限界を超えてしまう。


じゃあ紙使用量のフィードバックはどの地点で行うのか? いや紙の金額はたかがしれているのでファイトがわかないかもしれないから、売り上げにしよう。簡単に売上目標を年1億2000万として、半年過ぎたとき実績が5千万なら手を打つのか、あるいは5500万なら手を打つのか、それとも3か月過ぎたとき2700万なら手を打つのか、ひと月過ぎたとき900万なら手を打つのか、あるいはスタート1週間後に・・という問題である。
ちょっと待て、半年過ぎたとき7000万の売り上げなら手を打たないのか? ひと月後1200万の売り上げなら手を打たないのか? さあ、どうする!
一般的に売り上げは企業における最重要テーマであり、紙削減とは違い必達しなければならない。しかし売り上げに関係するパラメーターは非常に多く、それぞれのパラメーターに対する施策更にさまざまあり、その効果が表れる時間(遅れ)もパラメーターにより施策により異なる。例えば人員を補強するということは1年スパンではできないだろうし、キャンペーンだって数か月の準備期間がいる。だから「目標未達何%のときに是正を開始するのですか?」という質問には簡単には答えられないだろう。言えるのは、「常時監視して必要な手を遅れずに打つ」ということくらいだろう。
そうすると「目標未達何%のときに是正をするのですか?」という質問はクローズドクエスチョンとまでは言えないが、回答を限定した不適切な質問と言える。質問するなら「どのように是正をするのですか?」と問うべきかもしれない。「時宜を失することはありませんか?」と付け加えるとリーディングクエスチョン(誘導尋問)になるだろう。

「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」そんな流行語もあった。
ケプラーもドルトンもニュートンも理屈を考えてから事実を集めたのではない。たくさんの事実を観察して、その事実を矛盾なく説明する理屈を考えた。
しかしISO認証においては、ISO規格に会社を合わせることが珍しくない。
これも審査がISO規格の項番対応で進められるから、それに見合って文書や記録を作っておけば、シャンシャンと進むという経験からしているところが大きい。審査する側がISO規格項番への適合性を確認するのではなく、企業の実態を把握してそれがISO規格項番に適合しているかを確認しなければならないのは当たり前だ。そんなこと自然科学の世界では当たり前のこと。自分の考えに現実に合わせようとしても、そりゃ無理というもの。現実に自分を合わせなければならない。

あるとき審査員が「審査員も緊張しているのです」とのたまわった。
「のたまわる」とは、「言う」の尊敬語で「おっしゃる」よりも、敬った言い方である。大変尊敬しているときとかオチャラケのときに使う。この場合はどっちだろう?
そりゃだれでも新しい仕事とか行ったことのない会社に行けば緊張するだろう。初めてのデートは緊張するし、仲良くなればデートで緊張することもない。会うたびに緊張するような人では結婚してもうまくいかない。
審査員も緊張するだろう。だがしっかりした審査をしてもらわなければならない。企業はお金を払っているのだ。真剣に仕事をしてほしいが、緊張してミスされては困る。
審査員が緊張するのはご自由だが、言い訳にはなりません。いや、口が裂けても「審査員も緊張しているのです」なんて語ってはいけません。
「パイロットも緊張しているのです」なんて言ったら、私は飛行機を降りる。
私が審査で緊張したのは20世紀までで、21世紀に入ってからは、審査は仕事の息抜きだった。だって当然だよね。

「審査員は企業の評価を気にしています」と語った方もいた。
そりゃ誰だって他人、多くの場合顧客から評価されます。私たちは顧客のために働いているわけですから顧客満足を図らねばなりません。
ここで「顧客」とは「製品やサービスを受け取る組織または人(ISO9000:2005 3.3.5)」をいいます。あなたが平のサラリーマンでしたら、あなたの顧客は課長といっても間違いありません。課長のご機嫌を損ねると昇給がカットされたり左遷されるのは、理屈からいっておかしくない。もっともそれが「課長の顧客」の顧客満足につながるかどうかは、課長が考えなければならない。
審査の顧客は誰なのか? ということは長年議論されてきた。認証を受ける企業の顧客なのか、認証を受ける企業なのかという二つがあった。しかし認証制度は認証を依頼する企業を依頼者だという(ISO17021:2011 3.5)。依頼者と顧客は、同じなのか違うのかという議論も古くからある。しかし認証機関が企業を依頼者であり顧客だとみなしたことは間違いなさそうだ。というのは審査員の評価を企業にさせているからだ。
もし最終顧客を顧客とするなら、認証を受けた企業の顧客に審査員の評価をお願いしなければならない。
あるいはフィードバックループを大きくすると、かえって系が不安定になると考えたのかもしれない。そのへんは考えた人に聞かないと何とも言えない。
どの認証機関も、審査後に企業にアンケートを依頼するようだ。複数の企業の知り合いの担当者にどんな回答をしているのかと聞いたことがある。10年も前は「素晴らしい審査でしたと回答してます」というのがほとんどだった。
現在では「審査がマンネリになっている」「審査が役に立たない」「審査で口論になった」「この審査員は二度と来るな」なんて書いている人もいるようだ。だが異口同音に「アンケートを出してもそれがどのように使われているかわからない。翌年も変わらないもんね」という。
とすると審査員が評価を企業の気にする必要はなさそうだ。

おっと、企業の問題も多いと言いながら、実際はすべて審査の問題であったか・・

うそ800 本日の謎
ISO第三者認証制度とは、そもそも次の条件で発祥した。
  1. 顧客は一般消費者ではなく認証を受ける企業から購入する企業であった。
  2. 認証機関は顧客の代理人を自称して、品質保証要求を満たしているかどうかの確認をして、適合している場合認証した。
  3. 認証された企業は、購入者から見ると品質保証の仕組みができているとみなされた。
現在、顧客は認証を受けた企業から購入する企業でもなくその最終消費者でもなく、認証を依頼する企業らしい。そうするとそのときの認証とはどんな意味を持つのだろう?
どうもよくわからない。
第三者認証制度の目的のひとつは企業を良くすることと言った瞬間に、経営に寄与する審査をしますと言った瞬間に、ビジネスモデルは変質した。いやそのようなビジネスモデルが存在可能かどうかわからない。
第三者認証制度というビジネスモデルは存在しうるのか?
難解だなあ
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という絵をポール・ゴーギャンは描いた。
「認証制度はどこから来たのか 認証制度は何者か 認証制度はどこへ行くのか」

うそ800 本日のネタばらし
本日のタイトルは、Nさんが語った言葉である。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2013/1/13)
あれは日本の国家を思い、余分に税金を納めているのだ
鶏も国家的財政難という困窮を救うべく、微力ながらジャンボ宝くじの購入に貢献させて頂いております。無論、不覚にも1億が当選なぞしたら貯蓄などせず、経済活動に対する責任を果たしていきたいと考える所存であります。まぁ散財とも言いますがw

われわれはどこへ行くのか
ある生物学者によると、進化の最終形態は肉体を捨てて精神体となることだとか。
人間やっぱり最後は根性じゃぁ!

おお、名古屋鶏様 同志がいて心強い
もし、仮に、万が一、ありえないけれど、1億当選の暁には二人で世界一周旅行でもしませんか、
おっとそうすると日本経済のためにはならないか



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