審査員物語7 基礎講習を受ける

14.11.20
審査員物語とは

ナガスネ環境認証機構は、新橋駅を降りて国会議事堂の方に歩いて7・8分のところにある中規模の雑居ビルに3フロア借りている。今日、三木はその会議室の一つで講習を受けることになった。

三木は先日会った宮下氏の話では、すべての講習を受けないとナガスネの考えを理解できないという。三木は宮下氏のアドバイスに従って、すべての講習を受けることにした。予算の方は後でつじつまを合わせよう。手始めに初心者向きだという「ISO14001入門コース」というのに申し込んだ。今後、環境側面評価とか法規制講座というのを受講する予定である。

ナガスネ流を学ぶには
すべての講習を受ける
ことが必要です
宮下審査員
講座の案内によると対象は「初めてISO14001を学ぶ方」、「環境マネジメントシステムに関心のある方」、「環境マネジメントシステム構築責任者、担当者の方」とある。そして内容はやはり案内によると、「公害問題」、「地球温暖化問題」など身近な環境問題から始めて、「ISO14001とはなにか」、「認証とは何か」、「環境マネジメントシステム(EMS)とはどのようなものか」そして最後には「ISO14001規格要求事項のポイント」を解説する1日コースとある。解説から想像するとものすごいボリュームのようだが果たしてどうなのだろうか?

三木はいつも通り東京駅まで行かず東海道線を新橋で降りて講習開始の40分も前に着いたが、そのとき既に10名くらいが会場にいた。机には受講者の名前が書かれたカードが2枚ずつ置いてある。カードの数からみると受講者は15名のようだ。
三木は自分の名前を探してそこにカバンをおいてから、部屋の後ろ側にある給茶機でコーヒーを紙コップに注ぐ。コーヒーをすすりながら参加者の様子をうかがう。
既に来ている受講者は、所在無げに座っていたり、三木と同様に給茶機のホットコーヒーを飲んでいる者もいる。
営業をしていた三木は初対面の人と話しかけることは苦手ではない。コーヒーを持って窓から外堀通りを見ていた中年男性に話しかけた。
三木
「私はISOというのはまったく知らないのですよ。あなたはいかがですか?」
男1
「私も全然です。ウチの会社でもISO14001認証しようということになりました。しかし本を読んでも分らずとりあえず誰か講習会を聞いてこいとなりまして、くじ運悪く私がやってきました」
三木
「くじ運悪くとは・・・アハハハ
失礼ですがだいぶISO規格は勉強されたのですか?」
男1
「いや、規格の対訳本を買っては読みましたが、全くちんぷんかんぷんですねえ〜」
脇にいた年配の男性が話に加わった。
男2
「私の会社でも同じです。お客様からISO14001認証していないと困ると言われて、それではしかたがない認証しようとなりました。ところが田舎なもので、まったく情報がありません。今日はISO規格なるものを少しは理解していかないとという悲壮な覚悟ですよ」
三木は他の参加者がそんなことを言ってくれるので少しは安心した。
三木
「私も同様です。いくら本を読んでも分りませんねえ〜。とりあえず今日は、規格の大まかなことだけでも理解できることを期待しています」
三木が口火を切ったので、その様子を見て他の人たちも雑談の輪に入った。。
男3
「実はウチはISO認証したんですよ」
男2
「そいじゃわざわざ講習を受けるまでないじゃないですか」
男3
「いやすべてをコンサルさんにお願いしていまして、先日、まあ二月くらい前ですか、審査を受けたのですが、聞かれることがまったく理解できませんでして、合格したのが不思議なくらいです」
三木
「コンサルさんはアシストしてくれなかったのですか?」
男3
「審査の場にはコンサルはいてはいけないと言われました」
三木はそういうものかと頭に刻んだ。
男2
「でも認証したのでしたら今更講習を受けることないじゃないですか?」
男3
「そういうわけにはいきません。審査は毎年ありますから我々が対応できるようになっていないと」
そんな話をしているうちにさらに何人かが部屋に入ってくる。三木が時計を見るとまだ30分以上あるが、既に全員そろったようだ。
皆緊張しているようで、予定時刻の5分くらい前になるとトイレに行ったりする者もいたし、そうでなくても座席に座って開始を待つような殊勝である。

開始時刻ピタリに60前後の人が現れた。実を言うとやはり同年輩のもう一人が部屋の後ろのドアから入ってきたのだが、それには受講者たちは気がつかなかった。
須々木取締役
「こんにちはみなさん。本日はナガスネの講習会を受講いただき誠にありがとうございます。
私はナガスネ環境認証機構の須々木と申します。弊社の取締役技術部長をしております。技術部と申しましても製造する会社ではありませんのでISO規格の解釈とか社内外への指導や書籍の作成などを行っている部門です。
今日一日私が講師を担当いたします。後ろにおりますのは監視役の早苗です。 ええと悪気はありませんが、こういった講義の際に、居眠りとか不真面目な態度は減点になります。早苗は今日一日後方で受講態度をモニターさせていただきます。講義の終了時に試験をいたしますが、試験結果と受講態度次第で修了証を発行しない場合もあります」
須々木取締役早苗審査員
須々木取締役早苗審査員

須々木の話を聞いて受講者がみな後ろを振り向いてざわついた。
三木はへえ、そんな講習会もあるのかといささか驚いた。居眠り防止のためなのだろうが、いささかやり過ぎっていう気もする。それに国家資格でもないのだから修了証がもらえなくても何ら困らないだろう。
須々木取締役
「私は技術部長という役目もありますが、ISO14001の主任審査員の資格も持っており、ふだんは審査を行っております。早苗も審査員をしております。そういった体験からお話しますのできっと皆様のお役にたつと思います。
では、まず教材を配布します」
早苗と呼ばれた男がパイプファイルを1冊ずつ受講者に配る。ファイルの中にはA4サイズの簡易とじの冊子が5冊とじてある。
須々木取締役
「お配りしましたのはみなさんお持ち帰りいただきますので、中にメモなどをしてくださってけっこうです。内容の確認ですが、まず地球環境問題という冊子、それからISO認証制度、ISO14001規格解説、そしてEMS構築の4冊があるでしょうか・・」
もうひとつはナガスネでの認証の際の申し込みなどの手続きを書いた冊子であった。
須々木はその後、本日の予定、昼食などについて説明する。コーヒーなどは講義中いつでも飲んでも良くトイレにもいつ行っても良いという。
早速「地球環境問題」というテーマで話が始まった。パワーポイントを使って説明するのだが、古いプロジェクタで部屋の照明を落とさないと画面が見えず、手元のパイプファイルにメモするには少し暗い。
三木は照明が暗いし話が下手で、これは眠くなるなと内心思う。まさか話が下手で眠くなるから監視役をおくわけではないだろうが・・・
地球環境問題についてのお話はありきたりで、環境と無縁だった三木にとっても新しい情報はなかった。とはいえ最後に試験するというのでみんな真面目に聞いている。

1時間弱でその冊子の話は終わり、10分ほど休憩になる。須々木と早苗は部屋から出ていった。
受講者は立ち上がり、トイレにゾロゾロ行ったあと、コーヒーやジュースお茶などを飲みながら、三々五々とグループができ今の講義について話をする。
男1
「なんだか常識的なことばかりだったね」
男2
「まあ、だんだんと難しくなるのだろう。次はISO認証制度とある」
三木
「この中でISO審査員になる予定の方はいらっしゃいますか?」
男1
「審査員になるような人は、このような初歩コースを受講しないでしょう。」
男2
「そういう方は、このレベルはとうに卒業しているのではないでしょうか?」
三木
「なるほど、そうでしょうねえ」
審査員になろうとしているのに初歩コースを受けているようでは先が思いやられると三木は思う。まあ、今日が出発だと三木は自分を励ました。

次はISO認証制度の解説である。
須々木の話を聞いていても、認証というのは一体何を与えるのかよく分らない。認定機関があり、認証機関があり、審査をして審査登録証を貸し出すのを認証というというのは分った。しかし認証とは一体何なのだろう?

認証制度の絵
2012年時点のJABウェブサイトより引用

例えばTOEICなら、その人が英語を話す力がこのレベルだということを示す。運転免許なら持っていれば運転でき、持っていなければ運転できない。囲碁3段ならまあまあのレベルだなと周りは認めるだろう。
ISO14001認証するとできることは何なのだろうか? 資格ではないのだからなければできないということはなさそうだ。とはいえ、既に多くの企業が認証しているのだから、他社に差別化できるほどでもない。どのようなメリットがあるのか、そこんところが分らない。
三木はあまり目立ってはいけないと思い、質問はしなかった。だが誰もが同じ疑問を持ったのだろう、他の受講者が質問した。
男1
「すみません須々木先生、ISO認証というのはどういう価値があるのでしょうか?」
須々木は一瞬質問の意味を理解できなかったようだ。
須々木取締役
「価値ですか? 明白でしょう。組織まあ企業が大半でしょうけど、その組織の環境マネジメントシステムがISO規格に適合していることの証明です」
男1
「その組織のEMSが規格適合だと証明されたことにどんな価値があるのですか?」
須々木は絶句した。そのような疑問をもつことが理解できないようだ。
男1
「本などをいろいろ読みますとISO認証は遵法を保証しないし環境パフォーマンスとも関係ないそうですね。となると認証したということは企業にとって、あるいは社会にとって、あるいは取引先にとってどのような意味があるのでしょうか?」
須々木取締役
「おっしゃるように認証は内部に対してと外部に対しての意味があります。内部に対してとはつまりISO認証すると経営者に対して『当社はISO規格に適合している』と報告することができます」
男1
「そこんところがわからないのですが、『当社はISO規格に適合している』と報告しても、遵法が確実であるということでもなく、パフォーマンスが向上しているということでもありません。すると経営者は『当社はISO規格に適合している』という報告を聞くことによってどのような情報といいますか、安心感が得られるのでしょうか?」
須々木取締役
「あのですね、認証とはそういうものじゃないんですよ。マネジメントシステムが構築されていれば、その組織のアウトプットが信頼できるという確信が得られるのです」
男1
「でもマネジメントシステムがあっても遵法を保証しないし環境パフォーマンスとも関係ないというなら、アウトプットが期待できません」
須々木取締役
「じゃあ、お宅はなんで認証しようとしているのですか?」
男1
「ああ、それは簡単です。取引先が認証しろと言っているからです」
須々木取締役
「つまりビジネス上の効果があるわけですね。それでいいじゃないですか」
男1
「はあ、するとISO認証は取引の手段と理解して良いということですね」
須々木取締役
「いや、メリットとしてはいろいろあるということです」
突然別の受講者が発言した。
男2
「先だって認証を受けた某社で土壌汚染が見つかりましたが、そのときそこを認証していた認証機関が『虚偽の説明を受けた』って言っていました。私はそこの担当者と知り合いだったのですが、虚偽の説明をした覚えはなく、単に審査員が問題に気がつかなかったのではないかと言っていましたが」
須々木取締役
「その報道は私も知っている。その認証機関は当社ではありません」
男2
「御社ではないでしょうけど。それはともかく、審査で合格して認証を受けた後に、不具合があったら虚偽の説明というのですか?
単に審査が不十分だったということではないのでしょうか?」
須々木取締役
「まあ、それはその審査が実際どうだったかということでしょうね。ちゃんとした審査なら不具合を見つけていたと思います」
男1
「ではその認証機関はちゃんとした審査をしていなかったということですね」
須々木取締役
「言いたくはないが、そういうことだろうなあ〜」
男2
「認証を受けた企業で不具合が見つかったとき、認証機関はなにか責任を負うのでしょうか?」
須々木取締役
「認証機関は責任を一切負いません。不祥事は企業の責任です。認証機関は審査結果に責任を負います」
男2
「審査した結果、問題がなくて認証したのですから、その企業を認証したのは認証機関のミスではないのですか?」
須々木取締役
「証拠を全部出していただいていたら、審査員は不具合を見つけていたでしょう。すべての証拠を出さなかったから不適合を見つけなかったと思いますよ」
男1
「ということはすべての証拠を見ていないから、遵法が確実であるということでもなく、パフォーマンスが向上しているということなんでしょうか?」
須々木取締役
「そうです、審査はあくまでも抜取ですから」
男2
「ええと、すみません。抜取だから結果を100%保証できないというのはわかります。でしたら認証は100%を保証せず、認証した組織に不祥事があっても確率的で問題はないということでしょうか」
男1
「とすると今回の不祥事は企業にとっても認証機関にとってもミスはないということですか?」
須々木取締役
「いや審査が抜取であっても不祥事は見つけないとならないでしょう」
男2
「どうも論理が理解できません」
男1
「前に戻りますが、認証の価値とは何でしょうか?」


須々木取締役は前と同じことを繰り返して述べている。
三木は講師と受講者の応酬を聞いていてどうも納得できなかった。認証とはいったいなんだろう?
二冊目の冊子は最後まで説明が進まずに時間切れとなった。しかし受講者は単なる表面的な説明よりも、認証の価値についての応酬を聞いてためになったのではないかと三木は思った。ためになったといっても理解が進んだのではなく、わけが分からないことを再確認したに過ぎないのだが

お昼になった。女子社員がお弁当を台車で運んできた。1食1200円くらいはするような豪華な仕出し弁当だ。味噌汁も付いている。
受講者だけで講師は一緒に食べないようだ。受講者のひとりがリーダーシップをとって机を四角形に並べて、お互いに話をしながら食べた。
男1
「認証の価値というのがわからなかったのですが、みなさんはいかがですか?」
男2
「私も分らなかったなあ。とらえどころがないようだ」
男3
「まあ、あまりここに拘ると先に進まないでしょう。あるいは後で別な話を聞いて理解できるかもしれませんね」
三木はなるほどと思う。最初から出てくる言葉や概念をすべて理解しようとするとひっかかってばかりで勉強が進まないだろう。ある程度分れば次に進まないとならない、いや進んだほうが良いのだろう。
三木
「なるほど、おっしゃる通りですね。私はまったくの初心者でみなさんのご理解レベルまで至っていませんので、分らないことがあればメモをしておきましょう」
男1
「しかし地球環境問題なんて実際の工場の管理とリンクしているのかなあ?」
男2
「確かにね、シロクマが困ってもマングローブが減少しても、目の前の仕事とは無縁だよね。おれたちはどうすりゃいいのかねえ〜」
男1
「まさか廃棄物を減らせばマングローブが保護されるなんて風が吹くと桶屋が儲かるような話になるのかねえ〜」
 ワカラン
ワカラン
三木もなるほどと思う。そういえば本社でもゴミ減らし運動とか消灯活動をしているようだが、ビルの消費エネルギーからすればもう誤差の範囲だろう。それがISOの役割だとか成果だとか言うのも恥ずかしい。じゃあビルの省エネはとなると、ISOなどができる前からエネルギー管理指定工場になっていたとかで、過去からエネルギー管理士を雇って省エネ活動をしていたという。そういう法規制とISOの活動はどのような関係になっているのだろう。これから勉強するとわかるのだろうか。
男1
「環境保護というのと、公害防止というのはどう関係しているのでしょうかねえ」
男2
「今日の冒頭で須々木先生がISO14001は公害防止ではない、地球環境保護だって言ってたけど」
男1
「俺たち企業にいれば地球環境保護と言われてもピンとこないな。公害防止とか省エネとか廃棄物削減しかないんじゃないか。マングローブを救うのが俺たちの仕事でもないし」
男3
「あの先生の話を聞いていると、結局大義と現実がつながっていないって気がするなあ〜」
三木もそう思う。
男1
「なんかこの講習会にきてますます疑問が深くなったような気がするよ」
男2
「アハハハハ、そのようだね。俺もだよ」


午後になった。ISO規格の解説である。
須々木講師が規格の文章を逐次読んでいく。定義されている言葉には定義を入れて読むのですよとか、ここに記録とあるから記録が必要ですよとか注意を述べる。しかしその文章の意味するところがどういうことなのか、その詳細は語らない。普通の人は読んだだけでわかるのだろうか?
三木は分らないところがあちこちにあって気になるが、質問はしなかった。実は目立たないようにしようとしているには訳がある。いずれここに出向したとき須々木部長に変に記憶に残ると後々まずいのではないかという保身である。
環境マネジメントプログラムという項目である。
男1
「先生、質問です」
須々木取締役
「ハイ、なんでしょうか?」
男1
「環境目的の期間は長くても短くても良いのですか?」
須々木取締役
「規格では具体的な期間は書いてありません。しかし、ナガスネでは環境目的とは3年間の目標と考えています」
「ナガスネでは」という言い方はものすごく権威があるように聞こえる。三木は心中笑ってしまった。いや、個人的見解ですという度胸がないからそういう言い方をしているのだろうか。朝日新聞でも「朝日新聞はこう考えています」なんて文章を見かけるが、あれも一人の意見では権威がないからだろうか?
男1
「現実には達成まで3年必要でないテーマや、3年未満で達成しなければならないテーマもあります。そのようなときはどうするのでしょう?」
まさに三木の感じていた疑問である。三木は振り返って質問者の顔を見た。朝、窓際でコーヒーを飲んでいたオジサンだ。
須々木取締役
「うーん、我々は改善テーマというものは1年や半年で達成できるとは考えていない。3年とか5年とかかかると考えている」
男1
「すると法改正があって、1年で対応しなければならないとしますと、それは環境目的にならないということになりますか?」
須々木取締役
「まあそういうケースはちょっと思い当たらないなあ〜、とりあえず改善に長期間かかるものというイメージで考えてください」
三木は質問者を見ていたが、これ以上聞いてもらちがあかないと思ったのか黙ってしまった。


規格解説は2時間で終わり、また休憩となった。
男1
「いやあ、説明といっても文章を読んだだけって感じだったね」
男2
「あまり深く考えずに規格の文章通りにすればいいってことなんだろうか」
男3
「そんな風に聞こえたね。俺はさ、あの講師の鈴木さん、須々木さんか、あの人規格を理解していないんじゃないかって気がしたよ」
男1
「実は俺もそう思ったよ」
男2
「こんな研修は受講しただけ無駄ってことかな」
男1
「いやナガスネで認証するにはナガスネの考えを理解しないとだめなんだよ。環境目的が3年というのを質問したわけは、隣の会社がナガスネの審査を受けて2年だったもので不適合になってしまったんだ」
三木はつい口を挟んだ。
三木
「だっていろいろな計画の中には、今年中とか来年中にしなくてはならないこともあるでしょう?
それにどんな長期計画だって、いつかは完了するはずで、その2年前からナガスネの環境目的である3年を満たさないことになる。これは矛盾ですよね」
男2
「まあ、省エネとか廃棄物削減なんかだと、永遠のテーマということもありますがね」
男1
「まあ常識で考えるとそうなんですがね・・・・ナガスネは環境目的は長期目標だって固定観念があるのでどうしようもないですよ」
三木
「そうするといったいどうしたらいいのでしょうか?」
男1
「アハハハハ、悩みますねえ〜」
男2
「今日は基礎コースだから話が出ないだろうけど、環境側面の決め方はもうすごいらしいよ」
男3
「聞いています。あれは・・・・難解だねえ〜」
三木は話を聞いても何が問題なのか分らなかった。
男1
「お宅もナガスネで認証するのですか?」
男2
「そうなんです。親会社からISO14001認証を求められていましてね、認証機関まで指定されているのです」
男1
「それは大変ですね。私んところではナガスネの講習会と別の認証機関の説明会を聞くことにしていて、どちらかを選ぶことにしているのです」
男3
「それはいいですね。そういう選択ができるのはうらやましい」
三木はみんなの話を聞いていて、六角氏の話を思い出した。ナガスネの考えは少し変わっているというのは多くの人が認めていることらしい。だが、三木には何が変わっているのか、どこが常識はずれなのか、まだよく分っていない。

次の講義は企業がISO14001認証するための工程についてだった。EMS構築というから、何かすごい仕組み作りを解説するのかと期待していたが、話は審査を受けるための文書作りと、認証機関への申し込み方法と、審査の受け方の話であった。
タイトルと中身が違い過ぎると三木は思う。

最後は修了試験だった。
A4の紙に表裏に「○○について説明せよ」というものが6個記載されていて、それについて数行説明を記述するのである。テキストを見て良いというので全く意味のないように三木は思う。
1時間の試験時間があったが、みな30分もかけずに終えて次々に去っていく。三木も30分で終えて会場を出た。
歩道に出てからナガスネ認証の入っている雑居ビルを見上げる。
1年後はここで働いているのだろうか。それとも・・・
時計を見るとまだ4時半だ。少し考えてまっすぐ家に帰ることにした。今なら東海道もガラガラだろう。たまには座って帰りたいと三木は思う。

私はかなり早い時期にISO9001とISO14001の審査員研修コースを受講した。だから登録番号はどちらもかなり早い。もっとも引退した今はお金を払っていないからとうに失効している。それはともかく私が受講した当時はこのような質問はなかった。みな講師を神様のように見ていてそのお言葉は神の言葉のような扱いだった。
しかし私の後輩が審査員研修コースを受けた2000年以降はかなり講習会で質問が出され紛糾したという話を聞かされた。それは良いことだろう。いかなる教育であろうと、講師たるもの、受講者の質問に対して理屈を重ねて説得できなければ講師をするのは間違っている。そして後輩から聞いたのは講師が質問に適切に応えられなかったことが多かったそうだ。

うそ800 本日の登場人物
一応、講師や審査員のご芳名には、私が研修を受けたときの方を少しモデファイして使用しております。
須々木様ですと、薄様なのか、鈴木様なのか、須崎様なのか、早苗さんですと、早苗か佐内か左内まあそんなところです。
もし俺か!と気が付かれた方は今はまともになったかどうかご反省をお願いしたいところです。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012.11.20)

強制的に入信させられる新興宗教のようですね。おっと、新興宗教に失礼だったか・・


名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
おっしゃる通り!

ただ信じる者は救われるといっても、階層が多々あるように思います。
ISO規格が正しいものであると信じている人々
これはISO原理主義者と呼ばれています。私も過去にはISO原理主義者であったと思います。トヨタのトラックに機関銃を載せて砂漠を走り回っている人々のようですね。
ISO規格が正しいかどうかということは、検証されたことがないと思います。そして実際の運用においてはその効果がなく、改定をひたすら積み上げているだけでは・・・

聖書を信じる原理主義者だけでなく、それに独自の解釈を加えた宗派、認証機関を信じよと語る指導者もいます。
ISO規格でさえまともなのか否かわからないのですから、一認証機関、それも数人のボス的審査員が考えたものが正しいとか天国に至る道かといえば、まあそうではなさそうな気がするのは私だけかな?

あるいは単に審査登録証というお守り、お札があれば、不良とか、環境事故とか、電気の使い過ぎなんて悪霊から逃れられると信じる、信じられるという低俗レベルの信仰もあるでしょう。

とはいえ、救われるというのはどんな意味なのか?
国語辞典によると意味が二つあるようです。ひとつは「外部からの力によって現実に良くない状況から脱出すること」であり、もうひとつは「不安や苦しみから解放されること」だそうです。
沈みゆくセウォル号から脱出しなければ前者の意味では救われませんが、神に祈ることによって後者の意味では救われることもあるかもしれません。
となると、ISOは正しいのだ、ISOにあることをひたすら実行すれば会社が良くなる、自分の未来も開けると信じることは後者の意味で救われるという新興宗教のようではありませんよ、まさにISO教という新興宗教なのです。
ちなみに私は名古屋鶏様のように迷える子羊、いや迷えるニワトリさんもいるかと思い、1年半も前にヨブ記という短編小説を書いております(オイオイ)
おっと、タイトルがヨブ記でも、名古屋鶏様に一緒に飲もうよと呼ぶ気はありません。

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