2年間の遍歴

2014.04.30
今の日本にはサヨクと呼ばれる連中がはばっている。サヨクとはなにかというと、人によりさまざまな見方や考えがあって確たる定義があるわけではないが、日本文化とか日本の誇りというものを否定する人々あるいは思想というべきだろう。そう私は考える。
サヨクとはどんなものか分らないというなら、テレビ朝日の報道ステーションの古舘伊知郎とかNHKのクローズアップ現代の国谷裕子、そして典型的なものとしてTBSのサンデーモーニングの関口宏のような者だと私は考える。
国谷は中国の毒入り餃子事件で中国製食品の安全性をクローズアップ現代で取り上げた時、番組出演を拒否した。彼女は中国の名誉と利害に関しては敏感であるが、日本人の食の安全なんてどうでもいいのだろう。つまり立派なサヨクである。
いや、サヨクではなく中国の宣伝機関ということもありそうだ。
関口宏は中国や韓国とまったく関係ない事件を、さも彼らが被害者でそしてもちろん日本人が加害者であるようなお話にするので笑ってしまう。やりすぎはかえって嫌中、嫌韓を誘発する。
報道ステーションを見ていると、今日はどこで媚中、媚韓をだすのかと、そこに興味がある。韓国で船が沈んでも、反政府運動があっても、その原因はすべて日本にあり、我々日本人が謝罪と賠償をしなければならないとつなげるのが面白い。
おっと、朝日新聞を引退した若宮、あるいは民主党の一部などは、単なるサヨクというよりも極左というべきだろう。じゃあ共産党はサヨクなのかといえば、そうではないところが面白い。共産党はなんでも反日ではないのである。要するに反米とか親米とか、共産主義という主義主張ではなく、日本文化あるいは日本というものをどう認識しているかということが、サヨクか否かの区別ではないかと考えている。共産主義でも日本のことを考えているならサヨクではない。つまりサヨクとは、中国や韓国の言うことが正しいと語り、日本の文化を否定する人である。
付け加えておくと、そして社民党は党是が反日のようだし、反日が社是という新聞社もある。
困ったもんだ。
もちろん資本主義的サヨクも多い。自分の商売繁盛のために中国や韓国の命じるままに行動している連中は立派なサヨクだ。「竹島は韓国のものだ」という運動に寄付したという100円ショップチェーンもあるし(その後の報道を見ているが真相はわからない)、中国産のものには産地を表示しない超大手スーパーもある(彼らにとっては残念なことだが、間もなく法改正され原産国を表記しなければならなくなるようだ)。
ところで今あげた連中がサヨクだと言われて気を悪くした人もいるだろう。あるいは私の論に異議がある方もいるかもしれない。
では私がなぜそう思うに至ったかを述べたい。

私は過去10数年企業で環境管理を担当してきた。環境管理といっても多様であるが、公害を出さないように、事故を起こさないように、法律違反をしないように、省エネに努めること、廃棄物を減らすこと、そんな仕事をしてきた。正直言って私が地球環境を考えていたなんてことはない。二酸化炭素による地球温暖化はほんとうなのかと問われても、私は真実なのか否かわからない。私を含めて普通の環境担当者は省エネに努め、無用なフロン漏洩を防ぐことはしているが、それが本当に温暖化を防止しオゾンホール改善につながるかどうか分らない。というかそんなこと、研究している人しか論評できるわけがない。私が研究しているわけではなく、各種データが手元にあるわけではなく、温暖化の真偽が分るはずがない。科学者でもない人が温暖化を防ごうと叫んでいるのは、洗脳されているのと同じことだ。
その他のことについても私は法で定めたことはしっかり守ろうとしていたが、規制値が適切なのかということは考えなかったし、判断できる情報がない。一般ごみはこのように分別しろと言われて、その分別方法が適正なのか否か判断しようがない。ダイオキシンがそれほど危険だと思わなかったが、法律でダメと言われればダメなのである。

まあ、私はそんな仕事を長い間してきた。そして定年になり数年嘱託で働いたものの引退とあいなる。
引退してなにをするかとなる。
何もせずにごろ寝しているわけにはいかないから、フィットネスクラブに行ったり、公民館のクラブに入ったり、図書館で本を借りてきて読む、まあそんなことが日々の日課となった。なにしろ図書館も公民館も無料だからね、
私は昔から本を読むのが好きだった。しかしせいぜい年に100冊読む程度であった。引退してからはすることがないから退職した直後は週に二回とか三回図書館に行って手当たり次第に本を借りて読んだ。退職した直後は一日一冊読んだ。
述べたように私は働いていた時には環境管理担当だったから、初めは環境に関する本を読んだ。まさか図書館に行っても、まったく見知らぬ分野、たとえば源氏物語解説とかアノマロカリスの生態なんて本を手に取ることは普通ないだろう。私がしていた環境活動、省エネや廃棄物削減が、地球環境にいかなる効果がありいかほど地球といっては大げさだが人類に貢献しているのかを知りたかった。何冊も何十冊も読むにつれて、公害防止だけでなくだんだんと範囲が広くなり、オイルピーク、熱帯林、リン資源欠乏、マングローブ、サンゴ礁などなどの本を読むようになる。持続可能社会についても読むようになる。
私は知らなかったが、環境活動の終局の目標は持続可能社会の構築らしい。それが正しいのかどうか私はわからないが、偉い学者は持続可能社会を作らねばならないという。私が今までしてきた仕事が持続可能社会につながる行為なのかどうか考えたことはなかった。考えても分らない。
そもそも持続可能社会ってなんだろう? 何年持続すれば持続可能なのだろうか?
ある講演会で持続可能社会を語っていた大学の先生に「持続可能とは何年間を言うのか?」と質問したことがあるが、その先生は「永遠である」としか答えられなかった。永遠とはまさか語義的な永遠ではあるまい。
おばQジジイ
持続可能性って
何年間続くこと
なんでしょう?
太陽系の寿命はあと50億年というが、その前には太陽の放射エネルギーに大変動があるだろうから、人類に限らず生物が地球上にいられるのはそれより大幅に短いだろう。いや太陽が変化しなくてもスノーボウルアースになることもあるかもしれない。いやそれどころか数百年後には氷河期になるというから、持続可能とは数百年のことなのだろうか?
そういうことを考えると、その大学の先生は真面目に持続可能を考えていないように思う。世の中で持続可能社会と語る人たちは、持続可能とは何年と考えているのだろうか?
そして私は持続可能社会を作ろうという前に、私は持続可能社会というものの定義は何だろう?、持続可能社会は存在できるのかということを疑問に思った。
ところで人類の歴史で一番長く続いたのは石器時代である。旧石器時代なんて何万年も大きな変化なく続いた。じゃあ旧石器時代は持続可能社会だったのかというのが次の疑問だ。
ところで原始社会が唯一の持続可能社会だという言葉を聞いたことがある。原始社会と石器時代はイコールではないが、現代社会よりは関連が近いだろう。
それで旧石器時代の本を図書館から借りて手当たり次第に読んだ。市の図書館でそれに関するものをあらまし読んでしまうと、図書館を公開している大学に行って本を借りた。確かに旧石器時代は文化の進歩が遅く、加工した石器の形状が変化するのに長い年月がかかっている。だがそれは変化のない社会かといえば、もちろんそうではなく、打製石器であっても加工法が工夫され形が洗練化されてくる。そして新石器時代になり今に至るわけだ。
石器加工が進化したのは周りの圧力によるものだろうか? 生存に迫られてのことなのだろうか?
ともかく同じ生活様式が継続していないということは、石器時代は持続可能社会ではなかったということになる。
石器時代の本を読み尽くすと、当然の流れとして次は縄文時代となり弥生時代の本を読むようになった。そして邪馬台国の本を読み漁るようになった。やがて本を読むだけでなく邪馬台国の講演会を見つけては聞きに行くようになる。ところが邪馬台国の講演会に行って驚いたのだが、講師が語るのは魏志倭人伝についてではなく、大和朝廷とか古事記との関連だった。その後分ったことだが魏志倭人伝そのものは既に徹底的に読まれ検討され、もはや考古学的な発見がないと次に進めない状況らしい。それで邪馬台国を研究する人たちは、古事記や日本書紀などと邪馬台国の関係を研究しているようだ。
ともかく邪馬台国の講演会に行って「ニギハヤヒノミコト」という言葉を聞いて私は驚いた。邪馬台国と古事記が関係しているなんてまったく考えていなかった。
ということで邪馬台国を考えるには、古事記や日本書紀を読まなければならないということを知り、それに関するものを読み漁るようになる。
古事記や日本書紀というものの位置づけは時代と共に大きく変わった。ほとんど無関心状況だったのを本居宣長が古事記伝を書いて世に改めて紹介した。明治以降は日本の歴史書として絶対の位置づけだったらしい。しかし戦争に負けた途端、あれはまったくのフィクションだ、ウソッパチだといわれた。ところがその後、古墳や遺跡の発掘などから、古事記や日本書紀はおとぎ話ではなく歴史であると考えられるようになった。
もちろん歴史といっても事実をあるがままに書いているわけではない。新約聖書の黙示禄が事実を隠して比喩で書いているように、古事記においても人名や出来事を神々の時代に託して書かれているとする論文が多くある。ともかく全くのおとぎ話ではなく、事実を後世に伝えるために工夫したということだろう。
古事記と日本書紀の現代語訳を複数、そしてそれらの解説本を大量に読んだけれど神々の名前や天皇諡号はまったく頭に入らなかった。だけど歴史で大事なことは戦争や革命の年号や英雄の名前を覚えることではなく、世の中の時代の移り変わりとその相互関係を知ることだと私は思っている。そういう観点では、日本神話に書かれた日本の古代と日本がどのように形造られてきたかを学んだと思う。なにしろそんな本を2年間200冊くらい読んだのだから。
元々日本には南から舟で入ってきた縄文人がいて、やがて大陸から朝鮮半島を経由して来た弥生人が縄文人を追い出して住み着いて日本人になったという説もあった。その説のバリエーションは多々ある。しかし従来は血液型とか骨格から推定していただけなのだが、現在ではDNAなどの研究で縄文人も弥生人も地域的に偏在しておらず、時代と共に混血して現在の日本人になったというのが結論のようだ。そして渡来した弥生人は縄文人の1割もいなかったらしい。決して一方が他方を攻め滅ぼしたということはないようだ。
また弥生以降も朝鮮からの帰化人が多いとか、この貴族は帰化人だとか、この天皇は百済から来たのではという意見や学説は多い。日本人がどこから来たのかというのも諸説百般、ほんとのことはわからない。しかし今の日本人が今の中国人とも韓国人とも違うことは間違いない。現在の韓国人で、天皇家も日本人も朝鮮から来たと主張するのもいる。もっともそれをいうなら、当時朝鮮に住んでいた人たちは新天地を求めて日本に来て、そのころどこかにいた人たちが今の韓国人になったともいえる。2000年前の日本に住んでいた人がいまの日本人と同じでないように、2000年前の朝鮮人は今の韓国人ではなく、2000年前の中国人は今の中国人ではないことは間違いない。そして今の韓国人と今の日本人が兄弟でないことも間違いない。

やがて日清戦争となり、日露戦争になる。司馬遼太郎の本は単なるフィクションであり、現実とは異なる夢物語であると知った。ノモンハンの戦いは旧ソ連や日本人自身がいうように、日本の一方負けではないことを知った。

ともかく、このように好奇心おもむくままに環境から始まって石器時代そして古代日本について、多くの本を読み講演を聞いて漂ってきた。そしていろいろ考えさせられた。私のさすらいは、日本人とはなにかということ、日本とは何かということに流れ着いたのである。
そしてたどり着いたところは、結局我々は日本人であり、それをやめるわけにもいかず、他の国の人になるわけにもいかないということである。そして日本人は、日本を中心にして考えるしかなく、日本を中心にして行動するしかないということだ。
地球市民とか世界市民なんて言葉を使う人がいるが、私にはその意味するところがまったく分からない。
言い換えると「私は地球市民だ」と発言することは、自分が日本で生まれ日本で育ち日本の価値観、日本の治安、安全、というものに囲まれて初めて発することができるということなのだ。
北朝鮮に行って「私は地球市民だ」と語ることは危険人物であるとみなされるだろうから、当然現地人が現地でそんな発言をすることはできない。そもそも北朝鮮の一般人が、現在の国際情勢、国家、社会というものを認識していないだろうから「私は地球市民だ」と考えることはありえないだろう。
北朝鮮の若者は「ハンバーガーは前指導者の金正日氏が発明したもの」「ミッキーマウスは中国人が作ったキャラクター」「金正日氏は自分の心の支え」と信じているそうだ。
(2014/4/26、英紙デイリー・メール)
韓国で「私は地球市民だ」と語っても徴兵からは逃れられず、国家レベルの経済危機、個人レベルの就職難、生活の困窮から逃れることはできない。いや反韓国的発言、親日本的な発言をすることは刑事罰の対象だから「私は地球市民だ」などと発言することはありえないだろう。
中国で「私は地球市民だ」と語っても、中国から出国することも大変だし、他の国に行って市民になることも難しい。いやその前に北朝鮮と同じく国外の情報がないだろう。
こういった国において「私は地球市民だ」と考えることは意味のないことだ。
昔、1960年代だったと思うが「私は地球市民だ」と語り国籍を捨てたアメリカ人がいたと記憶する。もっとも外国の国籍を得ずに国籍を放棄することができるのかどうか、私はわからない。
パスポート 今、日本で「私は地球市民だ」と語る人は、桐の紋のパスポートを持って、中東に戦争孤児のためにボランティアに行くこともできるし、テロリストになるために行くこともできるし、韓国に行って反日デモに加わることもできる。それは日本が経済力があり、日本円を外貨に両替して出国できるということであり、日本政府の保護が行き届いているということなのである。要するに「私は地球市民だ」と語ることができるのは日本が先進国であり、しかも国力があるから発言できるシャレなのである。
「私は地球市民だ」とは自分が思うだけではなく、自国の経済力、知識、技術、政治的安定性、といったものがなければ意味がないのだ。
ピースボートで世界を巡れば見識を広め、しいては自分の人生にも世界平和にも役に立つのかどうか私は知らないが、軍事力という裏付けがなければ世界一周することができないという事実がある。ピースボートがソマリア沖の海賊から身を守るために海上自衛隊に護衛されたのは有名な話だ。
護衛されるピースボート
彼らが日本に属していなければ、そういう保護は受けられなかったわけだ。

いずれにしても、あなたも私も日本人をやめることはできない。日本人の名誉と恥辱は私から離れない。現実の日本人は過去の責任を負っていない。いや責任転嫁をしている。第二次大戦の責任は東条英機か昭和天皇というのが一般人の認識だろう。
そうではないだろう!
そういう己の責任を転嫁し、自分は悪くないという認識を持たせたのはGHQとそのパシリであった朝日をはじめとするマスゴミである。学校の先生、日教組なんてのももちろんその一派である。
その意味では我々は己の責任をしっかりと認識しなければならない。朝日をはじめとするマスゴミ、文化人、そして一般国民が戦争責任を負わなければならない。しかし、同時にその責任は悪いことをしたからではなく、「負けた責任」を負うということだと私は考える。
戦争犯罪とか戦争責任なんて勝ち負けの結果にすぎず、倫理とか正義というのは相対的なものにすぎない。ただ負けたということをしっかり認識してなにごとも判断し行動しなければならないということだ。我々は祖先の勇気を称え、戦功を誇りにしてよいし、そうしなければならない。要は次は負けないようにすることである。

今の日本は国難と言っていいほどの状態にある。特定アジアと称される韓国、中国、北朝鮮から言いたい放題のいいがかりをつけられている。
やれ、従軍慰安婦、強制連行、南京虐殺、そんなことがあったのかどうか定かではない。
書籍などを読むと、なかったという論が多数派である。
しかし日本人として、それらが事実ならひとつひとつ片付けて行かなくてはならない。それらが既に条約で片付いているならその事実を示し、向こうに二重請求を止めてもらわなくてはならない。韓国が今まさにしていることだが、一度条約を結んで後でそれを否定するようなことは許されない。
日韓基本条約
第2条1項
両締結国は、両締結国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
更に、南京虐殺など、全くのねつ造、ウソなら断固拒否して先方を諌めなければならない。
そしてそういうことの尻馬に乗って騒ぐのはサヨクである。だって冒頭に示したように、私の考えでは「サヨクとは日本文化とか日本の誇りというものを否定する人々あるいは思想」とした。サヨクとは国外の利益を考える人であり、日本の国益を考えない人だから。
その意味で古舘伊知郎、国谷裕子、関口宏、朝日新聞は立派なサヨクなのである。

政治というものは一般庶民の考えと違った次元で進んでいると感じるところもある。しかし民意というか我々ひとりひとりの考えが政治に反映されなければならないし、反映されるだろう。
消費税反対と何十万もの人がデモをすれば消費税は増税されなかったと思う。
従軍慰安婦の河野談話を破棄しろと大勢がデモをすれば政府も各政党もそれに従うだろう。
私たち一人一人がもっと現実の問題を認識して、行動することが日本を変えることだろうと思う。
それが私たちがまっとうになること、それが日本をまっとうにすることだろうと思う。

濡れ落ち葉 2年間大量の本を読み、毎月いろいろな講演を聞いてきた遍歴の結論は大したことではなかった。
でも当たり前ってこんなものだろう。
2年かけて当たり前を確認したわけだ。これからの人生、サヨク退治に励まねばならん。



外資社員様からお便りを頂きました(2014.05.02)
おばQさま
2年と言わず、こうして活動され、楽しく参考になるお話をされてきた事に感謝致しますと共に、いつも如く感想を寄せました。

1.地球温暖化の不思議
地球温暖化については、その欺瞞性に腹をたて、また原発推進とセットであった裏の目的が無駄になった今、現実の見直しをするべきと思います。
悲しい事に、鳩山氏が二酸化炭素削減のアドバルーンを上げたままで、撤回されたようにも思えません。
原発停止は、無意味な削減目標取り上げに、世界にも理解が得られる理由と思いますが、なぜかスローガンだけは亡霊の如く残っています。
NHKは、氷なき海を北極熊が泳ぐ映像を垂れ流し、「みんなの歌」では子ども向けに「ホッキョクグマの歌」を流 しました。
御嫌いなクローズアップ現代では、2013年8月23日に、海水温が異常に上がっていると報じて危機感をあおりました。
にもかかわらず今年は、4月になっても寒いが続き、北海道の流氷も長くとどまりました。
ブリの豊漁が続いたのは、海水温が、過去にないほど低いのが原因と思いますが、なぜかそれと地球温暖化に関係は、一切説明してくれません。
私は好物のブリが天然もので安く食べられ、大変うれしいのですが、視聴者として、疑問なのは、昨年は海水温が異常に高いといいつつ、今年の異常に低い事は、「海水温の低下」というだけで、地球温暖化はどこへ行ったのか、とても疑問です。
簡単な理解は、自然のゆらぎの範囲だという考えですが、そういう説明はありませんし、「地球寒冷化」という言い方は絶対にしません。
南極の氷も過去30年で最大になり、北極の氷も大幅に増えたようです。 米国が、大寒波に襲われたのも記憶に新しいです。 でも地球温暖化と絡めて説明する事は一切ありません。これも「不都合な真実」なのでしょうね。

2.本当に持続可能な世界
足りない頭なり、自身で考えてみた事があります。
私は環境関連の仕事の経験も知識もないのですが、趣味にしている古典の世界で考えれば老荘思想の「小国寡民」世界なのだと理解しています。
それは隣りの村へは鶏の声が聞こえるぐらいの距離だが、村の中で充足しているから行き来せず、村の中での衣食住に満ちたりで生きている事です。
当然ながら、欲望過多な私には至れない境地なのですが、足るを知る事が無駄なエネルギーを使わない事になることくらいは判るのです。
江戸時代の日本は、国内で十分に足り、多くは人々が満ち足りていました。
西欧文明が入ってきて、西欧に並ぶという目標を持った時に、人々は不幸になり、必要なものを得るために必死に努力し、あげくは戦争までして最後は世界史でもまれにみる大敗北を喫しました。
現在は、縮小社会とか、中国に飲み込まれるとかいう人もおりますが、自分の立つべき地盤をもって足るを知る事が出来れば、不安は減るようにも思えます。

3.右や左の旦那様
右だろうが、左だろうが、自身が寄って立つ地盤を持っている人は、聞くに値すると思います。
もちろん、その思想や行動原理に賛同できるかは別問題です。
一方で、サヨクだろうが、自称愛国者だろうが、自身の思想ではなく、借り物を振りかざした人は、言っている事が良く判りません。
日本共産党の宮本 顕治は、戦争前から収監され、敗戦後 GHQの指令で釈放、その後 政治家(参議院議員)として復権しました。
昭和41年の中国共産党大会で、毛沢東と会ったときに、文革路線に日本共産党も従うように言われた時に、NOと言い袂を分かち、以来 日本共産党は、中国共産党と30年間関係を断ちます。
昭和43年に金日成に会った時には、武装南進政策に対して批判し、またもや関係を断ちます。
結局、思想弾圧する日本政府にNOと言えた人だから、毛沢東にも金日成にもNoと言えたのだと思います。

相変わらず、まとまりのない感想ですが、おばQさまも、自身の立つ地盤を持ち、一貫した思想をお持ちと感じています。
全てのお考えに、私は賛同する訳でもありませんが、それでもお話を読んでいてよく判るし、大変参考になるのです。
ですから、御礼の気持ちは、拙いなりにまとめてみました。

外資社員 拝

外資社員様 毎度ありがとうございます。
鳩山と言えば、今もあちこちにしゃしゃりでて悪さをしているようで困ります。
大金持ちで頭が良いと人を困らせることが楽しみになってしますのでしょうか?
地球温暖化の真偽はわかりません。しかし原発反対、温暖化阻止、しかも豊かな生活は保証しろというのもドーカナと思います。
竹田邦彦さん頑張ってますよ
そういえば沖縄県知事に立候補を表明した大城浩という人は、沖縄を独立国家にして、アメリカ軍、自衛隊を排除して中国軍、韓国軍の駐留を認めるというのですが、この人の頭の中はいったい何が詰まっているのでしょうか?
ゴミが詰まっているのか、ゴキブリが巣食っているのか、それともからっぽなのか、ちょっと見当がつきません。外資社員様のご見解をお聞きしたいところです。
とはいえ、論じるまでもなく精神病院送りが最善かもしれません。
クワバラクワバラ

ひとりごとの目次にもどる