「おい、山田よ、同窓会をしよう」
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「はあ? 大学のでしょうか? 廣井さんはどちらのご出身でしょうか?」
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「バカ言ってんじゃないよ、環境保護部の同窓会だよ」
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「はあ??」
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「今では環境保護部もまっとうでれっきとした部門だと、社内のみならずグループ企業からも認められているが、発足当時は出自が怪しく何をするのかわからないというか無用の部門と見られていたんだ。それが先輩たちの活動のおかげでだなあ、今があるわけだ。もちろん俺も山田も真面目に仕事してきたけどよ。 ちょうど今年4月が創立15周年なんだよね。俺の知るかぎり今はまだ退職された方も全員ご存命だし・・・時が経てば全員が集まることはできなくなるだろう」 | |
「わかりました。詳細は今後詰めるとして、場所は社内で夕方でもお集まりいただき簡単な式典と、引き続いて定時後に軽く一杯ということでよろしいでしょうか?」
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「まあ、そんなところだろう。メンバーはわかるか?」
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「過去の人事異動記録を調べてリストを作成しますので、それを廣井さんに確認していただきます。記念品といっても元々予算がありませんから、そうですねえ〜、過去の記録というか思い出でも簡単な写真集にまとめてお配りするってところでしょうか」
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「よしよし、頼んだぜ」
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山田は横山と二人で、環境保護部創立から今まで所属したメンバーのリストを作った。そんなに多くはない。● ● 山田が異動してくる前のメンバーといっても、山田が異動する前に退職した方が二人、それに平目、その他廣井の前の歴代部長、といっても2名だけだ。初代部長はもうだいぶ前に引退しているが所在はわかっているし、前任部長はまだ取締役在任中だ。また退職した3名も住所は分っている。 それに現在のメンバーが、廣井、中野、山田、横山、岡田、異動していったのが森本、藤本、五反田で都合13名である。内山はどうするかなとちょっと首をひねった。まあ入れたとしても合計14名で多くはない。 横山は役員もでることだし、社内ではショボイから近くのホテルでしようと言って、近くのいくつかのホテルに見積もりをとった。 |
この年表はたった今作ったのですが、物語を書き始めるときに作っておけば時間的関係に矛盾がでなかったし、あとから辻褄をあわせるのに気を使うこともなかったのにと思いました。 もっとも一番最初に環境方針を書いたとき、これほどバカ話を書くとは思いもよらなかったですね。あれから4年も経ちました。 ●
数日で概略はほぼまとまったので、山田は廣井に報告する。
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「過去のメンバーのリストはまとまりました。昨日今日病気にでもなっていなければ全員ご健在です。式次第ですが、その前に横山さんの方から意見があるそうです」
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「廣井部長、やはり社内の会議室ではちょっと悲しいでしょう。それでホテルでどうかと思うんです。式典と懇親会をですね・・」
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廣井は横山の話を一応聞いてから 「横山さんのご尽力には申し訳ないが、費用じゃなくて、この事務所に来て昔を偲んでほしいという気持ちもあるんだよね。どうだろう?」 | |
「そうですか。うーん、でも広さ的にちょっと難しいですね。打ち合わせコーナーですと座れるのはせいぜいが8名でしょう。全員参加するとなると14名になりますが、ちょっと入りきれないと思います。それにここでは式典といっても、ちょっとおごそかな雰囲気じゃありませんし・・やはりちゃんとしたところでないと また懇親会となると座ったままというわけにもいかないで、ビール片手に歩き回って話をすることになるでしょうし、いずれにしろこの部屋でなく社内の会議室の手配が必要と思います」 | |
「そうか〜、おれはね、この事務所を見てほしかったんだがなあ。みんなも思い出があると思うんだよ」
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「それじゃ、集合場所をこの事務所として、全員そろったら会場に移って式典と懇親会というのはいかがでしょうか?」
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「そういう手もあるか・・・まあ、そんなところで手を打つか」
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「式典の式次第はこちらです。 歴代部長のご挨拶と廣井部長が過去の活動の概要と今後のビジョンなどをお話しいただいて30分というところでしょう。懇親会で先輩諸氏と現在のメンバーひとり5分くらいのスピーチということで1時間少々、その後ご歓談していただいて全体で2時間半程度でお開き、そんなところでしょうか」 | |
「そんなところだろう。ところで記念品はどうなった?」
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「環境保護部創立からの年度計画の概要とその写真などをそろえました。それと全メンバーのポートレートと活躍した内容ですね。過去からの環境報告書の表紙の絵だけでも載せようと考えています。カラーで30ページくらいのつもりです」
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「うーん、ザッツサウンドグレイトだけど、うまくまとまるのか。それと製本はどうする?」
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「コピー室に頼んで簡易製版するつもりです」
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「費用はどれくらいになる?」
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「記念アルバムはほとんど費用はかからないと思います。懇親会をホテルでするとして・・・こんなものでしょうか?」
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廣井は横山から渡された1枚ものをながめた。 「よし、わかった。これでいい。開催日はいつでもいいが前部長の予定を確認して・・・いや明日にでもおれが聞いてみるわ。彼が一番忙しい人間だから彼に合わせないと。 じゃ、おれが取締役と相談して日にちを決めるから、決まったら招待状を出してほしい。記念アルバムの方はドラフトができたら見せてくれ。じゃ、頼むわ」 |
山田が異動してくる前に退職した先輩のひとり、成田という方は、会社を辞めた後、いくつかの認証機関にあたってISO審査員に採用してもらい審査員をしていたという。もちろん今では70歳を過ぎており、既に引退している。今は盆栽と囲碁と将棋の毎日だという。ISO14001がもてはやされた時代にいきて良かったという。そしてこのところISO認証が元気がないのが悲しいという。 山田は成田氏の生き方は単に定年を10年延長しただけのようにも思える。審査員をしていた10年間に社会にいかなる貢献をしたのだろう。いや何か新しい経験があったのだろうか? 単に賃金を得ただけではないのだろうか。自分はそんなふうな仕事をする気はないと思う。 | |||
もう一人の先輩、川島氏は定年退職した後、近所の小企業から公害防止の相談を受けて指導しているうちに、評判が広がりだんだんと近隣の中小企業から相談を受けることが多くなり、環境管理のコンサルタントもどきをしている。もっとも無償のブランティアだと自嘲した。 川島が演台を降りてから、山田は具体的にどんなことをしているのかと聞いた。すると特定施設の届出の書き方とか、公害防止管理者の試験勉強を教えるとか、廃棄物業者の現地調査に同行したり、設備の点検、内部監査の手伝いなどをしているという。だから今でも毎日官報を見ているし、法改正の説明会に聞きに行ったりしていて、ボケないよと笑う。 そういったことは山田が現にしていることだが、定年後もそういうことをすることが世のため人のため、そして自分のためになるものだろうか、山田は若い人のやる気をそぐ恐れもあり、一概には良いこととも言えないような気がする。 | |||
山田のチューターだった平目は退職後、大学に入りなおして日本文学を学んで、今は大学院の博士課程に在学している。現在では社会人大学生、大学院生が多くて平目のような年配者も珍しくないらしい。 平目はぜひとも博士になりたいという。そしてゆくゆくは市のカルチャーセンターで平安文学の講義をするのが夢だという。 平目という人間は、在職中はことなかれ主義で何事に対しても消極的だったのに、退職後は結構アグレッシブな人生を送っていると山田は感じた。あるいは、平目にとって元々環境のお仕事など世を忍ぶ仮の姿であって、本当にしたいことではなかったのかもしれない。 平目に比べると他の2名はありきたりというか、会社の仕事の延長のように見える。しかし大学院にいくのが普遍的ともいえない。例えば山田は大学院にいって研究しようとするテーマを持っていない。山田は自分が今後20年どんなふうな人生を送るのかと考えてしまった。 | |||
中野の挨拶はあたりさわりがないというか面白味のない話だった。人間はすべての行為において性格が現れるものだ。 中野のような人は、どんな仕事でもそこそこにやるだろうが、上級管理職としてビジョンを掲げて人を引っ張っていくということはできないのではないだろうかと山田は思う。まあ、人それぞれだからそれが悪いとは言えないけれど・・ | |||
横山は今の仕事について新しい世界が開けた、環境関連の資格を取ったしより見聞を広めて事故防止や環境リスク管理の仕事をしたいという話であった。話を聞いているだけでも、いつまでもこの職場にいるようには思えなかった。大学院にいってドクターを取って、NPOでも立ち上げるのか、あるいは大学の先生にでもなるような山っ気があるようだ。 | |||
岡田は最近すっかり常識人になって、異動してきた直後のようなノーテンキなことを言わなくなった。面白味がなくなったともいえるが、一緒に仕事をする身としてはありがたいことだ。岡田は広報活動が面白くなった、これからもこの仕事で会社に貢献したいという。 変われば変わるものだと山田は思った。 | |||
森本も内山も、一時でも環境保護部で働いたことは視野が広くなり、また貴重な経験をすることができたと感謝の言葉を述べた。 森本は今千葉工場の係長としてバリバリやっていて、次期課長と目されているし、内山も環境保護部で修行してからは甲府工場の環境管理の中核として活躍している。環境保護部は期待された人材育成の務めは果たしたようだ。 ただと・・山田は考える。もし森本も内山も山田と会わなければ、あるいは山田と一緒に仕事をしなければここまでは成長しなかったのだろうか? あるいは山田がいなくても他の人が指導するか、それともあるとき自ら気が付いて自分を変えただろうか? それはわからない。そんなことを考えること自体、不遜なことかもしれない。
藤本は現在の仕事の説明、今後は独自事業の拡大をはかり安定した損益を確保したいという。年はいってもまだ彼は厳しいビジネスの第一線にいるのである。 五反田は元々総務屋だったのが、どういう因果か環境に関わり更にはコンサルになり、渡り鳥人生だと笑いを取った。 |